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二時間目:ブアメードの血【後編】

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「「「少しここまでの話を簡単にまとめましょう。

今から君達にはナイフを使って1秒に1滴の血液が流れるように傷をつけます。個人差や性差がありますが、およそ1時間42分後には君達は出血の致死量である2リットルの血液を失い死にます」」」

 モニター越しにも三人が震えているのが分かった。僕らは白仮面の言動にある違和感を抱えながら、それでもこれから起こるかもしれないクラスメイトの死というものに怯えていた。

 睨むようにモニターを見つめている人はそれほどいなかった。恐怖から逃れるために耳を塞いでいる人も多い。何人かはモニターに背を向けて頭を抱えながら泣き崩れていた。

「「「血液が身体から失われていく途中に様々な症状があると確認されています。
まずは心臓が早くなる頻脈、そして皮膚症状が…………皮膚が寒く感じたり、青白く変色したり、寒気をもよおすこともあります」」」

 最低な言い方だけれど、僕らは部外者だった。最低な行動かもしれないけど、僕らは耳を塞ぐことができた。目を背けることができた。だけど、手術台で拘束された三人は自分の死を説明する声から逃れることも、頭を抱えることも、涙を拭うことさえ許されていないのだ。それがどれだけ恐ろしいことか、僕らは本当の意味で当事者の苦しみなんて言うのは分かってあげられないのだ。

「「「そして更に多量の出血をすることで内臓は正常に働くことができなくなり、多臓器不全を引き起こします。
ここで運が良ければ失神することができます」」」

 多臓器不全の失神が運が良ければ?そんな事が幸運であってたまるものか。

「…………確かに、それなら気を失った方が楽だ」 僕がそう思っていると、春馬が小さく言った。
「どういう意味?」

 春馬は目線だけを動かして、僕以外の誰の耳にも入らないであろうことを確認した。そして小さく、でも震えた声で言った。

「失神してしまえばそれ以上苦しむことはない。もし、失神できなかったら…………死ぬまで自分の血液が抜けていくのを感じなくちゃならないんだぞ?
そんなの…………気がおかしくなるだけじゃないか」

 その声の震えは恐怖ではなく憤りだとすぐに分かった。横にいた春馬は震えながら、まっすぐな目で白仮面を睨んでいたのだから。

「「「では、説明は以上になります。
10分毎に出血量を告知します。被験者の三人はその際に問診を行いますから、自分の身体に何か影響があるのかを教えて下さい」」」


 ついに始まってしまうんだ。でも、何で白仮面はあんなものを用意しているんだろうか?これじゃあ…………

「「「では、二時間目のケンショウを開始します。静脈をメスで切開をします、少し痛みますよ」」」

 白仮面は手に持ったそれを三人の足の甲にある静脈にあてがう。そして、ピッと勢いよくそれを引いた。ポトッっと透明な滴が足の甲を伝う。

「眞木さん0.290cc」
「中村さん0.306cc」
「堀田くん0.18cc……少し出血量が足りませんね。少し傷口を開きます」

 白仮面は再び堀田くんにそれをあてる。先程傷をつけた場所にもう一度、それを引く。

「0.298cc。オッケーです」
「「「それではこのまま時間を置きます。何かあれば仰ってくださいね」」」

 僕らは目の前で行われている光景の意味がわからなかった。

「血、血が…………」 
「やめ、助けて」
「やだよぉお」

 三人はまるで見てない足の甲の出血を確認するかのように、首を持ち上げて、先程それがあてがわれた右の足の甲を覗き込むようなしぐさをしている。

「なんなんだよこの実験」
「こんなんで死ぬわけなくねぇか?」

 そう、こんなことで死ぬわけがない。だって…………

「寺井。良かったじゃねぇか、血なんか一滴も出てねぇんだぜ?」

 田口君の明るい声。そう、三人には出血どころか切り傷すらなかった。メスと言っていたけど、三人の足の甲に当てられたのはおそらくプラスチックかなにかだろう。摩擦で赤くなってはいるけど傷にはならずに血など出ていない。滴り落ちる雫は彼らの血液などではなく、設置された管から滴る何かの水だ。それが出血してるかのように、プラスチックをあてがわれた箇所に垂らされ、足を伝って容器へと流れているだけ。そう、たったそれだけなのに人が死ぬはずが無い。

「これ、もしかして給食残したことへの罰かなにかなんじゃない?」
「そ、そうだよね。趣味は悪いけど、確かにかんやことされたら嘘でも反省しそうだし」

 そのことに気づいているのは僕だけではないようで、所々で安心しているかのような、実験を馬鹿にするような声まで聞こえてきている。

「少し安心した」
「悪ふざけも大概にしてほしいよな。はは」
「こんなんで人が死ぬわけねぇじゃん、あいつらも何をビビッてんだよ」

 本当に、これが給食を残したことへの戒めなのだとしたら、悪ふざけにもほどがある。でも、アイツの言ったこの実験の目的は簡単に忘れられるものではない。

「思い込みによって人は死ぬのか…………か」 春馬がそう呟いた。

 そうか、恐らく春馬も同じことを考えているのだ。

「なぁ、藍斗」
「ん?」 今度は春馬はしっかりと辺りを確認して、手で口を隠しながら耳打ちをしてきた。

「お前『アイツ』のことどう思う?」
「アイツ?アイツって暗い部屋にいる、この事件の犯人?」
「・・・・・・そうだ」

 そして、僕はこの後春馬から衝撃の言葉を聞くことになる。

「思ったんだけどさ。アイツってうちの学校の関係者なんじゃないか?」
「アイツが学校の関係者・・・・・・?つまり、先生ってこと?」 僕のそんなありきたりな疑問に対して、春馬は握りこぶしをアゴにあてる。

「んー。そうかもしれないけど、そうでない可能性もある。・・・・・・と、僕は思ってる」

 春馬は肯定しないけれども、学校の関係者で生徒を監禁できる人なんて先生以外には居ないと僕は思うんだけどな。

「じゃあ、春馬は他にどんな人の可能性があると思っているの?」 僕の問いを聞いた春馬は一瞬、部屋を見渡した。

 そして、小さく言う。その言葉に僕は驚きを隠すことができなかった。

「例えば施設を整備する人間。例えば給食室のおばさん。例えば…………僕達生徒の誰かだったりしてな」
「生徒って…………まさか、僕らの中に犯人がいるって?」

 こんな状況を作り出した人物が実は僕らのクラスメイトの中の誰かなんてこと、そんなのあり得るのか?皆、こんなにも怯えているのに。それに、万が一にもそんなことがあったとして、画面に映るアイツは一体なんだって言うんだろうか?

 でも、「僕らの中に犯人がいるかもしれない」 とそう言われて、改めて皆の様子を見てみると怯えていない、不自然にいつも通りの人も確かにいると感じた。

「生徒であれば学校の施設のほとんどの場所に怪しまれずに入ることができるし、何より僕達が気を失う時、誰かがこの空間や教室に入ってきた気配はない。だとしたら、僕達の中の誰かという可能性は無いわけではないだろ?」

 確かに可能性だけを論じるのなら春馬の言うことに納得もできる。万に一つの可能性として、僕らの中に犯人もしくは協力者がいると仮定したら、怪しいのは普段通りに行動ができている人だと僕は思う。僕から見てそう思える人はそう多くはない。

「…………」

 異様な空間で、不自然に自然さを保っている人は佐野くん、友澤くん、仲澤さん、それに…………

「まぁ、なんにせよ今の時点じゃ情報も少なすぎる。今はモニターの中の三人の無事だけを祈ろうぜ」
「うん…………そうだね」

 僕らはモニターへと視線を再び戻すのだった。

「「「10分が経過しました。これにより出血量の告知と問診をします」」」

 改めて僕らも確認する。手術台に乗せられた三人は手足を革製のベルトで拘束され、目隠しがされている。白仮面は出血量の告知と言っているけれど、実際には三人に傷はなく出血もない。変化あなんてあるはずがない。しかし、それは僕らの希望的観測に過ぎなかったのだとすぐに思い知らされることになるのだった。

「眞木さん、10分出血量は176.75ccです。何か身体に異常はありますか?」
「足がヒリヒリする。もう、止めて」
「出血部位の痺れを確認。実験を継続します」

 眞木さんは自覚症状を口にした。176ccの出血は手術台の側面に用意された水管から滴り落ちる水滴が、被験者の眞木さんの足の甲に当たり落ちたものだ。無傷の眞木さんが痺れを訴える理由はなんなのだろうか?錯覚?

「堀田くん、10分出血量は181.76ccです。何か身体に異常はありますか?」

 堀田君にも眞木さんの時と同じ質問がされた。勿論、堀田くんも出血などしていない。

「痛いです。早く手当てをしてください。お願いします、お願いします!」 堀田くんは泣きながら、そう痛みを訴えた。

「堀田のやつビビりやがって、ださくねぇ?ケガもしてねぇのによ」 佐野くんの心ないそんな言葉も全てを否定することはできない。僕だってどうして傷一つ付いていない彼らが、痛み等を感じているのか理解が追いついていかないのだから。

「・・・・・・恐怖で錯覚しているのかもしれないな」

 春馬の意見に僕も賛成だな。視界を奪われて、身動きがとれない状態で得たいの知れない実験なんてされたら恐怖で動転しておかしくない。

 その点、中村さんは落ち着いていた。

「中村さん、10分出血量は193.07ccです。何か身体に異常はありますか?」
「…………特にありません」

 15分経っても特に変化はなかった。僕らのいる部屋では時おり話し声がするようになっていた。「傷もない状態で出血死に至るなんてありえない」 と、これは白仮面やアイツがしくんだ罰であって、三人を殺す為の実験ではないと、どこかで思っていたからだろう。

 そして20分が経過する。

「「「20分が経過しました」」」

「眞木さん、20分出血量は356.92ccです。身体に異常はありますか?」

 皆がどこか冷めて見つめるなかで、寺井くんは手を握り合わせて祈るように見つめている。被験者となった三人の心中も分からないけれど、恋人を実験台にされる寺井くんの気持ちも僕には到底察することなどできなかった。

「だんだん痺れが強くなってるの。お願いもう止めて!怖い、怖いよぉ」
「出血部位の痺れが10分時点より強まる。分かりました、実験を継続します」
「…………いや」 小さく実験を拒否した声が震えていた。

 白仮面は淡々と確認作業を続けていく。

「堀田くん、20分出血量は391.75cc」
「中村さん、20分出血量は386.24cc」
「「身体に異常はありますか?」」

 出血量と言う名の、水滴の量は秒間毎に確実に増えていく。三人の様子に如実に変化が表れ始めたのは実験開始から30分が経つ頃だった。

「紗由理?どうしたんだよ紗由理!」

 寺井くんがそう叫んでいなかったなら、僕らが気づくのはもう少し先になっていたことは確かだっただろう。

「なんだよ寺井?」
「たっちゃん。紗由理の呼吸おかしいんだ」
「…………呼吸?」

 僕らの視線は自ずと眞木さんに向けられる。眞木さんの身体は小刻みに震えている様にも見えたが、画質の荒いモニター越しでは確かなことは言えない。でも、寺井くんが言うように腹部が小刻みに上下動し呼吸に乱れがあるように見られた。

「なんで?何でだよ!?」 そう言って寺井君は頭を抱えていた。

「「「30分が経過しました。」」」 白仮面の機械音で僕は無意識に唾を飲んでいた。

 「あり得ない」 と、そう思いながら、もしかしたら三人の身に何かが起こる、起こってしまうのではないかと怖くなっていた。

「眞木さん、30分出血量は572.33ccです。身体に異常はありますか?」

「500ccを越えてる。もしこれが血液だったなら中学生の体格からしたら献血ですら採取しない量だ…………」 そんな友澤くんの震える声に冷や汗が出た。「血液だったなら」 という仮定の話ではないんだ。今更になって僕は今回の実験の目的を思い出す。

「心臓が早いの。息もなんだか…………ねぇ、もう良いでしょ?」
「頻脈と軽度の過換気症状が見られますね。実験はこのまま継続します」

 これだけの異常な状態になっても経過観察。まるでモルモットを観ているかのような無機質で無慈悲な。

「なぁ、まさか本当に死なないよな?」
「し、死ぬわけねぇだろ!見ろよ眞木は一滴も血を流してすらないじゃねぇか!」
「だったら!!」 寺井くんは眞木さんを見つめ、そして佐野くんに涙目で振り返った。

「だったらなんで、紗由理はあんなに苦しそうなんだよぉ…………」

 佐野くんはなにも言い返してあげることができずに、寺井くんから目をそらした。その瞬間に大粒の涙が一粒、寺井くんからこぼれ落ちたのを僕は確かに見てしまった。

 堀田くんの出血量563.72cc。中村さん593.14cc。二人は20分の時点とあまり変わりはなかったが、明らかに疲れが出始めているように思えた。

「「「30分が経過し、採血による出血量を越えました。ここからは身体への様々な症状が表れることが予想されますので、もし何か異常を感じたら報告してください」」」

 見学検証とはいえ、僕らは僕らで疲労が溜まってきている。もちろん、三人に比べたら僕らの苦痛なんて辛くもないのだろうけれど。座り込んでいる人が増えてきている。恐怖を口にする人も、自分たちは安全だと思いこみ「早く終わらないかな」 なんて言葉も聞こえていた。

「・・・・・・さすがにこれだけ密閉空間に閉じ込められてるとイライラするな」
「うん…………」

 僕は改めてまた室内を見渡した。原田さんはずっと壁際で足を抱えて座っている。友澤くんや小澤さんはしっかりとモニターを見つめながら時折二人で意見の交換をしているようだった。何か考えがあるのだろうか?この異様な状況を脱け出す策か何かが。

「…………帰りたいよぉ、お母さん」
「くそっ、なんで僕たちがこんな」

 そうやって文句が出る人はまだましな状態なのかもしれない。ほとんどの人はただ震えているだけだ。こういう状態になると、多くの男子は泣いて、女子は何かに祈るのだと知った。勿論そんなこと知る必要なんてなかったし、知りたくもなったのだけれど。

「「「40分が経過しました」」」

「「「50分が経過しました」」」

 長い・・・・・・。とても長い時間がするするとこぼれ落ちていく感覚。モニターの中の眞木さんの呼吸は段々と早くなっている。苦しそうで、正直みていられない。

「紗由理…………」

 もし、「君は出血なんてしてないんだ!」 と伝えることができたら救うことができるのだろうか?それができる立場にあるはずの、あの空間で微動だにせず三人を見ている白仮面はどんな気持ちでこの実験をしているのだろう。

 どうして、淡々とこんなことが続けられるのか。どうして、苦しむ中学生を平気で見下していられるのだろうか。

「そろそろ1リットルになる…………もし自分が出血してると思い込んでたとしたら気が狂ってもおかしくねぇよな」 春馬は冷静だった。そう、僕でさえも疑わしく感じてしまうほどに。
 
「「「1時間が経過しました」」」

 ついに実験開始から一時間が経過した。この時僕が感じた「ついに」 という感覚が想像以上の影響を与えるとは思いもしなかった。

「眞木さん、60分出血量は…………1064.52ccです。身体に異常はありますか?」

 1リットルの出血。眞木さんに反応がない。

「眞木さん。身体に異常はありますか?」
「…………むい。さ…………いの」 二回目の問いに弱々しい回答がこぼれていった。

「皮膚温度に異常が現れ始めましたね。ここからの出血の継続は内臓器などにも影響が現れる可能性が高くなります」

 眞木さんは憔悴しきっていた。どうして?ただ横たわっていただけなのに。これがアイツの言っていた思い込みの力・・・・・・だとでも言うのか?だとしたら、僕らの、人間の身体って。

「堀田くん、60分出血量1097.01ccです。身体に異常は…………」
「中村さん?中村さん?どうしました?」

 堀田くんの状態を確認する最中で、急に中村さんのモニターが慌ただしくなる。

「中村さん聞こえますか?中村さん?」 白仮面が何度も中村さんに声をかけるが、反応がない。

「中村さん、60分出血量1156.69cc。脈拍異常、皮膚の蒼白、意識消失を確認。内臓器不全によるショック状態にあります」
「なんで!そんな!?」

 この実験で中村さんはずっと「特にありません」と言っていた。まさか強がりだったのか?だとしても、そんな思い込みだけで本当にショック状態に陥ることがあるなんて。だとしたら、このままの状態が続いたら中村さんは…………中村さんはまさか。その次の言葉は口にすることも頭で考えることもはばかられた。

「嘘だろ。中村、じゃあ紗由理は?」

 クラス全員に突然に不安が押し寄せてきた。僕らまで、あの容器に溜まっているものが三人の血液なのではないかと錯覚し始めてしまいそうなほどの緊迫感が押し寄せていたんだ。頭で何度も否定する、この目でしっかりと容う器に溜まっている者が血液何かではないと確認をする。

 でも、どれだけ否定して確認をしても僕らの不安が解消されることはもうなくなっていた。そんな時にモニターが急に映り変わり、そこにアイツが映るのだった。

「『ブアメードの血』の実験開始より64分58秒。中村 美世さんの死亡が確認されました。引き続き堀田くんと眞木さんの観察を続けてください」

 中村さんの死を告げるためだけ。それもまるで黒板に書かれた問題の回答を告げるかのように、端的に僅かばかりの悲しみもなく淡々と「死」 を告げた。たったそれだけの為だけにアイツは僕らの前に顔を出したのだ。再び切り替わったモニターの中にはもうすでに中村さんの姿はなかった。

「ほんと、なにしてんだろうオレ達」
「こんなことならさっさところ…………」
「ざっけんじゃねぇ!!」 

 亮二の後ろ向きな言葉に怒鳴り声をあげたのは佐野くんだった。

「オレはこんなとこで死ぬ気なんてねぇぞ!!こんな馬鹿げたことで死んでたまるか。だからてめぇらも!」

 佐野くんは塞ぎこむクラスメイト全員に向かって言う。

「最後まで諦めるな!オレらにはなぁ、こんなとこで死ぬ義理も、自分から死ぬ権利なんてねぇんだよ!!」

 最後に「けっ」 と悪態をついて、佐野くんはその場に座った。その姿は単純に格好よかった。
 
「「70分経過しました」」

 中村さんの死から経った5分。その5分がどれだけ長く感じたことか。

「眞木さん、70分出血量は1302.84ccです。身体に異常はありますか?」
「さむい…………いたい…こわ、い」

 ぜーぜーとした呼吸音で、もはや喋っている言葉すらも聞き取りづらい。呼吸は乱れていて、ろれつもまわらずにいる、このままだと。

「堀田くん、70分出血量1277.94ccです。身体に異常はありますか?」
「痛い。足が痛いんだよ!! 目も回るし、気持ち悪いし、おかしいよなぁ、これ。僕なんかおかしいんだよ」

 叫ぶような声。もう眞木nさんも堀田くんも精神の限界が近づいている。中村さんのことがあってから、ほとんどの人がモニターに目が釘付けになっていた。一人のクラスメイトの命が潰えてようやく、僕らはこの実験が命を落とすほどに危険なものだったことを知ったのだ。

 安全だと勘違いして俯瞰して考えていた数十分前の自分の浅はかさを悔やむけれど、悔やみきれない。もう中村さんの命は戻ることなど無いのだから。

「「80分が経過しました」」

 二人の声からどんどん力が失われているのが観てとれるようになった。

「から揚げ食べたいな…………から揚げ」 堀田くんの呟きは誰にも聞こえなかった。声帯を震わすことのない呼吸音が力なくモニターから流れている。

「もう、止めてやってくれよ。どうして友だちがこんな姿になるのを観なくちゃいけないんだよ」

 目の前で友だちの命の灯火がみるみる小さくなり、そして儚く散っていく。ほんの二日前までは一緒に笑って、たまにケンカして、あんまり喋らなかった人もいるけど。それでも大切なクラスメイトだった。そのクラスメイトが一人また一人と居なくなる感覚。心に斑点の様な穴があく。

 するとまた急にモニターが切り替わった。それだけで僕らに緊張がはしる。

「まさか、紗由理?!」

 アイツが現れるということは良くない知らせがあるということだ。今この時点で言えば中村さんか堀田くんの身に何かがあったということなんだろう。

「検証開始より81分17秒。堀田くんの死亡を確認いたしました。これよりモニターは眞木さんの画面のみの表示となります。経過観察をしっかりと行ってください」
 
 アイツまた、まるで取るに足らないことただ報告するかのようにクラスメイトの死を、人の命が奪われたことを淡々と告げて消えた。切り替えられたモニター、初め三分割にされ中村さんや堀田くんの手術台も映していたそこにはもう、眞木さんしか映らなくなっていた。

 眞木さんは震えながら、涙を流しながら、身体を揺らしていた。今までは遠くて見えなかった小さな動きまでもが見えてしまう。苦しみが痛々しいほどに伝わってくるのだった。いつのまにか僕らは言葉を失っていた。誰もがただひたすらに眞木さんの無事だけを祈るようになっていたからだ。

 そして90分が経過して出血量は1700ccに差し掛かる。この時点で眞木さんくらいの体格の人であれば致死出血量に到達している。まだモニターは変わらずに苦しむ眞木さんの姿を写し続けている。100分・・・・・・もはや眞木さんに問診への反応はほとんどなくショックによる失神かどうかの判断ができない様になった。この時の出血量は1899cc、そろそろ成人男性でも死に至る出血量になる。

「そういえば…………これは検証なんだよな?」 僕はそう隣にいた春馬に聞いた。

「あ、ああ。そうだけどそれがどうした?」
「アイツはこの実験では1時間42分で確実な致死出血量に達すると言っていた。つまり、1時間42分になった時点でもしも眞木さんが無事だったら、アイツにとっての検証成果になるんじゃないかな?」

 春馬は僕のその言葉を吟味するかのように、しばらく唸っていた。

「…………そうか!もし、そうだったら眞木さんは後15分くらいで、開放される!」

 僕らは目先の希望の光を見つけて、さも出口の見えないトンネルの中で小さな光でも見つけたかのような気分になってしまっていた。それが、どれほど浅はかな希望であったかを知るのは、この実験が終わってからとなる。

 110分が経過。

 残り2分。


 残り・・・・・・1分。時計はないけど、110分が経過した時から頭の中で数えていた。もうすでに眞木さんは衰弱しきっているけれど、望みが出てきた。もう少し、もう少しで彼女は解放されるんだ。そしたら目隠しを外して、足を観たときに安堵の息をつくのだろう。「なんだケガなんてしていなかった」 と。

「いや、そうじゃない…………?」

 モニターの中で白仮面が動き出した。これまで10分毎にしか動きを見せなかったのに、ふいに眞木さんの近くに移動する。そして、あの時の中村さんの様に手首の付け根に指を当て、そして瞳孔をペンライトで照らし見る。

 次の瞬間、モニターが切り替わった。

「おい、嘘だろ…………?後ほんの少しだったのに」

 僕の体内時計でも残りはほんの数秒、もしかしたらわずかな誤差によって実験終了の時刻になっていたかもしれない。それなのに、こんなことってありなのか?そんな奇跡すらも僕らには訪れないと言うのか?

「紗由理?紗由理ぃ!!!」 寺井くんは何度も何度も眞木さんの名前を叫ぶ。

 ほとんどの人は耳を塞ぎ、後の僕らでさえもう寺井くんを直視することなんてできなかった。痛々しくて、悲しくて、やるせなくて。何より、怖かったからだ。

「今回のケンショウ実験『ブアメードの血』の実験は112分経過し、出血量2リットルを超過した為終了しました」

 やはり1時間42分というのがこの実験のリミットだったのだ。それに気づいていたから何ができるわけではなかった。なかったのだけれど、僕は深く後悔をしたんだ。

「今回の実験では擬似的に被験者には継続的な出血状態であると思い込んでもらい、そして君たちへの講義を通じて出血死に関する情報を与えました。

彼らは傷を負っていなかったのに、思い込みによってあたかも多量の出血をしているかのように身体症状が現れました。これを「ノーシーボ効果」 と呼びます」 実験の後のアイツの弁舌。

 どうでも良いよ・・・・・・だからもう、早く解放してくれよ。

「有名な実験にこんなものがあります。
ある病気の患者を集めて二つのグループに分けました。そして実際に医師に受診しながら一つのグループには正規の薬を与え、一方のグループには偽薬を与えました。

その結果にはなんと有意な差はなかった。つまり医師という信頼できる人物からもらった薬は効くと思い込んだがために偽の薬でも症状の改善が見られたということです。これを「プラシーボ効果」と呼びます」

 泣き崩れた寺井くんを田口くんがさすっていた。僕はまだ好きという感情もちゃんとは分からないから、恋人を失う喪失感なんてものは想像もできないけれど。ただ寺井くんを見ているだけで、胸が苦しくなった。

「プラシーボ効果は望ましい思い込みであり、その反対のノーシーボ効果は望ましくない思い込みとなります。
今回の実験では偽の出血によって死に至るのか?というノーシーボ効果の究極的な課題を実証したということです。結果は見ての通りです」

 そう、改めて言うのだ。アイツは僕らが聞きたくもない改めてを嬉々として。

「3人の被験者には個人差があれど、出血量の推移に」即した身体症状が現れ、死にも至りました。つまりノーシーボ効果により人間は死ぬ。ということが照明されたのです。

尊い犠牲となった中村さん・・・・堀田くん・・・・に敬意を」

 中村さんと堀田くんだけ・・・・・・?眞木さんは?眞木さんはどうなったんだ!

「眞木 紗由理さんは昏睡状態にありますが一命をとりとめています。よってこの実験での死者は2人ということになりました」
「良かった。紗由理…………」 そう言って寺井くんは膝から崩れ落ちて安堵の涙を流す。

 思い込みで人は死ぬ。目の前で起きたことなのにそれでもまだ信じられないでいるのは正常なことだと思う。だけど、もしそれが本当なら人はなんて弱い。

「人は理性を手にする過程で、思考する力をつけ、想像という抽象度の極めてたかい能力を手にいれました。
それゆえに思い込むことで良い効果が現れたり、今回のように良くない効果が現れたりする。なんとも不思議で面白い生き物ですね」 春馬の言うとおり、僕らはアイツの正体を探らなければならないのかもしれない。

 僕らがこの場所から生きて帰るために。平穏な日常を取り戻すために。

「これにて二時間目『ブアメードの血』の実験を終了します。----それではまた」

 密閉空間のどこからか催眠ガスが発生して、僕らはまた次々と意識を失っていった。もう3回目になるからかな?微睡みに似たわずかばかりの時間の後に、手に力が入らなくなると、次の瞬間にはふつっと意識が途切れる。そんな感覚を意識を失う本当に直前まで自覚している様になっていたんだ。

 そして、また僕らはあの教室で目を覚ます。その時目の当たりにする現実に、ただ一人を除いて誰もが目をそらすことになるのだった。そしてその人はある重大な決断を下し、それが発端となりこの教室の意義は急転していくこととなる。




ケンショウ学級の規則



・参加は強制です

・ケンショウ教室は一月継続されます

・実験への参加拒否、途中退室には罰則が与えられます

・食料は貴重であり粗末に扱う者には罰則が与えられます

・罰則は電気ショックによる死刑が原則ですが、その他の罰則も必要に応じて追加されます

・その他の罰則として実験の被験者とされる場合があり、これもまた参加は強制で途中棄権は認められていません


・ケンショウ実験は、見学検証と実施検証の二種類に分けられます。

・見学検証では実験を観察する間は脳波測定を行います。

・脳波の測定に意義が見られない状態(失神、気絶など)になった場合には、検証への参加価値なしと見なし罰が与えられます。

・検証実験は過去途中で終わったものに関しても、それによりどんな変化が被験者に表ようとも完遂されます

・その他は各実験概要に準じて行われます





一時間目『パブロフの犬』修了時点での生存者33名。

二時間目『ブアメードの血』修了時点での生存者31名。
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