黒の海、呼ぶ声に

もに

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その夜、夢を見た。
私は真っ暗な浜辺にいた。
遠くで赤い焚き火が燃えている。焚き火の周りに影が動いていていて、何人もの人間が火を囲んでいるらしかった。
無音の世界であるのに、波の音だけが聞こえていた。
彼らは踊りのような苦悶にのたうつような奇妙な動きをしていた。気になった私は彼らのところへ行こうとしたが、歩いているとずぶりと足が沈んだ。
足下には黒い泥が流れている。見渡すと行く筋もの黒い水が、海へと啜られるように流れ込んでいた。
私は温かく重い泥に足を絡め取られて動けなくなり、膝を付いた。泥は触れたところから私を這い登り、沈んでいく体はどんどんと重くなって、私の視点は地面へと近付いてゆく。
ふと中に白いものが見えた気がして、覗き込むとそれは散らばった人の骨だった。

私は悲鳴を上げて飛び起きた。嫌な汗をかいていた。
まだ空は白みはじめたばかりだったが、すでに夏の暑さが始まっていた。変な夢を見たのはこの暑さのせいかもしれない。
私は午前中は宿で手持ち無沙汰になるのを見越して持って来た、来学期に使う資料をまとめるなどしていた。
部屋に茶を運んできた宿のおかみが、好奇の目を向けて来た。
淤見よみのお屋敷にお行きなすったのかい」
予約を出した時も着いてからも、私は本来の目的は一言も言った覚えはないのだが、昨日の雑貨屋かと思い当たった。
「ええ」
「やっぱりお仕事で」
「そんなところで……」
「あの家から作家の先生が出るなんてねえ。娘の方はお妾さんになったようですけど孫は偉くなりましたよ」
「……。もう用は済みましたから、明日には帰ります」
「ああ、それがいいですよ。何たって最近……」
「申し訳ない、少し帰るまでにやって置かなきゃいけない仕事がありましてね」
私は話を切り上げるように言った。おかみはつまらなそうな顔で部屋を出て行った。

昼食を取った後、私は守人を訪ねようか迷ったが、結局行くことはなかった。別れる直前のやり取りが、私を躊躇わせていた。
日が傾きはじめて暑さも弱まった頃になり、私は宿を出て漁港の方に歩き始めた。
昨日と違い二、三人の村人は見かけたが、物寂しい景色なのに変わりはなかった。旅行で来るにしても見るようなところもない。
ここよりももっと寂しい、集落から離れた一軒家。一体何故守人はあんな場所に住もうなどと思ったのだろう。
過去の栄えた面影を残す廃れた屋敷は、彼の作品の傾向からいえば似つかわしいと言えなくもないけれど、父祖の土地というのは特別心惹かれるものがあるのだろうか。
歩いていると、道の先で雑貨屋の老女が木陰の石に座っていた。隣の昨日とは別の中年女に向かって話しかけ、言葉を交わした後二人はこちらをじろじろと見ては、またこそこそと言い合っていた。
私は厭な気持ちになり、漁港まで行くつもりだった散歩を切り上げて、宿に戻ることにした。

次の日、一晩迷った末に、私は滞在を一日伸ばすことにした。約束をしたのに、何も言わずに黙って帰るのはさすがに出来ないと思ったからだ。
私は午前中に守人を訪ねた。呼び鈴を鳴らして玄関へ出てこないようだったので、留守なのかと思ったが、扉に手をやると鍵はかかっていなかった。
中に入って呼び掛けても返事はない。やはり留守かと考えたが、仕事場にしていると話していた書斎を周ってみることにした。

「守人?」
ノックしても反応はなかった。ドアを開けると机の上に伏している姿が見えた。
「寝てるのか……?」
私は部屋に入っていき、声をかけた。返事がなく、どうやら眠っているらしい。
ほっと胸を撫で下ろして、顔を覗き込んだ。
確か病み上がりだと言っていたが、眉根を寄せて眠る青白い顔は、やはり体調が良いようには見えない。
いくら彼の母の故郷とはいえ、守人にとってこの土地は良くないのではないか。そんな考えが浮かぶ。
短い滞在の私ですらああいう不快を被るのだから、守人に対する周辺の目というのは推して知るものがある。長年放置されて傷んだ湿気の多いこの屋敷も、彼の繊細な神経にいいと思えない。
ルーツであるという他にも、元の家から遠い土地を選んだ理由の一つは、おそらく私との間のことだが……、なら別の場所でもいいはずだ。ここまでで何とはなしにこの土地に対する反感のようなものが、私の中に燻っていた。
相手は成人した大人なのだし、余計な世話であるのは分かっている。しかし結局私はこの弟が心配なのだ。
私が彼に対してしてしまったことを思えば、それを「狡い」と非難されれば、反論のしようがなくとも……。
手を伸ばし、そっと長い髪を撫でた。
「兄さん……?」
その瞬間守人がみじろいで、私は慌てて手を引っ込めた。触れていたことに気付かれただろうか。
「あ、ああ、すまない。鍵が開いていたから勝手に入ってしまったんだ」
「いえ、今朝方調べものをしていたらそのまま眠ってしまって……」
「朝から居眠りなんて、夜はちゃんと眠っているのか?」
私が言うと、守人は視線を逸らして小さくぼそりと呟いた。
「夜は……夢を見て眠れないので」
あっ、と私はまだ守人が学生だった頃、何かの折に同じ話を何度かしていたのを思い出した。当時はたまたま夢見が悪かったという話だと思い込んでいたのだが。
「……もしかしてずっと眠れてないのか? いつから?」
知らなかった事実に衝撃を受けていると、面倒そうに髪をかき上げた。
「いや別に不眠症っていうほどのものじゃないです……。ただちょっと嫌な夢を見るから眠るのが億劫なだけで……」
「夢って……」
守人は一言言った。
「呼んでるんです、僕を」
「……、」
私が口を開く前に、守人は腕の時計を見て立ち上がった。
「ああ、もうこんな時間か。残念だけど僕、野暮用があって出かけないといけない。昼過ぎには戻りますが、兄さんは家でゆっくりしていてください。昼食は台所のものを適当に……」
守人は慌ただしく書斎を出て行った。
残された私は、先程意識に引っ掛かった既視感の正体に気付いた。
夢の話よりも、もっとずっと前だ。私は守人と話をした。
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