ありふれたメロディ

小鉢 龍(こばち りゅう)

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ありふれたメロディ

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  そして約束の土曜日がやってくる。優太はこの日のために何度も何度も天気予報を確認した。そこでは曇り予報がつい昨日まで出ていたのだけれど、彼の気持ちを表すかのような快晴に恵まれていた。


   待ち合わせは現地に集合にした優太。来るまでの道中に話が出来るか不安だったから現地集合としたことは菜月には伝えていない。動物園の入場ゲートが見える、1番目立つ看板の前で優太は菜月を待つことにした。動物園独特の獣の匂いが懐かしくて、時折聞こえる鳴き声に少しワクワクしていた。

   待ち合わせは10:30。優太が待ち合わせの時間を開場後30分にしたのは混雑を避ける為だったのだが、現在時刻は10:05開場後すぐでも特に並ぶ必要はなく入れる混み具合に優太は笑った。

「家族で来た時には随分待った思い出があったんだけど、小さかったから少しの待ち時間も長く感じたのかな?とはいえ、我ながら早すぎだろう、これ」  なんて自分で呆れていると、行き交う人の少ないその場所に近づいてくる足音がした。カツコツとヒールがアスファルトを叩く音が次第に大きくなっていく。

   まず目に入ったのは赤いハイヒールと、対比するかのような白い足。そして、ひらりと揺れた淡いピンクのスカートだった。心臓が勝手に早くなっていくのが少し心地よく感じたのは優太の気の所為ではなかった。

「おはよー優太くん」

「え、菜月さん何で?」

  待ち合わせよりも20分も早く現れた菜月に驚く優太。声はうわずり、緊張と喜びで無意識に作った笑顔が我ながら不格好だなと思った。

「何でって、優太くんが誘ってくれたんじゃん」

   涼し気な淡いピンクのスカートに白いシャツ、少し肌が透ける優しいグレーのカーディガン。初めて見る菜月の普段着に素直に「可愛い」 と思っていた。

「いや、だって、こんなに早くに来ると思わなくて」

「あー私、楽しみなことがある日って眠れなくて、早くに来ちゃうんだよね」

   何気なく言った菜月のその一言で、優太は身体がふわっと浮き上がるような幸せを感じた。菜月も自分と同じように、この日を楽しみにしていたことが分かって安心したのだ。

「楽しみにしてくれてたんだ、良かった」 菜月には聞こえていなかったが、小さくそう呟いていた。

  風がふわりと2人の間を通り過ぎて、動物園とは違う香りが混ざったのを優太は感じた。夢に見たことが今目の前に起ころうとしている。優太は意を決したかのように立ち上がり、精一杯の平常心を保とうとしながら菜月を見る。

「じゃ、入りましょうか?」

「ふふ……うん」

  2人で並んで入る動物園は、子どもの頃に家族で並んで入った時とは違って見えた。あの時に優太が感じたドキドキと、今の優太が感じるドキドキは確かに違う種類のものだった。

   サル山の親子を見て無意識に笑顔になっていた優太。その姿を見た菜月が「あのおサルさん、なんか優太くんに似ているね」 と言って、2人で声を出して笑った。

   ゴリラが自分の糞を投げるのは本当どうかが気になり、30分くらい観察したのだけれど投げてはくれずガッカリした優太を菜月が笑いながらたしなめた。

「……女の人って本当に歩くのゆっくりなんだな」 そう思った優太が意識して歩幅を合わせた。その目いっぱいの優しさに気づいた菜月が「ありがとう」 と言って笑った。

  トラの雄叫びに本気で驚いた優太を見て、菜月はまた笑っている。お腹を抱えて笑う菜月の瞳から涙が少し零れた。

「優太くん可愛い、笑いすぎて涙出ちゃったよ。ははは」

「ええっ、オレのせいですか?!」 そんなことを言い合っていると優太も同じように笑いで涙が出ていた。

  途中にあったクレープ屋にソフトクリームがあったので優太はミルク味、菜月はイチゴ味を買って食べる。優太は漫画でよくある「こっちは彼女さんにだね」  とか、そんな気の利いたセリフを期待していたが、関係性に関する言葉はなかった。

  ベンチでソフトクリームを食べて少し休憩をしたら、館内放送が流れてきてその内容に菜月が目をキラキラとさせる。ヤギのエサやり体験がもうすぐ始まるとの事だった。

「動物好きなんですね」  と優太が聞くと満面の笑顔で菜月が頷いた。その笑顔はさっきまでの笑顔よりも幼く、でもキラキラと輝いて見えた。

  触れ合い広場にはヤギの親子と、2組の家族がいて5歳くらいの男の子が手を繋いでいた母親に「お兄ちゃんとお姉ちゃん仲良しだね」  と言って、母親も「本当ね」  と言っている会話が聞こえてきた。優太と菜月は顔を見合わせて、少し頬を赤く染めた。

   菜月がかがみ込んでヤギに牧草をやる姿を、優太は横から見ている。途中に1度どけ菜月が優太に振り向いて牧草を渡そうとしたが、その姿を見ていることが幸せで優太は首を振った。

「わわわっ、舐めた!舐められた!」

「カズくんの手が美味しいのかしらね?」

「男のくせに騒々しいな」 

  さっきの男の子が牧草をあげる時にヤギに舐められて、驚いている姿を見て両親はそう言って微笑んでいた。

  触れ合い広場から出る時に「お兄ちゃーん」 と呼ばれて優太が振り返ると「頑張れ」  と耳元で言われた。

  母親はすぐに「すみません」  と謝っていたけれど、その応援は確かに優太は受け取ったようで「ありがとな」  と返した。

  ゲートは狭くて、並んで出ようとしたら思いがけず2人の手と手が触れる。触れた手はそれからしばらく温かいような気がして、優太はほんのちょっと切なくなった。


「はー、楽しかったぁ」

    時間はあっという間に経っていて、夕方になり閉園の音楽と共に2人は動物園を出た。優太は先ゆく菜月の二歩後を歩いていた。名残惜しさが優太の後ろ髪を引っ張っていたのだ。

    オレンジ色に染められた雲がゆっくりと深呼吸をするように流れていく。楽しかった時間が終わることを告げられているようで、優太の胸は締め付けられる。

「……い、おーい、優太くーん?」

「へっ?あ、わわっ」

    菜月の呼びかけに反応がなかった優太。気付くと目の前に菜月の顔があって、優太は無意識  に視線を下げた。そんな優太の姿を見て、ほんの少しだけ菜月が悲しそうな顔をした気がした。

「動物園楽しかったね。誘ってくれてありがとう」

「あ、いえ、こちらこそ!凄い楽しくて、本当に……本当に来てくれてありがとうございました」

    にこっと笑う菜月。さっき優太が感じた寂しそうな姿は、勘違いだったのだろうか。

「帰ろ」  そう言って歩きだそうとする菜月の姿を見て、この時間が確かに終わることを優太は知った。そう思ったら、優太の足は動かなくなっていた。

「優太くん?」  追いかけてこない足音に気づいた菜月が止まって振り返る。

    今日何度も何度も見た笑顔。その中でも1番悲しそうに菜月は微笑んだ。

「仕方ないなぁ、はい」  そう言われて、差し出された菜月の右手に優太は困惑した。菜月の顔を見て、ゆっくりとその右手を握るとやはりその手は温かかった。

「帰ろ」

「……はい」

    菜月の歩調に合わせて最寄り駅まで歩いていく。左手に感じる温かさが、くすぐったくて幸せで、「この時間が止まって欲しい」  と優太はそう思った。

    優太がふと振り返ると閑散とした動物園は、どこか物悲しく建っている。たくさん笑った時間を思い返しながら、優太はまた前を向いたのだった。

    駅まで来ると菜月がふと立ち止まって俯いた。優太は心がザワつくのが分かった。

「……菜月さん?」

  それは、今までにも今日の長い時間の中でも見たことのない表情だった。菜月はキュッと唇を閉じて、そしてゆっくりと顔を上げる。

「優太くん、あのね?」  そう言い出した菜月の顔は真正面から見ているのに、優太にはその心持ちが分からない表情をしている。そこから何も読み取ることができなくて、優太を余計に不安にさせた。

「……ごめん、やっぱり何でもないや」  そう言って笑って、菜月は反対ホームへと消えていく。最後の笑顔は、取り繕うことができてなくて優太は胸がズキズキと傷んだ。



    次の月曜日の朝。優太はいつものように自転車をこいで、その交差点に差し掛かる。しかし、そこに菜月の姿はなかった。

「おかしいな、バイト休みは土日って言ってたのにな……」

    いつもだったら玄関をホウキではいているはずの時間。玄関にも店内にも菜月らしき人の姿はなかった。優太はその違和感と、胸の内から湧き出る不安をかき消すようにペダルをこいでいくのだった。


    昼休みになると、優太は陵に動物園でのことを色々と報告していた。

「良かったじゃん、楽しめたみたいだな」   真っ直ぐな言葉でそう言って陵は笑った。こうした裏表のない性格が陵の魅力だと感じている。

「それで少しだけ気になったんだけどさ」

「なになに?」

「駅での分かれ際に菜月さんが……」

    すると急に優太の携帯が鳴り始めた。画面を確認するが、優太の電話帳には登録されていない番号だった。

「ごめん、ちょっと出るわ」    そう言って優太は席を立ち、廊下に出た。陵は頷いて優太を見送る。

    優太はその見知らぬ番号に出る為に通話ボタンを押す。

「あ、もしもし。宮代優太くんの携帯であってるかな?」

    それは何処かで確かに聞いたことのある男の人の声だった。しかし、思い出すまでには至らなかった。

「あ、はい。えっと……どちら様でしょうか?」

「スタジオMUSICの田中です」

    電話の主は優太がよく使うスタジオの店長であった。予約もまだ入れていないのに連絡がくる心当たりが優太にはあった。それを意識しだした途端に優太の表情が真剣になる。

「あ、はい。もしかして選考会の?」

    スタジオのオーナーは優太達のバンドが参加した選考会の主宰者だったのだから。

「君たちのバンドに是非決勝で演奏してもらいたいと思ったから推しといたよ。直に正式な発表があると思うから準備しといてね。それじゃ」

「あ、はい。ありがとうございます!」

    主催者からの激励の電話に胸が踊る。優太はしばらく切られた通話の機械音を聞いていた。

「やばい超うれしい!」 思わず顔はほころぶ。

   優太はそんなふわふわとした感覚のまま席に戻っていった。優太が帰ってきたのを見計らって陵が聞く。

「誰だったの?電話」

    お決まりの問いかけにも思わず顔がにやけてしまう優太。それを見た陵が裏表なく言う。

「うぉっ、なんだよ気持ち悪ぃな」

    そんなことを陵に言われても優太の表情は戻らない。伝えようとすると尚更に表情が崩れていく。

「決勝……決勝に勝ち残ったかも。オーナーがオレらのバンド推してくれるって!」

陵は一瞬不思議そうな顔をした。しかし事の重大さに気付いて目を見開いた。

「うそ!まじで決勝!?すっげぇよ優太」

「だろ?自分でもビックリなんだけどさ、まじやばい」

優太は陵と一緒にテンションが上がっていた。二人してバカみたいにピョンピョン飛び跳ねて喜んでいる。他のクラスメイトも2人の様子を見ている。

「マジかよ。優太いろいろと上手く行き過ぎだろ。……あ、その選考会ってさ客呼べないの?」

     少し落ち着きを取り戻した陵がそう聞くも、優太に真意は一言では伝わらなかったらしい。ポカンとしながら応えた。

「客?今回の選考会は数人なら呼べるっぽいけど何で?」

    陵からの提案は優太にとっては思いがけないものだった。

「そこにさ菜月さん呼ぼうよ」

「えっ……」

    菜月という単語が出てきただけで、優太の頭は一瞬にしてフリーズする。

「そっか」  そう呟いて、優太は何故自分が今までその考えに至らなかったのかを不思議に思った。良くも悪くも優太は真っ直ぐで、菜月のことは菜月のこと、ライブのこたはライブのことと並行しては考えられなかったのだろう。

「ライブに呼んで格好良い方の優太を見てもらおうぜ。菜月さん惚れるぜ?きっと」  そう言ってにかっと笑う陵。

「お、おぉ、おお!そうする、そうするよ」

    この一瞬の内に優太は菜月をライブに呼んで、演奏をきいてもらって、「優太くん格好良かったよ」   などと言われるまでを完璧に想像していた。

「よし、そうと決まったら今日の帰りが勝負だな」

「うん、頑張るよ…………ってかさっき格好良い方のオレ・・・・・・・・って言わなかった?それじゃあまるで菜月さんの前では格好悪い方のオレ・・・・・・・・しか見せてないみたいじゃないか!」

    頭に血が上った優太を見ながら陵が笑う。

「ははは。うん、そう言ったつもり」

    優太は陵に見透かされている気がして反抗できなかった。言い方は優しいとは言えなかったが、それが陵の激励だということも分かっていたからでもある。

    放課後になりパン屋を覗くと、朝は居なかった菜月の姿があった。

「いらっしゃいませー……優太くん」

   にこやかに出迎えて、優太の顔を見た瞬間に悲しげな表情を見せた菜月。優太にそのことを気づかれないように笑顔をすぐに取り繕った。

「あの、この前は本当に楽しかったです!それであの……実は今度、バンドのライブがありまして、良ければ応援しにきてもらえないかな、なんて」

    勇気を振り絞った優太。少しだけ沈黙が流れて、菜月はゆっくりと口を開いた。

「ごめん行けない……」

「あ、もしかしてバンドとか興味ないですか?でも、ほら知り合いがやってるのみたりすると」

「私、結婚するんだ」

    優太は人生で初めて、目の前が一瞬にして真っ白になる感覚を味わった。

「……え?どういうことですか?」  それでも、そうして口に出して確認しなければならないことだと、意識せずとも分かっていた。

    菜月は少し俯いたままで言う。

「神奈川の遠距離で付き合ってた彼氏に一月前にプロポーズされたの」  その声から感情を全くといっていいほど読み取ることができなかった。ただ呆然と聞く以外のことは優太にはできなかった。

「ここもね来週の水曜日に辞めちゃうの。日曜日には神奈川に引っ越すことになるから」

    優太の血の気が引いていく。体温がみるみる下がっていくのが自分で分かるようだった。

「……そ、そうだったんですか。いやぁ、おめでたいですね……本当」

    決まり文句すらもすらすらと喋ることができないほど、優太は動揺してしまっていた。そんな様子も、優太の心中も察しながら菜月は優しい口調で言う。

「今までありがとう優太くん。動物園誘ってくれたこと本当に嬉しかった」




    優太は家に帰るとベッドにそのまま倒れた。少しずつ身体に感覚が戻っていくと、違う感情があふれ出て来た。

    それは塞き止めることなどできないもので、優太は無意識のうちに陵の携帯を鳴らしていたのだった。

「もしもし?」

    陵の声。優太は自分からかけたのにただ携帯を耳に当てている。

「もしもし?優太?優太」

    陵は心配そうに優太の名前を読んでいる。だがどうしても優太は声に出せなかった。叫んでいた。ただどうしようもない感情に飲まれそうで、塞き止められない言葉が溢れそうで言葉にならない声で優太は叫んでいたのだ。

「……優太、泣いているの?」

    陵の優しい声で、なんとかせき止めていた雫が溢れだした。1度流れ出るともう自分では止めることなどできなくて、優太は涙をこぼし、鼻をすすりながら話し始めた。

「ふっ、うっ、おれ」

「うん、うん。……うん」

  すすり泣く優太を全部受け止めて、陵はただ「うん、うん」  と頷く。そして最後まで話を聞き終えた陵が改めるようにして、最後に言った。

「良いよ優太。泣いたって良いんだよ……」



    陵との電話を切ってから優太は泣いた。届かなかった想い、悲しげな彼女の顔を何度も繰り返し思い出しながら。

    翌朝は起きることすらも面倒で、優太は布団から出ずに学校を欠席した。

「優太大丈夫なの?ちょっとで良いからご飯食べにおいで」    母親の心配する声にも返事すらできない。ただ起き上がる力すら、今の気持ちのままでは湧いてこなかったのだ。

「たかが失恋くらいで。オレ……格好悪ぃ」

    昨夜の陵との電話のおかげで気持ちは落ち着いていたつもりだった。しかし、胸の内の動揺は隠しきれるはずもなく、ジンジンと胸が痛んでいた。

   しかし、そんな優太の状態など無関係にカウントダウンは始まっていく。部屋の壁に貼られた大好きなバンドのカレンダーを優太は見る。選考会決勝の日は待ってはくれない。

「菜月さんオレ……オレは」

    そして菜月がこの街から去っていく時間も、残酷なまでに待ってはくれないのだ。ただ顔を見れるだけで嬉しくて、手を振ってもらえると不器用に心臓がきしんだ。

    声を聞きたいからパンを買いに行き、ほんの数分でも一緒の空間にいれたらと願っていた。

「オレはさ、ただどうしようもなく好きだったんだ」  その日に文句を付けるかのように優太はそう呟いていた。

    何もしないままに時間は過ぎていき、いつの間にか昼になっていた。どれだけ落ち込んでいようとも腹は減るもんで、優太が昼飯を食べに下に降りようとした時だった。机の上で携帯が揺れた。

「……もしもし」

「もしもし宮代くんだね?選考会の決勝に君たちのバンドが残ったから、来週の日曜は宜しくお願いします」

「あ……はい、ありがとうございます」  優太は無意識に気のない返事をしてしまった。選考会の決勝進出が確定した、本来だったら飛び跳ねて喜ぶはずのことなのに、どうしてか優太の気は落ち込んだままだった。

「それじゃあ、来週楽しみにしています」

   電話が切れても、胸の内からそれが湧いてくることはなかった。重い身体を引きずって優太は下に降りていく。

    昼飯はビックリするくらいに味を感じることができなかった。腹もすぐに溜まって半分くらい残したから、母親が本気で心配をしていた。

   しかし「大丈夫だ!」  なんて言うのさえもおっくうで、優太はまた何をするでもなく部屋にこもってしまう。

「……やべ、超すさんでる」

    ベッドに俯けで寝転ぶと、調度視界の端にギターが見えた。優太は無性にギターが弾きたくなって、スタンドに立て掛けていたギターを手に取る。

    いつの間にか耳でチューニングが出来るようになっていた。優太はチューニングを終えると意味もなくEのコードを鳴らすのが好きだった。儚くて、でも何処か力強い音色のこのコードが好きだったのだ。

「……ふん、ふーん」

     適当にコードを回していくと、ギターに合わせて鼻歌が自然と零れてきた。それを自覚してようやく、優太は手足に温かさを感じることができたのだった。

「そうだ…歌を贈ろう。作ったことなんかないけど、時間はまだある」

    今までコピーバンドをしてきて、次のライブもコピーバンドとしての選考会だった。優太はそれでも全く作曲の知識も経験もないままギターを片手に曲を作り始めた。

    翌日も翌々日も学校に行かずに優太は必死に作曲を続けていた。メロディはすぐに出てきたし、コードも悪くない。そう感じながら肝心の歌詞は浮かんできていなかった。

   カレンダーに赤いバッテンが増えていき、その日はすぐにやってくるのだった。




「それでは次のバンドさんリハを始めてください」

「「「宜しくお願いしまーす」」」  メンバー全員で元気に挨拶をして、優太はギターのストラップを肩に掛けてアンプにシールドを繋ぐ。

  ライブ前でも変わらない、音を確かめる為のコードはEだった。

「1、2…1、2、3、4」

   エレキのひずんだサウンドとドラムの快音が響き渡る。最初の曲の一番を二回ほど合わせて優太達はリハーサルを終えた。

「優太。時間ないぞ早く!」  そう言ってドラムの貴士が優太のギターを担ぐ。優太は慌てて会場を出ようとしていた。

「ゴメンみんな、ダッシュで戻るから!」  そう言い残して優太はライブハウスを出ていった。ライブハウスの前に止めていた自転車にまたがり、思いっきりペダルを踏み込む。何となくあの和音が頭の中で響いた気がして、優太は無意識に笑っていた。

時刻は10:05。

「日曜の朝に引っ越すって言ってたよな……」

    いるのかなんてどうかなど分からない、恐らく居ないであろうことも薄々分かりながらも優太はそこに向かうしかなかった。

   足が取れるんじゃないかってくらいにペダルを踏み込む、息がすぐに切れるが休んでいる暇はなかった。

「菜月さんオレは----」

   登下校とも違う道からパン屋を見つけた。強く踏んだブレーキの音が辺りに響き渡る。

「菜月さん……菜月さん!」

    いつものパン屋。別に通いつめるほどに特別美味しいパンがあるわけではなかった。それでも、菜月に会いたいという想いで足繁く通ったパン屋。

   今日は日曜日、シャッターは確かに閉められていた。

「はは、定休日って……分かってたはずじゃんか。菜月さんが居るわけないってこともさ」

   分厚いシャッターが閉められ、真ん中に定休日と手書きの紙が貼ってあった。

「うっ……くそ、くそぉ」  やり場のない想いを、どうしようもない寂しさを、優太は地面に膝をついて、思い切りシャッターを叩くことで発散しようとした。八つ当たりなのは十分に理解していた。

    赤くなっていく拳を、深く握りこみもう一度シャッターに叩きつけようとした時だった。やわらかな手が、振り上げた拳を包み込んで優太を止めた。

   その手の温もりを優太は知っていた。ほのかに香る柔軟剤の香りも。優太はゆっくりと振り返る。

「……菜月さん?」

  優太の手を優しく包んでいたのは、まぎれもなく菜月であった。その瞳は潤んでいる。

「ここに来たら会える様な気がしたから……」

    菜月は優しく、赤くなっている優太の手をさすった。優太は震える声で言う。

「オレ、もう会えないと思ってた」

「私もだよ。水曜がバイト最後だよって言ったのに来てくれないんだもん」  そう言った菜月は眉をひそめながら笑っていた。

    優太は立ち上がって自転車のカゴからあるものを菜月に手渡した。

「菜月さん、これ」

    菜月はそれを確かに受け取った。

「カセットテープ?」

「オレ、菜月さんに言えてなかったことがあった。今日はそれを伝えたくて」

「うん、なあに?」


    優太は深く息を吐いて気持ちを落ち着ける。考えもなしに言葉を発してしまったら、言わなくて良いことまで言ってしまいそうだったからだ。

    その言葉は新しい門出には向かないから、優太は必死に飲み込んだ。そして、頭の中で何回も何回も練習していた、言葉を贈る。

「菜月さん結婚おめでとうございます。どうかお幸せに」

    優太は頑張って、精一杯の笑顔をつくった。優太の言葉に菜月は涙をこぼして泣いていた。そのくしゃくしゃの顔のままで、菜月もまた声を振り絞って言う。

「うん、うん。ありがとう優太くん」

    そして菜月は、未来の旦那となる男性の車に乗って神奈川へと旅立って行った。車が見えなくなるまで優太は手を振り続けた。菜月もまた後ろの窓越しに、ずっと手を振っていた。

「菜月さん好きでした。

どうしようもないほどに、あなたが好きでした」  でも、それを言ってしまったら菜月の足を引っ張ってしまうかもしれないから、優太はその言葉だけは伝えなかった。

    これから幸せになる菜月の邪魔をしてしまうかもしれない。そう考えて優太はその言葉を、想いを一生自分の中にしまっておくと決めたのだった。

    作曲なんてしたことはなかったから、良いメロディも良い歌詞も浮かばなかった。もっと天才だと過信してしまうようなメロディが溢れてくると思っていただけに、優太は完成したメロディに少し落胆した。

    これまでに聞いたことがありそうな、ありふれたメロディ・・・・・・・・・でしかないけれど、そんなありふれたメロディだからこそ、いつまでもいつまでも耳に残って繰り返せるように。いつまでもずっと菜月の背中を押してくれることを願いながら書いた歌詞。全てが菜月の為に、菜月を想って生まれたものだから優太はその曲を贈ることが、今の自分にできる1番の応援だと感じていた。

    時が経てば、いつの日か優太のことを忘れてしまう時が来るのだろう。その過ぎていく日常の中で、菜月を想って作った歌詞や曲が消えてしまったとしても、ふとした時にこのありふれたメロディを思い出して、口ずさんでくれたらと願うのだった。

「さようなら、オレの初恋の人……」


    ライブハウスへと戻った優は勝手に飛び出したことで、スタッフに呼び出されこっぴどく叱られた。オーナーも呆れ顔をしていて、万に一つも優勝の目はなくなったなと感じた。

    出番になり当初の予定とは違う曲を一つ入れてもらった。

「旅立つ大冊な人に贈る歌を作りました。その人は今、神奈川県に向かう車でこの曲を聞いてくれていると思います」

    お世辞にも良い曲ではないけれど、優太のこの3ヶ月の想いが詰まった曲だから。完全に優太のわがままでしかなかったが曲目を変更して直前に入れてもらった。

    それをすることがどういうことなのか、優太もメンバーも分かっていた。この大切なライブで、できたばかりで完成度の低い曲を入れることで審査にどんな影響が出るのか。

「それでは聞いてください『ありふれたメロディ』」



    選考会の結果は3組中の3位だった。当たり前の結果だったのだけれど、優太達に後悔はなかったようで、結果通知を見て爆笑した。

   優太は1週間も学校を休んでしまったことは、バンドのせいだと学校側に決めつけられてしまい、その後3ヶ月の間はバンド活動を禁止にされた。

    あれからまたパン屋には、菜月の代わりとなる新しいバイトの女の子が入った。片瀬亜由美、21歳。優太がそのことを聞き出すまでに1週間とかからなかったけど、あれだけ美味しかったパンが何故だか前ほどに美味しいと感じることはなくなっていた。




ありふれたメロディが

いつまでも

あなたの背中を押しますように







【ありふれたメロディ】fine.

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