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カモミール・ロマンス【第一章】

むすんでひらいて

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朝、登校した美咲が下駄箱を見ると、上履きの上に一枚の手紙が置いてあった。

美咲はそれを手に取り、封を切る。






「おはよー美咲」

後ろからの声に美咲は肩をビクッと揺らして振り返った。

「美咲?」

そして真央の顔を見た瞬間に安堵の表情を浮かべる。

「美咲、どうかした?」

美咲は背中に隠したそれをギュッと握り締める。

そして笑顔を作り言うのだった。

「何でもないよ。朝ごはん食べてこなかったから調子でないだけ」


震える手で上履きを取り、それに履き替える。

「美咲やっぱりおかしいよ。保健室行く?」

明らかに様子のおかしい美咲に親友の真央が気付かないはずもなかった。

美咲は首を振る。

「ほら授業始まっちゃうよ」

そう言って振り返りもせずに教室に向かっていく美咲。

真央は胸が締め付けられる思いをかかえたまま美咲とは違う教室に向かった。




『チャララー♪』

「へっ?わっ、す、すいません」

一時間目の最中に翔の携帯が教室に鳴り響いた。

「こら山田、ちゃんとマナーにするか電源切るかしておけよー」

幸いにも化学の橋本はあまり生徒を叱るタイプの教師ではなかったし、注意だけで済んだ。

「じゃあ今から47ページに載ってる例題を解いてもらいます。せっかくだし山田に前でやってもらおうかな」

でも橋本は意地悪なので、翔が化学が苦手なのを分かった上でそう言った。

翔は自業自得だな。と苦笑い。

「困ったな。ねぇ、美咲やり方教えてよ。

……美咲?」

「えっ……?あ、えっと今どこやってるんだっけ?」

ぼーっと机を見つめていた美咲。

開かれた教科書は59ページになっていた。

「……どうかした?」

美咲は下駄箱に入っていた手紙を思い出す。

そしてゆっくり首をふった。

「……何かあったんだね?僕達が美咲の異変に気付かないわけないのは、美咲だって分かってるよね」

じっと見つめる翔。

美咲は拳を強く握った。

「あ、あのね……翔」

「はい、じゃあ山田くん宜しくー」

「へっ、あ、橋本先生ちょっとたんま!」

あたふたとする翔。

「授業中にたんまなんかねーよ」

翔は美咲に振り返りながら前に出る。

美咲はまた俯いていた。


昼休み屋上。

弁当を玄関に置き忘れ、珍しく購買でパンを買ってきた勇気が屋上にやってきた。

青空に小さな鳥が二羽飛んでいる。

「あれ、ナオだけ?翔と美咲は?」

仰向けに寝そべって目を瞑っていた直也が視線だけを勇気に向ける。

「美咲は知らない。翔なら例の彼女のとこ」

「ふーん……」

勇気は何事もなく直也の側に座った。

袋からカレーパンを取り出そうとした手がピタリと止まる。

「……ん?彼女?」 

勇気はまるでサビてしまったブリキの人形の様に、首を直也に向ける。

「翔に彼女ができたの!?いつ?もしかして例のサッカー部の先輩の妹?」

寝そべる直也の襟を掴んで、グラグラと揺する。

「ちょ、ユキ落ち着いて。ちゃんと説明するから、とりあえずグラグラ止めて」

「――!あ、悪い」

直也の襟を掴んでいた手を離す勇気。

直也は少しよれてしまった襟元をなおす。


柔らかな風が吹く。

夏が過ぎていったことを告げるかの様な涼しい風。

「……そっかぁ上手くいったんだ、翔のやつ」

前髪がふわりと浮いて、右に流れた。

勇気は直也をまじまじと見る。

「……な、なに?」

勇気はにっと歯を見せて笑った。

「自分のことじゃないけど、友達の幸せって嬉しいな」

(あ……まただ)

直也は勇気の豪快な笑顔から目を逸らして、また寝転がった。

自分の前髪の先を見つめながら、呟くように言う。

「……ユキは、それからどうなの?沙織ちゃんとはさ?」

勇気は直也の方をちらっと見て、青い空を見上げて「んー」とうなる。

「なに?進展ゼロ?」 

「んー、どうだろ。

最近ちょこちょこメールはする様になったんだけど、学校と予備校の時間は当り前だけど返信なくて」

勇気は右手でズボンのポケットに入れられた、鳴らない携帯に触れた。

「だけど凄い幸せでさ。

最初は頭の中で思い出すだけだったのが、いつの間にか公園のベンチで喋る様になって……

今じゃこうして、1日に何通かだけだけどメールもできてさ。もっと進展させようとかあんまり思ってないんだよ」



直也は揺れる電車の横顔を思い出しながら言う。

そこには悲しさと優しさが少しずつ混じっていた。

「本当に好きなんだな……」

直也が首を横に向けて勇気を見ると、勇気は笑う。

「うん、本当に好きみたい」

直也は目を瞑ってゆっくり頬を上げた。

「ホント、こいつには適わねぇわ……」

ぼそりと溢した直也。

「え?ナオ今何か言った?」

「んー?何にも」

勇気のいる方とは反対側に寝返りをうって、背を向けた。

「ウソだー。絶対に何か言ってたって。

なんだよー、気になるじゃんかよー」

ゆさゆさと直也の背を揺らす勇気。

そうして揺られながら、直也の耳の奥ではあの時の電車の揺れる音が響いていた。




「むーすーんで、ひーらいーて、手をうって、むーすんでー」

「あ、それ、懐かしい歌だね」

サッカーゴールが正面にくる、石の階段に腰掛けて翔と美優が弁当を食べている。

「すっごい好きなんですけど、たまに何だか悲しい曲だな。って思うんです」

隣に座って他愛のない話をして、それだけで時間がゆっくりと流れていく気さえする。

「そうかなぁ?楽しい歌だと僕は思うんだけどな。

美優ちゃんはどんなところが悲しいと思うの?」

美優はむすんだ手を少し見つめる。

そしてゆっくりと開いてから、話し始めるのだった。

「きっと、この手の中には大事な物とか人とか、想いが握られているんです。

むすんでひらいて、手を打ってむすんで……

すっごく、すっごく大事にしているのに、最後には手を開いたまま空に向かって投げてしまう。

なんだか悲しくないですか?」


じっと見つめられて翔は鼻をかいた。

そして「うーん」とうなって考える。




「……むすんだ手の中に大事な物か。面白い考え方だなぁ」

翔も自分の手を握ったり開いたり繰り返す。

そしてふと手を止めた。

「……なら、これは願い事をしているのかも」

「願い事……ですか?」

「うん、手を叩くところが二回あるでしょ?

これって自分と相手の幸せを願っているんじゃないかな。なんて……可笑しいよね?」

翔がそう言ってはにかむと美優は真剣な顔で首をふった。

「可笑しくなんて無いです。先輩らしい優しい考え方だと私は思います」

「あはは、そうかな?」

美優は小さく頷く。

翔はサッカーゴールを見ながら鼻の頭をかいた。

「あのさ……その。


そろそろ先輩じゃなくて、名前とかで呼んで欲しいなぁ……なんて、その……」


目だけを美優に向ける翔。

「あ、は……はい。じゃあ翔くんて呼びます」

「うん、そうして」

名前を呼ぶだけで胸がそわそわして、名前を呼ばれただけで胸が高鳴った。

いつかそれも当り前になってしまう時が来るのだけれど、この一瞬がずっと続くのだと思ってしまう。

「……あ、そうか」


翔は美優の目をじっと見つめる。

美優は目をそらさないように、唇をぎゅっと閉じるのだった。

「きっと最後には開いていていてもこぼれなくなるんじゃないかな?」

「……?」

美優は首をかしげた。

「また開いて、手を打って、その手を上に。

お互いの幸せを願ったから、もうきっと離れることなんて無いと思ったんじゃないかな?

その手を上に上げるのも信頼しているから。信じているからなんだよ。きっと」

翔は美優を見て「ね?」と笑った。

「そっか……じゃあ、やっぱり素敵な歌だったんですね」


美優の小さな歌声が校庭に吸い込まれていく。

聞いているのは只一人。

そっと隣で耳をすましている。


その頃、美咲は三組の教室で真央とご飯を食べていた。

「また何かあった?」

突然の真央からの言葉に、美咲は箸でつまんでいたタコさんウィンナーを弁当箱に落とした。

美咲は箸を置く。

「……何でそう思うの?」

真央はゴマの香りのするホウレン草のお浸しを小さな口に入れた。

そして「うん、美味しい」と呟いて、箸を置く。

「分かるよ。だって美咲が私のところでご飯を食べるのは、私か美咲に何かあった時だけだもん。

今私は凄く元気だし。ということは美咲に何かあったのかな?って」

真央はそう言って笑った。

美咲は真央の目を見れないでいる。

「美咲はズルいよ」

「――えっ?」

突然の言葉に顔をあげた美咲。

真央は穏やかな表情で続ける。

「私に何かあると美咲は必死になって私を助けてくれるのに、美咲は自分が苦しい時には1人で背負っちゃう。

美咲はそれで私が苦しまない様にって思ってくれてるのかもしれないけど、1人で背負って辛そうな美咲を見るのはもっと苦しいんだよ?」



美咲はふと「ひとの耳は良く出来ているな」と思った。

昼休みのガヤガヤとした教室の片隅に居て、お世辞にも声が大きくない真央の声が届く。

それはサラッと美咲の中に入ってきて、ビックリするくらいに強く胸を打った。

「ゴメン真央、ありがとう。

でもね、本当に今は大丈夫だよ。ほら私の勘違いかもしれないし」

美咲は笑顔を作ってそう言った。

能面みたいな笑顔。

「何かあったら私に相談してね?」

その笑顔のままで美咲は頷いた。

「うん、約束する」

「約束?本当に?」

「やだなぁ真央ってば、本当だって」

真央は小さく唇を噛み締めて、小さな手を出した。

「じゃあ指結びしよ」

「ゆびむすび?……指きりじゃなくて?」

真央は左手で美咲の右手を掴んで、お互いの小指をむすんだ。

「指きりは嘘ついたらどうこうって言うから私は嫌い。

だってそうでしょ?それってまるで何処かで相手を疑っているみたいじゃない。

私は美咲のことを信用しているからそんなこと言わないわ」

真央の小指にぎゅっと力が入っていた。

そこから真央の気持ちが伝わってくるような気がして美咲は力を入れれずにいた。


「美咲」

真央のいつになく力強い呼び掛けに美咲ははっと目を向けた。

「私は美咲の力になりたい。その為にどんな苦しいことがあったって私は耐えられる。

この指に誓って?本当に苦しくなったら私を頼ってくれるって」

美咲は開こうとした口をむすぶ。

そしてそれを飲み込んで、「約束するよ」と小指を強く握った。

「さ、ご飯食べよう?もう休み時間あと5分しかないよ。

残したらお母さんに怒られちゃうよ美咲?」

真央はウサギの並んだ子供用の箸を手に取る。

「何よ。私は食べきれるけど真央こそ食べられるの?お残り給食の常習者だったくせに」

「そ、それは小学生までの話でしょ!

もー、美咲なんて知らないんだから」


笑いながら残っていた弁当を口に運ぶ2人。


美咲は1分そこらで完食し、真央はチャイムが鳴る間際にやっとのことで弁当を食べ終えたのだった。



放課後の教室に美咲だけが残っていた。

遠くから吹奏楽部の練習の音が、教室に響いていた。

「大丈夫だよね……?

だって私には真央や翔がいるもん。ナオだっていざって時には頼りになるし……ユキだって」

美咲はくしゃくしゃになった手紙を開く。

『これ以上木村君達に近づくなブス。
いつも男とばっかり居て、どんだけ男好きなんだよ、気持ち悪いんだよ』

ポタっと手紙に雫が落ちて、水性ペンがじわりと滲んだ。

美咲は手紙をぐしゃっと握る。

力なく背中が震えていた。

「……うっ。なんでこんな」

結んだ小指がチリチリとして美咲は手を広げる。

「……負けない。こんなことに負けてたまるもんか。

真央を……真央を心配させてたまるもんか」

美咲は丸めた手紙を校舎裏の焼却炉に捨てて帰った。

この日から美咲は勇気達と屋上で昼ごはんを取ることを止めた。
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