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18. なるほど、俺は sideノックス
しおりを挟む「たしかに陛下は偉大なお方です。でも、陛下だって私情で動くことはありますよ。たとえば、文化交流会と称して毎年私をここへ送っているのは、なぜだと思いますか?」
はっとして、思わず顔を上げる。
毎年、公爵はずいぶん長くヴァルケルに留まり、あちこち視察に行っていた。
城内も頻繁にうろついていて、彼に見つからないよう身を潜めるのに苦労したものだ。
もし、その行動に外交とは無関係な理由があるのだとしたら。
「…………まさか、俺を探すためか?」
「そのとおり。国益を第一に考えるなら、陛下は私をヴァルケルへ派遣するのではなく、もっと有効に使うべきです。言い方は悪いですが、ここは大して重要な国ではないですから。でも、秘密裏にあなたを探させたいからそうしない。これが私情でなくて何なのです?」
公爵は、父がただの人間であるかのように言う。父も俺と同じ、愚かな人間なのだと。
「不敬を承知で言いますが、あの方は非常に臆病です。それがあらゆる事態へ備えることに繋がり、民には素晴らしい王に映る。でも、慎重さがよくない結果を生むこともあります」
「どういうことだ……?」
公爵は顎に手を添え、視線を中空に彷徨わせてうーんと唸った。
この男は、優男風な顔立ちなのに笑顔が怖すぎるし、普段は無口なのに実はお喋りだし、よくわからない人物だ。
ただ、こうやってしっかり話してみると、実は父ですらこの男の掌中で踊らされているのではないかというような気がしてくる。
「もし、エレアノールが陛下に殺されたあと、あなたが神威を授からなかったとしたら、どうしましたか?」
「……その場で父を、殺していただろうな。侍従も、近衛騎士も。そのあとは、世界を滅ぼすことに力を注いだと思う」
「世界を……なんですって? さすがに、そこまでとは思っていなかったのですが」
公爵は、うわぁという顔で俺を見た。聞かれたから答えたのに失礼な男だ。
俺だって本当に世界を滅ぼせるなどとは思っていない。父を殺すまではできたとしても、そのあとすぐに捕まって終わりだっただろう。
ただ可能ならやったという話だ。
エレアノールの命を代償に得た平和など、受け入れられるはずもない。
「まあ、とにかく。ハインリヒ陛下が死ぬか、それに失敗してあなたが排除されるか、いずれにせよ世界の支柱が大きく揺らぐことになります。つまり、ハインリヒ陛下は選択を間違えたのではありませんか?」
「そう……なのだろうか」
公爵は、今度こそ微笑ましいという顔をして俺を見た。
どうしてこの男は、こんなに俺を子ども扱いしてくるのだろう。
それがそこまで嫌じゃないのが、どうにも悔しい。
「私からしてみれば、あなたは陛下よりよほど理知的ですよ。実際のところ、民からすれば平和で豊かな生活が送れるなら、内情などどうでもいいのです。王が高尚な考えを持っていようが、私欲にまみれていようが、結果がすべてですから」
「では、たとえば俺がエレアノールのために国を豊かにし、エレアノールに尊敬されたいがために立派な王たろうとしても、何も問題はないというのか?」
「そういうことです。というか、それだけエレアノール、エレアノールと連呼しておいて、本当にマルセル殿下とエレアノールの結婚を、黙って見守るつもりだったのですか?」
公爵は不思議な生き物を見る目で俺を見た。
そんなことは不可能だろうと言いたげだが、そもそも俺はエレアノールを死なせた罪人なのだ。
見守るつもりもなにも、そもそも俺には何の権利もない。
「……もちろんそのつもりだったさ」
「うーん、本当にわかっていらっしゃいます? 結婚式の様子を想像してみては?」
公爵の呆れたような、馬鹿にしたような顔が腹立たしい。
だが、公爵とじっと見つめ合うかたちになるのもそれはそれで腹立たしく、仕方なしに足を組んで目を閉じた。
豪奢な婚礼衣装に身を包んだエレアノールは、さぞ美しいだろう。ドレスの色はホワイトかバーガンディか、いや、やはりサファイアブルーもいいな。そして彼女は、永遠の愛を誓うかという質問に、はにかみながら「はい」と答える。きらきら輝くエメラルドグリーンの目が私を見上げ、その瞳がそっと隠れるのを合図に、柔らかな薔薇色の唇に口づけを……
「大丈夫ですか? マルセル殿下とエレアノールとの結婚式、ちゃんと想像できましたか?」
「ぐぅっ……他の男に置き換えるのは無理だ!」
「置き換えるも何も、エレアノールはあなたのものじゃありませんが。エレアノールがマルセル殿下と結婚するということは、エレアノールがマルセル殿下と手を繋ぎ、抱き合い、キスをして、それ以上のこともするってことです」
公爵の言葉に、ぶわりとあの夜の記憶が蘇る。
エレアノールの、あの柔らかい体と甘い声を他の男が……? 焦らすと目を潤ませて愛撫を強請り、口移しで水を飲ませてやると積極的に舌を絡めてきて…………あんなことを、他の男と……?
「ーー~~ッ! 絶対にダメだ!!」
あの姿を他の男が見るというだけで、胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。あまつさえ触れるなど考えられない話だ。
俺にとやかく言う権利などないのは重々承知だが、それでも受け入れられる気がしない。
「そうでしょう、そうでしょう。なんと浅はかな殿下」
「浅はかって言うな! ……いや、だが、事実浅はかだったな。あんな姿を他の男に見せるだなんて、俺は……」
頭を抱えて自分の想像力のなさを嘆いていると、いつの間にか目の前までやってきていたラヴェル公爵が、俺の左肩を砕く気としか思えない力で掴んだ。
その顔は、見惚れるほど綺麗な笑顔を浮かべている。
間違いなく世界一笑顔が下手くそな男だと思っていたが、このような笑顔も浮かべられるのだなと感心していると、右肩もガシリと掴まれ顔を覗き込まれた。
「あんな姿、とは? エレアノールのどんな姿をご存知なので?」
「……あっ」
結局、俺はグレゴールのしでかしたことから俺が彼女の発散を手伝ったこと、そして彼女が回帰前の記憶を夢に見ていたことまで白状せざるを得なかった。
その結果、公爵はギリギリと歯を食いしばり、瞳孔の開ききった目で「グレゴールは当然極刑ですよねえ、あとでエドゥアルド殿に確認しておきましょう」などと言っている。
だが、俺のやったことについては、やむを得ない処置だったということで一応納得してくれたらしい。
「しかし、エレアノールが回帰前の記憶を持ち、殿下がエレアノールを守りたいと思っているなら、やはり婚約一択なのでは?」
「…………でも、それは俺に都合がよすぎるだろ。俺はエレアノールを死なせたんだぞ」
思わず俯いてボソリと答える。
公爵と話したことで、王になる資格がないという感情は薄れた。他の男がエレアノールに触れるというのも考えられない。
だが、立太子してエレアノールの婚約者になるかと言われると、それはいけないことのような気がするのだ。
じゃあどうする気だ、と聞かれるのだろうと思い顔を上げられずにいると、公爵は俺の予想に反して、苦笑いしているような声音で「これだから若者は」と言った。
「まったく、まだまだ青いですねぇ。潔癖すぎていけません。では聞きますが、殿下の最優先事項は何ですか? 自分を罰することですか、それともエレアノールを守ることですか?」
「それはもちろん、エレアノールを守ることだ」
「であれば、そこだけに集中すべきです。両立できないなら、自分を罰するのは諦めてください」
ルーカスも同じことを言っていた。何をおいても目的を果たそうとする覚悟を持てと。
つまり、エレアノールを守りたいなら、俺は守るためと称してエレアノールのそばに居る権利を得ようと考える、薄汚い心ごと受け入れなければならないのだ。
そこまで考えて、なるほど、俺は卑怯者になりたくなかったのだなと腑に落ちた。
すると、途端にエレアノールの安全に比べれば、それはどうでもいいことのように思えてくる。
エレアノールの側に居ることを正当化し、王になるべく励んできたあろうマルセルからその地位を奪う。その罪悪感を一生抱えることになろうとも、俺は彼女を守りたいし他の男に触らせたくはない。
ならば答えは決まっている。
俺はずるくて薄汚い人間でいい。一度そう決めてしまえば、公爵の目を真っ直ぐに見ることができた。
「そうだな、公爵の言うとおりだ。俺はもう、自分を罰するのはやめる。彼女が俺を求めてくれるなら、エレアノールを守り、エレアノールを幸せにして……そして、俺も幸せになることにするよ」
公爵はパチパチと目を瞬かせる。
それから「それはよい選択ですね」と言って、死ぬほど下手くそな笑顔を浮かべた。
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