放浪カモメ

小鉢 龍(こばち りゅう)

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第一章:それはいつもと違う春

杉宮 要

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 それから一週間が経ち。鴨居の頭の中からようやく大川美鈴の名前が薄れてきた頃。鴨居はいつも通りに佐野の研究室を訪れていた。

 そして、いつも通りに杉宮が元気いっぱいに入ってくる。

「おっス、カモ。やっぱりここか」

 杉宮は入ってくるなり鴨居の隣に座った。

「実はまた、合コンのメンバー足りなくてさぁ。明日なんだけどダメ?」

杉宮が鴨居に話し掛けてくる話題の七割は合コンのことだった。鴨居は少し呆れたように言う。

「先輩・・・…あんなことがあった後輩によく合コンの話が出来ますね」 ジッと不機嫌そうな目をした鴨居。

 杉宮はへらへらと笑い流す。

「あっはっは。そうだったなカモは彼女の友達をお持ち帰りしちゃったんだもんな。ははは」 腹を抱えて笑う杉宮。

「ほう…恋人の友達を騙くらかすとは、やるじゃないか鴨居」

 パソコンに向き合いながら二人の会話を聞いていた佐野も、からかうようにして笑った。

「もう、二人して!!笑い事じゃないんですから。…・・・もう」 

 そして鴨居はふと、ある疑問が浮かぶのだった。

「そういえば、杉宮先輩って暇さえあれば合コンしてますよね。あんなにモテるのに彼女とか居ないんですか?」

 杉宮が面食らった様な顔をするので、鴨居は聞いてはいけないことだったのだろうか?と不安になった。しかし、そんな不安はこの男が一瞬にして吹き飛ばす。

「へ?彼女いるよ」 あっけらかんと答える杉宮。きっと悪気も何もないのだろう。

「はぁ?じゃあ、何であんな合コンばっかしてんスか!?」

 この後、鴨居は杉宮の答えに卒倒することになる。

「えっ……だって、皆でワイワイ飲むと楽しいじゃん」
「…………」

 前々から軽い性格だとは思っていたが、ここまでだったとはと鴨居は頭を抱えた。鴨居がどうしても納得いかない。という表情をするので、杉宮が付け足す。

「あー、あれなんだよ遠距離でなかなか会えなくてさ。あ、でも俺は誰かさんみたいにお持ち帰りしたりはしないから、さ☆」

チャンスがあれば確実に、杉宮は鴨居のことをからかった。大川のことについて悩んでしまっていた鴨居にとって、こうして気楽にからかってくれるのは凄く助かっている。

「杉宮先輩の彼女って…・・・どういう人なんですか?」

 そう聞かれた杉宮は少しの間、窓から遠くの空を見つめていた。初めてみる杉宮の寂しげな顔だった。

「んー……そうだな。飲み行こうぜ。気恥ずかしくてそんな話酔ってでもないとできねぇよ。今日はカモのおごりな」 杉宮はニッと笑うと、鴨居の肩をポンと叩いた。

「はぁ・・・…給料前で厳しいってのに。分かりました、行きましょう」

 楽しげに研究室から出ていく2人を、佐野はどことなく嬉しそうに見送っていた。 

 鴨居と杉宮が二人で飲みに行く場合、そのほとんどが駅前の大手居酒屋チェーン店になる。「いらっしゃーい!」 と元気な掛け声が気持ちいい、何より安い。バイトなどで頑張っても、給料のあまりよくない大学生にとって安さとは何よりも大事なファクターだった。

 鴨居も杉宮も煙草は吸えないので、割合女性客の多い禁煙席に着いた。

「とりあえず生で乾杯といこうか」
「うぃっス」

 二人は枝豆と焼き鳥セット、生ビールを頼む。大学の講義が終わってすぐに来たからなのだろう、それほど客はいなく。注文した料理はすぐに二人のもとに届いた。

「そんじゃ、乾杯」
「乾杯」

 ジョッキをカンと合わせて、二人は飲み始めた。

「うん、美味い。やっぱりかったるい講義の後は冷えた生に限るな」

 杉宮は幸せそうな満面の笑みを浮かべ、ビールでゴクゴクと喉を潤していく。鴨居はそれほど酒が強くないので、チビチビと舐めるようにビールを飲んだ。

「で、先輩の彼女さんてどういう人なんですか?いつから付き合ってるんです?ってか、どういった出会いを?遠距離って?たまには会ったりしてるんですか?」 キラキラと目を輝かせ、あからさまに「興味津々っス」 という顔をする鴨居。そんな鴨居の怒濤の質問攻めにあい、杉宮は少しだけ今日ここに来たことを後悔していた。

「だぁー、もう。お前どれが聞きたいんだよ」
「全部っス!!」 即答。やんごとなき即答であった。

(あー…鴨居くん。目の色が変わっちゃってますよ…?)

 鴨居の熱意に負けた杉宮。枝豆とビールを口にすると恥ずかしさを紛らわすためだろう渋々と話し始めた。

「最初はそいつの弟とばっか遊んでたんだけどな。町内のサッカーチームで知り合って、仲良くなって、しょっちゅうそいつの家で遊んだ」 杉宮はそんな昔話をしながら、ビールを一杯おかわりした。

「オレが小学校卒業してからは全然会わなくなったんだけど、高校に入学した時に初めて姉ちゃんの方に会った」

 杉宮はあまり過去を話したがらなかったから、鴨居は今日ここに来れたことを素直に喜んでいた。

「少し仲良くなって、話とかしていくうちにそいつらが姉弟だったってことを知ったんだ」

 杉宮は適当なところで区切るたびに、つまみを口にしてビールを飲んだ。

「そんで、高二の春に告白された。『弟と家で遊んでるのを見てた時から好きでした。付き合ってください。』ってな。俺もさ、そいつのこと良いなって思ってたから付き合い始めた」

 鴨居は杉宮の話に夢中で聞き入っていた。杉宮が三杯目のビールに手を出したのとは対照的に、鴨居はまだ一杯目の半分ほどしか飲んでいなかった。

「で、付き合ってから半年くらいに父親の転勤か何かで大阪に行っちまったよ」

杉宮は話し終えると枝豆を手に取り、少し口から離したところで枝豆をつまむと豆を口に飛ばして食べた。ずいぶん器用なのは分かったが、マナーの面ではどうかと思う行為も彼なりの照れ隠しなのだろう。

「それから会ったりはしてるんですか?」

 辺りは段々と暗くなってきていた。薄暗くなる空に反発するように街頭やネオンが輝きだす。鴨居は、多分あまり会ってはいないのだろう。と分かっていたのだが敢えてその質問をした。

「んー、確か三回だったかな会ったのは。さすがに大学生同士に大阪、千葉間を行き来するのはスケジュール的にも経費の面でもキツイよ」

 予想の範疇はんちゅうにとどまっていた簡潔な答え。鴨居には、ほんのちょっと淋しそうな杉宮の瞳に、彼の恋人の顔が写っている様な気がしてならなかった。

「あー…でも、本当に意外だったなぁ。オレてっきり、先輩は佐野教授のことが好きなんだとばかり思ってました」
鴨居はようやく一杯目のビールを飲み干し、そう言った。

「…ふーん。カモって意外と感良いのな」
「えっ…?それってどういう」

 その時鴨居の正面の喫煙席に座っていた女性が、おもむろに胸ポケットから煙草を取出して吸い始める。そんな様子を見た杉宮は、意味深気な顔をしながら話を続けるのだった。

「俺と佐野先生が初めて会った時のこと知りたい?」 鴨居は無言で頷いた。

 佐野も同じ様なことを言い掛けたが、結局ジラされてしまっていたので、鴨居は興味津々だ。杉宮はビールをぐびっと一口飲むと話し始める。

「まだ、大学に入ったばっかで友達も居なかった頃、嫌いな講義の時によくあの場所に逃げてたんだ……」


 眼も眩むような日差しがガラス張りの廊下に差し込む、そんな晴れた日だった。

「次の講義は…っと。げ。『神学』じゃねーか」

 長々と神様やら宗教やらなんちゃらを(あまり覚えていないらしい)聞くだけの退屈この上ない授業。居眠りにこけるのすらも勿体無い気がして、俺は溜め息をもらす。そして講義に出席するか、しないか考えながらロビーをふらふらとしていた時、俺の目の前を神学の講師の先生が通り過ぎていった。どうやら、先生からは丸い石柱が死角になっていて俺の姿は見えていなかったらしい。いつもならサボり癖のある俺を見つける度に、ガミガミと突っかかってくるので、正直ほっとした。

「へへ。ラッキー。"あそこ"行くかな……」

 先生を見送った俺は別棟を駆け上がり、卒業生の先輩に聞いた"先生達の目が届かないことで有名な穴場スポット"へと向かっていく。階段は意外と多くて、何度登っても息切れがした。

 ようやく屋上へとたどり着き扉を開けると、爽やかな風が吹き込んできた。目を刺激する強い日差しも何故だか心地よい。

「はぁ……やっぱり、ここは落ち着くなぁ」 そんなことを呟きながら屋上の中央まで出ていって辺りを見回す。この辺りでは最も高い建造物の屋上に一人で居ると、世界の天辺にいるような気分がする。

「唯一の不満はベンチも何も無いことかなぁ……っと、ん?」

 すると、屋上の階段の屋根の上に登れるようになっていることに気付いた。

「へぇ・・・…あの上に行けるんだ。なかなか良さそうじゃんか……ん、なんだ?」 少しずつ近づいていくと、屋根から白い煙が上がっている様に見えた。

「白い煙……火事なわけは無いから、煙草か?」 俺はゆっくりと、壁に設置されている手すりの様な階段を登る。

「やっぱり煙草の匂いだ。先客がいたのか」 そして一番上の手すりを掴み、そぉっと様子を伺うと、そこには――

「……えっ!?」

 そこに居たのは、煙草を吸いながら涙を流している女性。その女性は俺の気配に気付くと、涙を素早く拭いてこちらに振り返った。

「だ…・・・誰かいるの!?」
「え、あ……ごめんない。って、うわぁあっ!!」 俺は驚いて、足を滑らせ下に落ちた。ドンという鈍い音と共に尻に痛みがはしった。

「つぁー…痛ぇ」 つか、俺まじでダセぇ。

「お前ここの生徒だな?今は講義じゃないのか?」 その女性は屋根から俺を見下ろして、そう言った。その白い頬にはもう涙はなかった。しかし、長い時間泣いていたのだろう、鼻の頭が赤くなっていることに気が付いた。

俺は気を取り直して屋根の上へと登っていく。

「あんたは…・・・?」

「あたしは今年から、ここの英語の講師になった佐野明美だ」 ぶっきらぼうな俺の質問に、その女性は淡々と答えてくれた。屋根の上は二人がやっと座れるほどのスペースしかない。俺は佐野という女性の隣に座った。

「俺は杉宮要、ここの一回生です」

 先生は吸い切った煙草を、持っていた携帯灰皿に入れる。俺の位置からは携帯灰皿の中が見えた。そこには灰皿いっぱいに煙草の吸い殻が詰め込まれていた。

 無言のまま先生は新たに煙草を取り出してマッチで火を点ける。彼女の赤い唇の間から白い煙が吐き出されていった。

「女の人が煙草を吸うのはあんまり良くないと思いますよ?」 俺がそう言うと、先生は静かに笑い、煙草を吸い続けた。

「元気な赤ちゃん産めなくなっちゃいますよ!!」 そう言って俺は、無意識のうちに先生から煙草を取り上げていたんだ。先生は少し呆然としたが、俺から目を逸らして悲しい表情で呟いた。

「いいんだ。私には……子供を作る資格はないから」
「えっ……!?」

 俺はそんな彼女の言葉に戸惑いながらも。「聞き返してくれるなよ」 そう言っている様な先生の、儚くて寂しげな表情に見惚れてしまっていた。

「………」

 その後は何を話せばよいのかも分からず、無意識のうちに俺は取り上げた煙草を口にしてみた――

「うっ…げぇ、ごほっごほっ。。。なん…だこりゃ、げほっ。ごほっ」
「ははは…かなり濃いやつだからな、吸ったことないとキツイだろ?」

 煙草を吸ってムセたオレを見て、初めて先生はオレの前で笑顔を見せてくれた。

「こ、こんなもん、女じゃなくたって、男にだって体悪いだろ。なんてもん吸ってんだよあんた」

「ははは」 と先生は豪快に笑ってみせた。俺もつられる様にして笑っていた。

 そのまま少しの間、俺たちは何も喋らずに静かな風に身を委ねた。

 そして俺は、頭では踏み入ってはいけないと理解しながらも、その質問をする。

「何で先生に子供を作る資格がないんですか…?」

 先生は驚いた表情で俺を見て、すぐに目を伏せ黙り込んでしまった。当たり前だ。誰にだって踏み入って欲しくないことぐらいある。彼女にとって、それは踏み入ってはいけないものだった。そんなこと初めから分かっていた。――だけど。

 だけど俺は踏み入らずにはいられなかったんだよ。だって……だってあの時、彼女のあの淋しそうな顔を見てしまった時から俺は――佐野明美という女に一目惚れしてしまっていたんだから。

「あ…いや。すみません。不謹慎でした」 そ俺が頭を下げると、先生は俺から煙草を取り戻し、ゆっくりと吸った。

「……あんたがこの煙草をムセないで吸えるようになったら、教えてやるよ」 そう言って先生は意地悪そうに笑った。そして立ち上がり、俺の横を通り過ぎると、屋根から降り、去っていった。

「佐野明美か……」

 その後俺は、わずかに残る彼女と煙草の匂いに包まれながら、しばしばボーッと空を見上げていた。


「・・・…て、感じだったよ」 杉宮は昔を懐かしみながら、チビッとビールを飲んだ。

「そうだったんですか。……って、あれ?」

 山積みになった枝豆の空を見ながら、鴨居は何か頭を抱えていた。

「何だよ……?」
「じゃあ杉宮先輩は彼女と先生とどっちが好きなんですか?」 そんな鴨居の真っすぐで純粋な質問に、杉宮は笑顔で答える。

「両方…・・・両方だよ」

 いつものようなあっけらかんとした答えだったのに、鴨居にはその答えが薄っぺらなものでないことは分かった。

 そこからは、いつも通りの他愛無い話で盛り上がった。酒も進み、二人が気分よく微酔いになってきた頃。鴨居に知らぬ携帯番号から電話がかかってきた。名前の表示されない番号に、多少の疑問を持ちながらも鴨居は電話に出る。

「はい、もしもし鴨居ですけど」

 そして電話越しに、どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。その声に鴨居は胸の中でモヤがかかるような感覚を味わっていた。

「えっ…君は、大川さん!?」
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