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第一章
温情
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ふと目を開けると、外は日がだいぶ傾いていた。
(…いつの間にか寝てたのね)
「おや、起きたかい」
声をかけてきたのはマスターだった。
「あ、すみません!こんな時間まで…!」
シャーロットは慌てて席から立ち上がると、ルディベルトが置いていったお金で代金を支払い店を出る。
お釣はベイトに渡せば届けてくれるだろう。
(屋敷に戻ったら、今日の分の資料を片付けないと)
シャーロットは紙飛行機を取り出した。
ベイトの言う通りならこれで帰ることができる。
しかしルディベルトの言葉が頭から離れず、飛ばすことが躊躇われた。
ーーこれからどうするのか、一度よく考えてみなさい
ヴェリスト家にいるべきではないというのが彼の考えだ。
シャーロットは一つ頭を振り、酒場に引き返すと、マスターに観光客用の地図を用意してもらう。
目的地がヴェリスト家だと告げると、地図に経路を書き込んでくれた。
「この地図には途中までしか道が載ってないが…本当に馬車、用意しなくていいのかい?」
「はい、大丈夫です」
迷えば紙飛行機を飛ばせばいい。
礼を言い酒場から出ると、行きしに馬車で駆け抜けた、関所に向かう橋を目指す。
徒歩だと時間はかかるだろうが、頑張ればヴェリスト家まで戻れるだろう。
頭を冷やすには丁度いい距離だ。
人の流れに沿い橋の歩道を歩いていくと、黒い馬の箱型馬車が追い抜いて行く。
(そう言えば、ヴェリスト家に来るまで馬車に乗ったことなんてなかったな)
そんなことを思いながら歩いていたシャーロットは、段差に気が付かなかった。
「わっ!」
見事に踏み外し、足を捻る。
そのまま後ろへと倒れて尻餅をつき、段差に座り込む形になった。
「痛っ…」
シャーロットは短い編上げのブーツを脱ぐと、足首に触れる。
軽く捻っただけで、すぐに痛みは治まりそうだ。
シャーロットはブーツを履き直す。
解けないようにしっかりと紐を結び、顔を上げると、思わず息を呑んだ。
人々が哀れみの視線を向けながら通り過ぎる中、こちらに向かって歩いてくる姿が目に入ったのだ。
遠目でもその黒い髪は目を引き、人々はその人の行先を阻まないように避けて進んでいく。
やがて目の前に来ると、彼は腰を屈め手を差し出してきた。
「何をしている」
見下ろしてくる金色の瞳は、夕陽を受け優しい橙に染められている。
綺麗な色、という感想が浮かんだが、すぐに頭の隅に追いやった。
差し出されたその手に自分の手を重ねると、強く引っ張られる。
シャーロットは左足に体重をかけながら立ち上がった。
「…申し訳ございません、シュラ様」
「上の空で歩いているからだ」
シュラが歩き出し、シャーロットも流れでついて行ったが、まだ少し痛んだ。
それに気がついたのか、彼は立ち止まり、シャーロットが追いつくと先程より速度を落として歩き出した。
「…なぜわたしが上の空だと?」
「おまえの横を通り過ぎた」
前を見つめるシュラの視線の先には、先程走り過ぎて行った黒馬の馬車がある。
シュラはシャーロットの手元に目をやった。折り畳まれたままの紙飛行機と、何やら線が引かれた地図。
「…その様子だと、迎えを呼ぶ気はないのだろう?だがそれで迷われては困る。仮にもうちの使用人だ。乗れ」
仮にも、という単語にいつもなら噛み付くが、今はそんな元気もなかった。
大人しく頭を下げ、シュラの手を借りながら馬車に乗り込む。
「あなたが通るなんて、驚きました」
「レヴェンディは屋敷へ戻るための通過点だからな」
「なるほど…」
シャーロットは地図の間に紙飛行機を挟み、鞄にしまう。
そこで手紙を出し忘れたことに気が付いた。
「それは手紙か?」
「…はい」
「出さないのか?」
シャーロットは苦笑を浮かべ、俯いた。
「出せませんよ」
それは、これからも頑張ろうという思いで書いた手紙だ。
だが正直、今はその思いも屋敷に残りたい理由も、弱く感じる。
居心地が良く、逃げないと決意したが、それだけの理由でヴェリスト家にいていいのかという考えが脳裏にちらつくのだ。
挫けたくないという気持ちも確かにあるのに、心はひどく沈んでいる。
「何かに巻き込まれたか?」
静かで、鋭い問いだった。
巻き込まれたとは少し違う気もするが、シャーロットは口を開く。
「…まあ、飛び込んだのはわたしです。行かない選択肢もありましたから」
「自業自得か」
「それ、言わなくていいです」
だが実際その通りなのだ。
行くことを選んで迷いが生まれたのだから、我ながら馬鹿だと思う。
ルディベルトの言葉を気にせず紙飛行機を飛ばせばよかったのに、それができなかった。
そのおかげで、目を合わせることを避けていた当主と言葉を交わせているのだが。
「何があったのかは知らないが、屋敷の空気を悪くするなよ」
「わかってますよ」
それから、シュラもシャーロットもそれぞれ窓の外を眺めていた。
何か面白いものがあるわけでもないが、それぐらいしかすることもない。
無理に会話を続けようとするのもおかしな話で、黙る以外になかった。
しばらく経ち、ふとルディベルトに問われたことを思い出す。
「わたし、どうしてあなたのことが嫌いなんですかね?」
そう尋ねていた。
「…本人に聞くのか」
「気になりません?わたしがあなたに反抗する理由」
シュラの方を見ると、彼は視線だけ寄越した。
「おまえが俺をどう思っていようが、心底どうでもいい」
「ですよね」
シュラは使えない自分のことに関心は無いのだろう。力のある当主なのだから当然だ。
シャーロットは口を閉ざした。
反対に、シュラが口を開く。
「どう思われようが関係ない。前に言っただろう。使えるか使えないか、俺が他人に下す評価はそれだけだ」
「他人に無関心過ぎる気もしますが…わかりやすいですね。だから上にいられるのでしょうか」
それを聞き、シュラは目を窓の外へと向ける。
「さあな。俺は人を気にし、うだうだと考えるやつの気が知れないだけだ」
ぐさりと刺さった。
そこでシャーロットは一度、ルディベルトに言われたことを全て追いやり、自分がシュラに思うことを口にする。
「…わたしは戦えませんが…仮にその力があっても…あなたのために、命はかけられない」
口をついて出てきたのは、ヴェリストの使用人らしからぬ言葉だった。
「構わん。俺はただ仕事を終わらせるために必要な指示を出す。こう言うとおまえは怒るのだろうが、俺にとって使用人は駒のようなものだ。もしおまえに力があったなら、その意志に関係なく戦場に送る。非情だと思うか?だがそういう組織だ」
シャーロットは悔しさに歯噛みする。
ルディベルトの言った通りだ。使用人は仕える者であり、覚悟がなければ去るしかない。
それがヴェリスト家だ。
「…いつだったか、依頼先であらゆる資料を調べ上げた。だが月に動物がいるという情報はどこにも記されていない」
「……え」
唐突な話の転換と、その内容の衝撃に、シャーロットは肩を落とした。
「…初めてあなたと話した時、なんとなくそんな気がしてショックだったのに…現実を突きつけてさらに傷を抉るなんて…」
シュラは面倒くさい、と言わんばかりに額を押さえる。
「文句なら嘘を教えたやつに言え。この場合むしろ俺は感謝されるべきだろう」
「ぐ…おっしゃる通りで…」
そのとき馬車が止まり、シュラが音もなく降りる。到着したらしい。
御者に手を借りて降り、礼を言ったシャーロットは、馬車を見送りながらシュラに尋ねる。
「というか、わざわざ調べてくださったんですか?」
「おまえのためじゃない。“月に動物がいる”。それは本当に否定できるのか気になったからだ。自分の予想と違った答えが待っていたとしても、知識が増えることは無駄ではない。そうは思わないか?」
シュラの表情が優しくて、シャーロットは目を瞠った。
(この人はわたしが信じてきた嘘を聞いて、調べて、確実な知識にしたのね)
彼は些細なことでも調べることを好み、探究心があるのだろう。
性格には難ありな気はするが、聡明な人物らしい。
わかっていた。自分だけが彼に変な意地を張っているということを。
「そうですね。言われたことが全てではないし、自分の考えが、知っている世界が…いつも正しいとも限らない」
シャーロットは門の前で屋敷を見つめた。
たとえ当主や遠征組の言うことが正しく、いつかここを追い出されるとしても、今の自分はヴェリスト家の使用人だ。
使用人たちが何を知り、何を思って過ごしているのか。当主はどういう人なのか。
それらを知った上で、どうするのかを決められたなら。
(…残る時は最期まで。去る時は、得られるものを全部持って行く)
その気持ちを察したかのようにシュラは言葉を発する。
「知りたいことがあれば、図書資料室に行くといい。あそこには書物、資料、文献、その複製など多くを収容している。それらの渉猟は、おまえの世界を広げるかもしれない」
都合のいい解釈だが、その言葉はまるで背中を押してくれているようだった。
シャーロットは感謝と謝罪の意を込めて頭を下げる。まだ、辞めることはできない。
「ありがとうございました」
そう言って歩き去って行った彼女の目に、もう迷いはないようだった。
シュラはため息をつく。
(…あのまま放っておいたら、ミータが何か面倒なことを言い出しただろうな)
あの取引の日以降、シャーロットと目が合うことはなかった。
しかし早朝、自室の窓から外を眺めていると、花に水をやるその姿を見かける。
それだけではない。広間、階段、食堂、廊下、庭…敷地内にいると視界に映る。
その度に、いつも人一倍走り回り、そして誰よりも楽しそうにしている彼女の表情が、一瞬見ただけでもわかるほどに翳っていた。
おそらく組織関連で何かあったのだろう。
もし自分が別の言葉をかけたのなら、彼女は自らここを去ったかもしれない。
自分の望む組織の姿に戻る。
しかし、なぜか彼女に助言する選択をした。
「…上に立つ者は冷徹に、非情に。舐められてはならない。…忘れていたわけでは、ないのだがな」
自嘲するように笑う。
これは今回限りの、温情だ。
(…新たな知識の、礼ということにするか)
シュラは蒼く輝く月を一瞥し、自室を目指した。
(…いつの間にか寝てたのね)
「おや、起きたかい」
声をかけてきたのはマスターだった。
「あ、すみません!こんな時間まで…!」
シャーロットは慌てて席から立ち上がると、ルディベルトが置いていったお金で代金を支払い店を出る。
お釣はベイトに渡せば届けてくれるだろう。
(屋敷に戻ったら、今日の分の資料を片付けないと)
シャーロットは紙飛行機を取り出した。
ベイトの言う通りならこれで帰ることができる。
しかしルディベルトの言葉が頭から離れず、飛ばすことが躊躇われた。
ーーこれからどうするのか、一度よく考えてみなさい
ヴェリスト家にいるべきではないというのが彼の考えだ。
シャーロットは一つ頭を振り、酒場に引き返すと、マスターに観光客用の地図を用意してもらう。
目的地がヴェリスト家だと告げると、地図に経路を書き込んでくれた。
「この地図には途中までしか道が載ってないが…本当に馬車、用意しなくていいのかい?」
「はい、大丈夫です」
迷えば紙飛行機を飛ばせばいい。
礼を言い酒場から出ると、行きしに馬車で駆け抜けた、関所に向かう橋を目指す。
徒歩だと時間はかかるだろうが、頑張ればヴェリスト家まで戻れるだろう。
頭を冷やすには丁度いい距離だ。
人の流れに沿い橋の歩道を歩いていくと、黒い馬の箱型馬車が追い抜いて行く。
(そう言えば、ヴェリスト家に来るまで馬車に乗ったことなんてなかったな)
そんなことを思いながら歩いていたシャーロットは、段差に気が付かなかった。
「わっ!」
見事に踏み外し、足を捻る。
そのまま後ろへと倒れて尻餅をつき、段差に座り込む形になった。
「痛っ…」
シャーロットは短い編上げのブーツを脱ぐと、足首に触れる。
軽く捻っただけで、すぐに痛みは治まりそうだ。
シャーロットはブーツを履き直す。
解けないようにしっかりと紐を結び、顔を上げると、思わず息を呑んだ。
人々が哀れみの視線を向けながら通り過ぎる中、こちらに向かって歩いてくる姿が目に入ったのだ。
遠目でもその黒い髪は目を引き、人々はその人の行先を阻まないように避けて進んでいく。
やがて目の前に来ると、彼は腰を屈め手を差し出してきた。
「何をしている」
見下ろしてくる金色の瞳は、夕陽を受け優しい橙に染められている。
綺麗な色、という感想が浮かんだが、すぐに頭の隅に追いやった。
差し出されたその手に自分の手を重ねると、強く引っ張られる。
シャーロットは左足に体重をかけながら立ち上がった。
「…申し訳ございません、シュラ様」
「上の空で歩いているからだ」
シュラが歩き出し、シャーロットも流れでついて行ったが、まだ少し痛んだ。
それに気がついたのか、彼は立ち止まり、シャーロットが追いつくと先程より速度を落として歩き出した。
「…なぜわたしが上の空だと?」
「おまえの横を通り過ぎた」
前を見つめるシュラの視線の先には、先程走り過ぎて行った黒馬の馬車がある。
シュラはシャーロットの手元に目をやった。折り畳まれたままの紙飛行機と、何やら線が引かれた地図。
「…その様子だと、迎えを呼ぶ気はないのだろう?だがそれで迷われては困る。仮にもうちの使用人だ。乗れ」
仮にも、という単語にいつもなら噛み付くが、今はそんな元気もなかった。
大人しく頭を下げ、シュラの手を借りながら馬車に乗り込む。
「あなたが通るなんて、驚きました」
「レヴェンディは屋敷へ戻るための通過点だからな」
「なるほど…」
シャーロットは地図の間に紙飛行機を挟み、鞄にしまう。
そこで手紙を出し忘れたことに気が付いた。
「それは手紙か?」
「…はい」
「出さないのか?」
シャーロットは苦笑を浮かべ、俯いた。
「出せませんよ」
それは、これからも頑張ろうという思いで書いた手紙だ。
だが正直、今はその思いも屋敷に残りたい理由も、弱く感じる。
居心地が良く、逃げないと決意したが、それだけの理由でヴェリスト家にいていいのかという考えが脳裏にちらつくのだ。
挫けたくないという気持ちも確かにあるのに、心はひどく沈んでいる。
「何かに巻き込まれたか?」
静かで、鋭い問いだった。
巻き込まれたとは少し違う気もするが、シャーロットは口を開く。
「…まあ、飛び込んだのはわたしです。行かない選択肢もありましたから」
「自業自得か」
「それ、言わなくていいです」
だが実際その通りなのだ。
行くことを選んで迷いが生まれたのだから、我ながら馬鹿だと思う。
ルディベルトの言葉を気にせず紙飛行機を飛ばせばよかったのに、それができなかった。
そのおかげで、目を合わせることを避けていた当主と言葉を交わせているのだが。
「何があったのかは知らないが、屋敷の空気を悪くするなよ」
「わかってますよ」
それから、シュラもシャーロットもそれぞれ窓の外を眺めていた。
何か面白いものがあるわけでもないが、それぐらいしかすることもない。
無理に会話を続けようとするのもおかしな話で、黙る以外になかった。
しばらく経ち、ふとルディベルトに問われたことを思い出す。
「わたし、どうしてあなたのことが嫌いなんですかね?」
そう尋ねていた。
「…本人に聞くのか」
「気になりません?わたしがあなたに反抗する理由」
シュラの方を見ると、彼は視線だけ寄越した。
「おまえが俺をどう思っていようが、心底どうでもいい」
「ですよね」
シュラは使えない自分のことに関心は無いのだろう。力のある当主なのだから当然だ。
シャーロットは口を閉ざした。
反対に、シュラが口を開く。
「どう思われようが関係ない。前に言っただろう。使えるか使えないか、俺が他人に下す評価はそれだけだ」
「他人に無関心過ぎる気もしますが…わかりやすいですね。だから上にいられるのでしょうか」
それを聞き、シュラは目を窓の外へと向ける。
「さあな。俺は人を気にし、うだうだと考えるやつの気が知れないだけだ」
ぐさりと刺さった。
そこでシャーロットは一度、ルディベルトに言われたことを全て追いやり、自分がシュラに思うことを口にする。
「…わたしは戦えませんが…仮にその力があっても…あなたのために、命はかけられない」
口をついて出てきたのは、ヴェリストの使用人らしからぬ言葉だった。
「構わん。俺はただ仕事を終わらせるために必要な指示を出す。こう言うとおまえは怒るのだろうが、俺にとって使用人は駒のようなものだ。もしおまえに力があったなら、その意志に関係なく戦場に送る。非情だと思うか?だがそういう組織だ」
シャーロットは悔しさに歯噛みする。
ルディベルトの言った通りだ。使用人は仕える者であり、覚悟がなければ去るしかない。
それがヴェリスト家だ。
「…いつだったか、依頼先であらゆる資料を調べ上げた。だが月に動物がいるという情報はどこにも記されていない」
「……え」
唐突な話の転換と、その内容の衝撃に、シャーロットは肩を落とした。
「…初めてあなたと話した時、なんとなくそんな気がしてショックだったのに…現実を突きつけてさらに傷を抉るなんて…」
シュラは面倒くさい、と言わんばかりに額を押さえる。
「文句なら嘘を教えたやつに言え。この場合むしろ俺は感謝されるべきだろう」
「ぐ…おっしゃる通りで…」
そのとき馬車が止まり、シュラが音もなく降りる。到着したらしい。
御者に手を借りて降り、礼を言ったシャーロットは、馬車を見送りながらシュラに尋ねる。
「というか、わざわざ調べてくださったんですか?」
「おまえのためじゃない。“月に動物がいる”。それは本当に否定できるのか気になったからだ。自分の予想と違った答えが待っていたとしても、知識が増えることは無駄ではない。そうは思わないか?」
シュラの表情が優しくて、シャーロットは目を瞠った。
(この人はわたしが信じてきた嘘を聞いて、調べて、確実な知識にしたのね)
彼は些細なことでも調べることを好み、探究心があるのだろう。
性格には難ありな気はするが、聡明な人物らしい。
わかっていた。自分だけが彼に変な意地を張っているということを。
「そうですね。言われたことが全てではないし、自分の考えが、知っている世界が…いつも正しいとも限らない」
シャーロットは門の前で屋敷を見つめた。
たとえ当主や遠征組の言うことが正しく、いつかここを追い出されるとしても、今の自分はヴェリスト家の使用人だ。
使用人たちが何を知り、何を思って過ごしているのか。当主はどういう人なのか。
それらを知った上で、どうするのかを決められたなら。
(…残る時は最期まで。去る時は、得られるものを全部持って行く)
その気持ちを察したかのようにシュラは言葉を発する。
「知りたいことがあれば、図書資料室に行くといい。あそこには書物、資料、文献、その複製など多くを収容している。それらの渉猟は、おまえの世界を広げるかもしれない」
都合のいい解釈だが、その言葉はまるで背中を押してくれているようだった。
シャーロットは感謝と謝罪の意を込めて頭を下げる。まだ、辞めることはできない。
「ありがとうございました」
そう言って歩き去って行った彼女の目に、もう迷いはないようだった。
シュラはため息をつく。
(…あのまま放っておいたら、ミータが何か面倒なことを言い出しただろうな)
あの取引の日以降、シャーロットと目が合うことはなかった。
しかし早朝、自室の窓から外を眺めていると、花に水をやるその姿を見かける。
それだけではない。広間、階段、食堂、廊下、庭…敷地内にいると視界に映る。
その度に、いつも人一倍走り回り、そして誰よりも楽しそうにしている彼女の表情が、一瞬見ただけでもわかるほどに翳っていた。
おそらく組織関連で何かあったのだろう。
もし自分が別の言葉をかけたのなら、彼女は自らここを去ったかもしれない。
自分の望む組織の姿に戻る。
しかし、なぜか彼女に助言する選択をした。
「…上に立つ者は冷徹に、非情に。舐められてはならない。…忘れていたわけでは、ないのだがな」
自嘲するように笑う。
これは今回限りの、温情だ。
(…新たな知識の、礼ということにするか)
シュラは蒼く輝く月を一瞥し、自室を目指した。
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