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第三章:それは幾重に積もる時間
それぞれの行く先
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鴨居の大阪旅がようやく終わりを迎えようとしていた。
「メグちゃんが見つかったんは良かったけど、これでお別れなんは淋しいな。」
夕飯の席で悠太がそう言った。
「またすぐに会いに来るよ。今度はちゃんと就職してからね。」
そう言って笑う鴨居。
「うん、いつでも遊びに来てね。私また料理作ってあげるから。」
少し涙ぐみながらも悠美はそう言った。
悠太と悠美は二人で決めていたのだ、絶対に鴨居の前では泣かないと。
「うん、ありがとう悠美さん。杉宮先輩のこと話してくれて嬉しかったです。」
その言葉にもう悠美の涙腺は限界である。
というか杉宮という二文字だけで悠美の涙腺は爆発するのだが。
「カモ君。何かあったら連絡しや?オレ等二人のこといつだって頼ってええんやからな。」
にかっと笑う悠太に鴨居は思わず抱き付く。
「ありがとう悠太くん。」
そして悠美もそんな二人を抱き締める。
「うわぁん。カモ君は絶対にメグちゃんのこと幸せにしてね。」
悠美の言葉に杉宮の言葉と同じ想いを感じた。
二人とも直接には言わなかったが、自分達のぶんまで本当に好きな人を想い続けてくれ。と言っているのだ。
「うん……必ず。」
その強い言葉で悠太も悠美も本当に安心した。
そして鴨居とメグ、二人の未来に希望を見た。
「明日朝一でここを出て、お世話になった園を回ってから千葉に帰ります。本当にありがとうございました。」
うん。うん。と何度も悠美は頷いた。
その横で悠太は二人に気付かれないように静かに、鼻をすすった。
次の日。
鴨居は朝早くから、お世話になった12の施設を訪れていった。
みんな「良かったね」と本当に優しく言ってくれた。
前園は提携をしている宮崎の園へと出張をしてしまったらしく会うことができなかったが、越智が前園からの伝言を伝えてくれた。
「肩の力は抜いて、気張っていきなさい。だそうですよ。訳分かりませんね。」
そう言って越智が笑うとまわりにいた子供たちが、一斉に「わけ分かんなぁい」と言ったのが可笑しくて鴨居は笑った。
千葉へと戻る新幹線の中。
鴨居は泥のように眠った。
起きたのは終点東京に着き、清掃員さん達が片付けようとした時に寝ている鴨居を見つけて、起こしてくれたからだった。
それほどまでに鴨居は疲れていたし、同じくらいに安堵を感じていた。
深夜近くになりようやく家に着いた。
あんなに狭くて嫌になっていた七畳の部屋が、独りきりというだけで、どうしようもなく広く感じた。
朝になり鴨居はどこかに電話を掛けていた。
それは実家にいる母親だった。
旅のことメグのこと、大阪でのこと、そして、これからのことを話した。
母親は泣いた。
信じられない気持ちもあってかもしれないが、何よりも息子の成長が会話だけで伝わり嬉しかったのだ。
さすがに大学を辞めることには反対したが、鴨居の確固たる決意にしぶしぶと折れる。
「少しぐらいなら仕送りもするわよ?」
そう提案してくれた母親だったが、鴨居は断ってしまう。
「ありがとう母さん。すごく助かるけど、オレ自分の足で立ってメグ達と歩いていきたいんだ。」
「うん……そっか。」
本当に成長したんだな。そう思って嬉しくなる反面、ほんの少し母親は寂しさを感じた。
電話の最後に「甘えなくていいから、時には頼りなさいね」そう言って母親は電話を切った。
それはもう大人として鴨居と接するということ。
そして。それでもあなたは私の子供なんだからね。ということが簡潔に表されていた。
「さぁ頑張るかな。」
伸びをした鴨居に、眩しい日差しが降り注ぐ。
目を覆い隠しながら鴨居は静かに笑った。
後日、正式な退学届けを用意して鴨居は大学事務局を訪れた。
今この時を以て鴨居は大学生ではなくなった。
「カモ先輩ほんとに辞めちゃうんスね。」
退学の話を聞き付けた岡崎と新田が鴨居の元へと駆け付けた。
「うん、今までありがとう二人とも。すごい楽しかった。」
「バカ。そんなのはオレ達の台詞だよ。カモが居たから……カモが居なかったらオレ。」
新田は涙を見せる前に拭き取り、ぐっと拳を突き出した。
「良いかカモ。オレはぜったいに早苗を幸せにするって誓う。だからお前もメグちゃんのことを幸せにすると誓え。」
大学のど真ん中で愛を叫ぶ新田。
何人かの生徒ははやしたてるが本人は至って真面目である。
「うん、誓うよ。」
鴨居も拳を突き出すと、お互いの拳をぶつけた。
もう二人に言葉など必要なかった。
全ての言葉は拳から互いの心に響いたのだから。
鴨居は振り向きそのままある場所へと消えていった。
残された岡崎と新田を囲いこむ生徒達。
「キス。キス。キス。」
新田の熱烈な愛の叫びを聞いた生徒達がキスをしろとはやしたてていた。
もうこうなった新田を止めることなどできる訳もなく。
岡崎はやけくそになって人前でキスを受け入れた。
「ヒューーー。熱いよー二人とも。」
そんな歓声は、生活指導の八木教授が怒鳴るまで、いつまでも続きましたとさ☆
訪れた部屋は、鴨居の予想を遥かに越えて変貌してしまっていた。
本棚には一冊も本がなく、散らかっていたデスクの上にはパソコンどころかホコリ一つ落ちていない。
全てが綺麗に片付けられた部屋に唯一あったのは、この部屋を使っていた人物の小さな鞄だけ。
「佐野先生……?」
そこは佐野の研究室で、鴨居は最後に佐野にはきちんと話をしてから学校を去ろうと思っていたのだった。
しかし、その人がいるはずだった汚い部屋は、何もない空き部屋となっていた。
放心状態になった鴨居が佐野のデスクへと歩み寄る。
ここにいた豪快な先生がいない。
杉宮と一緒に座っていた長机も椅子も、叩かれた分厚い英和辞書も、補習課題によく使っていた英語の参考書もなにもかもが、無くなっていた。
すると『ガチャ』と言う音がして誰かが部屋に入ってきた。
「んぁ?鴨居か?」
はだけた胸元、後ろ手に結わえただけの女心を感じさせない黒髪。
そして飄々としたその態度。
トレードマークのタバコをくわえていなくても、見慣れた白衣を着ていなくても分かる。
「また居なくなったって聞いてたけど、今回は早い帰還だな。」
佐野の登場にしばらく鴨居は現状を認識できずに立ちすくんだ。
「おい、聞いてるか?」
「えっ!?あ、はい。先生これは……?」
何もなくなった部屋を見渡して鴨居は言う。
佐野は窓際まで歩いていくと鴨居へと振り返る。
「あたしな、ここを辞めることになった。」
「……え?」
今から伝えようとしていた言葉。
それがそっくりそのままで、信じられない人物の口から告げられる。
「昔付き合っていた人のお母様が倒れられてな、亭主はずっと昔に亡くなられているし。一人息子も事故で死んだ。看病してやれる人が周りに居ないんだ。だから。」
今までで一番優しい佐野の口調と表情。
それに今までで一番悲しそうな……
「お前さんも辞めるんだってな、話を聞いて正直驚いたが、少しだけ嬉しかったよ。やっと巣立つんだなこのバカ雛はってな。」
意地悪く笑った佐野。
急いでいたらしく鞄を拾い上げるとすぐに扉へと歩いていく。
「先生は……」
鴨居の言葉に立ち止まる。
きっとこれが最後の会話になると鴨居には分かっていた。
だからどうしても聞いておきたいことがあった。
「先生は杉宮先輩のこと、すきだったんじゃないんですか?」
佐野は再び歩きだす。
扉を開き、もう鴨居には届かない場所へと行こうとしている。
部屋から出て扉を閉める時。
影に隠れて表情は見えなかったが佐野がこう言った。
「そうだなぁ……好きだったよ。世界で二番目に、な。」
『パタン』と音を立てて扉が閉まる。
その音がいつまでも鴨居の中で響いて、離れなかった。
大学生活と言う交差点で偶然にも交わったオレ達の道が別つ時が来た。
それは誰もが思っていたよりも断然早くって。
淋しさや疑問を抱くこともできないほどに急で。
もうこの先交わらぬないことを知っていても、ほんの一瞬でも良いから。
ほんの一瞬でも……とそう願わずにはいられなくて。
道は別つとも、行く先は違えども――
一緒に過ごしたあの僅かな時間が、廃れても消えぬ様にと願うオレは……
まだまだガキなのかもしれない。
「先生……ごめんオレには分かんないよ。」
あの音が消えない。
「世界で一番好きな人が死んでしまったのなら、今は杉宮先輩が一番なんじゃないんですか?オレには……分かんないよ。」
記憶なんて嫌でも薄れていく。
でも、思いは記憶と同じではない。
消えない想いなんて、薄れない想いなんていくらでもある。
時が経つほどに強まる想いだって――
「それだけ大好きだったのは分かるけどさ……なんか、なんか悲しすぎるじゃんか。」
佐野は決して泣かない。
泣いたところでマサキが戻ってくることは無いから。
泣いたところで悲しみが消えるわけでは無いから。
泣いたところで虚しさは増すばかりだから。
そんな佐野の性格すらも鴨居には悲しく感じてしまった。
「良いね、凄く似合っているよ要。」
杉宮は袴(はかま)に身を包んでいる。
二日間だけ退院をした静が、車椅子に乗り杉宮の元へとかけ寄ってきた。
「ありがとう静兄さん。ダルいけど頑張るよ。」
困ったように杉宮は笑い、ずっと自分を見ている十二一重に身を包んだ綺麗な女性の元へと歩いていった。
「まさかこんなことになってしまうなんて……」
静は肩を落とし、頭を抱えた。
するとそんな静の背中を大きな手が優しくさすってくれた。
「全て私のせいだ、静が気に病むことではないよ。」
その手は雲静で、彼もまた咲季恵との約束を守ることができずに、自分を責めていた。
「私は要をどれだけ振り回せば気が済むのだろうな……」
「お父さん……」
静の隣に座り、杉宮を見つめながら雲静は静かにそう呟いた。
「それでは今から結納の祇を執り行いたいと思います。」
三芝財閥の令嬢との婚約。
杉宮は静の戻るべき場所を失くさない様にと、望まない結婚。そして望まない跡取りを勝手出た。
もうあのありふれた日々に戻ることはない。
仲間達とコンパに行ってはしゃいだり。
好きな先生の研究室で、親友とも言える後輩とふざけたり、怒られたり。
遠くにいる恋人を思い、ふと窓から遠くの空を見つめたり。
そんなありきたりでありふれた、幸せな時間はもう二度とやってこないのだ。
「要さん……?」
そう思ったら杉宮は涙が流れた。
決して泣かない杉宮が、その時ばかりは涙を止めることができなくて、結納を執り行っている最中に、中断して席を立つ。
あとを追い掛ける花嫁。
「私との結婚はそれほどに辛いものなのですか?」
その言葉に杉宮はしっかりと首を振った。
「ゴメンね。ただちょっとだけ思い出しちゃってさ。」
「思い出していた……?」
涙をぬぐって、花嫁に振り返ると、杉宮はいつもの笑顔に戻っていた。
「一緒にバカやった奴等のことをね。」
そして二人は一緒に広間へと戻っていく。
何かを吹っ切った杉宮が、初めて花嫁の手を握った。
顔を赤く染める花嫁と、しっかりと手を握る花婿が戻ってくると、そこにいた二人の親類から安堵の笑みが零れた。
鴨居はコンビニの前で頭を抱えてうなり声をあげている。
「むー。むーーーっ。」
手にしているのは無料の就職情報雑誌。
「有資格者求む。経験者歓迎。大学卒以上……」
ふぅ。とため息をして鴨居は座る。
遣る瀬なくなって丸めた雑誌を片手に青空を見上げた。
「やっぱ甘くねぇよ現実。」
視界を横切る一羽の鳥。
あの時見たカモメを思い出して、鴨居はゆっくりと立ち上がる。
「気晴らしに歩こう……」
ゆっくりと歩き始めた鴨居。
普段は通らない道を歩いていると、知り尽くしたと思っていた街にまだまだ自分は知らなかった世界があるのだと再発見した。
良い匂いの漂う本格カレー屋さん。女性服の服屋。懐かしいタバコ屋に質屋さん。
いろいろな発見をしていると、見たことのある場所に戻る。
ブルーシートで囲まれたその場所は未だに工事が進んでいる気配が無い。
「あれは痛かったな、マジで死ぬかと思ったし。」
大川の勝手な想いから、六人の不良に囲まれリンチにあった場所。
杉宮に助けられ、杉宮が親友であると認識した場所。
自分を思い泣いてくれる人がいるのだと分かった特別な場所。
懐かしくなって鴨居はブルーシートの中に入ってみた。
すると、誰かが端っこの方で倒れている。
鴨居はすぐに駆け寄ると声をかけた。
「大丈夫ですか?気分悪いんですか?……って、あれ?もしかして。」
その人はただ昼寝をしていただけだったらしく、ふぁー。と気の抜けるような欠伸(あくび)をするとムクリと立ち上がった。
「誰だよ人の昼寝邪魔する奴は……ん?あっ、鴨居くんじゃん。」
作業服にボサボサの頭、あの人とそっくりな顔とふてぶてしい態度。
「い、樹くん!?」
それは杉宮の弟の樹だった。
なんでも仕事の合間によくここに来て休憩しているのだとか。
「久しぶりだね。で、こんな所で何してんの?」
「いや、それこっちの台詞なんだけど。」
なんだか杉宮と話している様で、ほんの少しだけ嬉しかった。
「俺は昼寝。で、鴨居くんは何してんのさ。」
腐っても鴨居は樹よりも年上なわけで、仕事を探していて煮詰まってきたから散歩をしている。だなんて言いにくかったのだが、なんだか樹なら打開策をくれるような気がして話して聞かせた。
「へぇー。なんか兄貴といい鴨居くんといい面白いことになってんね。ま、つまりアレでしょ?今すぐに入れて毎日馬車馬の様に死ぬほど働かせてくれる所を探してんだよね。」
「何か気になる表現はあったけど、そういうことなんだ。」
樹は表情を変えず、真剣に考えているのかどうか分からない。
「あるよ、今すぐに入れる所。」
にこっと、怖いくらいの笑顔で言う樹。
思いがけない言葉に鴨居の胸がはずむ。
「それ本当?樹くん。」
「うん、じゃあ行こうか。」
そう言うと樹は鴨居が逃げられない様にしっかりと手を掴むと、引きずる様にしてある場所へと連れていった。
樹に引きずられ、行き着いた先に待っていたのは……
「おい樹、何だこのひょろひょろしていかにも使えなさそうなヤツはよ。」
ラグビーでもやっていそうな図体。
一重目蓋の奥でギラリと光る眼光。
毎日セットしているんじゃないのかと思うほど綺麗に整ったパンチパーマ。
そして、右頬の刀傷。(実際は子供の頃に階段から落ちてついた傷)
(ヤクザだーーーーーーーっ!!)
あまりの外見の怖さに鴨居は口をパクパクさせて、震えている。
「だから新しい働き手だって言ってんだろうがよ、耳ついてねぇんじゃねーか糞ジジィ。」
その男にひるむこともなく樹は喧嘩腰に言う。
鴨居はもうただこの抗争(ただの喧嘩)に巻き込まれないようにと必死だ。
そしてもちろん巻き込まれれば必死だ。(※一生懸命に身を守るなどではなく、ただ巻き込まれて確実に死ぬ、の意。)
「このチャーミングな耳が見えねぇのかこの半人前!!」
「糞ジジィが横文字使ってんな。魅力的の意味分かってますかー?なんなら国語辞典でもそこの小学校から借りてきて差し上げましょーか?」
ついに巻き起こる昼間の壮絶な抗争。
果たして鴨居は生きてこの場から離れることができるのか。
鴨居の運命やいかに――
「いやいや、ただのいつもの喧嘩だから。キミわざさわざ変なナレーション入れて怖さ煽らなくても。」
そう優しく鴨居に話し掛ける青年。
「初めまして、ここの副社長の葛城(かつらぎ)です。樹から少しだけ事情は聞いたけど、ほらアイツあの通り大雑把でしょ?詳しい話聞かせてくれるかな?」
葛城はすごく物腰が柔らかくて、出来た人といった印象を受ける。
それに比べて、横で殴りあっている二人は……
「……。」
とりあえずあの二人は置いておいて、鴨居は事情を話し始める。
「はい。実は……」
葛城は鴨居の話をただ黙って聞いた。
「うん、なるほどね。その年で彼女が妊娠とは大変だね。」
葛城はポリポリと頭を掻く。
「うちはね、あのヤクザみたいな社長が一から作り上げた大工の工務店だ。力仕事だらけだし、もちろん専門知識だって嫌になる程必要になる。勤務時間だって納期が迫れば残業だって当たり前の世界。」
葛城はほんの少しだけ間を置いて、それを聞く。
「正直きみには無理だと思う。それでも働くかい?」
じっと鴨居の瞳を見据える葛城。
鴨居はゆっくりと口を開いた。
「確かにオレには無理かもしれないです。でも、オレを待ってくれてる人が居ます。できなくたってやってみせます。」
濁りのない瞳は少しもぶれることなく葛城のことを見つめていた。
「そう。」
優しく頬笑む葛城。
鴨居のその言葉には自信など少しもないが、瞳には揺るぎない覚悟が見えた。
「青くせぇガキだな。でもま嫌いじゃねぇ。おいガキ、口でなら何とでも言えらぁ。御託並べなんざしねぇで行動で示してみろ。」
鴨居の頭をガッと掴み、あの壮絶な抗争に勝利した、社長が言う。
「ガキじゃありません鴨居友徳です。宜しくお願いします。」
精一杯の勇気をふりしぼり鴨居がいうと。
その態度が気に入ったらしい、嬉しそうに自分の顎をなでながら言う。
「オレは濱田って者だ。おめぇが使えるようになったら名前覚えてやるよ。せいぜい働け、ガキ。」
そう言って濱田は笑いながら事務所へと入っていった。
「何はともあれ、これから宜しく。さて、さっそく今日から働いてもらうけど。君にやってもらう最初の仕事は……」
工具運びだろうか。廃材処理だろうか。誰かの補助につくのか。
初めての仕事に鴨居の不安が高まる。
そして鴨居にその日課せられた仕事はなんと――
「あそこで伸びてるバカをどっかに退けといてくれる?」
にこっと笑って葛城が鴨居に課した仕事は、濱田との喧嘩で負けた樹を、仕事の邪魔にならない場所に避けると言うものでしたとさ☆
「え、布団?良いよ、そんなヤツそこら辺に棄てとけば。」
樹を運ぶ最中、笑顔で葛城はそう言った。
実はこの中で葛城が一番怖いのでは?なんて不安を抱いたことすら忘れるほどに忙しい日々が鴨居を待ち受けているのだった。
「おい新入り、さっさと材木持ってこいや!!」
「おーい鴨居くん。そこの廃材を運んでおいてくれるかな?」
「おい新入り、さっさと鉋(かんな)持ってこいってさっきから言ってんだろうが!!」
朝から工務店に飛びかう怒鳴り声。
忙しさにプラスして全く使えない奴が入ってきたことで社員達は苛立っていた。
「まったくハマさんも何でこう、使えねぇガキばっかり拾ってくるんだかな。」
鉢巻きを頭に巻いた髭面の男、坂口が葛城にぼそりと尋ねる。
「んー?何ででしょうね。たぶん、ああいう子達のこと好きなんですよあの人。」
「樹はまだマシだったけどよ……今度の奴は根性ありそうには見えないし、すぐに辞めるんじゃねぇか?」
坂口の言葉を葛城は自分の中で否定していた。
あの瞳を見たら、鴨居をそんな風に弱い若者に見たりはできない。と思っていたからだ。
「僕もあの人に拾われた身ですから何となく分かります。彼はきっと大丈夫ですよ。」
「んー。そうかねぇ……」
ぼやきながら坂口は仕事に戻る。
いろいろな所から飛び交う仕事の指示に翻弄されながらも鴨居はくじけることなく走り回っている。
そんな鴨居の様子を見て葛城が小さく笑う。
「昔の自分見てるみてぇで面白ぇだろ?」
急に現れた濱田が葛城にまるで子供の頭を撫でるようにして、ぐりぐりと頭を鷲掴みにする。
「面白がってなんかいませんよ。でも……そうですね、つまらなくはない。」
葛城から手を離すと濱田は一番聞きたかったことを口にする。
「なぁカツ。お前昨日オレのことヤクザみたいな社長とか言ってなかったか?」
濱田の地獄耳に葛城もさすがに驚いたが、見事なまでに表情を崩さずに言う。
「言ってないですよ?それよりほら、この設計図出来上がりましたよ、確認お願いしますね。」
そう言って設計図を渡し、葛城は事務所に入っていった。
残された濱田。
「んー。言ってた様な気がしたんだけどなぁ。」
しばらく濱田はその場に立ち尽くし、頭を抱え続けた。
「メグちゃんが見つかったんは良かったけど、これでお別れなんは淋しいな。」
夕飯の席で悠太がそう言った。
「またすぐに会いに来るよ。今度はちゃんと就職してからね。」
そう言って笑う鴨居。
「うん、いつでも遊びに来てね。私また料理作ってあげるから。」
少し涙ぐみながらも悠美はそう言った。
悠太と悠美は二人で決めていたのだ、絶対に鴨居の前では泣かないと。
「うん、ありがとう悠美さん。杉宮先輩のこと話してくれて嬉しかったです。」
その言葉にもう悠美の涙腺は限界である。
というか杉宮という二文字だけで悠美の涙腺は爆発するのだが。
「カモ君。何かあったら連絡しや?オレ等二人のこといつだって頼ってええんやからな。」
にかっと笑う悠太に鴨居は思わず抱き付く。
「ありがとう悠太くん。」
そして悠美もそんな二人を抱き締める。
「うわぁん。カモ君は絶対にメグちゃんのこと幸せにしてね。」
悠美の言葉に杉宮の言葉と同じ想いを感じた。
二人とも直接には言わなかったが、自分達のぶんまで本当に好きな人を想い続けてくれ。と言っているのだ。
「うん……必ず。」
その強い言葉で悠太も悠美も本当に安心した。
そして鴨居とメグ、二人の未来に希望を見た。
「明日朝一でここを出て、お世話になった園を回ってから千葉に帰ります。本当にありがとうございました。」
うん。うん。と何度も悠美は頷いた。
その横で悠太は二人に気付かれないように静かに、鼻をすすった。
次の日。
鴨居は朝早くから、お世話になった12の施設を訪れていった。
みんな「良かったね」と本当に優しく言ってくれた。
前園は提携をしている宮崎の園へと出張をしてしまったらしく会うことができなかったが、越智が前園からの伝言を伝えてくれた。
「肩の力は抜いて、気張っていきなさい。だそうですよ。訳分かりませんね。」
そう言って越智が笑うとまわりにいた子供たちが、一斉に「わけ分かんなぁい」と言ったのが可笑しくて鴨居は笑った。
千葉へと戻る新幹線の中。
鴨居は泥のように眠った。
起きたのは終点東京に着き、清掃員さん達が片付けようとした時に寝ている鴨居を見つけて、起こしてくれたからだった。
それほどまでに鴨居は疲れていたし、同じくらいに安堵を感じていた。
深夜近くになりようやく家に着いた。
あんなに狭くて嫌になっていた七畳の部屋が、独りきりというだけで、どうしようもなく広く感じた。
朝になり鴨居はどこかに電話を掛けていた。
それは実家にいる母親だった。
旅のことメグのこと、大阪でのこと、そして、これからのことを話した。
母親は泣いた。
信じられない気持ちもあってかもしれないが、何よりも息子の成長が会話だけで伝わり嬉しかったのだ。
さすがに大学を辞めることには反対したが、鴨居の確固たる決意にしぶしぶと折れる。
「少しぐらいなら仕送りもするわよ?」
そう提案してくれた母親だったが、鴨居は断ってしまう。
「ありがとう母さん。すごく助かるけど、オレ自分の足で立ってメグ達と歩いていきたいんだ。」
「うん……そっか。」
本当に成長したんだな。そう思って嬉しくなる反面、ほんの少し母親は寂しさを感じた。
電話の最後に「甘えなくていいから、時には頼りなさいね」そう言って母親は電話を切った。
それはもう大人として鴨居と接するということ。
そして。それでもあなたは私の子供なんだからね。ということが簡潔に表されていた。
「さぁ頑張るかな。」
伸びをした鴨居に、眩しい日差しが降り注ぐ。
目を覆い隠しながら鴨居は静かに笑った。
後日、正式な退学届けを用意して鴨居は大学事務局を訪れた。
今この時を以て鴨居は大学生ではなくなった。
「カモ先輩ほんとに辞めちゃうんスね。」
退学の話を聞き付けた岡崎と新田が鴨居の元へと駆け付けた。
「うん、今までありがとう二人とも。すごい楽しかった。」
「バカ。そんなのはオレ達の台詞だよ。カモが居たから……カモが居なかったらオレ。」
新田は涙を見せる前に拭き取り、ぐっと拳を突き出した。
「良いかカモ。オレはぜったいに早苗を幸せにするって誓う。だからお前もメグちゃんのことを幸せにすると誓え。」
大学のど真ん中で愛を叫ぶ新田。
何人かの生徒ははやしたてるが本人は至って真面目である。
「うん、誓うよ。」
鴨居も拳を突き出すと、お互いの拳をぶつけた。
もう二人に言葉など必要なかった。
全ての言葉は拳から互いの心に響いたのだから。
鴨居は振り向きそのままある場所へと消えていった。
残された岡崎と新田を囲いこむ生徒達。
「キス。キス。キス。」
新田の熱烈な愛の叫びを聞いた生徒達がキスをしろとはやしたてていた。
もうこうなった新田を止めることなどできる訳もなく。
岡崎はやけくそになって人前でキスを受け入れた。
「ヒューーー。熱いよー二人とも。」
そんな歓声は、生活指導の八木教授が怒鳴るまで、いつまでも続きましたとさ☆
訪れた部屋は、鴨居の予想を遥かに越えて変貌してしまっていた。
本棚には一冊も本がなく、散らかっていたデスクの上にはパソコンどころかホコリ一つ落ちていない。
全てが綺麗に片付けられた部屋に唯一あったのは、この部屋を使っていた人物の小さな鞄だけ。
「佐野先生……?」
そこは佐野の研究室で、鴨居は最後に佐野にはきちんと話をしてから学校を去ろうと思っていたのだった。
しかし、その人がいるはずだった汚い部屋は、何もない空き部屋となっていた。
放心状態になった鴨居が佐野のデスクへと歩み寄る。
ここにいた豪快な先生がいない。
杉宮と一緒に座っていた長机も椅子も、叩かれた分厚い英和辞書も、補習課題によく使っていた英語の参考書もなにもかもが、無くなっていた。
すると『ガチャ』と言う音がして誰かが部屋に入ってきた。
「んぁ?鴨居か?」
はだけた胸元、後ろ手に結わえただけの女心を感じさせない黒髪。
そして飄々としたその態度。
トレードマークのタバコをくわえていなくても、見慣れた白衣を着ていなくても分かる。
「また居なくなったって聞いてたけど、今回は早い帰還だな。」
佐野の登場にしばらく鴨居は現状を認識できずに立ちすくんだ。
「おい、聞いてるか?」
「えっ!?あ、はい。先生これは……?」
何もなくなった部屋を見渡して鴨居は言う。
佐野は窓際まで歩いていくと鴨居へと振り返る。
「あたしな、ここを辞めることになった。」
「……え?」
今から伝えようとしていた言葉。
それがそっくりそのままで、信じられない人物の口から告げられる。
「昔付き合っていた人のお母様が倒れられてな、亭主はずっと昔に亡くなられているし。一人息子も事故で死んだ。看病してやれる人が周りに居ないんだ。だから。」
今までで一番優しい佐野の口調と表情。
それに今までで一番悲しそうな……
「お前さんも辞めるんだってな、話を聞いて正直驚いたが、少しだけ嬉しかったよ。やっと巣立つんだなこのバカ雛はってな。」
意地悪く笑った佐野。
急いでいたらしく鞄を拾い上げるとすぐに扉へと歩いていく。
「先生は……」
鴨居の言葉に立ち止まる。
きっとこれが最後の会話になると鴨居には分かっていた。
だからどうしても聞いておきたいことがあった。
「先生は杉宮先輩のこと、すきだったんじゃないんですか?」
佐野は再び歩きだす。
扉を開き、もう鴨居には届かない場所へと行こうとしている。
部屋から出て扉を閉める時。
影に隠れて表情は見えなかったが佐野がこう言った。
「そうだなぁ……好きだったよ。世界で二番目に、な。」
『パタン』と音を立てて扉が閉まる。
その音がいつまでも鴨居の中で響いて、離れなかった。
大学生活と言う交差点で偶然にも交わったオレ達の道が別つ時が来た。
それは誰もが思っていたよりも断然早くって。
淋しさや疑問を抱くこともできないほどに急で。
もうこの先交わらぬないことを知っていても、ほんの一瞬でも良いから。
ほんの一瞬でも……とそう願わずにはいられなくて。
道は別つとも、行く先は違えども――
一緒に過ごしたあの僅かな時間が、廃れても消えぬ様にと願うオレは……
まだまだガキなのかもしれない。
「先生……ごめんオレには分かんないよ。」
あの音が消えない。
「世界で一番好きな人が死んでしまったのなら、今は杉宮先輩が一番なんじゃないんですか?オレには……分かんないよ。」
記憶なんて嫌でも薄れていく。
でも、思いは記憶と同じではない。
消えない想いなんて、薄れない想いなんていくらでもある。
時が経つほどに強まる想いだって――
「それだけ大好きだったのは分かるけどさ……なんか、なんか悲しすぎるじゃんか。」
佐野は決して泣かない。
泣いたところでマサキが戻ってくることは無いから。
泣いたところで悲しみが消えるわけでは無いから。
泣いたところで虚しさは増すばかりだから。
そんな佐野の性格すらも鴨居には悲しく感じてしまった。
「良いね、凄く似合っているよ要。」
杉宮は袴(はかま)に身を包んでいる。
二日間だけ退院をした静が、車椅子に乗り杉宮の元へとかけ寄ってきた。
「ありがとう静兄さん。ダルいけど頑張るよ。」
困ったように杉宮は笑い、ずっと自分を見ている十二一重に身を包んだ綺麗な女性の元へと歩いていった。
「まさかこんなことになってしまうなんて……」
静は肩を落とし、頭を抱えた。
するとそんな静の背中を大きな手が優しくさすってくれた。
「全て私のせいだ、静が気に病むことではないよ。」
その手は雲静で、彼もまた咲季恵との約束を守ることができずに、自分を責めていた。
「私は要をどれだけ振り回せば気が済むのだろうな……」
「お父さん……」
静の隣に座り、杉宮を見つめながら雲静は静かにそう呟いた。
「それでは今から結納の祇を執り行いたいと思います。」
三芝財閥の令嬢との婚約。
杉宮は静の戻るべき場所を失くさない様にと、望まない結婚。そして望まない跡取りを勝手出た。
もうあのありふれた日々に戻ることはない。
仲間達とコンパに行ってはしゃいだり。
好きな先生の研究室で、親友とも言える後輩とふざけたり、怒られたり。
遠くにいる恋人を思い、ふと窓から遠くの空を見つめたり。
そんなありきたりでありふれた、幸せな時間はもう二度とやってこないのだ。
「要さん……?」
そう思ったら杉宮は涙が流れた。
決して泣かない杉宮が、その時ばかりは涙を止めることができなくて、結納を執り行っている最中に、中断して席を立つ。
あとを追い掛ける花嫁。
「私との結婚はそれほどに辛いものなのですか?」
その言葉に杉宮はしっかりと首を振った。
「ゴメンね。ただちょっとだけ思い出しちゃってさ。」
「思い出していた……?」
涙をぬぐって、花嫁に振り返ると、杉宮はいつもの笑顔に戻っていた。
「一緒にバカやった奴等のことをね。」
そして二人は一緒に広間へと戻っていく。
何かを吹っ切った杉宮が、初めて花嫁の手を握った。
顔を赤く染める花嫁と、しっかりと手を握る花婿が戻ってくると、そこにいた二人の親類から安堵の笑みが零れた。
鴨居はコンビニの前で頭を抱えてうなり声をあげている。
「むー。むーーーっ。」
手にしているのは無料の就職情報雑誌。
「有資格者求む。経験者歓迎。大学卒以上……」
ふぅ。とため息をして鴨居は座る。
遣る瀬なくなって丸めた雑誌を片手に青空を見上げた。
「やっぱ甘くねぇよ現実。」
視界を横切る一羽の鳥。
あの時見たカモメを思い出して、鴨居はゆっくりと立ち上がる。
「気晴らしに歩こう……」
ゆっくりと歩き始めた鴨居。
普段は通らない道を歩いていると、知り尽くしたと思っていた街にまだまだ自分は知らなかった世界があるのだと再発見した。
良い匂いの漂う本格カレー屋さん。女性服の服屋。懐かしいタバコ屋に質屋さん。
いろいろな発見をしていると、見たことのある場所に戻る。
ブルーシートで囲まれたその場所は未だに工事が進んでいる気配が無い。
「あれは痛かったな、マジで死ぬかと思ったし。」
大川の勝手な想いから、六人の不良に囲まれリンチにあった場所。
杉宮に助けられ、杉宮が親友であると認識した場所。
自分を思い泣いてくれる人がいるのだと分かった特別な場所。
懐かしくなって鴨居はブルーシートの中に入ってみた。
すると、誰かが端っこの方で倒れている。
鴨居はすぐに駆け寄ると声をかけた。
「大丈夫ですか?気分悪いんですか?……って、あれ?もしかして。」
その人はただ昼寝をしていただけだったらしく、ふぁー。と気の抜けるような欠伸(あくび)をするとムクリと立ち上がった。
「誰だよ人の昼寝邪魔する奴は……ん?あっ、鴨居くんじゃん。」
作業服にボサボサの頭、あの人とそっくりな顔とふてぶてしい態度。
「い、樹くん!?」
それは杉宮の弟の樹だった。
なんでも仕事の合間によくここに来て休憩しているのだとか。
「久しぶりだね。で、こんな所で何してんの?」
「いや、それこっちの台詞なんだけど。」
なんだか杉宮と話している様で、ほんの少しだけ嬉しかった。
「俺は昼寝。で、鴨居くんは何してんのさ。」
腐っても鴨居は樹よりも年上なわけで、仕事を探していて煮詰まってきたから散歩をしている。だなんて言いにくかったのだが、なんだか樹なら打開策をくれるような気がして話して聞かせた。
「へぇー。なんか兄貴といい鴨居くんといい面白いことになってんね。ま、つまりアレでしょ?今すぐに入れて毎日馬車馬の様に死ぬほど働かせてくれる所を探してんだよね。」
「何か気になる表現はあったけど、そういうことなんだ。」
樹は表情を変えず、真剣に考えているのかどうか分からない。
「あるよ、今すぐに入れる所。」
にこっと、怖いくらいの笑顔で言う樹。
思いがけない言葉に鴨居の胸がはずむ。
「それ本当?樹くん。」
「うん、じゃあ行こうか。」
そう言うと樹は鴨居が逃げられない様にしっかりと手を掴むと、引きずる様にしてある場所へと連れていった。
樹に引きずられ、行き着いた先に待っていたのは……
「おい樹、何だこのひょろひょろしていかにも使えなさそうなヤツはよ。」
ラグビーでもやっていそうな図体。
一重目蓋の奥でギラリと光る眼光。
毎日セットしているんじゃないのかと思うほど綺麗に整ったパンチパーマ。
そして、右頬の刀傷。(実際は子供の頃に階段から落ちてついた傷)
(ヤクザだーーーーーーーっ!!)
あまりの外見の怖さに鴨居は口をパクパクさせて、震えている。
「だから新しい働き手だって言ってんだろうがよ、耳ついてねぇんじゃねーか糞ジジィ。」
その男にひるむこともなく樹は喧嘩腰に言う。
鴨居はもうただこの抗争(ただの喧嘩)に巻き込まれないようにと必死だ。
そしてもちろん巻き込まれれば必死だ。(※一生懸命に身を守るなどではなく、ただ巻き込まれて確実に死ぬ、の意。)
「このチャーミングな耳が見えねぇのかこの半人前!!」
「糞ジジィが横文字使ってんな。魅力的の意味分かってますかー?なんなら国語辞典でもそこの小学校から借りてきて差し上げましょーか?」
ついに巻き起こる昼間の壮絶な抗争。
果たして鴨居は生きてこの場から離れることができるのか。
鴨居の運命やいかに――
「いやいや、ただのいつもの喧嘩だから。キミわざさわざ変なナレーション入れて怖さ煽らなくても。」
そう優しく鴨居に話し掛ける青年。
「初めまして、ここの副社長の葛城(かつらぎ)です。樹から少しだけ事情は聞いたけど、ほらアイツあの通り大雑把でしょ?詳しい話聞かせてくれるかな?」
葛城はすごく物腰が柔らかくて、出来た人といった印象を受ける。
それに比べて、横で殴りあっている二人は……
「……。」
とりあえずあの二人は置いておいて、鴨居は事情を話し始める。
「はい。実は……」
葛城は鴨居の話をただ黙って聞いた。
「うん、なるほどね。その年で彼女が妊娠とは大変だね。」
葛城はポリポリと頭を掻く。
「うちはね、あのヤクザみたいな社長が一から作り上げた大工の工務店だ。力仕事だらけだし、もちろん専門知識だって嫌になる程必要になる。勤務時間だって納期が迫れば残業だって当たり前の世界。」
葛城はほんの少しだけ間を置いて、それを聞く。
「正直きみには無理だと思う。それでも働くかい?」
じっと鴨居の瞳を見据える葛城。
鴨居はゆっくりと口を開いた。
「確かにオレには無理かもしれないです。でも、オレを待ってくれてる人が居ます。できなくたってやってみせます。」
濁りのない瞳は少しもぶれることなく葛城のことを見つめていた。
「そう。」
優しく頬笑む葛城。
鴨居のその言葉には自信など少しもないが、瞳には揺るぎない覚悟が見えた。
「青くせぇガキだな。でもま嫌いじゃねぇ。おいガキ、口でなら何とでも言えらぁ。御託並べなんざしねぇで行動で示してみろ。」
鴨居の頭をガッと掴み、あの壮絶な抗争に勝利した、社長が言う。
「ガキじゃありません鴨居友徳です。宜しくお願いします。」
精一杯の勇気をふりしぼり鴨居がいうと。
その態度が気に入ったらしい、嬉しそうに自分の顎をなでながら言う。
「オレは濱田って者だ。おめぇが使えるようになったら名前覚えてやるよ。せいぜい働け、ガキ。」
そう言って濱田は笑いながら事務所へと入っていった。
「何はともあれ、これから宜しく。さて、さっそく今日から働いてもらうけど。君にやってもらう最初の仕事は……」
工具運びだろうか。廃材処理だろうか。誰かの補助につくのか。
初めての仕事に鴨居の不安が高まる。
そして鴨居にその日課せられた仕事はなんと――
「あそこで伸びてるバカをどっかに退けといてくれる?」
にこっと笑って葛城が鴨居に課した仕事は、濱田との喧嘩で負けた樹を、仕事の邪魔にならない場所に避けると言うものでしたとさ☆
「え、布団?良いよ、そんなヤツそこら辺に棄てとけば。」
樹を運ぶ最中、笑顔で葛城はそう言った。
実はこの中で葛城が一番怖いのでは?なんて不安を抱いたことすら忘れるほどに忙しい日々が鴨居を待ち受けているのだった。
「おい新入り、さっさと材木持ってこいや!!」
「おーい鴨居くん。そこの廃材を運んでおいてくれるかな?」
「おい新入り、さっさと鉋(かんな)持ってこいってさっきから言ってんだろうが!!」
朝から工務店に飛びかう怒鳴り声。
忙しさにプラスして全く使えない奴が入ってきたことで社員達は苛立っていた。
「まったくハマさんも何でこう、使えねぇガキばっかり拾ってくるんだかな。」
鉢巻きを頭に巻いた髭面の男、坂口が葛城にぼそりと尋ねる。
「んー?何ででしょうね。たぶん、ああいう子達のこと好きなんですよあの人。」
「樹はまだマシだったけどよ……今度の奴は根性ありそうには見えないし、すぐに辞めるんじゃねぇか?」
坂口の言葉を葛城は自分の中で否定していた。
あの瞳を見たら、鴨居をそんな風に弱い若者に見たりはできない。と思っていたからだ。
「僕もあの人に拾われた身ですから何となく分かります。彼はきっと大丈夫ですよ。」
「んー。そうかねぇ……」
ぼやきながら坂口は仕事に戻る。
いろいろな所から飛び交う仕事の指示に翻弄されながらも鴨居はくじけることなく走り回っている。
そんな鴨居の様子を見て葛城が小さく笑う。
「昔の自分見てるみてぇで面白ぇだろ?」
急に現れた濱田が葛城にまるで子供の頭を撫でるようにして、ぐりぐりと頭を鷲掴みにする。
「面白がってなんかいませんよ。でも……そうですね、つまらなくはない。」
葛城から手を離すと濱田は一番聞きたかったことを口にする。
「なぁカツ。お前昨日オレのことヤクザみたいな社長とか言ってなかったか?」
濱田の地獄耳に葛城もさすがに驚いたが、見事なまでに表情を崩さずに言う。
「言ってないですよ?それよりほら、この設計図出来上がりましたよ、確認お願いしますね。」
そう言って設計図を渡し、葛城は事務所に入っていった。
残された濱田。
「んー。言ってた様な気がしたんだけどなぁ。」
しばらく濱田はその場に立ち尽くし、頭を抱え続けた。
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