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三時間目:ミルグラムの服従実験【試練の夕食編】
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『ミルグラムの服従実験』
これは権威者による圧力の効果を調べる為に用いられた実験であり、当時その結果は数多くの心理学者達の予想に反し人々を震撼させるものであった。
実験概要
・被験者達は二人一組となり生徒役と先生役に分かれる
・これから先生が連続して問題を呈示していくので、生徒役はその問題に答えていく
よう指示が出される
・一組に対して一つの部屋が与えられー生徒役は椅子に座り手足を拘束される。
○生徒役は不正解になると椅子に電気が流れる罰を受ける。この罰は不正解毎に15ボルトの電圧が加算されていく
○先生役は別室にて問題を出題し、生徒役が不正解の場合には罰である電気を流す装置を操作する
○先生役には生徒に与える最も低い電圧である45ボルトの電気ショックを体験してもらう
○電気ショックという罰を避けるために、問題の正当率が上がるのかどうかを検証するための実験であると両者に伝え実験を始める
・実際には○にあった概要は虚偽のものであり、生徒役は協力者。本当の被験者は電気ショックを操作する先生役であった
・不正解の時の罰である電気ショックは実際には流されておらず生徒役である協力者は電気を受けたようなリアクションを取る
・電気ショックの電圧計には「激しい痛みを感じる」、「意識を失う」、「命を失う可能性がある」と表記されており、どの程度の電圧によって生徒役の身体に害があるのかが分かる状態にある
・電圧が上昇するにつれ命乞いや、実験の中止を訴える生徒役に対して、先生役が実験の中止を受け入れようとすると「学者」という権威のある者が実験の継続を命じる
(ただし学者による継続命令を4回続けて先生役が断ると実験は中止される)
とうとう僕らのクラスメイトが三人殺されてしまった。野比先生と大上先生を含めたらもう学校関係者が五人もだ。それもたったの3日で…………
あれ?ちょっと待てよ・・・・・・なんで僕は3日だと思っているんだろう。この教室には時計もカレンダーもない。携帯もいつの間にか没収されているから、日付を確認することなどできないのに…………
「…………ん、うう」
目覚めると小池っちの寝顔が目の前にあった。息をしているかどうかを確認する癖がつき始めていることに、ふいに気がつく。小池っちの両目から涙が伝った後があることが見て分かった。
「そうだ、皆は…………」
起き上がり、教室を見回そうとした僕の視点はある場所ですぐに止まった。
「紗由理?うそだろ…………こんなことになるなら、そんな」
寺井くんも起きるのが早かったようで、本来だったなら第二実験を生き抜いた眞木さんに駆け寄って抱きしめたりしたかっただろう。それなのに寺井くんは目覚めてすぐに駆け寄ることはしなかった。いや、できなかったと言うのが本当のところだろう。眞木さんは椅子の背に身体を預けて力なくぶらりと、上半身を反らせていた。
「眞木…………まじかよ」
いや・・・・・・あれは違う。自分で上半身を反らせていたわけじゃないのはすぐに分かった。眞木さんは。眞木さんは壊されてしまったのだ。見開いた目は虚ろになり、焦点が定まらず半開きになった口からはヨダレが自然と垂れてしまっている。
数人が目を覚まし始めて寺井君は、使命感の様な気持ちで駆け寄ることができたように、僕には見えてしまった。
「なんでなんだよぉぉぉぉぉぉおっ!!」
眞木さんを抱きしめて寺井くんが叫んだ。それでも眞木さんに反応はない、おぼろげな瞳は寺井くんさえ見えていないように感じられる。そしてその耳に恋人の悲痛な叫びも、届いてはいないのだろう。
佐野くんは目をそらしてはいたけれど、寺井くんの肩をグッと、つかんでいた。僕は目を背けるように残りの席を見渡す。小野さんの机の上には白い菊の花が、似つかわしくないほどに瑞々しく咲いている。そして、昨日犠牲になった中村さんと堀田くんの机の上にも同じように白い菊の花が一輪。
「…………あ、藍斗」
「小池っち、目覚めた?」
「うん、でも、頭痛い」
頭痛・・・・・・?元々小池っちは、あまり体調を崩したりはしないのに、頭痛がするなんて珍しい。どうしたんだろう?けれど、小池っちの顔色は蒼白で嘘をついたり、仮病をしているような感じもしない。
「なんか胃が痛い…………」
「気持ち悪い」
「頭クラクラする」
すると、だいたいの人が起きてきて、皆が口々に体調不良を訴え始めていた。こんな急に、大勢が同時に体調不良になるなんていったい僕らのクラスで何が起こっているんだ?春馬をふと見ると、真っ直ぐ前を向いて何かを考えている様子だった。
「春馬…………?」
その時、教室の外で大きな物音がした。
「きゃっ」
「なんだよ!?」
その物音は教室の前の扉からで、昨日のことを思い出させる。お腹の空き具合などから言って、昨日と同じであるならご飯の時間だろうか?
「やぁ、おはよう生徒達」
その時、スキャナーが独りでに動いてモニターにアイツが写し出された。もやっとした感情が沸き上がるのを、まざまざと感じる。
「今日は皆が好きなカレーを頼んでみたよ。おかわりはないが大盛にしたからね。沢山食べておくれ。ああ、そうそう。勿論"食べ物を粗末にすることは許さない"けれどね」
その一フレーズで僕らは凍える様な背筋の寒気を感じた。
…………ったく、なんて趣味の悪い。
「じゃあ、雨宮さんと土井垣くん、山崎くん配膳を」
アイツに指命された三人がお互いに心配そうに目配せをして、ゆっくりと立ち上がった。
「では、他の人は席につくように」
体調不良を訴える友だちを励ましていた数人がゆっくりと席に戻っていく。佐野くんも嫌々戻ろうとしたが、寺井くんは眞木さんを抱きしめたまま動こうとしない。
「寺井。いくぞ」
寺井くんは力一杯に眞木さんを抱きしめて、涙を流している。佐野くんはもう一度だけ低い声で言うのだった。
「今は行くぞ」 そう言って席に戻る佐野くん。続くようにして田口くんも、寺井くんの背中をぽんと叩いて席に戻る。寺井くんは、ゆっくりと弱々しく眞木さんを抱き締めていた腕を離した。そして、力なく後ろに倒れようとする眞木さんの身体をゆっくりと優しく、机に身体を預けるようにしてあげていた。その小さな気遣いが彼がどれほど彼女のことを大切に思っているのかを物語っていた。
「紗由理、助けるから。絶対に助けるから」 誰にも聞こえない声でそう呟いて、ついに寺井くんも席につく。
そうして皆が席についたのを見て、アイツに指命された雨宮さん達が教室の前の扉からカートを入れた。ほのかにカレーのスパイシーな臭いが漂う。雨宮さんが食事を配ろうとカートを覗きこむと動きが固まった。
「雨宮さん?」
雨宮さんは何故か申し訳なさそうな表情をして、皆のことを見渡した。そして、震える手でカレーの乗ったトレーを持つ。その手にあったものを見た皆も思考が停止して言葉を発することさえできなかった。
「・・・・・・え?」
お皿は普通だ。というか、普段給食で使っているお皿と同じものだった。皆が目を疑ったのは使い慣れたその容器に盛られた容赦のない量だった。
「大盛とかのレベルじゃねぇだろーがそれ」
「ただの嫌がらせじゃん。残しちゃいけないのに、こんな…………」
山盛りにされたご飯に、これでもかとカレーのルーがかけられている。
「あのね…………これ」
どうして雨宮さんがあんな表情をしていたのかがこの後ようやく判明する。それは予想もしていないことで誰もが目を、耳を疑った。
「この大盛カレーね・・・・・・全部じゃなくて5つだけなの」
え・・・・・・?5つだけだって?誰が好き好んであんな量を食べるって言うんだ。
「それも、トレーに名前が書かれてる」
「な!?」
「ちょ、誰よ。ワタシあんなの食べきれない!」
31個の中のたった5つだけが特大の大盛カレー。僕は何故か無意識に寺井くんと眞木さんを見てしまっていた。雨宮さんはゴクリと音が聞こえるほどの固唾を飲み込んで、残酷な宣告を始めるのだった。
「名前が書かれてるのは…………小池くん」
「えっ?」
小池っちはもともとそこまで食が太くはない。食べられない量ではないだろうけれど、今日は頭痛を訴えていた。小池っちは無意識に残してしまったときのことを考えてしまうのだろう、頭を抱えている。
「それから、井上くん、上杉くん」
「僕も…………か」
大丈夫。確かにいつもより多いけど食べきれない量ではない。井上くんに関しては給食はいつもおかわりをしているくらいだし、むしろこのくらいの量の方が嬉しいくらいかもしれない。あと二人・・・・・・か。
「あと寺井くん…………」
「やっぱり」 何故だろう僕はまるで寺井くんが選ばれることが分かっていたかのように思う。だとしたら、まさか・・・・・・もう一人は。僕は自分の脳裏に浮かぶ名前が呼ばれないことを願うしかなかった。
「最後の一人が…………」
雨宮さんはビクビクと震えながら寺井くんを見た。そこでようやく寺井くんも、あと一人が誰であるかに気がついたのだろう。言葉は何も発せずに、机を思いきり拳で叩きつけた。
「最後は…………眞木さん」
それは、どう考えても嫌がらせだった。それ以外にどんな意図があれば、意識も混濁としている眞木さんを選ぶことができるっていうんだ。
「…………。ラッキーな大盛カレーの諸君は他の人にご飯を分け与えることはできません。ただし、同じ大盛カレーの人の中でなら許可します」
「雨宮てめぇ、何言ってんだ?」
「ひっ…………」
佐野くんの怒りの声に雨宮さんが後ずさりをした。雨宮さんは慌てて1枚の紙を見せた。
「これに書いてあったのよ。私は読んだだけ!私のせいじゃないから!!」
B5用紙くらいのメモが四つ折りにされたものが雨宮さんの手に握られていた。誰かの直筆だ。アイツが書いたものだろうか?どこかで見たことのある筆跡のような気もしなくは無いけれど、誰のものであったのかははっきりしそうにもなかった。それよりも、なんていい方は適切ではないのだろうけれど、僕は目の前のカレーを食べきることができるのかという目下の難題を抱えていた。たかがカレーライスでも、次の実験を見学できるか実施する側になるのかという重大な岐路であることは否定の仕様が無いのだから。
「もう、嫌。配るよ?配るからね!」
責任も一緒にくしゃくしゃに丸めたメモを投げ捨てて、雨宮さんはカレーの乗ったトレーを配り始めた。それを見た土井垣くんと山崎くんも続いて配膳を始めた。
僕の目の前には二人前以上はありそうな大盛カレーがどんと、その重量感を誇示するかのように目の前に置かれた。隣の小池っちの表情もひきつっている。
「じゃ、じゃあ…………いただきます」
「いただきます」
委員長は代表して号令をして、挨拶をしてからしばらく皆を見つめていた。特に大盛カレーを配られた僕たちの様子を気にしていたようだ。責任感が強くて優しい彼のことだから、もし自分が大盛カレーに当たっていたとしたら、他の大盛カレーの人を手伝おうとしただろう。それができない悔しさに、今は顔を歪めている。
「ふぅ。近くで見ると結構な量だね」
「うん…………」
僕は小池っちと目を合わせる。
「僕こんな食べきれる自信ないよ」
「うん…………とにかく食べれる内に掻き込もう。確か20分くらいすぎると満腹感が出てくるはずだ。
それまでにできるだけお腹に入れるんだよ」
自分に言い聞かせるようにして小池っちにそう伝えた。そして深く息を吐いて、僕は決意を固める。
「いただきます!!」
スプーンを持って、大口でガツガツと掻き込んでいく。もう、美味しいとか美味しくないとかそんなことは感じなかった。ご飯が残ると後々しんどそうな気がするから、ごはんの分量を多くして口に運んでいく。
「うぷっ、胃が受け付けない」
「わたしも・・・・・・」
「誰か少し取って」
所々から苦悶の声が漏れていた。これまでの精神的なストレスや身体的な疲労も重なり、スプーンの進まないクラスメイトが多かった。でも今、僕に周りを気にしている余裕はない。僕は意識的に周りを見ないようにして、どんどんカレーを飲み込むように口にかきこんで行く。
「うっぷ。。。」
ようやく半分ほどになった、その時だった。
「っしゃあ!食ったぞ!」 そう叫んで、乱暴にスプーンを置いたのは寺井くんだった。寺井くんは間髪入れずに立ち上がり、眞木さんの机に近づいていく。そして一口も口のつけられていない、今しがたようやく自分の分をたいらげた大盛りカレーのトレーを手にした。
「紗由理ゆっくり休んでな。これはオレがどうにかするよ」 そんな男気の溢れる寺井くんの声にも眞木さんに反応はなかった。それでも不安な表情一つ見せずに寺井くんは眞木さんのカレーを自分の席に運んでいった。
今回のカレーでは嫌がらせの特盛カレーを含めて誰も残すことはなかった。勿論みんながみんな食欲があったわけではない。食べれる人が食べられない人の分までお腹に納めたからだ。
個人的に驚いたのは佐野くんグループの活躍で、寺井くんは自分と眞木さんの特盛カレーを食べきり、おおよそ五人前くらいは食べていた。佐野くんと田口くんは何人かの女子の食べきれない分を食べて三人前くらいは食べていた様に思う。
「佐野くん達には負けてられないぞ」 そう言った委員長は、雨宮さんの分を半分くらい食べていたし。僕は僕で自分の分はなんとか食べきり、特盛カレーの半分を諦めた小池っちの分を僕と井上くんとでどうにか食べ終えることができた。
「うぷ。苦しい…………」 無意識に呟いて僕は机に顔を預けて、両手でお腹をさする。するとふと机の下の道具入れに手が当たった。僕は何故かいつもその存在を忘れてしまうそれを思い出した。道具入れに手を入れるとやはり、それが入ったままになっている。やはり意図的にこの本だけが回収されていないのだろうか?
「ちょっと、早くでてきてよ」
「なげーよ、早く!」
この緊張状態と密室にいることのストレスで皆の体調はガタガタだ。そこにカレーを無理矢理掻き込んだもんだからトイレは今、渋滞になっていた。
「ねぇ、藍斗…………」
「うん?」 小池っちの小さな声。僕はお腹を圧迫しないように顔を動かさないで聞いていた。
「原田さん、大丈夫かな?」
「…………うん、心配だね。みんな」
最初の犠牲になった小野さん。原田さんと小野さんはいつでも一緒にいた。それは一年生の頃からだったから、本人に確かめることなんてできないけれど野比先生とのことも少しは知っていたのかもしれない。だとしたら彼女は今、親友の命を救ってあげられなかったと悔やんでいるのだろうか。自分を責めるようなことだけはして欲しくないけれど。
「僕らどうなっちゃうんだろうね?」
「うん、怖いな…………」
それは決して小池っちの心境の代弁などではなく、自らの本心だった。お互いに言葉をなくすと、小池っちがすすり泣くのが背中で分かった。
泣きたい。怯えたいよ。怒りたいよ。叫びたいよ。もういっそ…………なんて、そんなことだって考えてしまわないわけではない。自分の感情に折り合いをつけようとしていると、列がなくなっていた。
「あ、トイレ空いた」
僕はトイレの周りに人がいないことを再三確めて、道具入れの中のそれを、ワイシャツの中に隠した。そして、何食わぬ顔を装いながらトイレへと向かう。
「藍斗」
しかし、トイレの手前で止められる。
「は、春馬。なに?」
春馬はなんだか厳しい目線でこちらを見ているような気がした。
「トイレか?見張っとくよ」 そう言って春馬はいつも通り笑った。なんだか少し驚いてしまったけれど、その笑顔を見て僕は安心して少し笑った。
「うん、誰か入りたそうになってたら教えて。なるべく早くする」
「おう」
僕はトイレの中へと入ったいった。この春馬とのやり取りを数人の生徒が、監視をする目的で見ていたことにも気づかないで。
トイレの中は男女が兼用できるように洋式の便器になっていた。教室の後ろの扉に備え付けられていること以外は特に変な部分は見られない。普通のトイレの個室くらいの空間はあるし、あれだけの生徒が入ったのに特に不快な臭いなども残っていなかった。
「ん?誰かがわざわざ入れ換えてる?」
逆に不自然だったのはトイレットペーパーで、あれだけ皆が連続して使っていたのに新品に近い状態で、端が三角にきれいに折ってあった。
「委員長とかかな?こんな細かいことするの」
一応紙がなくなった時用に便器の奥には二個トイレットペーパーのロールが置いてあった。その反対にはトイレ用のブラシと女の子用であろう小さなフタ付きのゴミ箱。
「いいや、今はとにかくこれだ」
僕は机に出すときから慎重に誰にも見られないように持ち出したそれを取り出す。『心理実験の概要と効果』 僕はズボンは下ろさずにそのまま便器に座った。そして、大上先生から渡されたその本をめくっていく。
「…………やっぱり」
目次の時点で僕は重要なことに気付いた。目次には大まかな項目として心理実験の名称が並んでいる。「まえがき・心理実験の意義と真偽」、「第一章・パブロフの犬」、「第二章・ブアメードの血」と順番に書かれていた。ここまでの実験はこの本の通りに進んでいる?
じゃあ・・・・・・次の実験になるのは。「第三章・ミルグラムの実験」と書かれていた。ミルグラムの実験だって!?僕は興味本意でしか調べていないから、概要しか知らないけれど凶悪な実験の内の1つだ。
「この実験。もし本来の通りに検証すればそれほど問題はない。でも…………」
僕はここまでの実験を振り返る。パブロフの犬ではわざわざ彼検体を犬から人間にすり替え。ブアメードの血は元から命を奪うためのものであった。まだこれは僕の想像でしかないんだけど、アイツの狙いは心理実験の検証などではない。そう見せかけた殺戮ゲームだ。
「けど…………本当にまずいのは次回じゃない。その次…………この実験は最悪の場合クラスの半分以上が死ぬかもしれない」
僕はパラパラとページをめくっていき、あとがきに目を落とした。その時、本の背表紙になんとなく違和感を感じ改めてよく見てみる。
「あれ?ページが二枚くっついている?」
よくよく見ると最後のページが二枚くっついている。それは、まるでここを剥がしてくださいとでも言わんばかりに、左下の端っこだけがめくれていた。
「これ、ページの周囲だけに薄くのりが貼ってある」
剥がし始めると簡単に二枚重なったページが開いていく。数十秒とかからずにページは離れた。
「…………これは!?」
そこには赤い字でメッセージが書かれていた。僕はその赤い10文字に驚きを隠せなかった。
「ちょっと待って、入ってるから」
ん?春馬の声。
「あ?どんだけ経ってんだよ」
すると外からの声が中にまで聞こえてきた。この春馬と話している声は佐野くん?恐らく佐野くんがトイレに入ろうとして春馬が止めてくれたんだろう。僕は本に書かれたメッセージに驚きを隠せないでいたが、またワイシャツの中にその本を隠した。そして、トイレの水だけは流してトイレを出た。
「クソまでのろいってなんだよ根暗」
トイレから出てきたばかりの人にそこまで言う必要があるかな。争うつもりはないから「ごめん」 と僕は形だけの謝罪をする。佐野くんはちっと舌打ちをしてトイレに入っていった。
「ごめん藍斗。佐野のやつ全然話聞いてくれなくてさ」 春馬はそう言って謝ってくれた。
「うん、それは大丈夫だよ。ねぇ、春馬?」
「ん?」
僕は今見たことをすぐにでも伝えたかった。でも、何故か今はまだ話してはいけないと感じて、自分でも不自然だったと感じるような切り返しをしていた。
「…………早くここから抜け出したいね」
「ああ、身体なまっちまうから部活出たいよ」
「こんな状況でもテニス?家に帰りたいとかじゃないのかよ」 そう言って僕らはだいぶ久しぶりに笑ったような気がしたんだ。
その後は例の通りだった。消灯の時間になると教室の灯りはトイレのある教室後ろの1つを除いて消される。催眠ガスなのか睡眠薬なのかは分からないけれど、急激な眠気に襲われて、抗うこともできず眠りにつく。
そして、微睡みの中に数人を残した時間に誰かの気配がした。
ーーーーない。ない!どこに隠したんだ。
僕は何故だかまだ眠りについていなかった。けれど、どこか意識は朦朧としていて何かをする気にもならない。もし、この殺戮ゲームがあの本にリンクしているのだと分かったら、もっと詳しく読む必要があるのだろう。
…………本当に意地汚くて、趣味の悪いゲームだ。
これは権威者による圧力の効果を調べる為に用いられた実験であり、当時その結果は数多くの心理学者達の予想に反し人々を震撼させるものであった。
実験概要
・被験者達は二人一組となり生徒役と先生役に分かれる
・これから先生が連続して問題を呈示していくので、生徒役はその問題に答えていく
よう指示が出される
・一組に対して一つの部屋が与えられー生徒役は椅子に座り手足を拘束される。
○生徒役は不正解になると椅子に電気が流れる罰を受ける。この罰は不正解毎に15ボルトの電圧が加算されていく
○先生役は別室にて問題を出題し、生徒役が不正解の場合には罰である電気を流す装置を操作する
○先生役には生徒に与える最も低い電圧である45ボルトの電気ショックを体験してもらう
○電気ショックという罰を避けるために、問題の正当率が上がるのかどうかを検証するための実験であると両者に伝え実験を始める
・実際には○にあった概要は虚偽のものであり、生徒役は協力者。本当の被験者は電気ショックを操作する先生役であった
・不正解の時の罰である電気ショックは実際には流されておらず生徒役である協力者は電気を受けたようなリアクションを取る
・電気ショックの電圧計には「激しい痛みを感じる」、「意識を失う」、「命を失う可能性がある」と表記されており、どの程度の電圧によって生徒役の身体に害があるのかが分かる状態にある
・電圧が上昇するにつれ命乞いや、実験の中止を訴える生徒役に対して、先生役が実験の中止を受け入れようとすると「学者」という権威のある者が実験の継続を命じる
(ただし学者による継続命令を4回続けて先生役が断ると実験は中止される)
とうとう僕らのクラスメイトが三人殺されてしまった。野比先生と大上先生を含めたらもう学校関係者が五人もだ。それもたったの3日で…………
あれ?ちょっと待てよ・・・・・・なんで僕は3日だと思っているんだろう。この教室には時計もカレンダーもない。携帯もいつの間にか没収されているから、日付を確認することなどできないのに…………
「…………ん、うう」
目覚めると小池っちの寝顔が目の前にあった。息をしているかどうかを確認する癖がつき始めていることに、ふいに気がつく。小池っちの両目から涙が伝った後があることが見て分かった。
「そうだ、皆は…………」
起き上がり、教室を見回そうとした僕の視点はある場所ですぐに止まった。
「紗由理?うそだろ…………こんなことになるなら、そんな」
寺井くんも起きるのが早かったようで、本来だったなら第二実験を生き抜いた眞木さんに駆け寄って抱きしめたりしたかっただろう。それなのに寺井くんは目覚めてすぐに駆け寄ることはしなかった。いや、できなかったと言うのが本当のところだろう。眞木さんは椅子の背に身体を預けて力なくぶらりと、上半身を反らせていた。
「眞木…………まじかよ」
いや・・・・・・あれは違う。自分で上半身を反らせていたわけじゃないのはすぐに分かった。眞木さんは。眞木さんは壊されてしまったのだ。見開いた目は虚ろになり、焦点が定まらず半開きになった口からはヨダレが自然と垂れてしまっている。
数人が目を覚まし始めて寺井君は、使命感の様な気持ちで駆け寄ることができたように、僕には見えてしまった。
「なんでなんだよぉぉぉぉぉぉおっ!!」
眞木さんを抱きしめて寺井くんが叫んだ。それでも眞木さんに反応はない、おぼろげな瞳は寺井くんさえ見えていないように感じられる。そしてその耳に恋人の悲痛な叫びも、届いてはいないのだろう。
佐野くんは目をそらしてはいたけれど、寺井くんの肩をグッと、つかんでいた。僕は目を背けるように残りの席を見渡す。小野さんの机の上には白い菊の花が、似つかわしくないほどに瑞々しく咲いている。そして、昨日犠牲になった中村さんと堀田くんの机の上にも同じように白い菊の花が一輪。
「…………あ、藍斗」
「小池っち、目覚めた?」
「うん、でも、頭痛い」
頭痛・・・・・・?元々小池っちは、あまり体調を崩したりはしないのに、頭痛がするなんて珍しい。どうしたんだろう?けれど、小池っちの顔色は蒼白で嘘をついたり、仮病をしているような感じもしない。
「なんか胃が痛い…………」
「気持ち悪い」
「頭クラクラする」
すると、だいたいの人が起きてきて、皆が口々に体調不良を訴え始めていた。こんな急に、大勢が同時に体調不良になるなんていったい僕らのクラスで何が起こっているんだ?春馬をふと見ると、真っ直ぐ前を向いて何かを考えている様子だった。
「春馬…………?」
その時、教室の外で大きな物音がした。
「きゃっ」
「なんだよ!?」
その物音は教室の前の扉からで、昨日のことを思い出させる。お腹の空き具合などから言って、昨日と同じであるならご飯の時間だろうか?
「やぁ、おはよう生徒達」
その時、スキャナーが独りでに動いてモニターにアイツが写し出された。もやっとした感情が沸き上がるのを、まざまざと感じる。
「今日は皆が好きなカレーを頼んでみたよ。おかわりはないが大盛にしたからね。沢山食べておくれ。ああ、そうそう。勿論"食べ物を粗末にすることは許さない"けれどね」
その一フレーズで僕らは凍える様な背筋の寒気を感じた。
…………ったく、なんて趣味の悪い。
「じゃあ、雨宮さんと土井垣くん、山崎くん配膳を」
アイツに指命された三人がお互いに心配そうに目配せをして、ゆっくりと立ち上がった。
「では、他の人は席につくように」
体調不良を訴える友だちを励ましていた数人がゆっくりと席に戻っていく。佐野くんも嫌々戻ろうとしたが、寺井くんは眞木さんを抱きしめたまま動こうとしない。
「寺井。いくぞ」
寺井くんは力一杯に眞木さんを抱きしめて、涙を流している。佐野くんはもう一度だけ低い声で言うのだった。
「今は行くぞ」 そう言って席に戻る佐野くん。続くようにして田口くんも、寺井くんの背中をぽんと叩いて席に戻る。寺井くんは、ゆっくりと弱々しく眞木さんを抱き締めていた腕を離した。そして、力なく後ろに倒れようとする眞木さんの身体をゆっくりと優しく、机に身体を預けるようにしてあげていた。その小さな気遣いが彼がどれほど彼女のことを大切に思っているのかを物語っていた。
「紗由理、助けるから。絶対に助けるから」 誰にも聞こえない声でそう呟いて、ついに寺井くんも席につく。
そうして皆が席についたのを見て、アイツに指命された雨宮さん達が教室の前の扉からカートを入れた。ほのかにカレーのスパイシーな臭いが漂う。雨宮さんが食事を配ろうとカートを覗きこむと動きが固まった。
「雨宮さん?」
雨宮さんは何故か申し訳なさそうな表情をして、皆のことを見渡した。そして、震える手でカレーの乗ったトレーを持つ。その手にあったものを見た皆も思考が停止して言葉を発することさえできなかった。
「・・・・・・え?」
お皿は普通だ。というか、普段給食で使っているお皿と同じものだった。皆が目を疑ったのは使い慣れたその容器に盛られた容赦のない量だった。
「大盛とかのレベルじゃねぇだろーがそれ」
「ただの嫌がらせじゃん。残しちゃいけないのに、こんな…………」
山盛りにされたご飯に、これでもかとカレーのルーがかけられている。
「あのね…………これ」
どうして雨宮さんがあんな表情をしていたのかがこの後ようやく判明する。それは予想もしていないことで誰もが目を、耳を疑った。
「この大盛カレーね・・・・・・全部じゃなくて5つだけなの」
え・・・・・・?5つだけだって?誰が好き好んであんな量を食べるって言うんだ。
「それも、トレーに名前が書かれてる」
「な!?」
「ちょ、誰よ。ワタシあんなの食べきれない!」
31個の中のたった5つだけが特大の大盛カレー。僕は何故か無意識に寺井くんと眞木さんを見てしまっていた。雨宮さんはゴクリと音が聞こえるほどの固唾を飲み込んで、残酷な宣告を始めるのだった。
「名前が書かれてるのは…………小池くん」
「えっ?」
小池っちはもともとそこまで食が太くはない。食べられない量ではないだろうけれど、今日は頭痛を訴えていた。小池っちは無意識に残してしまったときのことを考えてしまうのだろう、頭を抱えている。
「それから、井上くん、上杉くん」
「僕も…………か」
大丈夫。確かにいつもより多いけど食べきれない量ではない。井上くんに関しては給食はいつもおかわりをしているくらいだし、むしろこのくらいの量の方が嬉しいくらいかもしれない。あと二人・・・・・・か。
「あと寺井くん…………」
「やっぱり」 何故だろう僕はまるで寺井くんが選ばれることが分かっていたかのように思う。だとしたら、まさか・・・・・・もう一人は。僕は自分の脳裏に浮かぶ名前が呼ばれないことを願うしかなかった。
「最後の一人が…………」
雨宮さんはビクビクと震えながら寺井くんを見た。そこでようやく寺井くんも、あと一人が誰であるかに気がついたのだろう。言葉は何も発せずに、机を思いきり拳で叩きつけた。
「最後は…………眞木さん」
それは、どう考えても嫌がらせだった。それ以外にどんな意図があれば、意識も混濁としている眞木さんを選ぶことができるっていうんだ。
「…………。ラッキーな大盛カレーの諸君は他の人にご飯を分け与えることはできません。ただし、同じ大盛カレーの人の中でなら許可します」
「雨宮てめぇ、何言ってんだ?」
「ひっ…………」
佐野くんの怒りの声に雨宮さんが後ずさりをした。雨宮さんは慌てて1枚の紙を見せた。
「これに書いてあったのよ。私は読んだだけ!私のせいじゃないから!!」
B5用紙くらいのメモが四つ折りにされたものが雨宮さんの手に握られていた。誰かの直筆だ。アイツが書いたものだろうか?どこかで見たことのある筆跡のような気もしなくは無いけれど、誰のものであったのかははっきりしそうにもなかった。それよりも、なんていい方は適切ではないのだろうけれど、僕は目の前のカレーを食べきることができるのかという目下の難題を抱えていた。たかがカレーライスでも、次の実験を見学できるか実施する側になるのかという重大な岐路であることは否定の仕様が無いのだから。
「もう、嫌。配るよ?配るからね!」
責任も一緒にくしゃくしゃに丸めたメモを投げ捨てて、雨宮さんはカレーの乗ったトレーを配り始めた。それを見た土井垣くんと山崎くんも続いて配膳を始めた。
僕の目の前には二人前以上はありそうな大盛カレーがどんと、その重量感を誇示するかのように目の前に置かれた。隣の小池っちの表情もひきつっている。
「じゃ、じゃあ…………いただきます」
「いただきます」
委員長は代表して号令をして、挨拶をしてからしばらく皆を見つめていた。特に大盛カレーを配られた僕たちの様子を気にしていたようだ。責任感が強くて優しい彼のことだから、もし自分が大盛カレーに当たっていたとしたら、他の大盛カレーの人を手伝おうとしただろう。それができない悔しさに、今は顔を歪めている。
「ふぅ。近くで見ると結構な量だね」
「うん…………」
僕は小池っちと目を合わせる。
「僕こんな食べきれる自信ないよ」
「うん…………とにかく食べれる内に掻き込もう。確か20分くらいすぎると満腹感が出てくるはずだ。
それまでにできるだけお腹に入れるんだよ」
自分に言い聞かせるようにして小池っちにそう伝えた。そして深く息を吐いて、僕は決意を固める。
「いただきます!!」
スプーンを持って、大口でガツガツと掻き込んでいく。もう、美味しいとか美味しくないとかそんなことは感じなかった。ご飯が残ると後々しんどそうな気がするから、ごはんの分量を多くして口に運んでいく。
「うぷっ、胃が受け付けない」
「わたしも・・・・・・」
「誰か少し取って」
所々から苦悶の声が漏れていた。これまでの精神的なストレスや身体的な疲労も重なり、スプーンの進まないクラスメイトが多かった。でも今、僕に周りを気にしている余裕はない。僕は意識的に周りを見ないようにして、どんどんカレーを飲み込むように口にかきこんで行く。
「うっぷ。。。」
ようやく半分ほどになった、その時だった。
「っしゃあ!食ったぞ!」 そう叫んで、乱暴にスプーンを置いたのは寺井くんだった。寺井くんは間髪入れずに立ち上がり、眞木さんの机に近づいていく。そして一口も口のつけられていない、今しがたようやく自分の分をたいらげた大盛りカレーのトレーを手にした。
「紗由理ゆっくり休んでな。これはオレがどうにかするよ」 そんな男気の溢れる寺井くんの声にも眞木さんに反応はなかった。それでも不安な表情一つ見せずに寺井くんは眞木さんのカレーを自分の席に運んでいった。
今回のカレーでは嫌がらせの特盛カレーを含めて誰も残すことはなかった。勿論みんながみんな食欲があったわけではない。食べれる人が食べられない人の分までお腹に納めたからだ。
個人的に驚いたのは佐野くんグループの活躍で、寺井くんは自分と眞木さんの特盛カレーを食べきり、おおよそ五人前くらいは食べていた。佐野くんと田口くんは何人かの女子の食べきれない分を食べて三人前くらいは食べていた様に思う。
「佐野くん達には負けてられないぞ」 そう言った委員長は、雨宮さんの分を半分くらい食べていたし。僕は僕で自分の分はなんとか食べきり、特盛カレーの半分を諦めた小池っちの分を僕と井上くんとでどうにか食べ終えることができた。
「うぷ。苦しい…………」 無意識に呟いて僕は机に顔を預けて、両手でお腹をさする。するとふと机の下の道具入れに手が当たった。僕は何故かいつもその存在を忘れてしまうそれを思い出した。道具入れに手を入れるとやはり、それが入ったままになっている。やはり意図的にこの本だけが回収されていないのだろうか?
「ちょっと、早くでてきてよ」
「なげーよ、早く!」
この緊張状態と密室にいることのストレスで皆の体調はガタガタだ。そこにカレーを無理矢理掻き込んだもんだからトイレは今、渋滞になっていた。
「ねぇ、藍斗…………」
「うん?」 小池っちの小さな声。僕はお腹を圧迫しないように顔を動かさないで聞いていた。
「原田さん、大丈夫かな?」
「…………うん、心配だね。みんな」
最初の犠牲になった小野さん。原田さんと小野さんはいつでも一緒にいた。それは一年生の頃からだったから、本人に確かめることなんてできないけれど野比先生とのことも少しは知っていたのかもしれない。だとしたら彼女は今、親友の命を救ってあげられなかったと悔やんでいるのだろうか。自分を責めるようなことだけはして欲しくないけれど。
「僕らどうなっちゃうんだろうね?」
「うん、怖いな…………」
それは決して小池っちの心境の代弁などではなく、自らの本心だった。お互いに言葉をなくすと、小池っちがすすり泣くのが背中で分かった。
泣きたい。怯えたいよ。怒りたいよ。叫びたいよ。もういっそ…………なんて、そんなことだって考えてしまわないわけではない。自分の感情に折り合いをつけようとしていると、列がなくなっていた。
「あ、トイレ空いた」
僕はトイレの周りに人がいないことを再三確めて、道具入れの中のそれを、ワイシャツの中に隠した。そして、何食わぬ顔を装いながらトイレへと向かう。
「藍斗」
しかし、トイレの手前で止められる。
「は、春馬。なに?」
春馬はなんだか厳しい目線でこちらを見ているような気がした。
「トイレか?見張っとくよ」 そう言って春馬はいつも通り笑った。なんだか少し驚いてしまったけれど、その笑顔を見て僕は安心して少し笑った。
「うん、誰か入りたそうになってたら教えて。なるべく早くする」
「おう」
僕はトイレの中へと入ったいった。この春馬とのやり取りを数人の生徒が、監視をする目的で見ていたことにも気づかないで。
トイレの中は男女が兼用できるように洋式の便器になっていた。教室の後ろの扉に備え付けられていること以外は特に変な部分は見られない。普通のトイレの個室くらいの空間はあるし、あれだけの生徒が入ったのに特に不快な臭いなども残っていなかった。
「ん?誰かがわざわざ入れ換えてる?」
逆に不自然だったのはトイレットペーパーで、あれだけ皆が連続して使っていたのに新品に近い状態で、端が三角にきれいに折ってあった。
「委員長とかかな?こんな細かいことするの」
一応紙がなくなった時用に便器の奥には二個トイレットペーパーのロールが置いてあった。その反対にはトイレ用のブラシと女の子用であろう小さなフタ付きのゴミ箱。
「いいや、今はとにかくこれだ」
僕は机に出すときから慎重に誰にも見られないように持ち出したそれを取り出す。『心理実験の概要と効果』 僕はズボンは下ろさずにそのまま便器に座った。そして、大上先生から渡されたその本をめくっていく。
「…………やっぱり」
目次の時点で僕は重要なことに気付いた。目次には大まかな項目として心理実験の名称が並んでいる。「まえがき・心理実験の意義と真偽」、「第一章・パブロフの犬」、「第二章・ブアメードの血」と順番に書かれていた。ここまでの実験はこの本の通りに進んでいる?
じゃあ・・・・・・次の実験になるのは。「第三章・ミルグラムの実験」と書かれていた。ミルグラムの実験だって!?僕は興味本意でしか調べていないから、概要しか知らないけれど凶悪な実験の内の1つだ。
「この実験。もし本来の通りに検証すればそれほど問題はない。でも…………」
僕はここまでの実験を振り返る。パブロフの犬ではわざわざ彼検体を犬から人間にすり替え。ブアメードの血は元から命を奪うためのものであった。まだこれは僕の想像でしかないんだけど、アイツの狙いは心理実験の検証などではない。そう見せかけた殺戮ゲームだ。
「けど…………本当にまずいのは次回じゃない。その次…………この実験は最悪の場合クラスの半分以上が死ぬかもしれない」
僕はパラパラとページをめくっていき、あとがきに目を落とした。その時、本の背表紙になんとなく違和感を感じ改めてよく見てみる。
「あれ?ページが二枚くっついている?」
よくよく見ると最後のページが二枚くっついている。それは、まるでここを剥がしてくださいとでも言わんばかりに、左下の端っこだけがめくれていた。
「これ、ページの周囲だけに薄くのりが貼ってある」
剥がし始めると簡単に二枚重なったページが開いていく。数十秒とかからずにページは離れた。
「…………これは!?」
そこには赤い字でメッセージが書かれていた。僕はその赤い10文字に驚きを隠せなかった。
「ちょっと待って、入ってるから」
ん?春馬の声。
「あ?どんだけ経ってんだよ」
すると外からの声が中にまで聞こえてきた。この春馬と話している声は佐野くん?恐らく佐野くんがトイレに入ろうとして春馬が止めてくれたんだろう。僕は本に書かれたメッセージに驚きを隠せないでいたが、またワイシャツの中にその本を隠した。そして、トイレの水だけは流してトイレを出た。
「クソまでのろいってなんだよ根暗」
トイレから出てきたばかりの人にそこまで言う必要があるかな。争うつもりはないから「ごめん」 と僕は形だけの謝罪をする。佐野くんはちっと舌打ちをしてトイレに入っていった。
「ごめん藍斗。佐野のやつ全然話聞いてくれなくてさ」 春馬はそう言って謝ってくれた。
「うん、それは大丈夫だよ。ねぇ、春馬?」
「ん?」
僕は今見たことをすぐにでも伝えたかった。でも、何故か今はまだ話してはいけないと感じて、自分でも不自然だったと感じるような切り返しをしていた。
「…………早くここから抜け出したいね」
「ああ、身体なまっちまうから部活出たいよ」
「こんな状況でもテニス?家に帰りたいとかじゃないのかよ」 そう言って僕らはだいぶ久しぶりに笑ったような気がしたんだ。
その後は例の通りだった。消灯の時間になると教室の灯りはトイレのある教室後ろの1つを除いて消される。催眠ガスなのか睡眠薬なのかは分からないけれど、急激な眠気に襲われて、抗うこともできず眠りにつく。
そして、微睡みの中に数人を残した時間に誰かの気配がした。
ーーーーない。ない!どこに隠したんだ。
僕は何故だかまだ眠りについていなかった。けれど、どこか意識は朦朧としていて何かをする気にもならない。もし、この殺戮ゲームがあの本にリンクしているのだと分かったら、もっと詳しく読む必要があるのだろう。
…………本当に意地汚くて、趣味の悪いゲームだ。
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