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14. 誰が為の王
しおりを挟む「エレアノールを放せ!! 彼女をこれ以上傷つけてみろ、死んだ方がマシな目に合わせてやる!!」
「お、お前が交渉できる立場だと思っているのか! いいから早く武器を捨てろ!」
レオパルド王のナイフを持つ手はブルブルと震え、衝動的に動きそうな危うさを感じる。
ノックスも危ないと思ったのか、怒りに震える息をゆっくり吐き、レオパルド王を睨みながらも剣を放り投げた。
「よし、そのまま後ろに……」
「兄上、もうおやめください」
震えていたレオパルド王の手がぴたりと止まる。
ノックスの後ろから現れたエドゥアルド殿下を見たレオパルド王は、いままでの怯えようが嘘かのように叫んだ。
「エドゥアルドぉ!! 兄を立てることも知らず、反逆まで企てるなど……お前もあのとき先王と一緒に葬り去っておくべきだった!!」
レオパルド王の声は相変わらず震えているけれど、先ほどまでとは違い、怒りによるものだと思われた。
一方、エドゥアルド殿下の声は悲しみに沈んでいる。
「やはり、兄上が父上を殺したのですね」
「長子のワシを差し置いて、お前を王太子にするなどと世迷いごとをほざくからだ!! 婚約者も守れぬお前が王などと、片腹痛いわ!」
冷静に兄を説得しようと努めていたエドゥアルド殿下は、婚約者の話題が出た途端ヒヤリとした空気を纏い、刺すような鋭い声を出した。
「……ヴィオラを、犯したのか」
「ははは! 言いがかりはやめてもらおう。あちらから慈悲を乞うてきたのだ。嬉しそうにワシに跨ったのだぞ」
「嘘をつくな! ヴィオラがそんなこと……いや、待て。まさか、ヴィオラを……操演の宝珠で操ったのか?」
エドゥアルド殿下は腕をだらりと下ろし、絶望に染まった目でレオパルド王を見つめた。
(操演の宝珠で操った……? まさか、人を操るような宝珠もあるというの?)
そこまで考えたところで、豹変したマルセルの姿が脳裏を掠めた。
いくつかの断片が頭の中でするすると組み合わさり、すべてが一本の線を描き始める。
急に人が変わったようになった陛下とマルセル。その話を聞いて、何かに気づいた様子だったルーカス。そして、ノックスも「イシルディアにあったとは」と呟いていた。
男爵家では到底買えないようなルビーのブローチをこれみよがしに撫で、こちらを見て嗤う灰色の瞳が思い出される。
(そういうこと……マルセルは変わってなんかいなかったんだわ。そして今この瞬間にも操られ、望まぬ行動を強いられている)
体の奥底から激しい怒りが湧き上がる。自分の都合で人の尊厳を踏みにじる者たちへの怒りが。
拳を強く握りしめたそのとき、レオパルド王の愉快でたまらないと言わんばかりの大きな笑い声が耳元に響いた。
「婚約者の兄を愛してしまい、せめてもと処女を捧げる女の役にしてやったのだ。滑稽だったぞ。昨日までお前しか眼中にないといった様子だった女が、お前を罵り、ワシを褒め称えながら処女を捧げたのだ!」
エドゥアルド殿下は、息をすることすら忘れたように、目を見開いたまま小刻みに震えている。
女性を身勝手に蹂躙し、自死に追い込んでおきながらなおも嘲笑するなど、まともな人間のすることではない。
けれど、同時に腑に落ちた。なぜ、ヴィオラ様が川に身を投げたのか。
ナイフを突きつけられているのも忘れて、愚かな男を嘲るように嗤う。そして、感情に任せて吐き捨てた。
「その結果、宝珠を持ち去られてしまったんじゃない。滑稽なのはどちらかしら」
「な、なぜそれを!! あ、いや、宝珠はワシが持っておる。ワシが……」
レオパルド王は、取り繕うこともできない様子で体を揺らすと、動揺しているのがありありとわかる声でもごもごと呟いた。
「朝には宝珠の効果が解けていたのでは? ヴィオラ様は絶望して……けれど宝珠を持って川に身を投げることで、あなたに一矢報いたのよ」
「出鱈目を言うな! いますぐお前たちを操って、殺し合いをさせてやってもいいのだぞ!!」
宝珠を持っているという牽制が効かなくなることを恐れているのか、レオパルド王は誤魔化そうと必死だ。
事実、宝珠の在処を知ったルーカスが「おかげでやっと実行に移せる」と言っていたくらいだから、いい牽制になっていたのだろう。
けれど、もはや誤魔化せるわけもない。
「隠しても無駄よ。宝珠がいまイシルディアにあることは、確認済みだもの」
もうこれで観念するだろう。どのみち、このまま逃げおおせるのはもはや不可能だ。
しかし、レオパルド王は私の予想を裏切って、エドゥアルド殿下に向ける以上の憎悪がこもった声で吠えた。
「イシルディアだと!? 神威を独占するだけでなく、宝珠まで我が国から盗んだというのか!! 恥知らずの盗人め!!」
激昂したレオパルド王にナイフをさらに近づけられ、思わず仰け反る。
「っく、なにを、言っているの?」
「我が国が神威を授からなくなったのは、イシルディアが盗んでいるからであろうが!!」
「神威を盗むなんて、できないわ。フィディア神の神威は、ヴァルケルだけのものよ」
先ほどは腹が立ってつい挑発してしまったけれど、思った以上にレオパルド王が興奮し始めたため、さすがにまずいかと静かに語りかける。
しかし、怒りが収まらないらしいレオパルド王は、地団駄を踏むようにして体を揺すった。
首の前で揺れるナイフが、明り取りから漏れるわずかな光をチラチラと反射させ、恐怖心を煽る。
「ならば、なぜヴァルケルだけ神威を授からぬ!! 神威がなければイシルディアとの差はさらに広がり、ヴァルケルは、ワシは嘲笑され続けるのだぞ!」
「……まさか、神威保持者を得るためにイシルディアの令嬢を眠らせ、犯そうとしたのか? イシルディアの令嬢が産んだ子を、奪うつもりで?」
レオパルド王の言い分を聞いたエドゥアルド殿下は、愕然とした顔をしていた。
まともな感性を持つ者なら理解できない発想なのだから、エドゥアルド殿下が混乱するのも当然だろう。
第一、令嬢たちがホールの控え室にいるのはお父様も把握していたのだから、それを連れ去って犯せば発覚しないはずはない。
あまりにも考えなしで、ヴァルケルを道連れに破滅したいのだとしか思えない暴挙だ。
「ふん、奪うなどと人聞きの悪いことを言うな。盗んだものを返してもらうだけだ!」
こんな男が国王だなんて、ヴァルケルの民にとっては不運以外のなにものでもない。
亡くなった先王陛下は、この男に王位を明け渡す羽目になって、さぞ無念だっただろう。エドゥアルド殿下も、もう声に諦めが滲んでいる。
「そんなことをしたところで、神威を授かるはずもない。あなたは我が国を滅ぼすつもりなのか? 神威がなくとも、我が国の民は立派に生きていける。それでいいではないか……」
きっとこれは、兄へ与えた――尊厳ある死を得るための――最後のチャンスだったのだろう。
けれど、血縁の情すら断ち切られようとしているのを気づきもしないレオパルド王は、物分かりの悪い人間に煩わされていると言いたげな、うんざりした態度で怒鳴り散らした。
「民などどうでもよい!! 先王も、宝珠は民の為にならぬなどとほざいて資料を焼き払った。我が国の誇るべき技術を! 宝珠さえ作れればイシルディアすら滅ぼし、世界を統べる王になれたものを!!」
「なっ、なんということを!」
どこまでも自己本位な発言に、エドゥアルド殿下は顔を真っ赤にして声を震わせている。
けれど、その直後に響いた声は、それ以上の怒りを含んでいた。
「王は民のためにあるものだ。いくつ宝珠を集めようとも、民を顧みないお前が、世界を統べる王になどなれるものか」
静かな、けれど底知れぬ怒りが宿った声。
次期王として生きた記憶のあるノックスにとって「民などどうでもよい」というのは、許しがたい発言だったのだろう。
彼は、その青い瞳に冷たい炎を宿し、レオパルド王を射抜くように見つめていた。
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