ビハインド

さいだー

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「ふぁー」

 あくびを噛み殺してベットから身を起こすと、カーテンの隙間から穏やかな日射しが差し込んでいた。

 ここ最近は目覚まし無しで、人間らしい時間に起きる事が増えた。いや、戻ったと言った方が正しいか。

 早起きするようになった理由の一つは、やすみと出掛ける為。

 今日もやすみと出掛ける予定で、十時丁度にやすみ母が車で迎えに来ることになっている。

 今思えば、最初の頃はやすみを連れ出すのには苦労した。

 だけど、ここ最近は余命いくばくもないやすみに同情してか、やすみ担当の先生ですら見てみぬふりをしてくれている。
 連れ出すのが容易になったのだ。

 そのおかげもあって、やすみに悔いを残させる為に、たくさんの場所に連れていく事ができた。

 夕暮れの海岸、朝焼けに染まる山頂。
 まるで黄金色の絨毯のように見える、頭を垂れる稲穂。キャンプ場で夜通し星を眺め、また来ようと約束をした。

 俺がよく知っているこの田舎町で、美しいと思える景色達を見て、きっとやすみの心はグラグラと揺れて、傾いてきているはずだ。

 こんな美しいものがあるのか……もっと見ていたい。もっと知りたいと。


 そんな、希望的観測を浮かべながら、ベッド横の机に置かれたデジタル時計に目を向けると、五時三十分を示している。

 早起きするようになった、もう一つの理由の日課をこなす時間だ。

 ベットから立ち上がると、カーテンを開き伸びをしながら全身で日光を浴びる。

「よし、今日もやるか!」

 太陽は偉大だ。
 こうしているだけで、カスみたいな人生をおくっている俺ですら生きる活力がみなぎってくるんだから。

 そうだ。やすみにも朝一に日光浴をするように言おう。
 きっと、今やすみが抱いている不安すらも、ちっぽけな物に感じられるようになるだろうから。

 
 
 
 玄関に向かおうと自室を出ると、台所で働く母さんの背中が目に入った。
 一度はそのまま声をかけずに、出掛けようとした。

 だけど、なんかそれが気持ち悪くて、台所まで戻って母さんの背中に声をかけた。

「……おはよう。行ってきます」

 答えは期待していない、こちらからの一方的な挨拶のつもりだったのだけど、母さんは料理する手を止めてこちらに振り返り、優しく微笑んだ。

「あら、おはよう。最近は早いのね」

 母さんとまともに面と向かって話すのは、凄く久々の事だ。

 ご飯は一人で自室で食べていたし、朝方に寝て、夜間行動していたからかな。

 そんなだから、こうしているのが少し照れ臭くも感じたのだけど、母さんは一年前と何も変わらない様子で接してくれた。

「ああ、うん。ちょっと、やりたい事ができてさ」

 俺の返事を聞いて、母さんは「ふーん、そうなの」と頷くと中断していた料理へと視線を戻した。

「あっ、そう言えば今日、昼は出掛けるから昼御飯はいらないよ」

 いつも母さんは、仕事に行く前に俺の昼御飯も用意していってくれているのだ。

 母さんは振り返らず、料理を続けながら言った。

「はいはい。じゃあ、お弁当にする?」

「いや、出先で食べるから、お弁当も大丈夫」

「了解。わかったわ。朝ごはん、もう少しでできるから、早く帰って来なさいね」

「ああ、わかったよ。一時間くらいで戻ってくるから。じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい」

 挨拶をすませ、踵を返し玄関へと向かう。

 そして、ランニングシューズを履こうとかまちに座った時に、母さんが口ずさむハミングがふんわりと耳朶に響いてきた。

 母さん、が鼻歌を歌っているのなんて、とても久しぶりに聞いた気がする。

 なんか、良いことでもあったのかな?

 ランニングシューズを履き終えると、母さんが刻む、心地よいメロディーに背中を押されながら、玄関の扉を開いた。

 ただでさえ軽い安物のドアなのに、いつもより、より軽く感じた。
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