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五時間目:6日間の監獄実験 【前編】
しおりを挟む『スタンフォードの監獄実験』
この実験はアメリカ、スタンフォード大学心理学部において実際に実施された心理実験の1つである。元となる実験では被験者として公募した男子大学生20名程が無作為に選出され『看守役』と『囚人役』という2つの郡に振り分けられた。
実験場は実際の監獄を模した環境を作り、その監獄という特殊な環境下において生活をする中で、人はその置かれた環境、与えられた役割に無意識の内に自分を近づけてしまうのではないのかを検証するものであった。
・囚人役10名、看守役10名にそれぞれ役割が振り分けられる。
・看守役は制服に着替え囚人役達の監視をする
・制服として警棒の携帯をするが、囚人役に対する暴力は禁止される
〇囚人役は目隠しと手枷をして移送され、監獄においては囚人服を着用し、名前を剥奪:識別ナンバーで呼ばれることになる
〇監獄内では決められた時間に労務に励み、それ以外の時間ではそれぞれの独房の中で寝食をすることになる
・こうした状況下でそれぞれの役割を全うするよう努める
尚、この実験はスタンフォード大学で行われた際、当初予定していた2週間が経つことなく、6日間をもって中止を余儀なくされている。その理由としては、看守役の暴力や差別の増加、囚人役のストレスによる脱退などが問題となり、弁護人が立ち上がりスタンフォード大学に中止を求めたことによる。
ただし当時の実験では看守役の看守長を演じていた教授から、暴力を助長するような内容がミーティングの際に提示されていた可能性などがあり、真偽の程は不確かなものであると論じられている。
なお、ケンショウ学級では例え何が起ころうとも、被験者たちにどんな変化が起きようとも2週間実験を実施し続けるものとする。
「--最後のケンショウ実験の始まりだ」
監獄に足を踏み入れた瞬間より囚人役は名前が剥奪され以下の識別ナンバーで呼称される。
<囚人役:識別ナンバー一覧>
A3206 上杉 藍斗
A3210 堀井 亮二
E3204 金子 哲太
H3205 櫻田 一徹
M3209 笹森 光一
O3201 滝沢 みずほ
O3202 土井垣 蓮
R3207 友沢 洋平
U3203 中澤 亜香里
U3208 原田 悠里
「さぁ、『囚人役』諸君。到着だよ……」
車のエンジン音が鳴り止み、視覚を閉ざされた僕達が肌に感じていた微弱な振動がおさまっていく。
「出ておいで」
そう言われて、1人ずつゆっくりとゆっくりと車内から出ていく。
どうやら外は砂利のようで誰かが降りる度に、砂利を踏んだ軽い音が奇妙に響いた。
「もうやだ……どこなのここ?」
「振動で酔った、気持ち悪い」
今のは亮二か、そう言えば乗り物酔いしやすかったな。
「さぁ」
変声機の声と共に腕を掴まれた感覚。どうやら後は僕と数人だけのようだ。
そういえば、ここにいる人物はアイツなのか白仮面なのか?どちらにせよ今ここで僕達10人を運搬しているのであれば『看守役』の誰かが予め僕達をここに誘導して何食わぬ顔で参加してくる可能性がある?
いや、そもそもここに10人いるという前提も、僕達が勝手に「ここにいる10人には」という変声機の声によって思わされているだけで実際には9人しか居なくて残る1人が運搬をしている可能性も……なんて、こんなこと考えても無駄か。
何にせよ今はまだ、情報が少なすぎる。
腕を引かれて身体を起こし、僕はゆっくりと地面に足をつけた。やはり砂利の軽い音が微かに響いていた。
「……妙だな」
これは委員長の声か。なにが妙なんだろう?
「委員長なにが--」
「私語はつつしみたまえ。君たちには今自由に会話をする権利はない」
僕の疑問は強制的に抑えつけられてしまった。
「では、収容所に入ります。皆さんの手枷は繋がっているのでゆっくりと前の人に続いてきてください」
目隠し、手枷はしたままか。。。確かにこれは自分が何かしてしまったのではないかと感じてしまうな。すでに実験は始まっているってことか……
視覚を閉ざされていても、意外と歩けてしまうもので繋げられた手枷が引かれる感覚、前の人のおぼろ気な気配と進んでいく足音などから、どんな歩調なのか分かるんだな。
少し進むと砂利の感覚から床のような感覚に変わった。そしてそれと共に古びたサビの様な臭いがした。
「では、ここで止まって。少しだけ待っていなさい」
静寂に身を包まれると急に背筋が凍るような感覚に僕は思わず震えていた。
すると手枷が外されていく。手枷を回収する音がわずかに聞こえて、腕が解放された。
「では目隠しが外れた順に中に入ってきなさい」
コツコツと音を鳴らしながら謎の人物は奥の空間へと入っていくのが分かった。
いよいよ、始まるんだ。監獄実験が。
耳元でカチャっと鍵が開くような音が聞こえて、僕の視覚を封じていた目隠しが勝手に地面に落ちた。
「遠隔操作で開錠できる目隠しとか、ここに来てハイテクなものを・・・」
僕の立っていた場所はどこかに似ていた。僕の他には誰もいない、それどころか歩いてきたはずの後ろには通路などなく壁になっている。横も手を広げれば届いてしまう壁があり、もう前に進むしかなかった。
「入りなさい」
その言葉に招かれて、僕は狭い通路を進んでいく。この先に待ち受けているものは・・・・・・不安と恐怖で心拍数がどんどん上がっていくのが分かった。
1分くらい歩いていくと場所が少し開けていて、鉄製の扉で仕切られた空間に出た。僕はその扉に手をかけてゆっくりと開いた。
「・・・・・・なっ」
そこは気味の悪い通路になっていた。低い天井にはスプリンクラーの様にも、プールのシャワーの様にも見える装置がずらっと並んでいて、そこを抜けた先には丸椅子がポツンと設置されている。
丸椅子には囚人服だろう白と黒のツートンカラーのボーダーの衣服が無造作に置かれていた。そして、今いる場所の右手には施錠できない簡易ロッカーがあり『衣服をすべて脱ぎ消毒をしてから衣装に着替えてください』と張り紙がしてあった。
「・・・・・・ここまでの移送といい、消毒に囚人服って。まさに囚人って感じだね」
僕は衣服を全て脱ぎ捨てて、ロッカーの空いている所にそれらを詰め込んだ。
「よし」
僕が歩き出すと、スプリンクラーからシャワーが放水された。プールの塩素の臭いがしている。全裸で歩かされた挙句にばい菌扱いですか。本当に良い趣味しているなアイツは。
「うわ、冷たっ」
消毒液は震えるほどに冷たく、今が夏だったことも忘れさせるものだった。全身がびしょ濡れになりながらシャワーの通路を抜けると、自然にシャワーが止まった。感知式なのか、誰かが操作しているのか分からないけど。
そこで僕はあることに気が付いた。タオルがない。
「はは、囚人には身体を拭く権利もありませんか、そうですか」
僕は乱暴に丸椅子に置かれた囚人服を手に取って、濡れた身体のままそれを着た。すると急にアナウンスが流れ始めた。
「椅子の下にあるプレートを手に取りなさい」
変声機。アイツかそれとも白仮面だろうか?僕は椅子の下を見た、そこには裏向けなのか白いプレートが確かに置いてあった。僕は慎重にそれを手に取り、裏返してプレートを見た。
「・・・・・・A3206?」
そのプレートには「A3206」と大きく書かれていた。何の番号だろうか?それとも暗号?不思議がる僕の求めている答えはすぐに明らかになった。
「そこに書かれている英数字がこれより君に与えられる名前:識別ナンバーになる。今、この瞬間より君は『上杉 藍斗』という名前は剥奪され『A3206』と呼ばれる。
では、椅子に座ってそのプレートを胸の前で持ち、右手にあるカメラを見つめなさい」
僕は言われるままに椅子に座って、これから僕の名前になるA3206と書かれたプレートを見せるようにして、設置されたカメラの方を向いた。
カメラは強いフラッシュを放ち、僕のことを撮影した。
「それではA3206、プレートはそのまま下に置いて前方の扉を開けて入所したまえ」
「・・・・・・はい」
ゆっくりとプレートを元の位置に戻して、僕は立ち上がる。手前の扉を開け、そして僕、上杉 藍斗はA3206としてその扉をくぐった。
僕は囚人役としてその部屋に入っていった。
そこには看守役の衣装を身にまとったクラスメイト達が待っていた。
僕の格好を見てか、佐野くんがにやっと笑っていた。
「さて根暗ぁ、じゃなかった06番、そこの白線に並べ」
「分かったよ」
その空間は広々としているのに、圧迫感のような居心地の悪さがあった。鉄製の金網の向こうに二段ベッドが1つと、鏡すら着いていない洗面台がついているだけ。
そんな部屋というか、鳥かごというか、とても気持ちのいいものではない檻が5つ並んでいた。その檻の入口には「06 10」、「04 09」、「01 02」、「05 87」そして「03 08」と書かれていた。
……まだ僕しか居ないけれど、あの数字が要は囚人達に割り振られた部屋、ということなのだろう。2人で1つの部屋か、もし女子も混ざってるなら女子の部屋もあるだろうけれど、これじゃあトイレとか見えてしまうのでは?
「キョロキョロすんな06番」
佐野くんがそう言うと、周りは笑っていた。もうすでに初めから看守役っぽい佐野くんの態度が、面白いのか他のみんなは笑っていた。
僕もいつもの事だと思って、特に文句を言うでもなく、態度に出すでもなく、この空間の詮索は止めて前を向いた。
そして、僕と同じように身ぐるみを剥がされ、消毒液を吹きかけられ、名前を奪われ識別ナンバーをもらった人達が入ってきたんだ。
最初に亮二が入ってきて、金子くん、笹森くん、アキラ、一徹くん、田口くん、委員長、中澤さんこれで九人か。
今いる看守と囚人メンバー、残るは原田さんか。
そして原田さんが囚人服に身を包み、監獄へと入ってきた。
「さて役者はそろいましたね」
アイツの声が監獄に共鳴しながら響く。心なしか楽しそうな声に聞こえてきた。これから始まるのが史上最悪の心理実験だとアイツは知っているはずなのにだ。
「君たちには今見てわかる通り『囚人役』とその囚人を監視、教育する『看守役』とに分かれてもらいました。
さて囚人役のメンバーを見て気づいた人もいるのかな?」
アイツにそう言われて初めて僕達が何故、囚人側にいるのかが分かった。
そう僕を含めて、ここにいる10人は"犯人探しの容疑者"だったんだ。
「今回は犯人探しの際に奇しくも指名をされてしまった人達に過酷な『囚人役』を引き受けてもらうことにしました。では、さっそくですが改めてこの囚人10名、看守10名による監獄生活のロールプレイをしてもらいます」
「ロールプレイ?RPGのことか?」
アイツの言葉に佐野君が尋ねる。
「質問の際には挙手をしてほしいのですが、良い質問だったので今回は目を瞑りましょう佐野君。
ロールプレイとは、”与えられた配役になりきって行動をする”という意味があります。なのでゲームのRPG(ロールプレイングゲーム)も”勇者”という”配役”になりきって操作をして進行していくゲームであると言えます。なので佐野君の質問は正しいと言えますね」
つまり僕たちに求められるのはより囚人らしく、佐野君たちに求められるのはより看守らしく振舞うということなのか。
「とはいえこれはあくまで実験ですし、囚人役の人達が罪を犯したわけではないので、実際の監獄の生活とは少し異なります。君たちの尊厳を保証する為に3つの約束をしてもらいます」
・・・・・・3つの約束ね。
与えられた配役になりきること、そして3つの約束か。僕はこれから起こる事態を察してか、ただ単にこの異質な空間への恐怖からなのか身震いをしていた。
「3つの約束とは『暴力を振るわないこと』、『三食をしっかり食べること』そして『囚人の行動は何事にも看守の許可を必要とする』という3つになります」
これは実際の監獄ではなく、あくまでロールプレイ・・・・・・『暴力を振るわないこと』は勿論だけれど、『三食を食べる』、『囚人の行動は看守に規制される』ということがルールか。
「そして、実験の中で途中辞退をしたい方は申し出てください」
は・・・・・・?
「途中辞退って、やめてもいいってこと?」
アイツは何を言い出したんだ、そんなこと言ったら囚人役はもちろん、看守役だってこんな実験辞退したいに決まっているじゃないか。
「だったらこんな実験やめ・・・・・・」
皆がそう思ったことだろう。そう、辞退が可能なら別に始まってからでなくとも今すぐ辞めたいに決まっている。
「ただし、途中辞退の方は勿論致死量の電気ショックを受けてもらいます。実験と共に人生というRPGからも辞退したい方はどうぞ名乗り出てください」
なんて悪質な、辛辣な、悪意に満ちた言葉だろう。
「なんだよそれ・・・・・・・」
ほんの一瞬、僕らに希望を見せつけて、そして絶望を叩きつけた。名乗り出ようとしていた人達ももちろん名乗り出ることはなかった。
「----この時点での辞退者はいませんね」
でも、僕らはこの実験が始まってからこの時のアイツの陰湿な提案が、実は人としての尊厳を守る為の最後の手段だったことを知るのだった。
囚人役も看守役もアイツの口車に動揺させられてしまい、俯いていた。
そして、残酷なアナウンスはまだまだ続くのだった。
「では、皆さん実施実験に参加して頂けるということで、最後の"おめかし"をしましょう」
おめかし?僕らは囚人服に身を包み、佐野くんや春馬達は看守の制服に身を包み警棒のようなものを携帯している。これ以上になにがあるというんだろうか?
「それでは看守役の人達は事務室の緑色のボックスからあるものを取ってきてください。囚人役の人達はそこから動かずに静かに待っていてくださいね」
「なんだ?」
「緑色のボックスって……」
まだ皆、与えられた配役になりきれていない。だから、看守役の人達も戸惑いながら大きなガラス張りの事務室へと入っていった。あれだけ大きなガラス張りだから、あの部屋からも僕ら囚人の独房はよく監視できるのだろう。
「……なによこれ!こんなのひどすぎる!!」
事務室に看守達が入っていった直後、見根津さんの悲痛な叫びがした。
いったい何がそこに入っていたと言うのだろう。
そして直後に、ジャラジャラっと鉄か何かが擦れ合う音が聞こえて、看守達が帰ってきた。
「うそでしょ」
「たかが実験の為にあんなの」
叫び声を上げた見根津さんはガタガタと震えながらそれを持っていた。
「静粛に。では看守は囚人にその『足枷』を付けてください」
看守達が取ってきたのは金属製の足枷だった。鎖を巻いて囚人の行動を制限する為の。
春馬は苦虫を潰したような顔をしながら僕の前に来た。そして、誰にも気づかれない小さな声で「本当にすまない」 と言って足枷をつけた。
右足に重たい金属が巻き付けられた。それも、よりによって親友の手で、いや親友だからこそ春馬は僕を選んだのだろうけれど、なんて酷なことだろうか。
みんなが恐怖をどうにか堪えながら足枷をつけ、つけられている中でただ1人明らかに違う感情をもって枷を付けようとしている人がいた。
「原田さ……いや08番。君には僕が付けてあげるね」
それはアキラだった、ちらっと見たアキラの表情は何かおぞましいモノに取り憑かれているかのようにも見えた。
女子の囚人服は丈の短いワンピースになっていた。アキラは顕になっている膝、ふくらはぎ、足元を舐め回す様に見つめていた。
そして足枷を付けるために屈み、わずかに視線を上げて不気味に笑ったのだ。
「……もしかして、下着も付けねぇのか?くくく」
アキラは舌なめずりをして、もう足枷を付け終えた看守が並ぶ位置にまで戻っていった。そんなアキラと目が合った原田さんは震えながら半歩後退りをしていた。
全員に足枷がつけられ、僕らはより一層に気持ちが沈んでいくのが分かった。まるで潜水をするかのように、暗い暗い水底に引きずり込まれるように恐怖にさいなまれていく。
「それでは、これより監獄実験を開始します」
監獄実験1日目
僕達は与えられた役割というものを朧気にしか分かっていなかったので、戸惑いながら過ごしていた。
「なぁ、勉強オタ。オレたちこれからどうなっていくんだろうな?」
僕と相部屋となったのは亮二だった。たまたまだったけど、お互いに気の置けない相手で少し安心できた。
「うん……どうなっていくんだろうね。とりあえず、少しだけの辛抱だよ。きっと、この実験で最後だから……」
その時、僕は敢えて実験のことに対して口をつぐむことを選んだ。『スタンフォードの監獄実験』その恐ろしさを、みんなよりほんのちょっと、でも確かに知っていたから。
特に亮二に本当のことを伝えてしまったら、耐えられないだろうから。
「おい、根暗06番、10番。お前達に名前やニックネームはねぇんだよ。きちんと識別ナンバーで呼び合えよ」
看守役は気楽なものだろう。嬉嬉としてロールプレイに興ずる人が出てきている。なぜ笑ってられるんだ?アキラ。
「囚人共、返事は?」
アキラの言葉に、看守役の何人かが笑っていた。
なんだろうこの気持ち悪さは?ただ平穏に2週間を過ごせば良い。それだけじゃないのか?
「はい……」
「はい、看守さん」
僕と亮二はなくなく返事をする他なかった。この時から囚人役には緊張がはしり始めていたのだ。
アキラはそんな僕達を見て、笑っていた。それはアイツとも同じような異質な、凶悪さをはらんだ笑顔だった。
囚人役には自由はない。みんな自分たちを識別ナンバーなんてもので呼び合う気にもならないし、どんな会話が看守役の"気に障るか"分からないのだから。
「……にしてもまるで動物園だな」
「ははは、それは言い過ぎだろ」
「ちょっと、そう言う言い方は止めなさいよ」
それに対して、看守役達は雑談などしながら過ごしている。この時点で、僕らには派閥とも言える、大きな、そう大きな溝が出来つつあったんだろう。
囚人役の役割(生活)は大まかに分けてこうだった。各自独房にて朝食、本来なら労働をするのだろうけど代わりに僕らは勉強を強いられた、昼食のみ食堂で皆で食べる、そしてまた勉強をして30分の自由時間が与えられた。その後、独房で夕食を食べ、就寝する。
看守役は主に囚人の監視と世話をすることが多いようだ。食事内容などは別室で食べているようで分からないが、食後の様子から囚人とは違うメニューが配られている感じは受け取れた。
要所要所で識別ナンバーによる点呼確認をされた。名前を剥奪されるなんて、普通ならないことだ、素直に嫌気がさしてしまう。
先に異変が起きたのは看守役だった。
「なぁ、暴力行為は禁止されてるけどさ。"罰を与えちゃいけない"とは言われてないんだよな」
その中心に居たのはアキラだった。それを囲うように佐野くん、仁科くん、櫻田くんがより集まっている。
それを監視するように春馬が立っているのが、僕の独房から微かに見えていた。
「暴力以外の罰って例えばなんだよ?」
櫻田くんの質問に、笑いながら佐野くんが応える。
「腕立て伏せ、スクワット、ただ立たせる、暴力じゃなくても嫌がらせなんてやりようは幾らでもあるだろ?」
笑ってる。何を話しているのかなんてこっちには聞こえてないけれど、あの面子に、春馬の表情からしても"真っ当な相談"ではないんだろう。
「いやさ。そう言うのも良いんだけどさ……」
アキラは皆に耳を近づけるように手招きをして、小声で伝える。それは、悪さをしようとしていたメンバーが、一瞬ためらう程の常軌を逸した発言だった。
アキラは1番端の独房、原田さんと中澤さんがいる場所を指さして言う。
「なんでもいいから難癖つけて、服剥ぎ取ったら良くねぇ?」
「は?」
「いやいやいや、それもはや犯罪だろ。笑えねぇよ」
アキラの目は本気だった。他のメンバーはまだそれを止める理性を残していたようだが、心のどこかでは暗い気持ちが過っていたのかもしれない。
「冗談だよ。冗談。見回り行ってきマース」
そう言ってアキラは事務室から出ていった。
「あいつ大丈夫か?あれ以来絶対におかしくなってるよな?」
「ああ、小池を殺してから言動が極端になっている気はするな」
僕達はもっと早くに気づくべきだった。あの実験が示していたことを。人の心がどんな環境に置いて突如として悪意に飲み込まれていくのかを。
そうーーーー閉鎖された空間において人間はどこまでも残酷になれる。
僕達は学んだはずだった、だから答えは導けるはずだった。これは『教師役』と『生徒役』に分かれたあの実験室と何ら変わらない、ただ『看守役』と『囚人役』という配役に分けられ監獄という閉鎖空間に詰め込まれただけなのだから。
この監獄という閉鎖空間において、看守という役割を与えられた人間が残酷になるのだ。という当たり前の回答に。
「さぁて、どんな理由をつけていたぶってやろうかなぁ」
1日目は本当に何もなく過ぎていった。アイツの指示が終わって、僕らは勤労という名の勉強をした。定期テストみたいに、問題を解く僕らの周りを看守達が見回っていた。
その後は食堂に集まってお昼ご飯を食べた。そして、みた勉強を強いられ、30分の休憩時間が与えられた。
初めに集まった空間は、点呼確認の時の部屋でもあり休憩の時に使えるフリースペースの様なものらしい。休憩ではソフトバレーボールが事務室にあったということで、身体を動かしたい人はドッジボールをして遊んだ。
監視という名の元に佐野くんと桜田くんもドッジボールに混ざっていた。
「そら!」
「痛っ!てか近ぇよ佐野くん」
「ははは。コートの線がないんだから近いも遠いもねぇだろ!」
僕らは囚人役、看守役なんてものは忘れれて楽しみ、30分は本当につかの間だった。
「……原田さん」
原田さんは自分の独房の前で座ってその様子を見ていた。時折、足枷が当たる部分をさすったりしている。
そんな様子に気づいた中澤さんが原田さんに寄り添って座った。
「絶対に生き延びようね……これまでに殺されちゃった友達の分まで」
「……うん」
思えば一番最初の被害者は原田さんだったのかもしれない。目の前で親友の死を見届けさせられて、一時ではあったけれど言葉を失い、生気が抜けてしまったようだった。
「真緒会いたいよ……ううっ」
小野さんを思って流れ出した涙、原田さんは身体を丸めて震えていた。中澤さんは優しくその肩を持ってあげていた。
そして30分が経つとブザーが鳴り響いた。
「さぁ、休憩は終わりだ。囚人共は独房に入れー」
用意された役割通りに櫻田くんがそういった。所々で笑顔が見られていて、少し安心した。
「よし、全員部屋に戻ったな。それじゃあ夕飯を配る」
夕飯は朝食と同じで看守が持ってきてくれて、各々の部屋で食べる。提供されるご飯は普通に美味しい、ただ教室で食べていたご飯からすると少し味気ない感じがした。
僕は薄味でも平気だけれど、濃い味付けが好きな亮二にはしんどそうだ。あまり箸が進んでいない。
「味付け濃いのが良いよー」
そう文句を言う亮二を見て、見回りをしていた春馬が独房の前に来て言う。
「前にテレビでやってたけど、監獄とか収容所では生活習慣を整えることで身体も心も健康にする役割があるらしい。だから、減塩で他品目の食事が提供されてるんだろうな」
「へー」
こんな風にいつもみたいに話したりもしている。けど、それは看守からの話しかけがあって初めてかなうものであった。
それに、やっぱり看守服を来て警防をもつ親友の姿に大きな違和感と、小さくても確かな恐怖があることは否定できるものではなかった。
「ご馳走様でした」
「ふう、食べ切った……」
僕達は春馬に食器を乗せたトレイを渡す。
「このまま平和に2週間過ごせればいいな」
春馬はトレイを受け取りながら笑顔でそう言った。そして、独房の施錠をする時にその手が止まる。
「……アキラ」
「え?」
春馬は他の看守が見ていないことを確認して、僕らに警告をした。
「アキラの様子が明らかにおかしい。気をつけろ、そして何かあったら藍斗も原田さんを守ってやってくれ」
「おーい、笹木ぃ。後はお前の担当だけなんだ早く回収してこいよ」
事務室の奥から佐野くんの声がした。そして、春馬は施錠をして事務室へと帰って行った。
「アキラ……小池っちだけでなく原田さんまで?」
僕は春馬の忠告を確かに受け取った。でも、どうやって守る?この閉鎖された空間で、自由のきかない立場に立たされて。
「消灯!!」
二段ベッドの上は亮二になった。僕は下のベッドで横になった。緊張が解けたのもあるだろう、その日僕はとてもすんなりと眠ることができたのだった。
皆、この特殊な状況の中でも役割はあるとしても平穏に過ごすことが出来ていた。
識別ナンバーでの点呼確認は不快だけど、もう何度も繰り返すうちに慣れてきていた。囚人役も足枷だったり、トイレを背後から監視されたり異質ではあるけれども、住めば都と言うのか2日目には早くも順応しつつあった。
囚人と看守、お互いがお互いの役割をある程度理解してきたことで、その行動にも変化は現れていた。与えられた役割ではあったけれども、それぞれが無意識の内に役になり切ろうとしていたのだろう。
……油断はできない。すでに何人かはコワレ始めている。
このまま何事もなく2週間が経ちますように、皆が揃ってこのケンショウ学級から離脱できますように。僕はそんなことを思いながら2日目の眠りについた。
--変化は突如として訪れる。
この実験が史上最悪の心理実験だったことを僕が本当の意味で思い出し、理解することになるのは3日目の朝のあの出来事からだったんだ。
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