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結局守人が戻って来たのは二時を回った頃だった。
「今帰りました。すみません、遅くなってしまって……」
「気にしなくていい。それより暑かっただろう。体調の方は大丈夫なのか?」
「最初から何ともありませんよ。今朝もちょっと寝不足だっただけですから。昼食は」
「もう済ませたよ」
応接室に入って来た守人のシャツの袖に、黒っぽい土を擦ったような汚れが付いているのに気が付く。
「汚れているぞ」
「ああ、本当だ。着替えてきますね」
守人は踵を返して部屋を出て行った。
応接室の入口から視線を戻した時、私は部屋に妙な感じを受け取った。さっきまでと違う、そう何かーー。
私はうっすらと埃を被った暖炉横のキャビネットの上に、見たことがあるものを発見した。
あの黒い石だった。
私は困惑した。応接室に入って弟を待っている間は確かなかったはずだ。
守人が持って来たのだろうか? いや、帰って来た彼は入り口のところで話していてこちらには近寄らなかった。
石は昼間の光にぬらぬらとどこか有機的な、不気味な光沢を放ち存在していた。まるでついさっきそこに現れたかのように。
すぐに思い直す。きっと石は最初からあったのだ。守人が夕べこの部屋で石を眺めて何気なくここに置き、そのまま忘れた。私が気が付かなかっただけだ。人間の認識力など当てにならないものだ。
大体、ただの石がなんだというのか。
私は石に手を伸ばした。
触れる直前に、書斎で見せられたあの文字のような、模様のようなものが、現れるのを見た気がした。
脳裏に浮かぶ光景。
暗い浜辺。
火を囲んで踊る人々。黒い泥水が砂に[[rb:水脈 > みお]]引き海へ啜られる。
震え波打つ泥はそれ自身が意思を持つ粘性を持った塊の、
「兄さん」
背後から声を掛けられて私は飛び上がった。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか守人が後ろに立っていた。
「顔色が悪いですよ」
宿で見た夢と同じだった。
いや、夜見た夢の記憶がよみがえっただけの白昼夢だったのか。
「あ……ああ、いや」
私は平静を装って答えようとしたが、口の中がカラカラになっていてすぐに言葉が出なかった。
守人が石を見て怪訝な顔をする。
「どうしてそれがここに……?」
「お前が置いたんじゃないのか?」
「えっ、……あ、ああ、そうでした! 昨日仕舞うのを忘れたんです……」
私のすぐ横から手が伸びて、石を取ろうとした。だが、その手は石を掴まなかった。
石を掴もうとした手が止まる。
何かに逡巡するように拳を作った後、私の胴に回された。引き寄せられて、私よりも背の高い体が背中に密着した。
守人が耳に口を寄せた。
「……和巳」
「……っ」
びくりと体が[[rb:竦 > すく]]んだ。
空いている方の手を、私の左手に重ね、唇が耳に触れる。熱い呼気がかかって、肌が粟立つ。
「あの時僕達は確かに……」
「あれは間違いだったんだ。私は受け入れるべきじゃなかった」
「僕達ずっと、ずっと一緒だったのに」
私は身を捩って逃げようとした、だがきつく抱きしめられて、身動きがとれない。
抱きすくめる腕に一層力がこもる。
「僕は、あなたのことが……っ」
「お前は寂しかっただけだよ。たまたま側にいたのが私だった。肉親を慕う情を愛情だと勘違いしてるだけだ」
「そんなことはありません! 兄さんは違う。だってあんなに……」
守人が私の首筋に顔を[[rb:埋 > うず]]める。
「守人、私は、」
「こうして来てくれたのは、そういうつもりでいるんでしょう」
守人の手が胸元を探り、シャツのボタンを外していく。舌で首を舐められ、息を呑んだ。
「今帰りました。すみません、遅くなってしまって……」
「気にしなくていい。それより暑かっただろう。体調の方は大丈夫なのか?」
「最初から何ともありませんよ。今朝もちょっと寝不足だっただけですから。昼食は」
「もう済ませたよ」
応接室に入って来た守人のシャツの袖に、黒っぽい土を擦ったような汚れが付いているのに気が付く。
「汚れているぞ」
「ああ、本当だ。着替えてきますね」
守人は踵を返して部屋を出て行った。
応接室の入口から視線を戻した時、私は部屋に妙な感じを受け取った。さっきまでと違う、そう何かーー。
私はうっすらと埃を被った暖炉横のキャビネットの上に、見たことがあるものを発見した。
あの黒い石だった。
私は困惑した。応接室に入って弟を待っている間は確かなかったはずだ。
守人が持って来たのだろうか? いや、帰って来た彼は入り口のところで話していてこちらには近寄らなかった。
石は昼間の光にぬらぬらとどこか有機的な、不気味な光沢を放ち存在していた。まるでついさっきそこに現れたかのように。
すぐに思い直す。きっと石は最初からあったのだ。守人が夕べこの部屋で石を眺めて何気なくここに置き、そのまま忘れた。私が気が付かなかっただけだ。人間の認識力など当てにならないものだ。
大体、ただの石がなんだというのか。
私は石に手を伸ばした。
触れる直前に、書斎で見せられたあの文字のような、模様のようなものが、現れるのを見た気がした。
脳裏に浮かぶ光景。
暗い浜辺。
火を囲んで踊る人々。黒い泥水が砂に[[rb:水脈 > みお]]引き海へ啜られる。
震え波打つ泥はそれ自身が意思を持つ粘性を持った塊の、
「兄さん」
背後から声を掛けられて私は飛び上がった。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか守人が後ろに立っていた。
「顔色が悪いですよ」
宿で見た夢と同じだった。
いや、夜見た夢の記憶がよみがえっただけの白昼夢だったのか。
「あ……ああ、いや」
私は平静を装って答えようとしたが、口の中がカラカラになっていてすぐに言葉が出なかった。
守人が石を見て怪訝な顔をする。
「どうしてそれがここに……?」
「お前が置いたんじゃないのか?」
「えっ、……あ、ああ、そうでした! 昨日仕舞うのを忘れたんです……」
私のすぐ横から手が伸びて、石を取ろうとした。だが、その手は石を掴まなかった。
石を掴もうとした手が止まる。
何かに逡巡するように拳を作った後、私の胴に回された。引き寄せられて、私よりも背の高い体が背中に密着した。
守人が耳に口を寄せた。
「……和巳」
「……っ」
びくりと体が[[rb:竦 > すく]]んだ。
空いている方の手を、私の左手に重ね、唇が耳に触れる。熱い呼気がかかって、肌が粟立つ。
「あの時僕達は確かに……」
「あれは間違いだったんだ。私は受け入れるべきじゃなかった」
「僕達ずっと、ずっと一緒だったのに」
私は身を捩って逃げようとした、だがきつく抱きしめられて、身動きがとれない。
抱きすくめる腕に一層力がこもる。
「僕は、あなたのことが……っ」
「お前は寂しかっただけだよ。たまたま側にいたのが私だった。肉親を慕う情を愛情だと勘違いしてるだけだ」
「そんなことはありません! 兄さんは違う。だってあんなに……」
守人が私の首筋に顔を[[rb:埋 > うず]]める。
「守人、私は、」
「こうして来てくれたのは、そういうつもりでいるんでしょう」
守人の手が胸元を探り、シャツのボタンを外していく。舌で首を舐められ、息を呑んだ。
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