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木剣
しおりを挟む縦振り、横振り、斜め振り。
目の前の幹、枝、宙を舞う落ち葉。
初めてこの木剣を握った幼き日から、来る日も来る日もただ、振り込んできた。
剣術を極めようなんて気はさらさらなかった。
丈夫な体に産まれ、体の弱かった前世の記憶を持つ僕は、ただ体を動かす事が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
シフィエスにはぼうっきれとも揶揄されたボロボロになってしまった木剣をとても誇らしく思う。
父さんもボロボロの木剣を不憫に思っていたようで『新しいのを作ってやろうか?』と言われた事もあったけど、新調する気にはならなかった。
この木剣は僕と人生を共に歩んできた相棒で、何物にもかえがたい、唯一無二の存在なのだ。
____________________________________________
「母さん。行ってきます!」
「あらあら、今日も早いのね。昼には一度帰ってくるのよ」
「はーい」
元気良く返事を返すと、ハヤブサの如く家を飛び出した。
もちろん、右手には相棒の木剣を握りしめて。
いつも通り家の前の分かれ道を左手に曲がり、背の低い木々の集まる低木林に向かう。
僕の足で走って十分ほどの距離。走るのも楽しくて楽しくて仕方がない。
体を動かす事が好きで好きで、ただ一目散に走った。
しばらく走ると等間隔に並ぶ木々が見えてきた。目的地のいつもの林。
いつもの出入口から侵入して、すぐの所にある倒木に倒れるように座った。
あがりきった息を整えるため、肩を揺らして深い呼吸を繰り返す。
何度か繰り返し、呼吸が落ち着いてから周囲を見回してみるが、お節介焼きの少女の姿はない。
どうやら今日は僕が一番乗りだったようだ。
「よし。やるか」
元気いっぱいに倒木から跳ね起きると、いつもの稽古相手に対峙した。
直径十五センチ程の枯れ木。
僕が繰り返し繰り返し撃ち込んだせいで、幹はあちらこちらが傷だらけだ。
地面に近い方の傷は浅く、古く、僕の顔程の高さにある傷は深く、新しい。僕の身体の成長を物語っている。
当面の目標は、こいつを切り倒す事。
しかし、その目標もまもなく___________達成される!
息をゆっくりと吐き出し、木剣を頭上に構える。
できる限りの力を込めて、袈裟斬りの要領で振り下ろす!
木剣は的確に傷痕を捉えた。
バキッ!
衝撃音の後に、いつもなら手に響いてくる衝撃が無く、手が痺れる事もなかった。
振り抜いた木剣は宙を舞い、体の支えを失った僕は地面に倒れ込んだ。
そして今まで良く頑張ったと讃えるように、枯れ木は僕の横に倒れ落ちた。
やった!やった!僕はついにやった!!
「よーし!!」
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
僕の人生で、前世を含めても初めて目標を達成した瞬間だった!
マリエスに自慢してやりたかったけど、なんで今日に限っていないんだよ!
寝転がったまま、ボロボロになってしまった木剣を抱き締め「ありがとう」と呟いた。
もちろん、今まで稽古に付き合ってくれた枯れ木にも「ありがとうございました」と御礼を言った。
「さてと」
そのうちマリエスもやってくるだろうが、待っている気にはなれない。
沸き上がる高揚感で、その場にとどまっている事が出来なかったんだ。
体を起こし、土埃を払う。
そして、林の奥を目指す事にした。
新しいさらに強力な稽古相手を探す為に。
ここより先には進んじゃダメだと母さんに言われていたけど、木を斬り倒せる程の腕前になったのだ。
多少のモンスターなら返り討ちにできる自信があった。だから、僕は大丈夫!
林は奥に進めば進むほど、木々の密度が上がっていく。密集した木々の枝葉は光を遮り、まだ朝だと言うのに薄暗い。
少し怖いという気持ちも芽生えつつあったのだけど、目標を達成した高揚感が僕の背中を押した。
進んでも進んでも、手頃な枯れ木は見つからない。
進んで、立ち止まって、見回してを何度か繰り返し、林を奥へ奥へと進んだ。
「あっ!」
薄暗い林の中に、一部だけ光の降り注ぐスペースを見つけた。
生前の俺の記憶を参照するならば、そのスペースの事をギャップと言うらしい。
何らかの理由で倒木が起こり、ぽっかりと林に開いてしまった穴。それがギャップ。
待てよ!倒木があるくらいなら、枯れ木があるかもしれない!
僕は急ぎ足でギャップに向かう。
ギャップの中央には、木が数本横たわっていた。
僕が倒したのとは比べ物にならないくらい立派な木。大木と言ってもよい程の。
「うわーすごいな」
どんな理由で倒れてしまったのだろう?
落雷でもあったのだろうか?
その割に焦げたような跡も無いし、燃えたような形跡もない。
大人が木を採取するために切り倒したのかもしれないな。
なんて考えにふけっていると、風も無いのに背後の草むらがガサガサと音を立てた。
何者かの気配も感じられる。息を殺して、僕の背後を取ろうとしているのも感じ取れた。
あー、なるほど。
全てを理解して、イタズラを台無しにしてやろうと声をかけた。
「……マリエスか」
きっと、僕をからかおうとしているのだろうと思っていたが背後からの反応はない。
「それで脅かしてるつもり?」
言いながら振り返ると、そこにいたのは可愛らしいイタズラ少女なんかではなかった。
光を浴びて銀色に輝く毛皮、体長三メートル程はあろう、熊のような生物が僕に向かって右手を振り下ろす瞬間だった。
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