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少年は夢を見る
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うだるような暑さの中で歩き始める。強烈な目眩で何度も立ち止まりながらオレは榎本さんの安否確認の為に歩き続けていた。
真緒と良太はオレの歩調に意識的に合わせてくれながらも、それを悟られないように他愛のない話をしている。
流れていく景色が、ゆっくりと過ぎていく。
「リアム君大丈夫?」
「あぁ、オレのことは心配しなくていいから早く榎本さんの家に行こう」
真緒の気持ちも今はオレを落ち着かせることはできない。もはや、この目で榎本さんの無事を確認しなくてはオレは安心できないんだ。
「あの角を曲がったらもう、あずきちゃんの家は見えてくるわ」
ドクンと強くみゃくを打った瞬間に、昨夜の悪夢がフラッシュバックした。不快な音も感触も、目を覆いたくなるような惨状も、吐き気を催す悪臭も全てが蘇る。
「……っとぉ!本当に大丈夫かよリム助」
意識を失いかけた?
「大丈夫……行こう 」
「行こうってお前フラフラだぞ……」
まだ榎本さんが殺されたかも分からないのに、何でここまではっきりと不安があるのか。あれはただの悪夢で、きっと湊のことだって偶然が重なっただけに決まってる。
そうだよ。そうでなければ、オレはいったい何だって言うんだ?
オレは良太に肩を貸してもらいながら、真緒の言った角へと差し掛かる。一軒家の塀越しに少しずつ道路が映し出される。その時、赤い光が一瞬横切った。
「うそ……どうなってるの?」
少し進んだ先にある小道から封鎖された街角の一角。そのバリケードの中ではパトカーのランプが赤く光り、救急車の前では救急隊員が首を振っていた。
「真緒……榎本家って?」
「……うん、あの玄関にブルーシートがかけられている家」
くそっ。やっぱりそうなのか?あれは、あの悪夢は----マサユメだとでも言うのかよ?
「え?なにこれ封鎖してる?」
黄色いテープのバリケードの前で警察官が1人立っていた。近隣住民だろう腰の折れた老婆がその警察官に話を聞いていた。
「真緒!榎本さん家は?榎本さん家はどれだ!?」
予想はもうついていた。明らかに他の家と違う場所があったのだ。だけど、それは違う家の違う事情があって、たまたま榎本さんの家の近くで何かがあったんだ。オレがあの夢を見た翌日に、たまたま。
「あずきちゃん家は……」
そんな分かりきった勘違いは脆くも崩れ去る。真緒の手は震えていた。隣でオレの背を支えてくれている良太も、きっと結末は分かっていた。だから支えるその手はとても強かったんだ。
「……あそこ」
「っつ」
バリケードのその先。鮮やかなピンクの外壁の奥。この地域にしては少し小さめの敷地にある1階建てのモダンな家。
その家の軒先で、警察官や鑑識官がブルーシートで覆い尽くした玄関であろう場所から慌ただしく行き来していた。
「えっ、あずきちゃんの家なんで?どうして?」
「くそっ!!」
オレは良太の手を払い除け、目の前の警察官に噛み付くように問いただす。
「事件ですよね。榎本さんの家、娘さんですか?」
「なんで知って……いや、事件については慎重に捜査を進めています。その制服は、この近くの学校の物だったよね。遅刻しないように登校しなさい」
オレは警察官の目を真っ直ぐに見つめる。向こうも目をそらすことはなかった。これ以上に問い詰めてもこの人は何も話してはくれないことが理解出来た。
「リアム君、警察の人なんて?」
戻ってきたオレに真緒が怖々と聞いてきた。オレはもう一度振り返り、慌ただしく人が出入りする様子を見た。
そして、昨日の夢が鮮明に浮かび上がって胃の中が逆流していくのを感じた。
「うっ……」
「リム助!?大丈夫か!」
「ごめっ、ちょっと」
駆け寄る良太を制止して、オレは1番近くの電柱へと走った。すぐさま逆流した吐瀉物が電柱の足元を濡らした。
「リアム君?」
「おいリム助、大丈夫か!」
ダメだ。むせ返る血の匂いに吐き気がする。顔を覆い尽くす手のひらに鮮明に残る感触に背筋が凍り、全身から嫌な汗が広がった。
自分の口から這い出た悪臭を漂わせるそれはまるで、夜な夜な自分を乗っ取る悪意の様で。アスファルトの細かい凹凸の間を走りながら広がるのが、たまらなく怖かったんだ。
朝から公衆の面前で嘔吐する高校生。情けない。
「ちょっとアンタ大丈夫かいね?今、水持ってきてやるから」
さっきまで警察官と話をしていたおばあさんが、歩み寄ってそう言ってくれた。
「すみません。ご迷惑ついでに掃除用にバケツとかもお借りできますか?」
「ああ、いいよ。お兄さんもおいで」
良太は考えるよりも先に動いている様な行動力だった。立つこともままならない悪寒と継続する強い吐き気にオレは塀に身体を預けて座り込んでいる。目の前には真緒が心配そうにしていて、オレを気遣って見たり良太達を手伝いたいのだろうあたふたしている様子が目下の影でも分かった。
まだ榎本さんが死んだとは限らない。それは分かってはいるのだけれど、どうしても消すことができない生々しい感覚がそれをさせてはくれない。それに昨日は湊が確かに死んでいた。
オレがあんな夢を見たせいで、湊は死んだ。たった17年間の命。こうしてオレなんかのことを本気で心配している目の前の女の子に恋をして、その気持ちを伝えることもできずに死んでしまった。違う・・・・・・どう考えても、湊は自殺なんかじゃない。
そうだよ。どんなに湊のことを憐れんでみたって、罪滅ぼしにもなりやしない。目を背けるべきではないのだ。湊は自殺なんかじゃない、オレが・・・・・・
殺した。
「ほれアンタ。口ゆすいで、少しでも水飲みな」
使い古されている湯呑に恐らくは水道水が注がれていた。おばあさんは折れた腰のせいで屈んでオレに話しかけているように見える。しわくちゃな手。
「ありがとう・・・・・・ございます」
オレはその少しかさついた手から湯呑を受け取った。
「ほれ、ここにうがいして吐きな」
そう言っておばあさんは丼じゃわんを差し出してくれた。
「いや、これ使ってるでしょ?」
「構わないよ、これしかなかったんだ。ほれ」
どう考えても使っている丼じゃわんに、吐いた後の口をゆすいだモノを吐き出すのはおかしいのだけれど。ただ純粋な優しさなのが、からからに乾いた土に水をやるように染み渡ったきがしたから。受け取った湯呑から少し水を口に含んで、ゆすいだ水をそのおばあさんが食事をするには大きい丼じゃわんに吐き出した。
「すみません、本当に」
そう言ったオレを見ておばあさんは優しく微笑んでいた。
「これで良し。っと。おばあさん道具ありがとうございました。リム助は少し落ち着いた・・・・・・か?」
「あいよ。悪いけどまた物置まで戻しに来てくれるかい?」
「はい」
いつの間にか電柱の下は綺麗いに掃除されていた。夏の日差しが濡れたアスファルト部分を照らして、ほんの少しだけ匂いが残っている様に感じた。
良太の手にはバケツと新聞紙の様な物が丸められたレジ袋が見られた。嫌な顔一つせずに、本当に頭が下がるよ。
「ほいじゃねお兄ちゃん。アンタ良い友達がいて良かったねえ」
しわくちゃな顔がもっとひしゃがれて、温かい笑顔になった。オレは良太と真緒を見て「はい、本当に」 そうおばあさんに返事をしていた。
良太が掃除道具を片付けて戻ってくる頃には、オレはどうにか立ち上がることができるようになっていた。視線の先ではまだブルーシートが往来につられて揺れている。
「お待たせ、戻ったぞー」
「良太!ごめんね私なにもできなくて」
戻ってきた良太に真緒はそう言った。少しうつむいていて気を落としていることは明白だった。良太はそんな真緒を見て一度視線を横にやった。振り返ると何故か少し頬を赤らめていて、真緒の頭をぽんと優しく叩く。
「リム助が不安にならないように側にいてあげられるのは真緒しかいなかったんだから、何もできなかったなんて言うなよ。たまたま適材適所がオレは掃除だったってだけだよ。なあ、リム助?」
良太はそう言ってオレに笑いかけた。真緒はまだうつむきがちで、不安そうにこちらを見ていた。
「うん。二人が居てくれて本当に助かったよ。ありがとう」
「な?」 と言って良太はにかっと笑った。真緒も少し安心したのか、その表情はいつも通りに戻って頷いていた。
「あずきちゃんも心配だけど、ここに居ても分かることじゃないし・・・・・・リアム君学校は」
「ダメだ!」
真緒が登校するかどうかをオレに確認しようとした時、良太が有無を言わさぬ語調でそう否定した。
「こんな調子のまま連れていけるわけがない。お前は今日は休め」
「いや、でも・・・・・・」
傍から見たら体調不良なのだろうけれど、その理由が夢のせいって分かっていることが辛かった。だけれど、良太の顔はこれまでに見たことがないほどに真剣で、オレは口まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
「分かった・・・・・・」
「よし!じゃあ帰るぞ。真緒はこのまま学校行きな、オレはリム助送って行って少し買い物とかしてから遅れて行くよ」
表情こそいつのも良平だったけれど、きっと真緒もオレと同じようにその言葉がやはり有無を言わさぬものと感じていたのだろう。
「うん分かった。若林先生にはリアム君の欠席と良太の遅刻のこと上手く言っておくね」
「うん、ありがとう真緒」
学校はこのバリケードの先だから、真緒は迂回して行くことになる。すぐそこの道でオレ達は分かれて、良太は背中を支えながら一緒に歩いてくれている。最後の真緒の顔が頭にこびりついて離れなかった。あの顔は心配や不安ではなくきっと・・・・・・
帰り道は良太は口を開かなかった。ゆっくりと雲が通り過ぎて行くのとは正反対に家までの時間はあっという間に感じた。
部屋に入ってベッドにまで誘導される。そうこれは無言の圧力だ、寝て休めと言っているのだろう。オレはちらりと良太の顔を見たが表情が変わらない。堪忍して寝そべることにした。
友達の前で無防備にベッドに伏せるってこの状況はいったい何なのだろう。良太は開いているスペースにゆっくりと腰を下ろした。そしてこちらを見つめている。
チュンチュンといつものスズメが窓の近くで鳴いていた。窓越しの雲にようやく、オレ達の時間は追い付いたのだった。
10分くらいだろうか、オレ達はそのままどちらも口を開くこともなく。携帯を取り出したり動くわけでもなくただそうしていた。だけど居心地は悪くなかった。
「・・・・・・・さてと、とりあえずスポドリとか買ってくるけど、後なんか口にできそうなものあるか?ゼリーとかプリン?それともアイス?」
「いや、母ちゃんか」
そんなやり取りをして少し笑ってしまった。本当にこれも良太の成せる技なんだけど、素でやっているのか故意にやっているのか分からないんだよな。だからこそこちらとしても気に病んだりしない。本当にすごいやつだよ。
「じゃあ取り敢えず買ってくるわ。寝とけよ!・・・・・・って言いたいところだけど、少し聞きたいことあるから、帰ったら話そう」
「お、おう」
「んじゃ、いってきます」
出かける際での言葉には少しめんをくらった。良太だったらオレが動いたりしないように「寝とけ」 って明言しそうなのに、聞きたいことっていうのがそれだけ重要なことなのだろう。
扉が閉まる音がして、無意識に携帯を取り出していた。着信履歴はない。時間は8時半を回っていた。真緒は間に合っただろうか?榎本さんは登校したのだろうか?それとも、やっぱり・・・・・・
「真緒からの連絡を待つしかないか・・・・・・直接メール来るかな?良太にまずは連絡取るかな?はあ・・・・・・」
うつ伏せから寝返りをうつと低い天井の端に染みを見つけた。
「あんな所に染みなんてあったんだな」
エアコンの無い部屋。焼けるような日差しの中に、ほんの少し涼しい風が入り込む。黒ずんだ染みは雨漏りによるものなのか、そんなどうでも良いことを考えている内に時間は過ぎていった。
「ただいまー」
古い扉の耳障りな開閉音と共に良太の元気な声が響いた。手に持ったレジ袋が揺れる音がしている。良太は一人用の小さな冷蔵庫を開けてテキパキと何かを入れている。目の端にしか映ってないけれど、これはやはりおかんだな。まあ、母親の記憶なんてものはオレにはないのだけれど。
「お、ちゃんと横になってたな。感心、感心。ほい、スポドリとお茶ね。あとプリンと飲み物は冷蔵庫に入れさせてもらったぞ」
「ああ、ありがとう」
そう言いながら良太はスポーツドリンクのキャップを開けて渡してくれた。本当に些細な動作からマメさが伝わってくるな。なんだこいつ。そんなこと思いながら見つめていると良太は不思議そうに眼を見開いた。
「にしても冷蔵庫の中、なんも入ってねえのな。ちゃんと購買のパン以外も食ってるのか?」
さっきと同じ場所に座って良太はコーラを開けて飲み始めた。オレも一口、スポーツドリンクを口にした。
「飯は食ったり食わなかったりだな。それもコンビニとかだから冷蔵庫もほとんど使てないよ」
「そか」
たった一言そう返事をして良太は、何もないオレの部屋をゆっくりと見渡した。その表情はどこか淋しそうに見えた。
「それで?学校を欠席した病人に起きてろって言ってまで聞きたかったことって?」
きっとこちらか切り出さなくても、少ししたら良太から話を始めたんだと思う。だけど、これは伝わるのかも分からないオレの中での誠意のようなもので、良太は真剣な顔つきになった。
「お前はすぐに気持ちを隠すから、単刀直入に言うな。湊のことオレもすげえショックだったししんどかった。だけどお前のその様子ってただ湊が死んじゃったことのショックだけのことじゃないよな?それに、今日の榎本さんのことも・・・・・・」
クラスメイトの突然の死に驚かない人はいないだろう。それが友達だったのなら強いショックを受けるのも自然なことだ。だけど・・・・・・
「オレに言えることがあるなら言ってくれ。ってか、オレくらいしか巻き込める友達いないだろ?一人で抱え込まないで、オレにも背負わせてくれよ」
真緒と良太はオレの歩調に意識的に合わせてくれながらも、それを悟られないように他愛のない話をしている。
流れていく景色が、ゆっくりと過ぎていく。
「リアム君大丈夫?」
「あぁ、オレのことは心配しなくていいから早く榎本さんの家に行こう」
真緒の気持ちも今はオレを落ち着かせることはできない。もはや、この目で榎本さんの無事を確認しなくてはオレは安心できないんだ。
「あの角を曲がったらもう、あずきちゃんの家は見えてくるわ」
ドクンと強くみゃくを打った瞬間に、昨夜の悪夢がフラッシュバックした。不快な音も感触も、目を覆いたくなるような惨状も、吐き気を催す悪臭も全てが蘇る。
「……っとぉ!本当に大丈夫かよリム助」
意識を失いかけた?
「大丈夫……行こう 」
「行こうってお前フラフラだぞ……」
まだ榎本さんが殺されたかも分からないのに、何でここまではっきりと不安があるのか。あれはただの悪夢で、きっと湊のことだって偶然が重なっただけに決まってる。
そうだよ。そうでなければ、オレはいったい何だって言うんだ?
オレは良太に肩を貸してもらいながら、真緒の言った角へと差し掛かる。一軒家の塀越しに少しずつ道路が映し出される。その時、赤い光が一瞬横切った。
「うそ……どうなってるの?」
少し進んだ先にある小道から封鎖された街角の一角。そのバリケードの中ではパトカーのランプが赤く光り、救急車の前では救急隊員が首を振っていた。
「真緒……榎本家って?」
「……うん、あの玄関にブルーシートがかけられている家」
くそっ。やっぱりそうなのか?あれは、あの悪夢は----マサユメだとでも言うのかよ?
「え?なにこれ封鎖してる?」
黄色いテープのバリケードの前で警察官が1人立っていた。近隣住民だろう腰の折れた老婆がその警察官に話を聞いていた。
「真緒!榎本さん家は?榎本さん家はどれだ!?」
予想はもうついていた。明らかに他の家と違う場所があったのだ。だけど、それは違う家の違う事情があって、たまたま榎本さんの家の近くで何かがあったんだ。オレがあの夢を見た翌日に、たまたま。
「あずきちゃん家は……」
そんな分かりきった勘違いは脆くも崩れ去る。真緒の手は震えていた。隣でオレの背を支えてくれている良太も、きっと結末は分かっていた。だから支えるその手はとても強かったんだ。
「……あそこ」
「っつ」
バリケードのその先。鮮やかなピンクの外壁の奥。この地域にしては少し小さめの敷地にある1階建てのモダンな家。
その家の軒先で、警察官や鑑識官がブルーシートで覆い尽くした玄関であろう場所から慌ただしく行き来していた。
「えっ、あずきちゃんの家なんで?どうして?」
「くそっ!!」
オレは良太の手を払い除け、目の前の警察官に噛み付くように問いただす。
「事件ですよね。榎本さんの家、娘さんですか?」
「なんで知って……いや、事件については慎重に捜査を進めています。その制服は、この近くの学校の物だったよね。遅刻しないように登校しなさい」
オレは警察官の目を真っ直ぐに見つめる。向こうも目をそらすことはなかった。これ以上に問い詰めてもこの人は何も話してはくれないことが理解出来た。
「リアム君、警察の人なんて?」
戻ってきたオレに真緒が怖々と聞いてきた。オレはもう一度振り返り、慌ただしく人が出入りする様子を見た。
そして、昨日の夢が鮮明に浮かび上がって胃の中が逆流していくのを感じた。
「うっ……」
「リム助!?大丈夫か!」
「ごめっ、ちょっと」
駆け寄る良太を制止して、オレは1番近くの電柱へと走った。すぐさま逆流した吐瀉物が電柱の足元を濡らした。
「リアム君?」
「おいリム助、大丈夫か!」
ダメだ。むせ返る血の匂いに吐き気がする。顔を覆い尽くす手のひらに鮮明に残る感触に背筋が凍り、全身から嫌な汗が広がった。
自分の口から這い出た悪臭を漂わせるそれはまるで、夜な夜な自分を乗っ取る悪意の様で。アスファルトの細かい凹凸の間を走りながら広がるのが、たまらなく怖かったんだ。
朝から公衆の面前で嘔吐する高校生。情けない。
「ちょっとアンタ大丈夫かいね?今、水持ってきてやるから」
さっきまで警察官と話をしていたおばあさんが、歩み寄ってそう言ってくれた。
「すみません。ご迷惑ついでに掃除用にバケツとかもお借りできますか?」
「ああ、いいよ。お兄さんもおいで」
良太は考えるよりも先に動いている様な行動力だった。立つこともままならない悪寒と継続する強い吐き気にオレは塀に身体を預けて座り込んでいる。目の前には真緒が心配そうにしていて、オレを気遣って見たり良太達を手伝いたいのだろうあたふたしている様子が目下の影でも分かった。
まだ榎本さんが死んだとは限らない。それは分かってはいるのだけれど、どうしても消すことができない生々しい感覚がそれをさせてはくれない。それに昨日は湊が確かに死んでいた。
オレがあんな夢を見たせいで、湊は死んだ。たった17年間の命。こうしてオレなんかのことを本気で心配している目の前の女の子に恋をして、その気持ちを伝えることもできずに死んでしまった。違う・・・・・・どう考えても、湊は自殺なんかじゃない。
そうだよ。どんなに湊のことを憐れんでみたって、罪滅ぼしにもなりやしない。目を背けるべきではないのだ。湊は自殺なんかじゃない、オレが・・・・・・
殺した。
「ほれアンタ。口ゆすいで、少しでも水飲みな」
使い古されている湯呑に恐らくは水道水が注がれていた。おばあさんは折れた腰のせいで屈んでオレに話しかけているように見える。しわくちゃな手。
「ありがとう・・・・・・ございます」
オレはその少しかさついた手から湯呑を受け取った。
「ほれ、ここにうがいして吐きな」
そう言っておばあさんは丼じゃわんを差し出してくれた。
「いや、これ使ってるでしょ?」
「構わないよ、これしかなかったんだ。ほれ」
どう考えても使っている丼じゃわんに、吐いた後の口をゆすいだモノを吐き出すのはおかしいのだけれど。ただ純粋な優しさなのが、からからに乾いた土に水をやるように染み渡ったきがしたから。受け取った湯呑から少し水を口に含んで、ゆすいだ水をそのおばあさんが食事をするには大きい丼じゃわんに吐き出した。
「すみません、本当に」
そう言ったオレを見ておばあさんは優しく微笑んでいた。
「これで良し。っと。おばあさん道具ありがとうございました。リム助は少し落ち着いた・・・・・・か?」
「あいよ。悪いけどまた物置まで戻しに来てくれるかい?」
「はい」
いつの間にか電柱の下は綺麗いに掃除されていた。夏の日差しが濡れたアスファルト部分を照らして、ほんの少しだけ匂いが残っている様に感じた。
良太の手にはバケツと新聞紙の様な物が丸められたレジ袋が見られた。嫌な顔一つせずに、本当に頭が下がるよ。
「ほいじゃねお兄ちゃん。アンタ良い友達がいて良かったねえ」
しわくちゃな顔がもっとひしゃがれて、温かい笑顔になった。オレは良太と真緒を見て「はい、本当に」 そうおばあさんに返事をしていた。
良太が掃除道具を片付けて戻ってくる頃には、オレはどうにか立ち上がることができるようになっていた。視線の先ではまだブルーシートが往来につられて揺れている。
「お待たせ、戻ったぞー」
「良太!ごめんね私なにもできなくて」
戻ってきた良太に真緒はそう言った。少しうつむいていて気を落としていることは明白だった。良太はそんな真緒を見て一度視線を横にやった。振り返ると何故か少し頬を赤らめていて、真緒の頭をぽんと優しく叩く。
「リム助が不安にならないように側にいてあげられるのは真緒しかいなかったんだから、何もできなかったなんて言うなよ。たまたま適材適所がオレは掃除だったってだけだよ。なあ、リム助?」
良太はそう言ってオレに笑いかけた。真緒はまだうつむきがちで、不安そうにこちらを見ていた。
「うん。二人が居てくれて本当に助かったよ。ありがとう」
「な?」 と言って良太はにかっと笑った。真緒も少し安心したのか、その表情はいつも通りに戻って頷いていた。
「あずきちゃんも心配だけど、ここに居ても分かることじゃないし・・・・・・リアム君学校は」
「ダメだ!」
真緒が登校するかどうかをオレに確認しようとした時、良太が有無を言わさぬ語調でそう否定した。
「こんな調子のまま連れていけるわけがない。お前は今日は休め」
「いや、でも・・・・・・」
傍から見たら体調不良なのだろうけれど、その理由が夢のせいって分かっていることが辛かった。だけれど、良太の顔はこれまでに見たことがないほどに真剣で、オレは口まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
「分かった・・・・・・」
「よし!じゃあ帰るぞ。真緒はこのまま学校行きな、オレはリム助送って行って少し買い物とかしてから遅れて行くよ」
表情こそいつのも良平だったけれど、きっと真緒もオレと同じようにその言葉がやはり有無を言わさぬものと感じていたのだろう。
「うん分かった。若林先生にはリアム君の欠席と良太の遅刻のこと上手く言っておくね」
「うん、ありがとう真緒」
学校はこのバリケードの先だから、真緒は迂回して行くことになる。すぐそこの道でオレ達は分かれて、良太は背中を支えながら一緒に歩いてくれている。最後の真緒の顔が頭にこびりついて離れなかった。あの顔は心配や不安ではなくきっと・・・・・・
帰り道は良太は口を開かなかった。ゆっくりと雲が通り過ぎて行くのとは正反対に家までの時間はあっという間に感じた。
部屋に入ってベッドにまで誘導される。そうこれは無言の圧力だ、寝て休めと言っているのだろう。オレはちらりと良太の顔を見たが表情が変わらない。堪忍して寝そべることにした。
友達の前で無防備にベッドに伏せるってこの状況はいったい何なのだろう。良太は開いているスペースにゆっくりと腰を下ろした。そしてこちらを見つめている。
チュンチュンといつものスズメが窓の近くで鳴いていた。窓越しの雲にようやく、オレ達の時間は追い付いたのだった。
10分くらいだろうか、オレ達はそのままどちらも口を開くこともなく。携帯を取り出したり動くわけでもなくただそうしていた。だけど居心地は悪くなかった。
「・・・・・・・さてと、とりあえずスポドリとか買ってくるけど、後なんか口にできそうなものあるか?ゼリーとかプリン?それともアイス?」
「いや、母ちゃんか」
そんなやり取りをして少し笑ってしまった。本当にこれも良太の成せる技なんだけど、素でやっているのか故意にやっているのか分からないんだよな。だからこそこちらとしても気に病んだりしない。本当にすごいやつだよ。
「じゃあ取り敢えず買ってくるわ。寝とけよ!・・・・・・って言いたいところだけど、少し聞きたいことあるから、帰ったら話そう」
「お、おう」
「んじゃ、いってきます」
出かける際での言葉には少しめんをくらった。良太だったらオレが動いたりしないように「寝とけ」 って明言しそうなのに、聞きたいことっていうのがそれだけ重要なことなのだろう。
扉が閉まる音がして、無意識に携帯を取り出していた。着信履歴はない。時間は8時半を回っていた。真緒は間に合っただろうか?榎本さんは登校したのだろうか?それとも、やっぱり・・・・・・
「真緒からの連絡を待つしかないか・・・・・・直接メール来るかな?良太にまずは連絡取るかな?はあ・・・・・・」
うつ伏せから寝返りをうつと低い天井の端に染みを見つけた。
「あんな所に染みなんてあったんだな」
エアコンの無い部屋。焼けるような日差しの中に、ほんの少し涼しい風が入り込む。黒ずんだ染みは雨漏りによるものなのか、そんなどうでも良いことを考えている内に時間は過ぎていった。
「ただいまー」
古い扉の耳障りな開閉音と共に良太の元気な声が響いた。手に持ったレジ袋が揺れる音がしている。良太は一人用の小さな冷蔵庫を開けてテキパキと何かを入れている。目の端にしか映ってないけれど、これはやはりおかんだな。まあ、母親の記憶なんてものはオレにはないのだけれど。
「お、ちゃんと横になってたな。感心、感心。ほい、スポドリとお茶ね。あとプリンと飲み物は冷蔵庫に入れさせてもらったぞ」
「ああ、ありがとう」
そう言いながら良太はスポーツドリンクのキャップを開けて渡してくれた。本当に些細な動作からマメさが伝わってくるな。なんだこいつ。そんなこと思いながら見つめていると良太は不思議そうに眼を見開いた。
「にしても冷蔵庫の中、なんも入ってねえのな。ちゃんと購買のパン以外も食ってるのか?」
さっきと同じ場所に座って良太はコーラを開けて飲み始めた。オレも一口、スポーツドリンクを口にした。
「飯は食ったり食わなかったりだな。それもコンビニとかだから冷蔵庫もほとんど使てないよ」
「そか」
たった一言そう返事をして良太は、何もないオレの部屋をゆっくりと見渡した。その表情はどこか淋しそうに見えた。
「それで?学校を欠席した病人に起きてろって言ってまで聞きたかったことって?」
きっとこちらか切り出さなくても、少ししたら良太から話を始めたんだと思う。だけど、これは伝わるのかも分からないオレの中での誠意のようなもので、良太は真剣な顔つきになった。
「お前はすぐに気持ちを隠すから、単刀直入に言うな。湊のことオレもすげえショックだったししんどかった。だけどお前のその様子ってただ湊が死んじゃったことのショックだけのことじゃないよな?それに、今日の榎本さんのことも・・・・・・」
クラスメイトの突然の死に驚かない人はいないだろう。それが友達だったのなら強いショックを受けるのも自然なことだ。だけど・・・・・・
「オレに言えることがあるなら言ってくれ。ってか、オレくらいしか巻き込める友達いないだろ?一人で抱え込まないで、オレにも背負わせてくれよ」
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