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六通目:いつまでも続く手紙
しおりを挟む真っ白な壁。
水色の花瓶に赤と黄色の花。
消毒の匂い。
葉の落ちた桜の木。
ママは、ここに来ると少し悲しそうな顔をするけど
僕はこの景色が好きだと思うんだ。
とある街の総合病院。
その小児病棟に原因不明の難病に苦しむ男の子がいた。
風邪の様な症状で訪れた病院。
その日のうちに緊急入院となってから、3年の月日が流れていた。
筋肉が次第に衰えていく病に犯され、いつからか寝たきりとなっていた。
「歩(あゆむ)、あなたの好きな猫の写真よ。遥おばさんから頂いたのよ」
ゆっくりと目を開けた歩に母は写真を見せる。
「かわ、いい……」
力なく微笑む歩。
一枚また一枚と写真をめくる度に一生懸命に目を動かす。
歩の身体からは沢山の半透明な管が伸びている。
腕や足の筋肉だけでなく、内臓を動かす筋肉までもが衰えてしまった為に、機械の力を借りなければ生命を維持することもできないのだ。
「あと少しで歩の好きな桜が咲くね。そしたら歩の病気もきっと良くなるからね」
母はむき出しになってしまった枝を見ながらそう言った。
歩は勿論気付いている。
自分の病気が回復するこがないと言うこと、母の言葉に多くの優しい嘘が混じることも、全て。
「仕事が終わったらお父さんも来てくれるって言ってたわ。少し休みましょう?」
そう言って白い指が歩のおでこを撫でた。
歩は思う「お母さんの手は魔法の手で、どんな痛みも苦しみも少しの間飛んでいく」と。
陽が傾きだし、蒼白な歩の寝顔をオレンジが染めていく。
あと何回笑ってくれるのだろうか?
あと何回話ができるだろうか?
いつまでその胸が動き続けるのだろうか?
沢山の疑問が涙になってこぼれ落ちていく。
真っ白なシーツにぽつぽつとシミが咲く。
啜り泣くこの声がどうか歩にだけは聞こえませんようにと、母は声をひそめるのだった。
父が病院に到着し、2人は主治医と話をしていた。
閉ざされた部屋で聞かされたのは、最愛の息子の残りの命。
自分達の未来さえ、まだ数えきれない程広がっているのに。
息子に突き付けられたのは薄っぺらな紙が三枚分の命。
泣き崩れた母。
支える父の手も震えていた。
ゆっくりと、その時が近づいてきているのだ。
止めることもできない時間なら、せめて一秒でも長くと。
手を合わせることだけが2人の心をなんとか支えていた。
面会の時間が終わり、2人が病院を後にした。
消灯時間になり暗くなる部屋。
珍しく歩は目が覚めてしまった。
月明かりにおぼろげに照らされた桜の木がわずかに揺れている。
カチャ。
病室の扉が開く音がした様な気がしたが、ライトの丸が壁を伝わない。
夜勤のナースの見回りではないようだ。
「どーもー。毎度お騒がせ、安心便利をモットーに過去も未来もヨヨイのヨイ『時空郵便』の者でーす」
突然にその男が現れたのだった。
歩はゆっくりと目を開け、そして口角を一生懸命に上げた。
「"過去のあなた"や"未来のあなた"に届けたいものはありませんかね?」
僅かに指が動いたが、また力なくシーツに埋もれる。
歩にはもう手紙を書く力などなかった。
「喋れますか?特例でアタシの代筆が認められることもあるんス。歩さん、あなたの場合なら問題はない」
震えながら開く口。
「ぼ、くは……まだ……ここ、に……いる、よ」
男は白い便箋に言葉を綴った。
「確かに代わりに書かせて頂きましたよ。これを何時のあなたに届けますか?」
白い便箋を丁寧に、肩からぶらさげている、深緑のバッグにしまう。
「……あ……した」
「宛先は"明日のあなた"で良いんスね?」
歩が首を少しだけ縦に振るのを見て男は深々とお辞儀をすると、闇の中へと消えていった。
次の日の夕方。
母は売店に飲み物を買いに病室を出ていった。
歩はまた微かに頬をゆるめる。
「"昨日のあなた"から手紙を預かっています、代読させてもらいますね」
カサッと白い便箋を広げる男。
『僕はここに居るよ』
ゆっくりと歩の鼓膜が震えた。
歩は満足そうに目を細める。
「では確かに手紙はお渡ししました。アタシはこれで」
帽子を取って深く頭を下げて男は、歩が瞬きをした間に消えていった。
その時に歩から小さな雫が零れた。
「歩?どうしたの?目が乾いちゃったのかしら」
病室に帰ってきた母が真っ白なハンカチで歩の目を拭った。
「おか、あ……さ」
「なあに歩?」
「あした……の、ぼ…く。てが、み……かい、て」
「明日の歩に手紙を?私が書けば良いのね……?」
母はバッグの中から青色の便箋とお気に入りのキャラクターのペンを取り出した。
「何て書いたら良いの?」
母はペンをかまえる。
歩は切れてしまった息を僅かばかり整えてから言う。
「ぼく……は、こ……こに、いる」
母は初めて歩の前で涙を流した。
抑えることなどできなかったのだ、せき止めていた涙は次々と青い紙を染めていく。
次の日も、その次の日も母は歩の手紙を書き続けた。
そして6日が経った頃から歩は声を失った。
起きていられる時間も極端に減り、歩はぼやける視界でそれを見るのだけが楽しみになっていた。
歩が話せなくなってからも母は同じ手紙を毎日書いた。
願いを込めて、便箋は鮮やかな桜色の物に変えた。
もう鼓膜が震えることも、瞳が光を受け入れなくなってからも手紙は歩の基へと届けられた。
歩が延命を始めてから、一枚の紙が壁から剥がされ、木の枝に蕾がついた頃。
「歩。今日もあなたに手紙が届いたわよ」
母はカバンから取り出した封筒を開き、ゆっくりと便箋を広げてみせる。
「『僕はここに居る』。あなたはここに居る。ここに居るのよ」
気のせいかもしれない。
しかし確かに歩の頬が動いた気がした。
ゆっくりと脈が止まる。
病室に高い機械音が響き渡り、数人のナースと主治医が病室に傾れ込んだ。
時計の針がそれを告げる。
91枚にものぼった歩の手紙は、歩の仏壇の下に大切に保管されている。
歩の生きた証。
確かに歩はここに居たのだった。
今日も時空郵便は誰かの元へ。
それはたった一枚の小さな偶然。
それを奇跡に変えるのは受け取ったあなたと
あなたを支えてくれる誰かなのかもしれない。
「どーもー。毎度お騒がせ、安心便利をモットーに過去も未来もヨヨイのヨイ『時空郵便』の者でーす」
【いつまでも続く手紙】....fine.
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