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19. お父様の笑顔

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「エレアノール……」


 ノックスが呼んでいる。
 私はここよと伝えたかったけれど、声は掠れ、ヒューヒューと空気のとおる音が鳴るだけだった。

 瞼を少しだけ持ち上げてみると、明るさで目の奥が刺すように痛む。
 しかし、だんだん目が慣れてくると、目前に美しい光景が広がっていることに気づいた。
 
 キラキラ光る小さなシャンデリアが吊るされた天蓋には金細工の白百合が咲き乱れ、そこから四方に伸びるカーテンが陽光を柔らかく透かしている。
 それがふわり、ふわりと動くのを目で追っていると、二つの人影が視界に入ってきた。


 「「エレアノール!」」


 競うように私の顔を覗き込むお父様とノックスは、「私が」「俺が」と言いながら押し合っている。
 やがて、お尻を捩じ込むようにしてベッドサイドの椅子に座ったお父様は、そっと私の手を握って目を潤ませた。
 ノックスも、お父様の後ろから私を心配そうに覗き込んでいる。

 
 二人の様子をぼんやり見ていると、お父様がじろりとノックスを睨んだ。


「…………水!」
「まさか俺を押し退けておいて、さらに顎で使う気なのか!?」


 ノックスは目を剥いてお父様に噛みついたけれど、ブツブツ文句を言いつつも、結局は慌しくテーブルの方へグラスを取りに行った。
 スプーンで掬った少しの水を口に含ませてもらいながら聞いた話によると、私はどうやら三日間目覚めなかったらしい。
 
 
 それからしばらくは、もどかしい日々が続いた。
 目が覚めてからもぼんやりしては眠ることを繰り返し、意識がはっきりしてからも萎えた体は思うように動かせない。
 結局、私が多少活動できるようになったのは、目覚めてから一週間後のことだった。


 そして私はこの一週間、ずっと気になっていたことがあった。
 お父様とノックスがやけに仲よしなのだ。
 とくにノックスは公爵、公爵とお父様のあとを雛鳥のようについて回っていて、今も何かの書類を見せながら真剣な顔でお父様に意見を求めている。
 無口なはずのお父様もノックスとは話が弾むらしく、まだ出会って間もないにもかかわらず、とても息が合うようだった。


「お父様とノックスは、ずいぶん仲よくなったのね?」
「…………手が掛かる、生徒」
「は、はぁ~? 師事した覚えはないんだが!? ていうか、なんでエレアノールと話すときは片言なんだよ! おかしいだろ!」


 たしかに、お父様って私といるときはいつも真顔だし、話し方も片言……というかほぼ単語よね。今回は長い方よ。

 私もお父様と楽しく話したいのにとしょんぼりしていると、ノックスはそんな私とお父様を見比べて、焦ったようにお父様を肘で小突いた。


「お、おい、エレアノールが傷ついてるだろ!」


 お父様はしばらく真顔で黙っていたけれど、やがて軽く息を吐くと、私の隣に座って両手で顔を覆った。


「私は……家族と居ると、つい顔が緩んでしまうんだ」
「それは、いけないことなの? 私、お父様の緩んだお顔が見たいわ」
「笑顔が下手くそで……いつも怯えられる。獰猛な獣が獲物に噛みつくときの顔だといって。だから子どもたちの前では、なるべく感情を出さないようにしていた」


 お父様は、顔を覆った手を少し下げて目だけを出すと、困ったように眉を下げてこちらを見た。
 内面を知っているのだから、少しぐらい笑顔が不器用でも怯えるわけないのに……


「もうっ、大丈夫よ。少しぐらい齧っても、お父様なら許してあげる」


 私がいたずらっぽくそう言うと、お父様は弾かれたように顔から手を放し、目を丸くしてこちらを見た。
 獰猛な獣が噛みつくときの顔ってどんなかしら、と胸の前で手を組んで期待の眼差しを向ける。
 するとお父様は、くしゃりと鼻の頭に皺を寄せて笑った……のだと思う。


「まあ!」


 顔が緩むと言っていたけれど、緩んではいない。むしろ、あらゆる顔の筋肉に力が入っている。
 たしか、ヴァルケルへ来た日の挨拶でも凄みのある笑顔を浮かべていたけれど、今思えばあれは心から笑っていなかったからこそ「凄みのある笑顔」と呼べる範囲に収まったのだろう。


(心から笑うほど顔が人間から離れていくなんて不思議ね! それに……)


「威嚇する熊さんみたいでかわいい! お父様の笑顔が見られて嬉しいわ」


 お父様とたくさん話せることが嬉しくて、ニコニコしてしまう。
 すると、お父様は感激したような声を出して、私をぎゅっと抱きしめた。


「ああ、エレアノール! 先ほどからアメリアと同じことばかり言うんだな。さすが私たちの娘!」
「お母様と? きっとお母様もお父様の笑顔が大好きなのね!」


 お父様に頬擦りされて、親子二人できゃきゃと笑い合っていると、呆れた様子のノックスが目に入った。
 そういえば、お父様とノックスは真剣に何かを話し合っていたわよね。


「二人は何の話をしていたの? 邪魔してしまったかしら」
「いや、大丈夫だ。操演の宝珠の話をしていた。俺たちは件の男爵令嬢が、宝珠の力でイシルディア王とマルセルを操っていると考えている」
「ええ。それは、私も同じ意見だわ」


 ノックスは真剣な顔で頷いた。

 
「だが、宝珠の回収は慎重を期す必要がある」
「そうね。宝珠を回収しようとして操られたら危険だもの」


 マルセルや陛下のことは一刻も早く解放しなければならないけれど、だからといって代わりにお父様が操られた、なんてことになっては大変だ。
 外務大臣がシャンベル男爵令嬢の言いなりになったら、他国を巻き込んで何が起こるかわかったものではない。
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