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四通目:カキナリじいさん
しおりを挟む「あぶ、あぶ」
まだまだ言葉も喋れない赤ん坊が、木枠の暖かなベビーベッドで天井を見つめている。そんな赤ん坊を優しげな瞳で見つめる女性。
「あらあら、何かしらこのシミ?インクみたいな・・・・・・どこで汚れたんだろうねぇ?」 女性は何も持っていない赤ん坊の腕についたシミを優しく拭き取った。不可思議なことに赤ん坊の周りにはペンなど勿論ない。それを確認すると女性は首をかしげて夕飯の支度へと向かっていった。
しかし、赤ん坊はペンを不器用に握りミミズの様な、字とは言えない字をどこからか見つけた真っ白な紙に書いていた。そんな赤ん坊の姿を側で見つめる、深緑色の郵便配達人の制服を着た男。
「あー、ばぶー」 赤ん坊は誰もいないはずの机の方を見て微笑む。男はにこりと笑いながら、赤ん坊から封筒とペンを受け取った。
「確かに手紙、承りましたよ」 そう言って男は、受け取った手紙と共に音もたてずに消えたのだった。
「こぉらぁぁあ。この悪ガキども!!いったい何べんウチの柿を盗み食いするなと言ったら分かるんだ!!」
柿の木に止まり落ち着いた夕食を堪能していたはずの小鳥が、柿の木の主の怒鳴り声でそそくさと巣に帰っていった。
「あははー。出たカミナリ親父ぃ」
「うわー、ヘソ取られるぞ、逃げろー」 そんなことを聞こえるように言いながら、近所の小学生が笑いながら走り去っていく。
その様子を眉間にシワを寄せながら、でも何処か愛しげに見つめる老人がいた。その老人は手に持っていた箒をゆっくりと玄関の横に立て掛けると、家の中へと入っていった。
ところどころで歩くとギシギシと音を立てる木張りの廊下。築55年ほどのその家の居間には家族が集う掘り炬燵がある。テレビ側で横になっていた女性が、老人に気付き顔も見ずにこう言うのだった。
「お義父さんもう良い歳なんだから、あんまり興奮しないでくださいよ」
あたかも面倒くさそうな物言いに、老人の機嫌はますます悪くなる一方だ。そんな時、ついつい思ってもいないことを言ってみたり、虚勢を張ってみたりしてしまうものらしい。
「ふん何を言うかと思えば……そんなタダキチの稼いだ金でゴロゴロとしてる人に言われたくないもんだ」
老人が手塩にかけ育てた自慢の息子タダキチ。生真面目な彼は恋愛などとは無縁。あまりにも心配した老人と、今はもう空へと旅立った老人の妻が用意建てたお見合いをして、今老人の目の前にいる女性と結ばれる。
バリバリのキャリアウーマンだった彼女だったが、結婚を機に専業主婦となり、昼に1人になってしまう老人の面倒を見ることになった。しかし、老人は人付き合いが苦手で、意地っ張りで頑固者。こうした風景は今や日常茶飯事となっている。
嫁は見ていたテレビを主電源から切り落とすと、ドラマを見おわってから済まそうとしていた洗濯物をしに不服そうに出ていく。
「ふん……まったく」 そう呟いて老人はさっきまで嫁が座っていた反対側に座る。そこが老人の最も好きな場所だった。窓越しに見える柿の木。亡くなってしまったお婆さんと結婚したその年に買った柿の苗木が、五十余年の月日を経て見事な実をつけるまでになった。秋になり柿が実ると老人は必ず、最初に取る一番実の熟れた柿をお婆さんの仏壇に供えている。
「さて、ちと小便でもしてこようかね……」
しばらくすると夕飯の匂いが居間にまで届く。外はもう真っ暗で薄手のカーテン越しに見える柿の木は、どこか寂しげである。
「……うん美味しい。良い感じに出来たし、今のうちにトイレに行っておこうかしらね」
オタマにすまし汁を一掬い、味見をした嫁は弱火にしていた火を止める。そしてエプロンを一番近くの椅子にかけるとトイレに向かっていった。
扉を開けて仰天。嫌な匂いがしたと思い便器を覗き込むと、用が足されていたのに流されていないままで放置されていたのだった。
「もう、お義父さんたら」
乱暴に水を流し、ぶつぶつと文句を言いながらトイレを済ます。そして居間へと向かい、開口一番に言い放つ。
「お義父さん!!用を足したなら、きちんと流してください」
急にそんなことを言われたものだから老人は、トイレに行った時のことなど微塵も思い出さないままに言い切る。
「わしはちゃんと流しとる!!失礼な!!」
「今日、私はさっきの一回しかトイレに入ってないんですよ。お義父さんの他に誰だって言うんですか!!」
その時、急に電話が鳴った。それはタダキチからの帰りが遅くなるという連絡だったのだが、2人が少しは頭を冷やすのに一枚噛んだのは間違いないだろう。嫁が受話器を置くのを見て老人がぶっきらぼうに言う。
「わしは腹が減った、飯!!」
感謝や労りの欠片もない言い方についつい嫁の語気も強くなる。
「はい、分かりました!!」
会話もなく食事を取る2人。8時を回った時計を見て老人から先に切り出した。
「タダキチは遅いのう」
嫁の料理の腕前は、お世辞でなく中々のモノだったし、老人は食事の時は静かになる。それが分かってるからかだろう、嫁のさっきまでの怒りも完全に消え去っていた。
「タダキチさん残業だそうですよ。ほら、さっき電話があったでしょう?」
「あー、そうかそうか。タダキチは働き者だ」
「そうですね」
いつの間にか2人に笑顔が見える様になっていた。こうやって些細なことでいがみ合って、些細なことで笑いあう。そんな日々も良いのかも知れない。そんな風に嫁が思い始めた頃には、老人をある病気が蝕み始めていたのだった。
「ふぁあ。ただいまー。」
九時半を回り、ようやくタダキチが帰宅をした。嫁が玄関まで出迎え、カバンと脱いだコートを寝室まで運ぶ。2人が寝室へと向かっていると、ちょうど老人が風呂を終え出てきた。
「なんじゃタダキチ。こんな時間にそんな格好で何処か行ってたんか?」
「出掛けてたわけじゃないよ父さん。残業だよ、残業」
「そうか、そうかタダキチは本当に働き者じゃな」
何気ない会話に嫁だけが違和感を感じていた。
寝室に行くとタダキチが言う。
「父さん僕が出掛けてたと思ってたね。残業のこと言ってなかったのかい?」
「ううん。ちゃんと言ったわ。でもご飯の時に言ったから忘れちゃったのかも」
「はは、そっか。父さんおっちょこちょいな所があるからな」
スーツから着替えたタダキチが遅めの夕飯を食べにキッチンへ向かうと、何故か老人が椅子に座っていた。
「あれ?もしかしてまだ食べてなかったの?」
「当たり前じゃ。わしはタダキチと食べようと待っていたんじゃから」
「おかしいな、アイツさっき夕飯の時に話したって言ってたんだけどな……まぁ良いか」
老人のこの行動を軽くとらえてしまったタダキチが老人の分と自分の二人分のご飯をよそった。他愛もない話をしながら2人が夕食を食べ始めた。
嫁はタダキチの脱いだ服を洗濯機に入れ、翌朝に回るようにタイマーをかけた嫁がキッチンに向かう。
「はははは」
「あはははは」
キッチンから2人の笑い声が聞こえる。いつもならもう眠っているはずの老人の声もしたので、嫁は嫌な予感を感じた。キッチンに入ると、ついさっき自分と一緒に夕飯をとっていた老人が、また夫と一緒にご飯を食べているではないか。
「……お義父さん、お腹すいちゃったんですか?」
「何を言う、そりゃ飯も食わずタダキチを待っていたんだ腹も空く」
老人は真剣な口調で、これが冗談で言っているわけではないと気付く。嫁は全身から血の気が引いていくのを感じ、わずかに震える手で口元を覆いながらタダキチを見る。
「……あなた」
「……?どうしたんだい?」 その嫁の様子に、ただ事ではないことをタダキチも悟る。
とりあえず手に付けた食事はそのまま続け、老人が床につくのを確認してから2人は話し合った。ここ最近、癇癪を頻繁に起こすこと。夕方のトイレのこと。そしてこの食事のこと。を。
そして2人は、明日、近くの病院に連れていくことに決めた。素人の考え過ぎ。それで済み、後に笑い話にできることを願いながら。
消毒液と独特な臭いのする白い診察室。
「アルツハイマー?何ですかなそれは?」
聞きたくなかった病名が、老人に付き添った2人の耳に突き刺さった。医者は老人にも分かりやすいように表現を変えて繰り返す。
「アルツハイマー、つまり昔で呼ぶところの痴呆症のような症状が見られますね」
「痴呆?わしが……?失敬な!!変えるぞタダキチ。こんなヤブ医者に診られたら、健康でも病気にされちまう!」 そう吐き捨てて、タダキチが止める間もなく診察室から出ていってしまった老人。
「お爺さんは病気もそれなりに進行してしまっています。アルツハイマーの患者さんや御家族は、初めは認めることが難しい場合がほとんどです……」
老人に付き添いに診察室を出ていったタダキチ。医者は残った嫁にゆっくりと落ち着いた声で説明を続けた。
「アルツハイマーは今迄の様に戻ることはできません。ですがその進行を少しでも小さくし、遅らせることは可能です」
「はい。ですが……具体的にはどうしてあげたら良いのでしょうか?」
「まずはしっかりとしたメリハリのある生活をさせ、薬を必ず服用させること。あとは何か簡単な仕事を任せてあげたり、趣味を作ってあげることも効果が期待できる術の1つですね」
「趣味……そうですか、わかりました。ありがとうございました」 そして深々とお辞儀をして診察室を後にする。先に出ていってしまっていた2人は待ち合い室に座っていた。
「わしが痴呆だと?ヤブ医者め」
ぶつぶつと文句を言う老人を、タダキチが優しく宥めている。その姿だけでもう嫁は涙を止めることができなかった。
家に帰り、静かに静かに時間だけが駆け足で流れた。処方された薬を拒んだ老人だったが、嫁の涙の頼みにしぶしぶ飲んだ。
「なにか簡単な仕事や趣味を与えてあげると良いんですって」 小さな声だったが確かな口調で、嫁はタダキチにそう言った。寝室に小さな明かりだけを灯しながら話している。
「そうだな……習字なんてどうだろう?父さん若い頃に一時だけ習字の先生をしていたし」
「良いわね。明日さっそく買ってみるわ。昔のやつは前に捨ててしまったし」
この部屋に灯る小さな明かりの様に、2人の気持ちも僅かに晴れる。
「こういうのは辛抱強くって聞くし、君には苦労させてしまうと思うけど、一緒に頑張ろう」
「ええ」
小さな灯りがふと消えて、宵闇にたたずむ柿木は優しく揺れていた。
「誰が習字なんかするか!!」 そう始めは怒鳴っていた老人だったが、奮発して買った新品の習字セットを見せると、お気に召した様だった。それから毎日、あの柿の木の見える部屋で何枚も何枚も書をしたためた。
月日が流れ、六年後の秋。今年は柿の実りがあまり良くない。
いつも通りに、あの好きな場所に座って老人が習字をしている。しかし絶えず震えてしまうようになった手では、もう老人の思うような字など書けず、白い和紙に黒いミミズが這っているようだった。
「はぁ、とうとう字も書けなくなってしまったか……そろそろワシもそっちへ行くよ婆さん」 柿の木を見ながらぼそりと、しかし確かに語り掛ける様に力なく呟いた。
ガサガサ。塀の裏から木の棒が見え隠れし、赤く成った柿が作為的に落ちていく。老人は痛む膝を抑えながら立ち上がると、窓を開けた。
「こらぁ、悪ガキども……」 思い切り叫んだつもりだったその言葉は、塀一枚隔てたそこにすら届かなかった。
「言えばくれてやるんだ。盗みなんてするな……」 そう小さく呟きながら、裸足のまま庭に出ていく。老人は優しく慈しむ様に柿の木に手をあてた。
――すると、カサカサ。と音がして、柿の木から何かが落ちてきて老人はその白い紙を取る。
「どーもー、毎度お騒がせ。安心便利をモットーに過去も未来もヨヨイのヨイ。『時空郵便』です!」
突然現れた男に老人は何故か見覚えがあった。
「あんた、まさか……わしが赤ん坊の時の」
男は少し驚いた顔をしていたが、何も答えずに小さく笑う。
「これは……」
開けた手紙に書いてあったのはミミズの様な鉛筆の跡。赤ん坊の時に書いたそれと、今こうして和紙に書いている字はまるで同じ様で。老人は目に涙を浮かべる。
「そうか、ありがとう。字も書けなくなってしまったと思っていたが。わしは今も昔も何一つ変わってなどいないんだなぁ……」 男は老人の言葉を聞き終えると、帽子を取り、深く一礼をして音もなく消えた。
「お義父さん、お体が冷えますよ。」 嫁は温かそうなどてらを老人にかけながら、そう促した。
「あぁ、今いく……」
それから三ヶ月して老人は静かに、眠る様に亡くなった。その日はちょうど、最後まで残っていた熟れた柿の実が、その重みに耐え兼ね庭に落ちた。そんな日だった。
近所でも有名だったカミナリ親父は、ある時から子ども達に優しい柿の木のおじいさんと親しまれる様になり。今でも柿成りじいさんの柿の木は、秋風に耐える子ども達へのご褒美に、あの庭で真っ赤な実をつけ続けているという。
時空郵便は今日も誰かの元へ。それは手紙だけとは限らない。受け取った後はあなた次第。
運命を変えるかどうか――それも"過去"や"未来"のあなた自身にかかっています。
「どーもー。毎度お騒がせ、安心便利をモットーに過去も未来もヨヨイのヨイ『時空郵便』の者でーす!」
...『カキナリじいさん』fine.
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