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第三章:それは幾重に積もる時間
メグの足あと
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そんな頃、鴨居はひたすらにメグを捜していた。
とは言っても手がかりなど何一つとしてない。
一度だけ一緒に買い物をしたスーパー、待ち合わせをした駅前の公園、覗いてみたいなと言っていた少し高級な服屋さん。
僅かでも可能性があると思った場所はすべて探した。
「どうして?何で居なくなったんだよメグ。」
良きを切らした肩が揺れる。
走り回ってかいた汗が身体を伝った。
手掛かり一つなく人を探すことの無謀さが身に染みるようだった。
「こんな時、杉宮さんなら何て言ったかな?」
目を瞑り息を整えた鴨居。
きっと杉宮なら
「大阪行って探してこいよ。」
そう言っただろうと鴨居は確信した。
メグの生まれ育った場所、大阪。
旅行で一度だけしか訪れたことのない土地に、鴨居は不安を感じる。
すると鴨居の携帯が突然なりだした。
「もしもし?」
その声の主に、鴨居は泣いてしまいそうになるくらい安心した。
「おぅ久しぶり。何か電話くれたみたいだな、忙しくて出れなかった悪い。」
杉宮の何も変わらない態度や口調が妙に懐かしく感じた。
「先輩、オレ……」
そうして鴨居は事の一部始終を杉宮に話した。
鴨居は電話だという事も忘れてひたすらに話をした。
話し終えた瞬間の清々しさに鴨居はわずかばかり満足してしまっていた。
それを悟ってか悟らずかは分からないが杉宮は冷静に言う。
「で、カモはどうしたいの?別にオレに話すのが目的じゃないだろ。お前は今なにをしたいんだ?」
杉宮の言葉に鴨居は我に返る。
「オレは……オレはメグに会いたい。」
力強い鴨居の言葉に杉宮は少しだけ嬉しくなった。
「そっか。見つけたんだな、本当に好きな人を。守りたいんだな?その子のこと。」
鴨居は「はい」と力強い返事とともに頷いた。
「大阪にいる俺の知り合いに話をしとくから、とりあえずそこに行ってみろ。」
伝えられた連絡先に鴨居はどこか見覚えがあるような気がしたが、思いだせそうになかったので今は気に留めないことにした。
「ありがとう先輩。」
込み上げる気持ちを表すことができる唯一の言葉に鴨居はすべての思いを込め言った。
そして杉宮も最後に、自分自身への後悔や、鴨居への期待も全てをこめて言うのだった。
「ああ。頑張れよ、カモ。」
それからずっと杉宮との連絡が繋がることはなかった。
この後、鴨居と杉宮が再会する時には全てが変わっていた。
そう、全てが変わっていたのだった。
そして鴨居は誰に言うでも、家に一旦帰るでもなく、その足で大阪を目指した。
途中、駅へ向かう時にコンビニのATMでありったけの貯金をおろし旅の資金にすることにした。
千葉駅から東京駅へと向かい、人生で二度目となる新幹線に乗った。
新幹線は流れる景色がいつもの電車とは違ってとても速かった。
ほんの数十分の間に面白いほど簡単に、町の景色や山並み、天候さえも変わっていく。
名古屋を過ぎた辺りから天気は悪くなりだし、鴨居が大阪へと到着した時には大粒の雨が降りしきっていた。
「大阪かぁ、人多いな。」
混雑している大阪駅は、尋常じゃないくらいに人で溢れかえっている。
人波にさらわれないように改札を抜けると、ある人物との待ち合わせ場所へと向かう。
「緊張するなぁ。いくら杉宮先輩の知り合いとはいえ知らない人の家にお世話になるなんて。」
別に鴨居は人見知りというわけではなかったが、人並みの不安を抱えてはいた。
そして待ち合わせ場所となるタクシー乗り場へと辿り着くと、一人の少年が待っていた。
その少年が鴨居の元へと歩み寄ってきた。
若者らしいラフな格好に鴨居は内心びびっている。
しかしそんな感情は、一気に吹き飛ばされることになる。
「鴨居さんですか?要くんから話聞いてます、オレ立石悠太。宜しくです。」
くったくの無い笑顔。
下手な敬語。
悠太の態度全てが鴨居を安心させた。
「あ、オレは鴨居友徳。お世話になります。」
悠太は鴨居の見るからにしたてな態度に思わず吹き出した。
「ぷっ。ホンマに聞いた通りの人なんやなぁ。鴨居さんの方が年上なんやから敬語とか使わなくて良いですよ。」
目の前の人から聞こえた関西弁に、当たり前なんだけど自分が本当に大阪に来たのだと実感した。
「あ、すいま……せん。」
「ってまた敬語やんけ。はは、まぁいいや。疲れたでしょ?今日は家でゆっくりしてってください。煩い姉がおるからゆっくりはでけへんかもしれないですけど。」
素早い突っ込みを入れると、悠太は鴨居の荷物をタクシーに積み込んだ。
二人はタクシーに乗り込むと悠太の家へと向かっていく。
「悠太くんはお姉さんと二人暮しなの?」
ようやく敬語が抜けた鴨居が尋ねる。
「はい、そうです。こっちの大学通うのに、先にこっちに来てた姉貴の所に転がり込むんが経費的にも楽だったんで。」
「そっか仲良しなんだね。」
思いがけない鴨居の一言に悠太は敬語も忘れて反論した。
「ち、ちゃうわ。誰があんなヤツと仲良いわけあるかい。自分急に変なこと言いなや。」
怒涛の関西弁に少しだけ恐怖を感じる鴨居。
「うん、やっぱりだ。何か変だと思ってたんだけどさ。」
「何すか?」
タクシーは日の沈んだ大阪の街を駆け抜けている。
会ったばかりの二人だったが早くも打ち解け始めていたのは、二人の大らかな性格からか、それとも大阪特有の雰囲気がそうさせているのか。
「悠太くん敬語下手なんだから、無理して使わなくても良いよ。関西弁もっと聞きたいし。」
悠太は毒気も何もかもを抜かれてしまった様な気がして、何故だか鴨居には適わないと思った。
「ほな、そうするわ。下手や言われた敬語なんか使い続けられへんしな。」
にかっ。と笑った悠太は少しだけ幼く見えて、鴨居もつられて笑う。
目的地に着くと鴨居がタクシー料金を払った。
もちろん悠太が払おうとしたのを鴨居が止めたのだ。
悠太の家は八階建てのマンションの一室で二人暮しにしては広かった。
「ただいまぁー。」
「お邪魔します。」
悠太と鴨居の声を聞きつけたその人が玄関へと走ってきた。
「おかえり悠太。それから鴨居くん?初めまして悠太の姉の悠美です。」
丁寧なその態度に少しだけこの姉弟は似ていないんじゃないかと思った。
「きしょっ。何やねんそのさぞ私はおしとやかですよ。みたいな態度。」
しかし悠太の言葉に悠美の本性が顔を出す。
「何やと悠太。もっぺん言ってみぃや。自分そんなひねくれとるから直美ちゃんに愛想尽かされるんやで。」
「な、直美のことは今は関係あらへんやろ、このブス!!」
「言うたな?言うてしまったな?自分誰のおかげで飯食えとると思っとんねん、このハゲ!!」
突如始まった姉弟喧嘩に鴨居はただただ立ち尽くしていた。
「あのぅ、喧嘩はやめましょうよー。」
客人そっちのけでの姉弟喧嘩は止むことなどなく、その夜鴨居は(恐怖で)震えながら朝を心待ちにしましたとさ☆
「……………。」
「……………。」
「……………。」
昨日の喧嘩があからさまに尾を引き、むすったれている悠太と悠美。
そしてそんな間になぜか入ってしまって、一人ひもじい思いをしている鴨居との間に、沈黙が流れていた。
「あの……」
沈黙に耐え切れなくなった鴨居を睨む二人。
鴨居は泣く寸前。
「そろそろオレ、メグのこと探しに行こうと思うんですけど。」
ようやく何故鴨居が自分の家にいるのかを思い出した二人が我に返った。
「せや、鴨居くん人探しで家に来たんやったな。手がかりとかあるん?」
「メグは児童養護施設で育ったって言ってたんで、手当たり次第に大阪の施設を当たってみます。」
鴨居の手には昨日のうちに悠美のパソコンを借りて調べた、大阪にある児童養護施設の地図のプリントが握り締められていた。
「あんまり遅くならんうちに帰って来や?焦らずじっくり、な?」
悠太は鴨居を本当に心配してくれていた。
鴨居が暴走して居なくなったりするのではないか、それだけが心配だった。
「うん、それじゃあ行ってきます。」
「行ってらっしゃい。気を付けや。」
二人の声に見送られて鴨居は雨のあがった街へと飛び出していった。
インターネットで検索できた児童養護施設は21にものぼった。
とにかく鴨居は一つずつシラミつぶしに訪れていくしかないと考えていた。
「ここがスーパーだから、あの角を曲がって……と。あった。」
最初に訪れたのは光園と言う児童養護施設だった。
施設自体はそれほどの大きさではなく、少し豪勢な邸宅といった感じ。
鴨居は深呼吸をして中に入っていく。
「すみませーん、どなたか居ませんか?」
鴨居の訪問にまず応えてくれたのは、小学生低学年くらいの少年だった。
「お兄ちゃんだあれ?」
「あ、えっと……おうちの人いるかな?」
不思議そうに首を傾げたが、少年は奥へと走っていくと、中から誰かを呼んできてくれた。
「あら、こんにちは。……えっと、どのような御用でしょうか?」
職員らしき女性が出てきたので、鴨居は事情を説明して、メグの写真を見せる。
「このメグという女の子を捜しているんです。突然何も言わずに居なくなってしまって……施設で育ったと言っていたので心当たり無いでしょうか?」
鴨居の真剣な態度に職員総出で過去に光園で育った子供達の資料を読み返してくれたが、メグらしき子供に関する資料は出てこなかった。
「お力になれなくてスミマセンね。」
本当に申し訳なさそうにしてくれて、鴨居は見ず知らずの人間のためにここまでしてくれるなんて、と嬉しくもなったが、やはりメグに関する情報を得られなかったことで落胆を隠せなかった。
「いえ、本当にありがとうございました。他をあたってみることにします。」
最初に話を聞いてくれた職員さんが門のところまで送ってくれた。
そして最後にポケットに入れていた生キャラメルをくれた。
「諦めないで頑張ってね。」
その人は鴨居の姿が見えなくなるまで、そう言って手を振って見送ってくれた。
一日目は何の情報も得られぬままに終わる。
地図にある児童養護施設はあと18。
果たしてこの中にメグに繋がる情報を与えてくれる所があるのか。
それすらもわからぬままに鴨居の必死の捜索は続いていく。
二日目も三日目も何の進展もなく終わってしまった。
がくっと肩を落とす鴨居を悠太はどうにか励まそうとしていた。
「鴨居くん、人探しなんかそう簡単に見つかるものやないって。焦らずじっくり行こ、な?」
「うん、分かってる。……分かってるよ。」
力のない返事。
「あと13ヶ所もあるし、きっとその中にメグちゃんのこと知ってる人もいるて。だから今は力貯えるために飯食お、な?」
キッチンからは悠美の作る肉じゃがの言い匂いが立ちこめている。
どんな状況だって腹は空くものである。
鴨居は、そんなことしてる場合じゃないだろう?と自分に言いながらも食卓に着いた。
「今日はバイトの給料日だったしちょっと奮発しちゃった。要ちゃんが一番美味しいって言ってくれた肉じゃがでーす。」
ほくほくと炊けたじゃがいもに、甘辛く牛肉のエキスをたっぷりと含ませたタレがしみ込んでいる。
一口食べた瞬間に口の中に旨味が広がった。
「すごい……美味しい。」
思わず出た一言だった。
それほどに悠美の料理は絶品なのだ。
「せやろ?姉貴は料理だけは上手いねん。ただ男心っちゅうもんを分かってへんから、胃袋つかんでも逃げられてまうんやけどな。」
食卓に『ゴツッ』というに鈍い音が響いた。
「美味しいでしょ鴨居くん?これね、要ちゃんに初めて振る舞った料理なんだぁ。」
にこやかに話す悠美。
「しかも未だに要くんのこと見え見えに引きずっとるやろ?しつこいなぁホンマ。」
『ゴツッ』。『ゴッ、ゴツッ』
「引きずってなんかない。引きずってなんかないけと、やっぱり納得はでけへんよ。」
ごはんを二、三粒だけ口に含んだ悠美。
凄く淋しそうな横顔に鴨居まで胸が痛んだ。
そしてその横で、原型をとどめずに息絶える悠太(嘘)。
鴨居は自分は知らない杉宮について聞いてみることにした。
「杉宮先輩って悠美さんの前ではどんな感じだったんですか?」
鴨居の質問に悠美は天井を見上げ、思い出を振り返っていく。
「特にどんな感じっていうのは無かったかな。たぶんやけど鴨居くんといる時と一緒やったんやないかな。」
それから、悠美は何でもない杉宮との思い出を鴨居に話して聞かせた。
その中で分かったのは、杉宮は恋人の前だろうと誰の前だろうと、屈託がなく飄々としていて、誰からも信頼されていた。ということだった。
「杉宮先輩が学校を突然辞めたんです。先生は実家を継ぐ為だって言ってたんですけど、オレには納得できなくて。本当なんですか?」
杉宮の退学について聞くと悠美はぼろぼろと涙を零して話せなくなってしまった。
そこで、いつの間にか生き返っていた悠太が代わりに話し始める。
「要くんは実家を救うために、おっきな会社の令嬢と結婚すんねん。」
初めて知る杉宮の現状に鴨居はただ驚いていた。
「杉宮先輩はそれに納得したんですか?悠美さんがいるのに、あんなに好きだって言ってたのに。」
悠美のことを自分のことの様に悔しがって、心から怒っている鴨居を見て悠太は微笑んだ。
「要くんは何をしてでも、何を捨ててでも実家を守らなくちゃいけない訳があったから。」
「実家を守らなくちゃいけない訳?」
悠太はゆっくりと頷くと、ほんの少し間を置いて、杉宮の兄、静について話し始めた。
「……って訳やねん。せやから要くんは、姉貴も大学も自由も何もかもを捨てて、実家に帰っていった。納得なんてできなかったと思う、せやけどさ。やっぱり仕方のないことなんていくらでもあるやん?」
悲しそうに笑った悠太の顔が本当に淋しく感じた。
そして、自分よりも遥かに杉宮のことを理解している佐野と悠太が、同じことを言ったことに驚きながらも、妙に納得してしまう自分がいた。
「だからさ、姉貴もカモくんも泣くなよ。たぶん一番泣きたいのは要くんだから、でもきっと要くんは泣いたりせえへんよ、だから、な?」
悠太の優しい口調に鴨居も悠美も流れだした涙を止めることができなくなった。
二人の涙が止まるまで悠太はずっと部屋を離れることなく、ただ黙って一緒に居てくれた。次の日の朝食は、昨日の肉じゃがをアレンジしたカレーで、これまた凄く美味しかった。
「じゃ行ってきます。」
元気良く飛び出していった鴨居を優太は少しも心配したりはしなくなっていた。
もう表情を見ただけで、最初に会った頃とは違っていたのだから。
「メグちゃんが早く見つかると良いな。」
「うん、そやね。さて、私達も頑張らなね。」
大きく伸びをした悠美も元気一杯に家を出てく。
「はは、恥ずかしいヤツ。」
そんなことを言いながらも、悠太の歩みも確かに力強くなっていたのだった。
四日目。
力強く希望に溢れる鴨居の心中も裏腹になかなかメグに関する情報は得ることができないままでいた。
「残り十軒か……メグ。今君は何を思っているのかな?」
忘れようとすればするほどに、嫌になるくらい鮮明に思い出してしまうのに……
どうして、君の顔を。声を。匂いを。ぬくもりを――
そしてあの笑顔を。
思い出そうとすればするほどに、あの滑り落ちる掌の上の砂のように――
一つ。また一つと思い出せなくなってしまうんだろうか。
神様。もしこれがあなたの気紛れや意地悪なのだとしたら……
オレは――
オレは。。。。
あなたを恨んでしまうよ。
日も傾き始め。
この日最後となる施設を訪れている鴨居。
疲れからか、焦りからか、苛立ちを隠すことができないでいる自分が悔しく思えていた。
「ごめんなさいね、力になることができなくって。」
そう言ってくれた施設の女性に鴨居は何度も何度も頭を下げてお礼を言った。
それしか、鴨居に感謝を伝える為のすべはないから。
何度も何度も。
深く頭を下げ続けた。
悠太たちの家に着いた鴨居を待っていたのは悠美の作った温かな料理だった。
「カモくんおかえり。疲れたでしょ?いっぱい作ったからいっぱい食べてね。」
「せやで。最後まで走り続けるんやったら飯食わな。ほら、何してん。はよ食べよ。」
かけられる暖かな言葉に、鴨居は思わず涙を流していた。
それは今までに流した涙とは少し違っていて、何故だか温かかった。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう……」
涙を拭いながら鴨居は何度も「ありがとう」と言った。
悠太は鴨居の肩をポンと叩くと、席に座らせる。
山の様に盛られた炊きたてのご飯を悠美が渡すと、鴨居は一心不乱にご飯をかきこんだ。
五日目の朝は真っ黒な雲が空全体を覆い尽くしている嫌な天気となる。
いつ降り出してもおかしくない為、鴨居は傘を持ってでかけた。
そして十二件目の施設を訪れる。
「すみません、お聞きしたいことがあるんですが。」
「はい。何でしょうか?」
話を聞いてくれたのは若い男性で、胸には手書きの名札にひらがなで「おち まさひろ」と書かれていた。
「メグと言うこの写真の子を捜しているんですけど何かわかりませんか?」
越智(おち)は突然の人探しの訪問者に少し驚いていたが、にこりと笑う。
「僕は去年からここで働かせて頂いているので、園長先生に話を通しますのでこちらへどうぞ。」
通された部屋に着くまでに、何人かの子供とすれ違った。
子供達はみんな越智のことが大好きな様で、足にしがみついたり、腕を引っ張って「遊ぼうよ」と甘えたり。
それを見ただけで、ここが凄く素敵な家に見えた。
「初めまして、青空の家の園長をしている前園(まえぞの)と言います。越智くんから事情は聞きましたが、うちにメグと言う女の子は居ませんでした。」
前園の丁寧な言葉が胸に突き刺さる。
ほんの少しだけ、励ましの言葉を受け取って、鴨居が帰ろうとした時だった。
『パタパタパタ……』とスリッパの音がしたと思ったら、園長の前園のよりも年配の女性が部屋にあわてて入ってきた。
「園長先生。あの、うろ覚えなので言いにくいのですが、もしかしたらあの真理恵ちゃんのことなんじゃないでしょうか?」
その言葉に前園は首をかしげたが、すぐに何かを思い出したかのように目を見開いた。
「真理恵。そうか、もしかしたらそうかもしれない。すぐに残っている真理恵の写真を持ってきてください。」
「は、はい。」
また『パタパタ』と音を立てながら部屋を出ていく女性。
鴨居は二人の言っている「真理恵」という少女に何の覚えもなく、何故待たされているのか分からなかった。
すると三分ほどたって、あの女性が二枚の写真を持って再び部屋に戻ってくる。
「やっぱり。鴨居さん、この写真を見てください。」
前園がその二枚の写真を鴨居に渡した。
そこに写っていた少女を見て鴨居は驚愕した。
「その子は真理恵と言って、両親に捨てられてこの青空の家に来ました。」
幼いので顔立ちが若干違っていたが、そこに写っていた孤独を抱えた瞳の少女は紛れもなくメグである。
「自分を捨てた両親をひどく恨んでいた彼女は、きちんと認識していたにも関わらず、自分の名前を消して真理恵だとは言いませんでした。」
鴨居は喜びと驚きとで全身が震えている。
「職員達は辛抱強く、あなたの名前は真理恵だよ。と教えましたが彼女は一向に認めず、自分のことを頑なにメグ、と言いました。」
前園の話に鴨居はもう確信を以外の何も感じない。
「それでメグの引き取られた言えというのは?」
鴨居の質問に、前園はしばらく口を閉ざしてしまった。
必死に少女を探すこの青年に、少女の引き取られた家族について教えたいのは山々だが、それは無闇に公表してはいけない情報なのである。
前園は自分の中で葛藤した。
そして――
「……鴨居さん。残念ですが私はこの施設の代表者として、プライベートに関わるその質問に答えることはできません。」
前園の言葉に、鴨居は怒りや疑問を抱くことすらできなかった。
ただ信じられなくて、頭が真っ白になっていく。
「ですが……前園 元という一人の男として、いや人間として答えずにはいられないのです。ですからこれだけは約束してください。」
みるみる生気の戻る鴨居の瞳。
きらきらと輝くその瞳に前園は、立場を捨て一人の人間として心折れずにはいられなかったのだ。
とは言っても手がかりなど何一つとしてない。
一度だけ一緒に買い物をしたスーパー、待ち合わせをした駅前の公園、覗いてみたいなと言っていた少し高級な服屋さん。
僅かでも可能性があると思った場所はすべて探した。
「どうして?何で居なくなったんだよメグ。」
良きを切らした肩が揺れる。
走り回ってかいた汗が身体を伝った。
手掛かり一つなく人を探すことの無謀さが身に染みるようだった。
「こんな時、杉宮さんなら何て言ったかな?」
目を瞑り息を整えた鴨居。
きっと杉宮なら
「大阪行って探してこいよ。」
そう言っただろうと鴨居は確信した。
メグの生まれ育った場所、大阪。
旅行で一度だけしか訪れたことのない土地に、鴨居は不安を感じる。
すると鴨居の携帯が突然なりだした。
「もしもし?」
その声の主に、鴨居は泣いてしまいそうになるくらい安心した。
「おぅ久しぶり。何か電話くれたみたいだな、忙しくて出れなかった悪い。」
杉宮の何も変わらない態度や口調が妙に懐かしく感じた。
「先輩、オレ……」
そうして鴨居は事の一部始終を杉宮に話した。
鴨居は電話だという事も忘れてひたすらに話をした。
話し終えた瞬間の清々しさに鴨居はわずかばかり満足してしまっていた。
それを悟ってか悟らずかは分からないが杉宮は冷静に言う。
「で、カモはどうしたいの?別にオレに話すのが目的じゃないだろ。お前は今なにをしたいんだ?」
杉宮の言葉に鴨居は我に返る。
「オレは……オレはメグに会いたい。」
力強い鴨居の言葉に杉宮は少しだけ嬉しくなった。
「そっか。見つけたんだな、本当に好きな人を。守りたいんだな?その子のこと。」
鴨居は「はい」と力強い返事とともに頷いた。
「大阪にいる俺の知り合いに話をしとくから、とりあえずそこに行ってみろ。」
伝えられた連絡先に鴨居はどこか見覚えがあるような気がしたが、思いだせそうになかったので今は気に留めないことにした。
「ありがとう先輩。」
込み上げる気持ちを表すことができる唯一の言葉に鴨居はすべての思いを込め言った。
そして杉宮も最後に、自分自身への後悔や、鴨居への期待も全てをこめて言うのだった。
「ああ。頑張れよ、カモ。」
それからずっと杉宮との連絡が繋がることはなかった。
この後、鴨居と杉宮が再会する時には全てが変わっていた。
そう、全てが変わっていたのだった。
そして鴨居は誰に言うでも、家に一旦帰るでもなく、その足で大阪を目指した。
途中、駅へ向かう時にコンビニのATMでありったけの貯金をおろし旅の資金にすることにした。
千葉駅から東京駅へと向かい、人生で二度目となる新幹線に乗った。
新幹線は流れる景色がいつもの電車とは違ってとても速かった。
ほんの数十分の間に面白いほど簡単に、町の景色や山並み、天候さえも変わっていく。
名古屋を過ぎた辺りから天気は悪くなりだし、鴨居が大阪へと到着した時には大粒の雨が降りしきっていた。
「大阪かぁ、人多いな。」
混雑している大阪駅は、尋常じゃないくらいに人で溢れかえっている。
人波にさらわれないように改札を抜けると、ある人物との待ち合わせ場所へと向かう。
「緊張するなぁ。いくら杉宮先輩の知り合いとはいえ知らない人の家にお世話になるなんて。」
別に鴨居は人見知りというわけではなかったが、人並みの不安を抱えてはいた。
そして待ち合わせ場所となるタクシー乗り場へと辿り着くと、一人の少年が待っていた。
その少年が鴨居の元へと歩み寄ってきた。
若者らしいラフな格好に鴨居は内心びびっている。
しかしそんな感情は、一気に吹き飛ばされることになる。
「鴨居さんですか?要くんから話聞いてます、オレ立石悠太。宜しくです。」
くったくの無い笑顔。
下手な敬語。
悠太の態度全てが鴨居を安心させた。
「あ、オレは鴨居友徳。お世話になります。」
悠太は鴨居の見るからにしたてな態度に思わず吹き出した。
「ぷっ。ホンマに聞いた通りの人なんやなぁ。鴨居さんの方が年上なんやから敬語とか使わなくて良いですよ。」
目の前の人から聞こえた関西弁に、当たり前なんだけど自分が本当に大阪に来たのだと実感した。
「あ、すいま……せん。」
「ってまた敬語やんけ。はは、まぁいいや。疲れたでしょ?今日は家でゆっくりしてってください。煩い姉がおるからゆっくりはでけへんかもしれないですけど。」
素早い突っ込みを入れると、悠太は鴨居の荷物をタクシーに積み込んだ。
二人はタクシーに乗り込むと悠太の家へと向かっていく。
「悠太くんはお姉さんと二人暮しなの?」
ようやく敬語が抜けた鴨居が尋ねる。
「はい、そうです。こっちの大学通うのに、先にこっちに来てた姉貴の所に転がり込むんが経費的にも楽だったんで。」
「そっか仲良しなんだね。」
思いがけない鴨居の一言に悠太は敬語も忘れて反論した。
「ち、ちゃうわ。誰があんなヤツと仲良いわけあるかい。自分急に変なこと言いなや。」
怒涛の関西弁に少しだけ恐怖を感じる鴨居。
「うん、やっぱりだ。何か変だと思ってたんだけどさ。」
「何すか?」
タクシーは日の沈んだ大阪の街を駆け抜けている。
会ったばかりの二人だったが早くも打ち解け始めていたのは、二人の大らかな性格からか、それとも大阪特有の雰囲気がそうさせているのか。
「悠太くん敬語下手なんだから、無理して使わなくても良いよ。関西弁もっと聞きたいし。」
悠太は毒気も何もかもを抜かれてしまった様な気がして、何故だか鴨居には適わないと思った。
「ほな、そうするわ。下手や言われた敬語なんか使い続けられへんしな。」
にかっ。と笑った悠太は少しだけ幼く見えて、鴨居もつられて笑う。
目的地に着くと鴨居がタクシー料金を払った。
もちろん悠太が払おうとしたのを鴨居が止めたのだ。
悠太の家は八階建てのマンションの一室で二人暮しにしては広かった。
「ただいまぁー。」
「お邪魔します。」
悠太と鴨居の声を聞きつけたその人が玄関へと走ってきた。
「おかえり悠太。それから鴨居くん?初めまして悠太の姉の悠美です。」
丁寧なその態度に少しだけこの姉弟は似ていないんじゃないかと思った。
「きしょっ。何やねんそのさぞ私はおしとやかですよ。みたいな態度。」
しかし悠太の言葉に悠美の本性が顔を出す。
「何やと悠太。もっぺん言ってみぃや。自分そんなひねくれとるから直美ちゃんに愛想尽かされるんやで。」
「な、直美のことは今は関係あらへんやろ、このブス!!」
「言うたな?言うてしまったな?自分誰のおかげで飯食えとると思っとんねん、このハゲ!!」
突如始まった姉弟喧嘩に鴨居はただただ立ち尽くしていた。
「あのぅ、喧嘩はやめましょうよー。」
客人そっちのけでの姉弟喧嘩は止むことなどなく、その夜鴨居は(恐怖で)震えながら朝を心待ちにしましたとさ☆
「……………。」
「……………。」
「……………。」
昨日の喧嘩があからさまに尾を引き、むすったれている悠太と悠美。
そしてそんな間になぜか入ってしまって、一人ひもじい思いをしている鴨居との間に、沈黙が流れていた。
「あの……」
沈黙に耐え切れなくなった鴨居を睨む二人。
鴨居は泣く寸前。
「そろそろオレ、メグのこと探しに行こうと思うんですけど。」
ようやく何故鴨居が自分の家にいるのかを思い出した二人が我に返った。
「せや、鴨居くん人探しで家に来たんやったな。手がかりとかあるん?」
「メグは児童養護施設で育ったって言ってたんで、手当たり次第に大阪の施設を当たってみます。」
鴨居の手には昨日のうちに悠美のパソコンを借りて調べた、大阪にある児童養護施設の地図のプリントが握り締められていた。
「あんまり遅くならんうちに帰って来や?焦らずじっくり、な?」
悠太は鴨居を本当に心配してくれていた。
鴨居が暴走して居なくなったりするのではないか、それだけが心配だった。
「うん、それじゃあ行ってきます。」
「行ってらっしゃい。気を付けや。」
二人の声に見送られて鴨居は雨のあがった街へと飛び出していった。
インターネットで検索できた児童養護施設は21にものぼった。
とにかく鴨居は一つずつシラミつぶしに訪れていくしかないと考えていた。
「ここがスーパーだから、あの角を曲がって……と。あった。」
最初に訪れたのは光園と言う児童養護施設だった。
施設自体はそれほどの大きさではなく、少し豪勢な邸宅といった感じ。
鴨居は深呼吸をして中に入っていく。
「すみませーん、どなたか居ませんか?」
鴨居の訪問にまず応えてくれたのは、小学生低学年くらいの少年だった。
「お兄ちゃんだあれ?」
「あ、えっと……おうちの人いるかな?」
不思議そうに首を傾げたが、少年は奥へと走っていくと、中から誰かを呼んできてくれた。
「あら、こんにちは。……えっと、どのような御用でしょうか?」
職員らしき女性が出てきたので、鴨居は事情を説明して、メグの写真を見せる。
「このメグという女の子を捜しているんです。突然何も言わずに居なくなってしまって……施設で育ったと言っていたので心当たり無いでしょうか?」
鴨居の真剣な態度に職員総出で過去に光園で育った子供達の資料を読み返してくれたが、メグらしき子供に関する資料は出てこなかった。
「お力になれなくてスミマセンね。」
本当に申し訳なさそうにしてくれて、鴨居は見ず知らずの人間のためにここまでしてくれるなんて、と嬉しくもなったが、やはりメグに関する情報を得られなかったことで落胆を隠せなかった。
「いえ、本当にありがとうございました。他をあたってみることにします。」
最初に話を聞いてくれた職員さんが門のところまで送ってくれた。
そして最後にポケットに入れていた生キャラメルをくれた。
「諦めないで頑張ってね。」
その人は鴨居の姿が見えなくなるまで、そう言って手を振って見送ってくれた。
一日目は何の情報も得られぬままに終わる。
地図にある児童養護施設はあと18。
果たしてこの中にメグに繋がる情報を与えてくれる所があるのか。
それすらもわからぬままに鴨居の必死の捜索は続いていく。
二日目も三日目も何の進展もなく終わってしまった。
がくっと肩を落とす鴨居を悠太はどうにか励まそうとしていた。
「鴨居くん、人探しなんかそう簡単に見つかるものやないって。焦らずじっくり行こ、な?」
「うん、分かってる。……分かってるよ。」
力のない返事。
「あと13ヶ所もあるし、きっとその中にメグちゃんのこと知ってる人もいるて。だから今は力貯えるために飯食お、な?」
キッチンからは悠美の作る肉じゃがの言い匂いが立ちこめている。
どんな状況だって腹は空くものである。
鴨居は、そんなことしてる場合じゃないだろう?と自分に言いながらも食卓に着いた。
「今日はバイトの給料日だったしちょっと奮発しちゃった。要ちゃんが一番美味しいって言ってくれた肉じゃがでーす。」
ほくほくと炊けたじゃがいもに、甘辛く牛肉のエキスをたっぷりと含ませたタレがしみ込んでいる。
一口食べた瞬間に口の中に旨味が広がった。
「すごい……美味しい。」
思わず出た一言だった。
それほどに悠美の料理は絶品なのだ。
「せやろ?姉貴は料理だけは上手いねん。ただ男心っちゅうもんを分かってへんから、胃袋つかんでも逃げられてまうんやけどな。」
食卓に『ゴツッ』というに鈍い音が響いた。
「美味しいでしょ鴨居くん?これね、要ちゃんに初めて振る舞った料理なんだぁ。」
にこやかに話す悠美。
「しかも未だに要くんのこと見え見えに引きずっとるやろ?しつこいなぁホンマ。」
『ゴツッ』。『ゴッ、ゴツッ』
「引きずってなんかない。引きずってなんかないけと、やっぱり納得はでけへんよ。」
ごはんを二、三粒だけ口に含んだ悠美。
凄く淋しそうな横顔に鴨居まで胸が痛んだ。
そしてその横で、原型をとどめずに息絶える悠太(嘘)。
鴨居は自分は知らない杉宮について聞いてみることにした。
「杉宮先輩って悠美さんの前ではどんな感じだったんですか?」
鴨居の質問に悠美は天井を見上げ、思い出を振り返っていく。
「特にどんな感じっていうのは無かったかな。たぶんやけど鴨居くんといる時と一緒やったんやないかな。」
それから、悠美は何でもない杉宮との思い出を鴨居に話して聞かせた。
その中で分かったのは、杉宮は恋人の前だろうと誰の前だろうと、屈託がなく飄々としていて、誰からも信頼されていた。ということだった。
「杉宮先輩が学校を突然辞めたんです。先生は実家を継ぐ為だって言ってたんですけど、オレには納得できなくて。本当なんですか?」
杉宮の退学について聞くと悠美はぼろぼろと涙を零して話せなくなってしまった。
そこで、いつの間にか生き返っていた悠太が代わりに話し始める。
「要くんは実家を救うために、おっきな会社の令嬢と結婚すんねん。」
初めて知る杉宮の現状に鴨居はただ驚いていた。
「杉宮先輩はそれに納得したんですか?悠美さんがいるのに、あんなに好きだって言ってたのに。」
悠美のことを自分のことの様に悔しがって、心から怒っている鴨居を見て悠太は微笑んだ。
「要くんは何をしてでも、何を捨ててでも実家を守らなくちゃいけない訳があったから。」
「実家を守らなくちゃいけない訳?」
悠太はゆっくりと頷くと、ほんの少し間を置いて、杉宮の兄、静について話し始めた。
「……って訳やねん。せやから要くんは、姉貴も大学も自由も何もかもを捨てて、実家に帰っていった。納得なんてできなかったと思う、せやけどさ。やっぱり仕方のないことなんていくらでもあるやん?」
悲しそうに笑った悠太の顔が本当に淋しく感じた。
そして、自分よりも遥かに杉宮のことを理解している佐野と悠太が、同じことを言ったことに驚きながらも、妙に納得してしまう自分がいた。
「だからさ、姉貴もカモくんも泣くなよ。たぶん一番泣きたいのは要くんだから、でもきっと要くんは泣いたりせえへんよ、だから、な?」
悠太の優しい口調に鴨居も悠美も流れだした涙を止めることができなくなった。
二人の涙が止まるまで悠太はずっと部屋を離れることなく、ただ黙って一緒に居てくれた。次の日の朝食は、昨日の肉じゃがをアレンジしたカレーで、これまた凄く美味しかった。
「じゃ行ってきます。」
元気良く飛び出していった鴨居を優太は少しも心配したりはしなくなっていた。
もう表情を見ただけで、最初に会った頃とは違っていたのだから。
「メグちゃんが早く見つかると良いな。」
「うん、そやね。さて、私達も頑張らなね。」
大きく伸びをした悠美も元気一杯に家を出てく。
「はは、恥ずかしいヤツ。」
そんなことを言いながらも、悠太の歩みも確かに力強くなっていたのだった。
四日目。
力強く希望に溢れる鴨居の心中も裏腹になかなかメグに関する情報は得ることができないままでいた。
「残り十軒か……メグ。今君は何を思っているのかな?」
忘れようとすればするほどに、嫌になるくらい鮮明に思い出してしまうのに……
どうして、君の顔を。声を。匂いを。ぬくもりを――
そしてあの笑顔を。
思い出そうとすればするほどに、あの滑り落ちる掌の上の砂のように――
一つ。また一つと思い出せなくなってしまうんだろうか。
神様。もしこれがあなたの気紛れや意地悪なのだとしたら……
オレは――
オレは。。。。
あなたを恨んでしまうよ。
日も傾き始め。
この日最後となる施設を訪れている鴨居。
疲れからか、焦りからか、苛立ちを隠すことができないでいる自分が悔しく思えていた。
「ごめんなさいね、力になることができなくって。」
そう言ってくれた施設の女性に鴨居は何度も何度も頭を下げてお礼を言った。
それしか、鴨居に感謝を伝える為のすべはないから。
何度も何度も。
深く頭を下げ続けた。
悠太たちの家に着いた鴨居を待っていたのは悠美の作った温かな料理だった。
「カモくんおかえり。疲れたでしょ?いっぱい作ったからいっぱい食べてね。」
「せやで。最後まで走り続けるんやったら飯食わな。ほら、何してん。はよ食べよ。」
かけられる暖かな言葉に、鴨居は思わず涙を流していた。
それは今までに流した涙とは少し違っていて、何故だか温かかった。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう……」
涙を拭いながら鴨居は何度も「ありがとう」と言った。
悠太は鴨居の肩をポンと叩くと、席に座らせる。
山の様に盛られた炊きたてのご飯を悠美が渡すと、鴨居は一心不乱にご飯をかきこんだ。
五日目の朝は真っ黒な雲が空全体を覆い尽くしている嫌な天気となる。
いつ降り出してもおかしくない為、鴨居は傘を持ってでかけた。
そして十二件目の施設を訪れる。
「すみません、お聞きしたいことがあるんですが。」
「はい。何でしょうか?」
話を聞いてくれたのは若い男性で、胸には手書きの名札にひらがなで「おち まさひろ」と書かれていた。
「メグと言うこの写真の子を捜しているんですけど何かわかりませんか?」
越智(おち)は突然の人探しの訪問者に少し驚いていたが、にこりと笑う。
「僕は去年からここで働かせて頂いているので、園長先生に話を通しますのでこちらへどうぞ。」
通された部屋に着くまでに、何人かの子供とすれ違った。
子供達はみんな越智のことが大好きな様で、足にしがみついたり、腕を引っ張って「遊ぼうよ」と甘えたり。
それを見ただけで、ここが凄く素敵な家に見えた。
「初めまして、青空の家の園長をしている前園(まえぞの)と言います。越智くんから事情は聞きましたが、うちにメグと言う女の子は居ませんでした。」
前園の丁寧な言葉が胸に突き刺さる。
ほんの少しだけ、励ましの言葉を受け取って、鴨居が帰ろうとした時だった。
『パタパタパタ……』とスリッパの音がしたと思ったら、園長の前園のよりも年配の女性が部屋にあわてて入ってきた。
「園長先生。あの、うろ覚えなので言いにくいのですが、もしかしたらあの真理恵ちゃんのことなんじゃないでしょうか?」
その言葉に前園は首をかしげたが、すぐに何かを思い出したかのように目を見開いた。
「真理恵。そうか、もしかしたらそうかもしれない。すぐに残っている真理恵の写真を持ってきてください。」
「は、はい。」
また『パタパタ』と音を立てながら部屋を出ていく女性。
鴨居は二人の言っている「真理恵」という少女に何の覚えもなく、何故待たされているのか分からなかった。
すると三分ほどたって、あの女性が二枚の写真を持って再び部屋に戻ってくる。
「やっぱり。鴨居さん、この写真を見てください。」
前園がその二枚の写真を鴨居に渡した。
そこに写っていた少女を見て鴨居は驚愕した。
「その子は真理恵と言って、両親に捨てられてこの青空の家に来ました。」
幼いので顔立ちが若干違っていたが、そこに写っていた孤独を抱えた瞳の少女は紛れもなくメグである。
「自分を捨てた両親をひどく恨んでいた彼女は、きちんと認識していたにも関わらず、自分の名前を消して真理恵だとは言いませんでした。」
鴨居は喜びと驚きとで全身が震えている。
「職員達は辛抱強く、あなたの名前は真理恵だよ。と教えましたが彼女は一向に認めず、自分のことを頑なにメグ、と言いました。」
前園の話に鴨居はもう確信を以外の何も感じない。
「それでメグの引き取られた言えというのは?」
鴨居の質問に、前園はしばらく口を閉ざしてしまった。
必死に少女を探すこの青年に、少女の引き取られた家族について教えたいのは山々だが、それは無闇に公表してはいけない情報なのである。
前園は自分の中で葛藤した。
そして――
「……鴨居さん。残念ですが私はこの施設の代表者として、プライベートに関わるその質問に答えることはできません。」
前園の言葉に、鴨居は怒りや疑問を抱くことすらできなかった。
ただ信じられなくて、頭が真っ白になっていく。
「ですが……前園 元という一人の男として、いや人間として答えずにはいられないのです。ですからこれだけは約束してください。」
みるみる生気の戻る鴨居の瞳。
きらきらと輝くその瞳に前園は、立場を捨て一人の人間として心折れずにはいられなかったのだ。
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