ヴェリスト家のシャーロット

水廉

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第一章

侵入者と非現実

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***

「朝っぱらから何なんだてめえは!どこの回し者だ?」

動きやすくアレンジされた、もはや燕尾服とは言えない服を纏った青年が拳を固めながら問いかけてくる。

おそらく、この男が喧嘩王。

確証は一切ないが、なんとなくそんな気がする。

繰り出される打撃をかわし、こちらからも仕掛けながら、逃げる隙を伺う。

ふと、相手の視線が別の場所へ逸れた。

隠し持っていた霧札ミスティを破り、彼の視界を奪う。

「くそ、霧で周りが見えねえ…!」

なんとか隙を作れたようだ。あとは逃げるのみ。

そう思った瞬間。

いつの間にか背後に迫っていた影に、吹き飛ばされていた。

蹴られたのか殴られたのか、はたまた武器なのか、わからない。

だが貫かれたのとは違う痛みが全身に広がり、それは否応なく、自分の敗北を予感させた。

起き上がろうと腕に力を込めながら顔を上げると、そこに立つのは美しい女。

手に持つ短剣さえなければ、一目惚れです、と伝えたかもしれない。

彼女は音もなく近づいてきて、冷たい刃を喉元に突きつけてくる。

「逃げられると、思わないで下さいね?」

どうやらここで自分の役目は終わるようだ。

あとは他に、託すしかない。

「…はっ…まさかこんなに美しい化け物に、殺してもらえるとはね」

自嘲気味に言うと、女の持つ刃が煌めき赤い鮮血が散った。

***

「おやまあ、朝から掃除かい?元気だねぇ」

歩きながら声をかけてきたのは、大きな鞄を肩にかけたテノだった。

「テノさん!おはようございます!お出かけですか?」

「そんなところさ。朝食ができたから街に昼と晩の買い出しに行こうと思ってねぇ」

テノは材料と必要量がびっしりと書き込まれたリストを見せながら言った。

買う量はとても多く、そして当然高級な素材が多い。

ドラムト村を基準にした場合、ヴェリスト家の一食分で二、三日は食べていけそうだ。

「そうだ!いつも一緒に行く子が風邪引いちゃってねぇ…悪いけど、代わりに来てくれないかい?」

街と聞いてすぐさまその話を受けようとしたが、同時に脳裏にシュラの姿が浮かぶ。

「あ、ですがこれ終わらせないといけないので誰か別の人を…」

シャーロットが断ろうしたそのとき。

「新入り手が止まってるぞー。まさかいきなりサボりか!?」

「地味女やることは派手だな…」

階段を降りてくる二人にむっとして言い返そうとすると、テノが笑みを浮かべる。

「ああ、ちょうどいいところに。ディル、ディム、この子借りてくね!もし誰かに何か言われたら、あたしが連れてったって言いな」

二人はきょとんとして顔を見合わせ、何度も目を瞬く。

「……え?お、おう…」

「まあ…テノの手伝いなら仕方ないし、俺たちが地味女の分まで働くか…」

心底嫌そうな顔のディムに箒を奪い取られる。

「…えっと、ごめんなさい。ありがとう」

「…早く帰ってこいよな」

テノの存在は大きいらしく、やはり最強だった。

ステイン兄弟を黙らせるなんてこの人にしかできないのでは、と思ってしまう。

「決まりだねぇ!じゃああたしは外で待ってるから、準備をしておいで。その服だと目立つよ」

シャーロットは頷くと、さっそく自室に戻り、クローゼットから少しお洒落なワンピースを取り出す。

…昨日より服が増えている気がするのは気のせいだろうか。

一瞬ミータの顔が浮かんだが、シャーロットは一つ頭を振った。

「…高そうだけど、街に行くなら着るしかない」

さすがに街へエプロンドレスを着ていく勇気はない。

急いで着替え、早足で庭に出ると、ユガンが花に水をやっていた。

「おや、お出かけですか?」

「はい、テノさんの買い出しの手伝いのために、街へ行ってきます」

「左様でございますか。テノ様なら門の外でお待ちだと思いますよ。お気を付けて」

「ありがとうございます」

広い庭を抜けて外に出ると、テノが立派な四輪箱型馬車クーペの前で待っていた。

足に金属のリングを付けた二頭の馬の前には御者らしき男の姿もある。

「お、来たね!買い出しのときはこれに乗って街まで一気に降りるんだよ」

どうやら、この立派な馬車は買い出し専用のものらしい。

シャーロットはそこで一つ、浮かんだ疑問を口に出す。

「馬で山を下るのって危なくないですか?わたし徒歩で登って来ましたけど、結構傾斜があったような…もし馬が怪我でもしたら…」

「それに関しては、僕が説明しましょう」

そう言ったのはまだ若い御者の男だった。白のスラックスと黒のジャケットを着こなし、シルクハットを目深に被っている。

「お嬢さん、魔装まそうは知っていますか?」

御者は微笑みながら尋ねてきた。

「まそう…?」

問い返すと、相手は小さく頷いた。

「その名の通り、魔力を纏ったもののことなんですよ」

「……まりょく……え、魔力…?」

そんな単語は、自分の“現実”という名の辞書には存在していない。

新たな項目として追加しろということだろうか。

「驚くのも無理はありませんね、魔力の存在は知っている人の方が少ないですから」

男は軽快に笑いながら、事も無げに言った。

「馬の足に付けているこれは魔装枷リング。坂を下る際にはどうしても馬たちに大きな負担がかかるんでね。それを軽減させるための道具なんですよ。この二頭が事故を起こしたことはありません」

「…そう、なんですか」

シャーロットは夢を見ているのではないか、と自分の頬をつねった。

……痛い。

(これ現実…?いくらなんでもぶっ飛びすぎでは…)

ヴェリスト家は違う世界の存在だと未だに思っている。

価値観が大きく異なることや、自分が無知であることが原因だろう。

しかし。

魔力とは、例えでも何でもなく本当に異世界のことのようで信じ難い。

知識以前の問題だ。

シャーロットは考えることをやめた。

大人しく馬車に乗り込み、ふかふかの座席に腰を下ろす。

二人用のためそこまで広くはないが、左右どちらにも可動式の窓が備え付けてあった。

「街は広いよ!初めて見たときは、あたしも感動したもんだ」

「そうなんですね!楽しみです!」

しばらくして、馬車が動き出した。

視界に映るのは木々だけであり、特に面白いものはない。

何も考えずにぼんやりと外を眺めていると、テノが小声で言った。

「魔力の話は、街では口外しないようにね。変な事件に巻き込まれるかもしれないよ」

そう言った彼女は笑っていた。どこが寂しげで、シャーロットは頷く。

「テノさんは魔力の存在は…」

「あたしは知っているよ。昔あんたと同じ質問を別の御者にしたからねぇ…もちろん誰にも言ってない」

テノは遠い昔を思い出すように目を細める。

何か思い出があるのかもしれない。

シャーロットはその表情を見て、魔力の存在を少しだけ信じてみることにした。

それからどれ程経っただろうか。

だいぶ長い時間を馬車で過ごしている気がするが、ようやく目的地が近づいてきたらしい。

「お、見えてきたよ」

うとうとしていたシャーロットはそれを聞くと、はっとして窓を開けた。

「あれが大商業都市・ハンデールさ!」
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