上 下
2 / 9

二通目:やさしいお姉ちゃん

しおりを挟む

流れゆく景色は儚くて人はそれを形に残したがる。
レンズ越しの虚像きょぞうはただ無機質に、その刹那せつなを流れるゆく時間から切り取ってしまう。だから私はカメラと言うものが好きじゃない。

だけど瞳に焼き付けただけでは景色は、思い出は、感情はすぐに劣化してしまうもの……
だから私はありのままをこの手で描こうと思う。

これから先だってずっと

ずっと――――




流れゆく景色は儚くて人はそれを形に残したがる。

レンズ越しの虚像はただ無機質に、その刹那を流れる時間から切り取ってしまう。


私はカメラと言うものが好きじゃない。

だけど瞳に焼き付けただけでは景色は、思い出は、感情はすぐに劣化してしまうもの……

だから私はありのままをこの手で描こうと思う。


これから先だってずっと


ずっと――






私はいつもの公園で、大型遊具のある向かい―いつものベンチに座り、そしていつも通りに絵筆をはしらせていた。時折だけど、公園で遊んでいる子ども達が私の方へやってきたりする。

「おねぇちゃん上手だねー」

「お絵描き屋さん?」

子供達の無垢な笑顔や飾らない言葉は、何度触れても真っすぐに私を元気づけてくれる。
私は少し困ってしまうのだけれど、優しく言う。

「違うよ。お姉ちゃんは写真屋さん」

私は笑って、ベンチに置いてあったカメラを子ども達に見せる。
一眼レフのカメラなんて、まず一般家庭ではなかなかお目にかかれないものだし、子ども達の興味は津々だ。

「おぉ、カメラだぁ。格好良いね!」

「おねえちゃん、私たちを撮ってみせてよ!」

そう思い思いに口にしながら、子ども達は私に向かってピースや変な顔をしている。
可愛い。
でも――――

「ダーメ。これはお仕事をする為の物なの」

私はカメラと言うものが好きじゃなかった。

「写真は撮ってあげられないけど、絵は書いてあげられるよ。どう?」

私は笑顔でそう言ったのだが子供達は純粋だ。
良くも、悪くも……純粋さは時に残酷に胸をすら貫くつらぬことがある。

「何だよケチィ」

「写真じゃないなら要らないやい。絵なんか飾ったってダセェもん」

そう言い残して子ども達は再び遊具へと戻り、さっきまでの時間など忘れてしまったかの様に遊び始めるのだった。

「絵なんかダサいかぁ……」

あのアスレチックは子供達の元気の赤。
雲に隠された空は私の悲しみの青。 
蹴り飛ばされたボールはあの子達と触れ合えた喜びの黄色。

私の中の感情が微量な色彩の配分を狂わせ、そこに個性という名の歪みを生み出していく。
だからこそ私はカメラよりも絵を描くことを好んで選ぶのだ。

流れる景色も、刹那に変わる光の濃さも、その時の思い出や感情も――
そっくりそのまま閉じ込めるように願いながら写生する。この単純な作業のなんと難しいことか。

「……よし、できた」

今日のスケッチが終わった。
また明日も私はこの景色を真っ白なキャンバスに描き続けるのだろう。

分からないけれど、たぶんきっと、ずっと――



「写真は撮ってあげられないけど、絵は書いてあげられる。ね?」

そう言うのだが子供達は純粋だ。

良くも、悪くも……

「何だよケチィ」

「写真じゃないなら要らないやい。絵なんか飾ったってダセェもん」

そう言い残して子供達は再び遊具を使って遊び始めるのだった。

「絵なんかダサいかぁ……」

あのアスレチックは子供達の元気の赤。

雲に隠された空は私の悲しみの青。 

蹴り飛ばされたボールはあの子達と触れ合えた喜びの黄色。

感情が微量な色彩の配分を狂わせ、そこに個性という名の歪みを写し出す。


だからこそ私はカメラよりも絵を描くことを選ぶのだ。

流れる景色も、刹那に変わる光の濃さも、その時の思い出や感情も――

そっくりそのまま写生する。この単純な作業のなんと難しいことか。

「……よし、できた」

今日のスケッチが終わった。

また明日も私はこの景色を真っ白なキャンバスに描き続けるのだろう。

きっと、ずっと――


そうして私がベンチから立ち上がった時だった。

「お姉ちゃん」

車椅子に乗った小さな女の子が恥ずかしそうに私を見ていた。
私はしゃがんで、女の子の目線に合わせて話し掛ける。

「なぁに、お嬢ちゃん?」

私の笑顔で安心したのだろうか、その子の顔がパッと明るくなるのが分かった。
それは真昼の満月の様にか弱くて儚い、白だった。

「あのね、ネネいつもお姉ちゃんを見てるの。毎日毎日お絵かきしてるお姉ちゃんを」

ネネ。と言う名前の女の子。
きっと病気か何かの影響なのだろう、手足は痩せ細ってしまっていた。

「ネネちゃんは絵が好き?」

「分からない。でも……お絵描きをしている時のお姉ちゃんがネネは大好きなの」

にこっと笑うネネ。
何だか恥ずかしくなって私は鼻をかいた。

「あれ?お姉ちゃんカメラもあるのに何で絵を描くの?」

画材を抱える腕とは反対側。左手にあったカメラを見て、不思議そうなでも少しだけワクワクしている様な顔でネネは私を見ている。
私は少しだけ、夕暮れに染まっていく空を眺めながら考えていた。

「そうだ、また明日もくる?明日はお姉ちゃんが特別にネネちゃんを撮ってあげる」

そう言って笑うと、ネネは今日一番の笑顔を見せてくれた。

「ほんとう?じゃあ明日もくるね。約束だよお姉ちゃん」

「うん。約束ね」

そう言って、私たちは手を振って別れた。

明くる日の再会を約束して……




次の日も私は同じ公園の同じベンチで、いつもと同じように絵筆をはしらせる。
そしてまた同じ場所から、永遠に変わり続ける景色を写生していく。

『ピーポーピーポー……』

しばらくするとサイレンを鳴らした救急車が公園の横の狭い通りを横切っていった。
私は気にすることもなくただ無心に絵筆を進めていく。
心なしか昨日よりも明るい配色になっていたのは、間違いなくネネと会えるのを楽しみにしていたからだろう。我ながらなんと単純な。

「おっとマゼンダの配分が……」

今日も私の感情によって色彩の配分は微妙に狂い、同じ画格の被写体でも機能とは異なる表情を映し出すことになっていた。そして夕刻を告げる鐘がなる。

「ネネ……今日は来ないのかな?せっかくカメラもあるのにな」

辺りは段々と暗くなってきていた。今まで遊んでいた子ども達もぽつぽつと帰っていく。
こんな時間にあんな小さな女の子が公園に来るはずもない。
私は帰ろうと画材を整理し始める。

すると――

「あなた、ちょっと待って」

見知らぬ女性が話し掛けてきた。その人は肩で息を切らし、汗だろうか頬が薄れる光を反射していた。

「どうしました?」

女性は凄く慌てていて、顔が蒼白になっている。
あれ?この人誰かに似ているような――そう思って近くで見てようやく光の正体が、その女性の拭いきれないほどの涙の跡だと分かった。

「あなたもしかしてカメラを持ったお絵かき屋さん?」

正確には絵筆を持ったカメラマンなのだが、どう考えてもそれは私のことだろう。

「はい、まぁそうですけど――?」 

「ネネが……」

「えっ?」

ネネ?ネネがどうしたの?
あっ、そうかこの人――――ネネにそっくりなんだ。

「ネネが昼過ぎに倒れて、今さっき息を引き取りました」

――――えっ?


私とネネの約束が果たされることは永久に無くなった。
昨日の約束がたったの一日でそう、永遠に叶わぬものとなってしまったのだ。

ネネはよくお家で私の話をしていたらしい。
いつも同じ公園で同じベンチに座り、同じ景色を描いているお姉ちゃん。
カメラを持っているのに絵を描いているお姉ちゃん。
今までどの子にも写真を撮ったことがなかったお姉ちゃん。
それなのに自分を撮ってくれると言った――――優しいお姉ちゃん。


その日以来、私はカメラを握ることはなくなった。違う、カメラを持つことができなくなってしまったんだ。

だけど、絵は描き続けていた。
自分の部屋の窓から寂しい住宅の絵を。

私の感情が消えた。
悲しみは黒。
虚しさは白。
口惜しさは白。
後悔は黒。

色彩も感情も持たないただただ無機質な絵が、私の机に積み重ねられていく。
そんな日々が半月ほど続いた、ある夕方だった。

カタンと音を立てて郵便受けから何かが落ちてきた。

郵便受けはチラシだったり何かしらの勧誘のビラで埋まっている。今の私には全てがどうでもよくなっていた。なのに、なのに何故だかどうしようもなくそれが気になって私はそれを拾い上げをた。
すると――――

「どーもー。毎度お騒がせ、安心便利をモットーに過去も未来もヨヨイのヨイ『時空郵便』の者でーす!」

深緑色の郵便局員のような制服に身を包んだ男がどこからともなく、私の目の前に現われたのだった。



「あなたはだぁれ?」



私はその時、きっとあの日のネネの様に無垢な目をしていたに違いない。
男は悲しそうに被っていた帽子を取る。

「"未来のあなた"から"過去のあなた"宛てにその絵手紙を預かってきました。お受け取り頂けて何よりです」

確かに受け取った。私はすぐにはその絵手紙を見ることができなかった。
だって、どうしようもなく恐かったのだ。

見知らぬ少女一人の死で私は感情を失い。
果たせなかった約束に縛られて、商売道具であるカメラを棄てた。
そんな私の未来を絵手紙なんて形でも、ほんの少しでも垣間見えてしまうのが怖くてたまらなかったのだ。

「『時空郵便』も普通の手紙と一緒っス。受け取った後は見ようと見るまいと受取人の自由っス。
そして、そのたった1枚に誰かの想いが刻まれている。それも一緒っス……」

空はちょうど真ん丸の真昼月が南の空に浮かんでいた。

「それでは失礼いたしますね」

深くお辞儀をして、帽子を丁寧にかぶり直して、そう言って男は音もなく消え去った。

私は勇気を振り絞りその絵手紙を見た。
そこに描かれていたのは儚げで何処か愛しい真ん丸の真昼月のようだった。
それはそう初めて会った日のネネの笑顔の様にか弱くて儚い、白だった――――

「そうだ……私は」

私はすぐに画材を持って部屋を飛び出した。





流れゆく景色は儚くて人はそれを形に残したがる。
レンズ越しの虚像はただ無機質に、その刹那を流れる時間から切り取ってしまう。

私はカメラと言うものが好きじゃない。
だけど瞳に焼き付けただけでは景色は、思い出は、感情はすぐに劣化してしまうもの……
だから私はありのままをこの手で描こうと思う。

「ネネ。待っていてね」

私はまたあの公園を訪れた。
あの日の様にベンチに座り、記憶という名の被写体を懸命に写生する。

カメラと絵画の違いはただ一つだと私は気付いた。
絵画だって感情が籠もらなければ無機質になってしまう。
どちらにも溢れる色彩があり、ほとばしる感情は必ず歪なズレとなって現れる。

違いはただ一つ。

あの時のネネの笑顔。約束のカメラでは撮ることはできないけれど――
こうしてネネを思って、ネネとの時間を思い出しながら描くことはできるよ。

だから――だからねネネ。

「遅くなっちゃってゴメンね。記憶なんて色褪せちゃったけど、写真だって色褪せていくもの……たからゴメンね。でも今はこれでお姉ちゃんネネとの約束破らなくて済んだよね?」

流れる記憶からネネの笑顔という刹那を切り取り私は絵を描いた。
儚くてどこか愛しくて、真ん丸で白いアナタの笑顔。

例えこの絵が色褪せても私は忘れない。
そしてまたアナタを描くから。
いつまででも、いつまででもずっと――

これから先だってずっと。

そしたら私――あなたの中の優しいお姉ちゃんで居られるよね? 



私はそれから病に倒れるまでの五十年の間、ずっとそれを描き続けた。
記憶は曖昧になり、前の絵は色褪せていく。

ネネという少女の笑顔を描いていたはずのそれは
いつの頃からだろうか真昼の満月の絵へと変わっていたのだった…………





時空郵便は今日も誰かの元へ。
それは手紙だけとは限らない。
受け取った後はあなた次第。

運命を変えるかどうか――
それも"過去"や"未来"のあなた自身にかかっています。



「どーもー。毎度お騒がせ、安心便利をモットーに過去も未来もヨヨイのヨイ『時空郵便』の者でーす!」



...『優しいお姉ちゃん』fine.

しおりを挟む

処理中です...