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第一章:それはいつもと違う春
すれ違いと災難
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鴨居は電話越しの相手が思い描いている人物とは違っていて欲しいと願いながら、名前を尋ねる。
「大川……さん?」
相手は少し笑うといつもの調子で返してきた。
「『美鈴ちゃん』だってばぁ。カモ君久しぶりだねぇ」
鴨居は戸惑いながらも、酔った客でザワついている店内から外に出ていく。杉宮はそんな鴨居の様子にほんの少しだけ違和感を覚えていた。
外に出ると、夜風が酔いを一気に吹き飛ばし胃がずしりと重くなったのが自分でも分かった。
「何で君がオレの番号を知ってるのさ?」
大川とできれば関わりたくないとあの朝から思っていた鴨居。その為、合コンの次の日にメールや電話の履歴を念入りに調べた。しかし、大川とのやり取りはなくはなく、おそらく連絡先の交換をしなかったのだろうと安心していたのだった。
しかし、今実際にその人から電話がかかってきている。鴨居は連絡先を知られた理由を聞いて背筋がゾッとした。
「カモ君が寝てる間にカモ君の携帯から私の携帯にワンコールしたの。そうすれば、こうして私からだけは着信履歴からカモ君にかけることができるってわけ」
「なっ!?でも、オレはあの日電話の履歴だって確認したけど、誰とのやりとりもなかったはずなのに」
そう必死になる鴨居の声を聞いて、大川は冷たい声で笑った。
「はは。バカだなぁカモくんは。履歴なんて、いくらだって消せるじゃない」
「なっ……」
鴨居はあの日、別れ際に感じた胸騒ぎの正体が少し分かったような気がした。
「そ…そんなの、はん…」
「犯罪じゃないのか…って?カモ君。私は悪質な取引をした訳でもないし、カモ君を脅そうって訳でもないのよ。ただ、カモ君と連絡を取りたかっただけなの。これって犯罪かな?」
鴨居は反論をすることができなかった。しかしこの電話は、胸騒ぎで感じていた不安の中のほんの一部であることにこの時の鴨居は気付くよしもなかった。鴨居が黙っていると、大川はそんな鴨居の不安や怒りを気にする様子もなく続ける。
「どんな方法であれ、カモ君の連絡先を知りたかったの。これって……犯罪じゃなくて、愛情だと思わない?」
その時、さすがの鴨居も堪忍袋の尾が切れた。今までに見せたこともないような低い声で怒りを露わにする。
「ふざけるな!!何が愛情だ。人の携帯を無断でいじっておいて、人として最低だと思わないのか!?」
鴨居の大声に通行人が何人か振り向いた。感情を吐き出した余韻で、鴨居はぜえぜえと息を荒くしていた。そして数秒の沈黙が流れた。
次に大川が先に口を開いたのだが、その内容はとんでもないもので鴨居の胸をより一層ざわつかせるものであった。
「何よ偉そうに。どうせ今日まで私と寝たことを口外されてないかビクビクしてたくせに」
「なっ…!?」
鴨居が反論しようとするものの、大川は強引に一言だけ言い放つと電話を切ってしまった。
「23日の午後1時にこの前のファミレスで待ってる。もしこなかったら、どうなるか分かるよね?」
『ブツッ。ツーツーツー…』
鴨居の手が怒りに震える。しかしそのことすら気付かないほどに鴨居は怒りに満ちているのだった。
涼しい夜風に当たり一呼吸置いて僅かばかりの落ち着きを取り戻すと、杉宮の待つ店内へと入っていった。どうやら杉宮はトイレに行っているようで、席には誰もいなかった。
あの日、軽率な行動をとった自分への怒りと、後悔が頭を埋め尽くしていく。鴨居の手はうっすらと汗ばみながらまだ震えていた。
すると杉宮がひょっこりと戻ってくる。
「電話の相手…大川だっけ?そいつってあの時のだろ。何か言われたのか?」
鴨居の表情を見た杉宮が真面目に聞くのだが、鴨居が本当のことを言うことはその日なかった。
「あ…はい。何かまた一緒に飲みたいな。って誘われちゃいました。いやぁ、大変ですねぇモテるってのも。はは、ははは」 そう言って自分でも気づく。感情のこもらない、無機質な音が鴨居の口からどんどんあふれ出ていた。
(このバカ…あからさまな嘘つきやがって)
杉宮はそれが嘘だと知りながらも、敢えて聞かないことを貫いた。鴨居なら自分から話してくれると信じていたからだった。
「そっか・・・…何ともないなら良かったよ」
鴨居は自分のことばかり考えていて気付きもしない。この時、この瞬間から自分のありきたりだった人生が少しずつズレ始めていたのだということに。
「はい。あ、そだ飲み直しましょうか。せっかくの酔いが電話のせいで覚めちゃいましたよね。まったく……」
鴨居の空元気に杉宮は呆れるというよりも怒りを覚えていた。
「カモ……」
「杉宮先輩は何が良いですか?焼酎でもいきましょーかね」
杉宮に何も聞かれたくなかった鴨居は、杉宮に喋る暇を与えぬように強引に喋り続ける。その言動が意識せずとも確実に杉宮を傷つけているのだとも知らずに。
「カモ…もう」
「ほら、枝豆おいしいですよ。いやぁ塩加減が抜群だなぁ、ここの枝豆は。ははは」
鴨居はただ余計な心配を掛けたくなかった。それだけだった。大好きな先輩だからこそ迷惑を掛けたくなかった。
今無意識にも目の前の男を傷つけている言動の理由などただ、それだけだったのだ。
「カモ!!」
『バンッッ』 と店内に大きな音が響く。杉宮は無理に喋り続ける鴨居を止めるために、テーブルを叩いた。その音で店内が一瞬騒然とする。張り詰めた空気が二人の間に流れた。
「えっ…杉宮先輩どうしたんですか?」
本当に分かっていない鴨居の様子を見て、無表情なままで杉宮は言う。
「カモ、もういいよ。今日はこれで帰ろう」 そう言って杉宮は席を立ち、財布から五千円札を取出しテーブルに置いた。
今日は鴨居のおごりということだったのを杉宮は忘れていたわけではない。ただ、今の鴨居に酒をおごられても気分が良くなることは無い。そう思ったのだ。
杉宮は最後に小さく、今の自分ができる限りに優しく言う。
「カモ……もしも何かあったら俺に言えよな」
「……。はい。何かあったら、先輩にいいます」
そう取り繕って笑ってみせた鴨居。お金を置いて、杉宮は込み上げる感情をどうにか抑えながら店から出ていった。席に取り残された鴨居は杉宮の思いも知らず、二人の距離は徐々に離れていくのだった。
居酒屋に行って杉宮の話を聞いたあの日から、鴨居と杉宮は少し距離を置くようになってしまっていた。
「…あんの糞餓鬼。何が、何かあったら言いますよ。だ…全然言いにこねぇじゃねぇか!!」 そんな言葉が思わず杉宮の口からあふれ出る。
「そこ杉宮煩い!寝言は寝て言え!!ってか人の仕事中に寝んな!!!」
日本史の先生からゲキと共に、杉宮の眉間目がけてチョークが飛んだ。杉宮は授業中だということを忘れ、鴨居への憤りを叫んでしまっていたのだ。
「痛ぇなジジイ。今時チョーク投げって古臭ぇんだよ!!あれか?日本史の先生ってのは、日本の偉人、偉業だけでなく、チョーク投げみたいなどうでも良いことも語り継ごうってのか、ああ!?」
「ちょっ…要。どうしたんだよ止めろって」
隣に座っていた学生が止めに入ったのだがもう遅かった。
「杉宮、今すぐ教室から出ていけ……二度とオレの講義に顔を出すな!!」
杉宮は乱暴に荷物を鞄に詰め込むと教室から出て行ってしまう。
「ほ・・・・・・本当に出ていくやつがあるか、馬鹿者があ!」 そんな教授の叫び声も聞こえず、教室の扉は音を立てて閉まった。
教室から出て、むしゃくしゃとした気分を晴らせないまま中庭を歩いていると鴨居とすれ違う。いつもならどちらからともなく挨拶を交わし、冗談を言い合い、そして笑っていたはずだったのに。この日ふたりは、目を合わすことすらせずにすれ違っていくだけだった。
そんな調子のまま鴨居と杉宮の関係が改善される様子もなく、鴨居が大川と会う約束の23日を迎えることになる。
鴨居はその日の朝から、酒も飲んでいないのに二日酔いのような頭痛と吐き気におそわれていた。
「うっ…・・・胃が痛い」
お腹を押さえながら大学までの道のりを歩いていると、後ろから誰かが呼ぶような声がした。
「カモ先輩。カモせんぱーい」
「ふぇ?」 鴨居が後ろを振り返えると、鴨居に手を振りながら走ってくる小学生の様な小さい女の子。
「うわっ!!カモ先輩、何スかその顔!?」
鴨居の肩までしか身長のないその子は、背伸びをしながら鴨居の顔を覗き込む。
「あー、えっと…岡崎 早苗(おかざき さなえ)さんだっけ?」
「名前覚えてくれたんスか!?感激っス」
その小さな子は岡崎早苗。一見すると小学生だが、これでもれっきとした大学生である。女の子にしては短いショートヘアーと、男の子の様な喋り方が特徴的だった。
「にしてもヒドイ顔っスね。昨日飲み過ぎたりしたんですか?」
岡崎と鴨居は同じアパートにすんでいる。ちょうど隣の部屋で、岡崎の引っ越しの荷入れの手伝いをしてあげたのが、そもそもの出会いだった。不憫(ふびん)にも一人暮らしを強いられてしまった可哀相な小学生を見て(全て鴨居の勝手なイメージ)お人好しな鴨居は放ってなどおけなかったのだ。そして、その岡崎が同じ大学だったことを知ったのはつい最近のこと。
「いや……酒は飲んでないんだけどね。ちょっと午後から気乗りできない予定が入ってて」 げっそりとした顔をうつむかせながら、鴨居は呟くようにそう言った。
「ふーん。コレ(女)関係の悩みですな?」
岡崎は小指を立てながら、にやりと不敵な笑みを見せる。いくら男の子の様な外見だといっても、そこは女の勘とでも言うのだろうか、正確に言い当てられてしまう。とはいえ、健全な女の子が女を小指で表すというのは如何なものだろうか。
そして鴨居も素直な男である。そう言われた瞬間に身体をビクッと反応させ、大量の汗を吹き出させた。
「あ、当たりなんスね。だったら要先輩にでも相談すればいいのに」 そう何気なく言った岡崎の言葉に、鴨居は尚更に気落ちしてしまう。そんな鴨居の様子に気付いた岡崎が今度は真面目に尋ねるのだった。
「先輩?要先輩と何かあったんスか…?」
「・・・・・・別に」 そう素っ気ない返事をすると、鴨居はわずかに歩調を早めた。すると体格の差もあり、鴨居と岡崎の距離がどんどん離れていく。岡崎も始めは鴨居に追い付こうとしたのだが、鴨居のただならぬ様子を見て、一人にしてあげようと思い立ち止まる。
「カモ先輩は…笑顔が素敵なんだから、笑っていて欲しいのになぁ」
悲しげな背中を見送る少女の胸の内を、鴨居は薄々に感じながらもただ去っていくのだった。
鴨居はその日、二つの講義に出た後大川との約束のファミレスに向かった。約束の時間より早く着いてしまった鴨居は、ファミレスの手前にあった古本屋で時間を潰すことにした。
文庫本、単行本、雑誌、参考書など、手に取らずにタイトルだけを眺めているとメールが届く。
『カモ君、もう来てる?一番奥の窓側の席にいるからね』
そのメールの送り主はアドレスで表示されていた。つまり、鴨居の携帯に登録されていない人からということだ。しかし考えなくても、大川からであることは明白で鴨居はしぶしぶとファミレスへむかっていく。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
爽やかな笑顔で店員が迎えてくれたが、鴨居にはそれすらも自分を嘲笑っているように見えてしまっていた。
「いえ。先に友達が来ているんで…・・・」
「そうですか。お席は分かりますか?」 その問いに、鴨居は小さく「はい」 と答え店員はキッチンの奥へと消えていった。
鴨居は大川からのメール通りに、一番奥の観葉植物に隠れた角の席へと歩いていく。近づいていくと、長い黒髪が見えた。
「大川さん何の用なの……って、え?」
その席にいたのは鴨居の予想だにしていなかった人物だった。鴨居は大川が居るものだと思って強張っていた、体中の力が抜けていくのが分かった。
「ま…真希?」 そこに居たのは大川ではなかったのだ。そして、彼女のことを鴨居は知っていた。それもそのはずだった。
「久しぶりだね…トモ君」
大川の代わりに、呼び出されたファミレスの席に座って自分のことを待っていたのは鴨居の恋人、山下真希だったのだから。
「真希…何でここに?」
「……座って」
真希に促され、鴨居は久しぶりに会う恋人の前に座る。しばらく無言で向き合う二人。沈黙を破り先に話し始めたのは真希だった。
「美鈴にね。全部聞いたの……」 その言葉に鴨居は罪悪感で胃が引きちぎれそうになった。
「私がいけなかったんだよね。トモ君のこと何も知りもしないくせに付き合おう、なんて言ったから」
「いや真希・・・…違うよ。オレは……」 その時、二人の話を遮るかのように店員が現れたので、鴨居は適当にコーヒーを頼み、店員をがすぐに離れるようにした。
そして再び二人の間に沈黙が流れてしまう。しかし、つぎに沈黙を破ったのは鴨居だった。
「真希ゴメン。オレ告白された時、フルのが怖かったんだ」
真希は頷きも返事もしないで鴨居の話を受けとめようとしている。
「自分への好意を持ってくれる人って世界にどのくらいいるんだろう?もしかしたらほんの数人で、その人を逃してしまったらオレは独りになるんじゃないかって…そんなこと考えたら、とても告白を断ることなんて出来なかった」
真希の表情は依然として変わらない。が、小さく震えているのがわかった。きっと溢れ出そうになっている涙を一生懸命に堪えているのだろう。
「誰かに告白されたら、断らないのが自分の為、相手の為になるんだって思い込んでた」
鴨居はそんな真希の様子に気付きながらも続ける。
「付き合ってから相手を好きになれば良い。って簡単にそんな風に考えてたんだ……」
鴨居は目の前の女の子が瞳いっぱいに涙を溜めていることに、罪悪感を覚えずにいられなかった。それでも、話を途切れさしてはいけない。と、自分の気持ちを素直に伝えなければならない。と話を続けるのだった。
「でも、そんなのは自分の為にも相手の為にもなりはしないんだ。って今さらだけど痛感したよ」
ここで初めて真希の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。一度流れ出たらもう堪えることなどできず、真希はボロボロと涙を流す。閉じそうになる口を無理矢理にこじ開けるようにして、鴨居は言葉をどうにか紡いでいく。
「オレは真希を本当の意味で好きになることができなかった。一緒に居て、真希の好意が本物なんだな。って認識しなきゃいけないのがツラかった」
真希の小さな消えてしまいそうな泣き声が、鴨居の耳を心を驚く程強く引っ掻いていく。ズキズキと胸が痛んだ。
「オレは好意を持ってくれた人をも裏切ってしまうんだな。って自分がどんどん嫌になっていって……」
真希は今にも耳を塞いでしまいたい、そんな気持ちを自制しながら鴨居の言葉に耳を傾けている。
「だから……オレはどんどん真希を避けるようになった。真希を傷つけたくないから……って言い訳して本当は、ただ自分が傷つくのが嫌だったんだ。オレって・・・・・・本当に最低だよな」
ちょうど鴨居の話が終わる時に温かいコーヒーが運ばれてきた。泣いている真希を見て、店員さんは心配そうな顔をしていた。コーヒーの香り立つ湯気が目の前で泣く少女を霞ませていく。この湯気と共に真希までがすぅっと目の前から消えてしまうのではないかと、鴨居は不安になった。
「でも・・・…信じて欲しいのは、オレは真希のこと嫌いじゃないし、大川さんとのことも酔ってて記憶にないんだ。だから許して欲しいなんて都合の良いことは言わないけど、そこだけは信じて欲しいんだ」
それを最後に二人の会話が止まる。にぎやかな店内が余計に淋しさをあおるのだった。
すると、ふいに真希が席から立ちあがる。涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔を、ピンクの可愛いハンカチで隠そうとしていた。
「今までありがとう。私はトモ君のこと本当に好きだったよ。それに、トモ君の気持ちにも薄々気づいてたんだ」
小さな声。きっと最後の言葉を一生懸命に振り絞ったのだろう。そのか細いその声は、騒つく店内の音を押し退けて鴨居のもとへ、鴨居の心へ強く響いた。
「真希……」
山下は走って店から出ていった。鴨居はそれを茫然と見送ることしかできなかった。追い掛けることも、腕を取って止めることも、何も出来なかったのだ。
鴨居はマキの座っていた席の上に小さな手紙が置いてあるのを見つけた。何かユル目のキャラクターの描いてあるその封筒をゆっくりと開ける。
『トモ君。お久しぶりです。手紙なんて初めて書きます。
トモ君は優しくて、人付き合いがよくて、何より笑顔が凄く可愛いの。
そんなトモ君のことを私が好きになったのは偶然なんかじゃないって今でも思うんだ』
鴨居は一字一句を見逃さないように、ゆっくりと手紙に目を通す。そこにはぎっしりと鴨居への思いが書かれている。
『告白した時ね、トモ君が少し悲しそうな顔をしたの覚えてる。
今思うとあれは私のこと心配してくれたんだよね?
トモ君は優しいから断らなかったけど、私への気持ちは恋愛とは違うんだってどこかで分かってた。
それでも、付き合ってから私のことを好きにさせてやる!!って思ってたのにな……恋って上手くいかないね』
これを書いた時、真希はどんな気持ちで、どんな表情をしながら手紙を書いていたのだろうか。そんなことを想像したら、鴨居の胸がぐっと痛みを感じた。
『トモ君を好きになったこと……後悔していません。それはきっとこれからもずっと。
今までありがとう。次は本当の恋をして幸せになってください。
山下真希』
手紙の最後の方には、ところどころに斑点のシワが打っていた。それが山下の涙であることに気付き、鴨居は本当に後悔をした。真希をフッたことではない。考え無しに交際を始めて、真希を深く傷付けた事にだった。
「オレ本当にバカだな……」
その場に立ち塞ぐ鴨居に気付いた店員が、心配そうに話し掛ける。しかし鴨居の耳には真希の最後の「ありがとう」 だけが、延々とこだましているのだった。
それからしばらくの間、真希からの手紙を見つめながら、立ち尽くしていた鴨居の元に一人の女性が現れる。鴨居をここに呼び出した張本人、大川美鈴だった。
「カモ君、久しぶり。真紀との話は終わったみたいだね」 大川はいきなり現れると、そう言いながら当然のように鴨居の目の前に座った。そして、注文を聞きに来た店員にストロベリーパフェを頼む。鴨居は突然の登場にただ呆気に取られている。
「何でお前がここにいるんだよ…・・・」
鴨居の言葉には明らかに怒りが込められ、その眼光には憎しみすら感じられた。それに気付いていないのか、はたまた気に留めようとも思っていないのか、大川はいつもの口調で話始める。
「あはは、ひどいなぁ。とうとう"君"から"お前"になっちゃったね。何でここにいるの?って私がカモ君と真紀を呼んだんだから、居なかった方が不思議でしょ?」 そう笑顔で言う大川。
しかし鴨居は笑う気などさらさら起きる気分ではない。
「何が楽しいんだ…?他人を平気で弄ぶようなことして」
鴨居の言葉に大川が答えるが、鴨居にとってはもはや理由などどうでもよかった。ただ、山下を傷つけた自分への怒りと、それを平気で逆撫でする大川への憤りで頭がいっぱいになっていた。大川はにこっと笑うと、悪気なく言う。
「楽しいなんて思ってないよ。二人の為に話し合う機会を作ってあげようと思っただけ。今までみたいにズルズル付き合い続けてても、カモ君の為にも、真紀の為にもならないじゃない?」
確かに大川の意見は間違ってはいない。だが、大川のとった行動は明らかに正解ではなかった。
「私はね、カモ君も真希も大好きなの。二人には幸せになって欲しいな。って思ってるんだよ」
もはや、大川のどんな言葉も鴨居の怒りを助長させるだけだった。
「ねぇ・・・…カモ君。真希のことは忘れて、私と付き合おうよ」
鴨居は思わず握り締めていた拳を壁にぶつけた。『ゴツッ』 と鈍い音がして、それに気付いた店員が鴨居の元にやってくる。
「お、お客さま困ります。店の物を傷つけてもらっては……」
鴨居は「すみません」 と言うとテーブルの上の手紙を拾う。
「頼むから、もう二度とオレの前に現れないでくれ。でないと、オレはあんたを本気で殴ることになる」
鴨居はそう低く呟いて、大川の顔を一度も見ることなくファミレスから出ていった。
鴨居が店を後にしてから五分も経たないうちに注文していたストロベリーパフェが運ばれてきた。大川はようやく運ばれてきたそれを幸せそうに口に運ぶ。そして、一番下のフレークまで綺麗にたいらげると、携帯を取出し誰かに電話を掛ける。
「もしもし大悟(だいご)?あたしだけどさ。ちょっと遊んでやって欲しいヤツがいるんだよね。うん、そう康太(こうた)達も呼んで皆でやっちゃってくれる?」 そして最後に大川は不気味な笑みをした。
「うん、じゃあ。写メはメールに添付するね。うん、そうそう千歳大3回の…鴨居友徳。それじゃあ、なるべく早い内に宜しく」
電話を切ると、いつ撮ったのか分からない鴨居の写メを添付し、メールを一斉送信で複数のアドレスに送ったのだった。
「大川……さん?」
相手は少し笑うといつもの調子で返してきた。
「『美鈴ちゃん』だってばぁ。カモ君久しぶりだねぇ」
鴨居は戸惑いながらも、酔った客でザワついている店内から外に出ていく。杉宮はそんな鴨居の様子にほんの少しだけ違和感を覚えていた。
外に出ると、夜風が酔いを一気に吹き飛ばし胃がずしりと重くなったのが自分でも分かった。
「何で君がオレの番号を知ってるのさ?」
大川とできれば関わりたくないとあの朝から思っていた鴨居。その為、合コンの次の日にメールや電話の履歴を念入りに調べた。しかし、大川とのやり取りはなくはなく、おそらく連絡先の交換をしなかったのだろうと安心していたのだった。
しかし、今実際にその人から電話がかかってきている。鴨居は連絡先を知られた理由を聞いて背筋がゾッとした。
「カモ君が寝てる間にカモ君の携帯から私の携帯にワンコールしたの。そうすれば、こうして私からだけは着信履歴からカモ君にかけることができるってわけ」
「なっ!?でも、オレはあの日電話の履歴だって確認したけど、誰とのやりとりもなかったはずなのに」
そう必死になる鴨居の声を聞いて、大川は冷たい声で笑った。
「はは。バカだなぁカモくんは。履歴なんて、いくらだって消せるじゃない」
「なっ……」
鴨居はあの日、別れ際に感じた胸騒ぎの正体が少し分かったような気がした。
「そ…そんなの、はん…」
「犯罪じゃないのか…って?カモ君。私は悪質な取引をした訳でもないし、カモ君を脅そうって訳でもないのよ。ただ、カモ君と連絡を取りたかっただけなの。これって犯罪かな?」
鴨居は反論をすることができなかった。しかしこの電話は、胸騒ぎで感じていた不安の中のほんの一部であることにこの時の鴨居は気付くよしもなかった。鴨居が黙っていると、大川はそんな鴨居の不安や怒りを気にする様子もなく続ける。
「どんな方法であれ、カモ君の連絡先を知りたかったの。これって……犯罪じゃなくて、愛情だと思わない?」
その時、さすがの鴨居も堪忍袋の尾が切れた。今までに見せたこともないような低い声で怒りを露わにする。
「ふざけるな!!何が愛情だ。人の携帯を無断でいじっておいて、人として最低だと思わないのか!?」
鴨居の大声に通行人が何人か振り向いた。感情を吐き出した余韻で、鴨居はぜえぜえと息を荒くしていた。そして数秒の沈黙が流れた。
次に大川が先に口を開いたのだが、その内容はとんでもないもので鴨居の胸をより一層ざわつかせるものであった。
「何よ偉そうに。どうせ今日まで私と寝たことを口外されてないかビクビクしてたくせに」
「なっ…!?」
鴨居が反論しようとするものの、大川は強引に一言だけ言い放つと電話を切ってしまった。
「23日の午後1時にこの前のファミレスで待ってる。もしこなかったら、どうなるか分かるよね?」
『ブツッ。ツーツーツー…』
鴨居の手が怒りに震える。しかしそのことすら気付かないほどに鴨居は怒りに満ちているのだった。
涼しい夜風に当たり一呼吸置いて僅かばかりの落ち着きを取り戻すと、杉宮の待つ店内へと入っていった。どうやら杉宮はトイレに行っているようで、席には誰もいなかった。
あの日、軽率な行動をとった自分への怒りと、後悔が頭を埋め尽くしていく。鴨居の手はうっすらと汗ばみながらまだ震えていた。
すると杉宮がひょっこりと戻ってくる。
「電話の相手…大川だっけ?そいつってあの時のだろ。何か言われたのか?」
鴨居の表情を見た杉宮が真面目に聞くのだが、鴨居が本当のことを言うことはその日なかった。
「あ…はい。何かまた一緒に飲みたいな。って誘われちゃいました。いやぁ、大変ですねぇモテるってのも。はは、ははは」 そう言って自分でも気づく。感情のこもらない、無機質な音が鴨居の口からどんどんあふれ出ていた。
(このバカ…あからさまな嘘つきやがって)
杉宮はそれが嘘だと知りながらも、敢えて聞かないことを貫いた。鴨居なら自分から話してくれると信じていたからだった。
「そっか・・・…何ともないなら良かったよ」
鴨居は自分のことばかり考えていて気付きもしない。この時、この瞬間から自分のありきたりだった人生が少しずつズレ始めていたのだということに。
「はい。あ、そだ飲み直しましょうか。せっかくの酔いが電話のせいで覚めちゃいましたよね。まったく……」
鴨居の空元気に杉宮は呆れるというよりも怒りを覚えていた。
「カモ……」
「杉宮先輩は何が良いですか?焼酎でもいきましょーかね」
杉宮に何も聞かれたくなかった鴨居は、杉宮に喋る暇を与えぬように強引に喋り続ける。その言動が意識せずとも確実に杉宮を傷つけているのだとも知らずに。
「カモ…もう」
「ほら、枝豆おいしいですよ。いやぁ塩加減が抜群だなぁ、ここの枝豆は。ははは」
鴨居はただ余計な心配を掛けたくなかった。それだけだった。大好きな先輩だからこそ迷惑を掛けたくなかった。
今無意識にも目の前の男を傷つけている言動の理由などただ、それだけだったのだ。
「カモ!!」
『バンッッ』 と店内に大きな音が響く。杉宮は無理に喋り続ける鴨居を止めるために、テーブルを叩いた。その音で店内が一瞬騒然とする。張り詰めた空気が二人の間に流れた。
「えっ…杉宮先輩どうしたんですか?」
本当に分かっていない鴨居の様子を見て、無表情なままで杉宮は言う。
「カモ、もういいよ。今日はこれで帰ろう」 そう言って杉宮は席を立ち、財布から五千円札を取出しテーブルに置いた。
今日は鴨居のおごりということだったのを杉宮は忘れていたわけではない。ただ、今の鴨居に酒をおごられても気分が良くなることは無い。そう思ったのだ。
杉宮は最後に小さく、今の自分ができる限りに優しく言う。
「カモ……もしも何かあったら俺に言えよな」
「……。はい。何かあったら、先輩にいいます」
そう取り繕って笑ってみせた鴨居。お金を置いて、杉宮は込み上げる感情をどうにか抑えながら店から出ていった。席に取り残された鴨居は杉宮の思いも知らず、二人の距離は徐々に離れていくのだった。
居酒屋に行って杉宮の話を聞いたあの日から、鴨居と杉宮は少し距離を置くようになってしまっていた。
「…あんの糞餓鬼。何が、何かあったら言いますよ。だ…全然言いにこねぇじゃねぇか!!」 そんな言葉が思わず杉宮の口からあふれ出る。
「そこ杉宮煩い!寝言は寝て言え!!ってか人の仕事中に寝んな!!!」
日本史の先生からゲキと共に、杉宮の眉間目がけてチョークが飛んだ。杉宮は授業中だということを忘れ、鴨居への憤りを叫んでしまっていたのだ。
「痛ぇなジジイ。今時チョーク投げって古臭ぇんだよ!!あれか?日本史の先生ってのは、日本の偉人、偉業だけでなく、チョーク投げみたいなどうでも良いことも語り継ごうってのか、ああ!?」
「ちょっ…要。どうしたんだよ止めろって」
隣に座っていた学生が止めに入ったのだがもう遅かった。
「杉宮、今すぐ教室から出ていけ……二度とオレの講義に顔を出すな!!」
杉宮は乱暴に荷物を鞄に詰め込むと教室から出て行ってしまう。
「ほ・・・・・・本当に出ていくやつがあるか、馬鹿者があ!」 そんな教授の叫び声も聞こえず、教室の扉は音を立てて閉まった。
教室から出て、むしゃくしゃとした気分を晴らせないまま中庭を歩いていると鴨居とすれ違う。いつもならどちらからともなく挨拶を交わし、冗談を言い合い、そして笑っていたはずだったのに。この日ふたりは、目を合わすことすらせずにすれ違っていくだけだった。
そんな調子のまま鴨居と杉宮の関係が改善される様子もなく、鴨居が大川と会う約束の23日を迎えることになる。
鴨居はその日の朝から、酒も飲んでいないのに二日酔いのような頭痛と吐き気におそわれていた。
「うっ…・・・胃が痛い」
お腹を押さえながら大学までの道のりを歩いていると、後ろから誰かが呼ぶような声がした。
「カモ先輩。カモせんぱーい」
「ふぇ?」 鴨居が後ろを振り返えると、鴨居に手を振りながら走ってくる小学生の様な小さい女の子。
「うわっ!!カモ先輩、何スかその顔!?」
鴨居の肩までしか身長のないその子は、背伸びをしながら鴨居の顔を覗き込む。
「あー、えっと…岡崎 早苗(おかざき さなえ)さんだっけ?」
「名前覚えてくれたんスか!?感激っス」
その小さな子は岡崎早苗。一見すると小学生だが、これでもれっきとした大学生である。女の子にしては短いショートヘアーと、男の子の様な喋り方が特徴的だった。
「にしてもヒドイ顔っスね。昨日飲み過ぎたりしたんですか?」
岡崎と鴨居は同じアパートにすんでいる。ちょうど隣の部屋で、岡崎の引っ越しの荷入れの手伝いをしてあげたのが、そもそもの出会いだった。不憫(ふびん)にも一人暮らしを強いられてしまった可哀相な小学生を見て(全て鴨居の勝手なイメージ)お人好しな鴨居は放ってなどおけなかったのだ。そして、その岡崎が同じ大学だったことを知ったのはつい最近のこと。
「いや……酒は飲んでないんだけどね。ちょっと午後から気乗りできない予定が入ってて」 げっそりとした顔をうつむかせながら、鴨居は呟くようにそう言った。
「ふーん。コレ(女)関係の悩みですな?」
岡崎は小指を立てながら、にやりと不敵な笑みを見せる。いくら男の子の様な外見だといっても、そこは女の勘とでも言うのだろうか、正確に言い当てられてしまう。とはいえ、健全な女の子が女を小指で表すというのは如何なものだろうか。
そして鴨居も素直な男である。そう言われた瞬間に身体をビクッと反応させ、大量の汗を吹き出させた。
「あ、当たりなんスね。だったら要先輩にでも相談すればいいのに」 そう何気なく言った岡崎の言葉に、鴨居は尚更に気落ちしてしまう。そんな鴨居の様子に気付いた岡崎が今度は真面目に尋ねるのだった。
「先輩?要先輩と何かあったんスか…?」
「・・・・・・別に」 そう素っ気ない返事をすると、鴨居はわずかに歩調を早めた。すると体格の差もあり、鴨居と岡崎の距離がどんどん離れていく。岡崎も始めは鴨居に追い付こうとしたのだが、鴨居のただならぬ様子を見て、一人にしてあげようと思い立ち止まる。
「カモ先輩は…笑顔が素敵なんだから、笑っていて欲しいのになぁ」
悲しげな背中を見送る少女の胸の内を、鴨居は薄々に感じながらもただ去っていくのだった。
鴨居はその日、二つの講義に出た後大川との約束のファミレスに向かった。約束の時間より早く着いてしまった鴨居は、ファミレスの手前にあった古本屋で時間を潰すことにした。
文庫本、単行本、雑誌、参考書など、手に取らずにタイトルだけを眺めているとメールが届く。
『カモ君、もう来てる?一番奥の窓側の席にいるからね』
そのメールの送り主はアドレスで表示されていた。つまり、鴨居の携帯に登録されていない人からということだ。しかし考えなくても、大川からであることは明白で鴨居はしぶしぶとファミレスへむかっていく。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
爽やかな笑顔で店員が迎えてくれたが、鴨居にはそれすらも自分を嘲笑っているように見えてしまっていた。
「いえ。先に友達が来ているんで…・・・」
「そうですか。お席は分かりますか?」 その問いに、鴨居は小さく「はい」 と答え店員はキッチンの奥へと消えていった。
鴨居は大川からのメール通りに、一番奥の観葉植物に隠れた角の席へと歩いていく。近づいていくと、長い黒髪が見えた。
「大川さん何の用なの……って、え?」
その席にいたのは鴨居の予想だにしていなかった人物だった。鴨居は大川が居るものだと思って強張っていた、体中の力が抜けていくのが分かった。
「ま…真希?」 そこに居たのは大川ではなかったのだ。そして、彼女のことを鴨居は知っていた。それもそのはずだった。
「久しぶりだね…トモ君」
大川の代わりに、呼び出されたファミレスの席に座って自分のことを待っていたのは鴨居の恋人、山下真希だったのだから。
「真希…何でここに?」
「……座って」
真希に促され、鴨居は久しぶりに会う恋人の前に座る。しばらく無言で向き合う二人。沈黙を破り先に話し始めたのは真希だった。
「美鈴にね。全部聞いたの……」 その言葉に鴨居は罪悪感で胃が引きちぎれそうになった。
「私がいけなかったんだよね。トモ君のこと何も知りもしないくせに付き合おう、なんて言ったから」
「いや真希・・・…違うよ。オレは……」 その時、二人の話を遮るかのように店員が現れたので、鴨居は適当にコーヒーを頼み、店員をがすぐに離れるようにした。
そして再び二人の間に沈黙が流れてしまう。しかし、つぎに沈黙を破ったのは鴨居だった。
「真希ゴメン。オレ告白された時、フルのが怖かったんだ」
真希は頷きも返事もしないで鴨居の話を受けとめようとしている。
「自分への好意を持ってくれる人って世界にどのくらいいるんだろう?もしかしたらほんの数人で、その人を逃してしまったらオレは独りになるんじゃないかって…そんなこと考えたら、とても告白を断ることなんて出来なかった」
真希の表情は依然として変わらない。が、小さく震えているのがわかった。きっと溢れ出そうになっている涙を一生懸命に堪えているのだろう。
「誰かに告白されたら、断らないのが自分の為、相手の為になるんだって思い込んでた」
鴨居はそんな真希の様子に気付きながらも続ける。
「付き合ってから相手を好きになれば良い。って簡単にそんな風に考えてたんだ……」
鴨居は目の前の女の子が瞳いっぱいに涙を溜めていることに、罪悪感を覚えずにいられなかった。それでも、話を途切れさしてはいけない。と、自分の気持ちを素直に伝えなければならない。と話を続けるのだった。
「でも、そんなのは自分の為にも相手の為にもなりはしないんだ。って今さらだけど痛感したよ」
ここで初めて真希の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。一度流れ出たらもう堪えることなどできず、真希はボロボロと涙を流す。閉じそうになる口を無理矢理にこじ開けるようにして、鴨居は言葉をどうにか紡いでいく。
「オレは真希を本当の意味で好きになることができなかった。一緒に居て、真希の好意が本物なんだな。って認識しなきゃいけないのがツラかった」
真希の小さな消えてしまいそうな泣き声が、鴨居の耳を心を驚く程強く引っ掻いていく。ズキズキと胸が痛んだ。
「オレは好意を持ってくれた人をも裏切ってしまうんだな。って自分がどんどん嫌になっていって……」
真希は今にも耳を塞いでしまいたい、そんな気持ちを自制しながら鴨居の言葉に耳を傾けている。
「だから……オレはどんどん真希を避けるようになった。真希を傷つけたくないから……って言い訳して本当は、ただ自分が傷つくのが嫌だったんだ。オレって・・・・・・本当に最低だよな」
ちょうど鴨居の話が終わる時に温かいコーヒーが運ばれてきた。泣いている真希を見て、店員さんは心配そうな顔をしていた。コーヒーの香り立つ湯気が目の前で泣く少女を霞ませていく。この湯気と共に真希までがすぅっと目の前から消えてしまうのではないかと、鴨居は不安になった。
「でも・・・…信じて欲しいのは、オレは真希のこと嫌いじゃないし、大川さんとのことも酔ってて記憶にないんだ。だから許して欲しいなんて都合の良いことは言わないけど、そこだけは信じて欲しいんだ」
それを最後に二人の会話が止まる。にぎやかな店内が余計に淋しさをあおるのだった。
すると、ふいに真希が席から立ちあがる。涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔を、ピンクの可愛いハンカチで隠そうとしていた。
「今までありがとう。私はトモ君のこと本当に好きだったよ。それに、トモ君の気持ちにも薄々気づいてたんだ」
小さな声。きっと最後の言葉を一生懸命に振り絞ったのだろう。そのか細いその声は、騒つく店内の音を押し退けて鴨居のもとへ、鴨居の心へ強く響いた。
「真希……」
山下は走って店から出ていった。鴨居はそれを茫然と見送ることしかできなかった。追い掛けることも、腕を取って止めることも、何も出来なかったのだ。
鴨居はマキの座っていた席の上に小さな手紙が置いてあるのを見つけた。何かユル目のキャラクターの描いてあるその封筒をゆっくりと開ける。
『トモ君。お久しぶりです。手紙なんて初めて書きます。
トモ君は優しくて、人付き合いがよくて、何より笑顔が凄く可愛いの。
そんなトモ君のことを私が好きになったのは偶然なんかじゃないって今でも思うんだ』
鴨居は一字一句を見逃さないように、ゆっくりと手紙に目を通す。そこにはぎっしりと鴨居への思いが書かれている。
『告白した時ね、トモ君が少し悲しそうな顔をしたの覚えてる。
今思うとあれは私のこと心配してくれたんだよね?
トモ君は優しいから断らなかったけど、私への気持ちは恋愛とは違うんだってどこかで分かってた。
それでも、付き合ってから私のことを好きにさせてやる!!って思ってたのにな……恋って上手くいかないね』
これを書いた時、真希はどんな気持ちで、どんな表情をしながら手紙を書いていたのだろうか。そんなことを想像したら、鴨居の胸がぐっと痛みを感じた。
『トモ君を好きになったこと……後悔していません。それはきっとこれからもずっと。
今までありがとう。次は本当の恋をして幸せになってください。
山下真希』
手紙の最後の方には、ところどころに斑点のシワが打っていた。それが山下の涙であることに気付き、鴨居は本当に後悔をした。真希をフッたことではない。考え無しに交際を始めて、真希を深く傷付けた事にだった。
「オレ本当にバカだな……」
その場に立ち塞ぐ鴨居に気付いた店員が、心配そうに話し掛ける。しかし鴨居の耳には真希の最後の「ありがとう」 だけが、延々とこだましているのだった。
それからしばらくの間、真希からの手紙を見つめながら、立ち尽くしていた鴨居の元に一人の女性が現れる。鴨居をここに呼び出した張本人、大川美鈴だった。
「カモ君、久しぶり。真紀との話は終わったみたいだね」 大川はいきなり現れると、そう言いながら当然のように鴨居の目の前に座った。そして、注文を聞きに来た店員にストロベリーパフェを頼む。鴨居は突然の登場にただ呆気に取られている。
「何でお前がここにいるんだよ…・・・」
鴨居の言葉には明らかに怒りが込められ、その眼光には憎しみすら感じられた。それに気付いていないのか、はたまた気に留めようとも思っていないのか、大川はいつもの口調で話始める。
「あはは、ひどいなぁ。とうとう"君"から"お前"になっちゃったね。何でここにいるの?って私がカモ君と真紀を呼んだんだから、居なかった方が不思議でしょ?」 そう笑顔で言う大川。
しかし鴨居は笑う気などさらさら起きる気分ではない。
「何が楽しいんだ…?他人を平気で弄ぶようなことして」
鴨居の言葉に大川が答えるが、鴨居にとってはもはや理由などどうでもよかった。ただ、山下を傷つけた自分への怒りと、それを平気で逆撫でする大川への憤りで頭がいっぱいになっていた。大川はにこっと笑うと、悪気なく言う。
「楽しいなんて思ってないよ。二人の為に話し合う機会を作ってあげようと思っただけ。今までみたいにズルズル付き合い続けてても、カモ君の為にも、真紀の為にもならないじゃない?」
確かに大川の意見は間違ってはいない。だが、大川のとった行動は明らかに正解ではなかった。
「私はね、カモ君も真希も大好きなの。二人には幸せになって欲しいな。って思ってるんだよ」
もはや、大川のどんな言葉も鴨居の怒りを助長させるだけだった。
「ねぇ・・・…カモ君。真希のことは忘れて、私と付き合おうよ」
鴨居は思わず握り締めていた拳を壁にぶつけた。『ゴツッ』 と鈍い音がして、それに気付いた店員が鴨居の元にやってくる。
「お、お客さま困ります。店の物を傷つけてもらっては……」
鴨居は「すみません」 と言うとテーブルの上の手紙を拾う。
「頼むから、もう二度とオレの前に現れないでくれ。でないと、オレはあんたを本気で殴ることになる」
鴨居はそう低く呟いて、大川の顔を一度も見ることなくファミレスから出ていった。
鴨居が店を後にしてから五分も経たないうちに注文していたストロベリーパフェが運ばれてきた。大川はようやく運ばれてきたそれを幸せそうに口に運ぶ。そして、一番下のフレークまで綺麗にたいらげると、携帯を取出し誰かに電話を掛ける。
「もしもし大悟(だいご)?あたしだけどさ。ちょっと遊んでやって欲しいヤツがいるんだよね。うん、そう康太(こうた)達も呼んで皆でやっちゃってくれる?」 そして最後に大川は不気味な笑みをした。
「うん、じゃあ。写メはメールに添付するね。うん、そうそう千歳大3回の…鴨居友徳。それじゃあ、なるべく早い内に宜しく」
電話を切ると、いつ撮ったのか分からない鴨居の写メを添付し、メールを一斉送信で複数のアドレスに送ったのだった。
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