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prologue:積まれた書籍とタバコケース
境の先
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ルーザの店を出たシドは、出入り口から数歩した所で立ち止まる。近くに人の気配もなく、動植物も居ないそこに一人立つと、静寂独特の耳鳴りと血管を通る血流のリズムが際立っていく。抑え込んでいた感情と共に血流は加速していき、異常を察知した身体が温度を上げていくのを感じながら、獣が威嚇の為に咆哮するように声を出して笑った。
呼気の尽きたタイミングで声帯が震えを止め、しばらくシドはその場で立ち尽くしていた。一時的に上がった体温が、どこか感傷にも似た感覚を伴い下がっていく中で頭は冷静さを取り戻す。シドは無意識に手で口元を触ると、平静を取り戻した自分の表情が、醜さすら感じる歪んだ笑顔のままだったことに気付いて強張った筋肉を意識的に緩める。しかし、シドが自覚できない表情筋の一部はしばらく緊張したたままであった。
ルーザの店よりも中心地に踏み出すと、ここに来るまでに感じていた地面のぬかるみが更に強くなる。どういった反応が行われているのかシドには知る由も無いが、その境目から一歩踏み出した途端に地質が明らかに変わったのが分かるほどだ。
ヒュージの落下から10数年、少なくともシドの記憶がある中でルーザの店よりも中心地に近づいたことはない。何もないからというのが理由の9割9分を占めることに間違いはなく、残る理由はごくありきたりなもので、最も根源的な感情の一つに他ならなかった。その踏み出した一歩が冷たい汗を一筋垂らし、継続的に吹いていた風もどこか冷ややかになったかの様な感覚に陥る。匂うのはシドの生活区では慣れた腐敗臭や湿った雑菌だらけの臭気を何倍にも濃縮した、嗅覚というよりも鼻の粘膜の痛みをはっきりと感じる刺激臭によって痛覚に訴えるような形容しきれない匂いが充満していた。
シドは普段の生活では忘れかけていた、はっきりと随意的に、固唾をのみ込んだ。そして、頬のラインを沿う様にゆっくりと、しかしはっきりと降下する冷たい一滴を乱暴に袖で拭い去り、また歩き出すのだった。
中心地は基本的に砂と泥のみの、生命の存在そのものを拒む地と化していた。日光や生命の営みによる地質の浄化作用が無くなったことで、雑菌が繁殖し、それまでどうにか形を保っていた有機物を腐敗させていったのだろう。辺り一帯は枯れ木はおろか、残骸と呼べる様な植物の姿は一切見当たらない。
シドがルーザに聞いた話では、この一帯も以前は王都を超える様な繁栄した都市の中心地で、ヒュージの落下地点となった場所は悠久の騎士団の前身となる組織の本部が置かれていたという。しかし、そんな発展し栄えた街を薄っすらとでも思い起こさせるような建造物の影も見当たらない。シドは気のせいと自分を信じ込ませようとしていたが、上空を覆う粉塵がより高密度になり、仄かに感じられた太陽光も意識しなければ視認することも、肌に光を浴び眠気を払う様な実感もほとんど感じられなくなっていた。
強い刺激をともなう匂いにも慣れたのか、ただ感覚が麻痺してしまっただけなのか少しだけましになる程度には、しばらく進んだ頃。シドは心臓よりも少し下、身体の中心というには歯がゆく、腹からというには低いような位置がわずかに温かくなったのを感じた。その感覚は流星の軌跡をなぞるよりも短い、瞬間的なものではあったが、中心地に近づいていくほどに少しずつ少しずつ間隔を短くしながら繰り返しおとずれるようになる。
そんな非科学的な感覚をシドがはっきりと認識した頃、また境を越えた瞬間の様に全ての感覚器官や第六感の様な本能とひとくくりにされるあらゆる超感覚が一斉に違和感をおぼえる。シドは、20分強にも意識的に動かし続けた足を止める。そして、周りの様子を確認しようと無意識下で思った瞬間に、目の前に広がっていたものに思わず声が漏れた。
「は?
・・・・・・いや、オカシイだろ何でこんなものが今更」
呼気の尽きたタイミングで声帯が震えを止め、しばらくシドはその場で立ち尽くしていた。一時的に上がった体温が、どこか感傷にも似た感覚を伴い下がっていく中で頭は冷静さを取り戻す。シドは無意識に手で口元を触ると、平静を取り戻した自分の表情が、醜さすら感じる歪んだ笑顔のままだったことに気付いて強張った筋肉を意識的に緩める。しかし、シドが自覚できない表情筋の一部はしばらく緊張したたままであった。
ルーザの店よりも中心地に踏み出すと、ここに来るまでに感じていた地面のぬかるみが更に強くなる。どういった反応が行われているのかシドには知る由も無いが、その境目から一歩踏み出した途端に地質が明らかに変わったのが分かるほどだ。
ヒュージの落下から10数年、少なくともシドの記憶がある中でルーザの店よりも中心地に近づいたことはない。何もないからというのが理由の9割9分を占めることに間違いはなく、残る理由はごくありきたりなもので、最も根源的な感情の一つに他ならなかった。その踏み出した一歩が冷たい汗を一筋垂らし、継続的に吹いていた風もどこか冷ややかになったかの様な感覚に陥る。匂うのはシドの生活区では慣れた腐敗臭や湿った雑菌だらけの臭気を何倍にも濃縮した、嗅覚というよりも鼻の粘膜の痛みをはっきりと感じる刺激臭によって痛覚に訴えるような形容しきれない匂いが充満していた。
シドは普段の生活では忘れかけていた、はっきりと随意的に、固唾をのみ込んだ。そして、頬のラインを沿う様にゆっくりと、しかしはっきりと降下する冷たい一滴を乱暴に袖で拭い去り、また歩き出すのだった。
中心地は基本的に砂と泥のみの、生命の存在そのものを拒む地と化していた。日光や生命の営みによる地質の浄化作用が無くなったことで、雑菌が繁殖し、それまでどうにか形を保っていた有機物を腐敗させていったのだろう。辺り一帯は枯れ木はおろか、残骸と呼べる様な植物の姿は一切見当たらない。
シドがルーザに聞いた話では、この一帯も以前は王都を超える様な繁栄した都市の中心地で、ヒュージの落下地点となった場所は悠久の騎士団の前身となる組織の本部が置かれていたという。しかし、そんな発展し栄えた街を薄っすらとでも思い起こさせるような建造物の影も見当たらない。シドは気のせいと自分を信じ込ませようとしていたが、上空を覆う粉塵がより高密度になり、仄かに感じられた太陽光も意識しなければ視認することも、肌に光を浴び眠気を払う様な実感もほとんど感じられなくなっていた。
強い刺激をともなう匂いにも慣れたのか、ただ感覚が麻痺してしまっただけなのか少しだけましになる程度には、しばらく進んだ頃。シドは心臓よりも少し下、身体の中心というには歯がゆく、腹からというには低いような位置がわずかに温かくなったのを感じた。その感覚は流星の軌跡をなぞるよりも短い、瞬間的なものではあったが、中心地に近づいていくほどに少しずつ少しずつ間隔を短くしながら繰り返しおとずれるようになる。
そんな非科学的な感覚をシドがはっきりと認識した頃、また境を越えた瞬間の様に全ての感覚器官や第六感の様な本能とひとくくりにされるあらゆる超感覚が一斉に違和感をおぼえる。シドは、20分強にも意識的に動かし続けた足を止める。そして、周りの様子を確認しようと無意識下で思った瞬間に、目の前に広がっていたものに思わず声が漏れた。
「は?
・・・・・・いや、オカシイだろ何でこんなものが今更」
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