上 下
3 / 20

酒場へ

しおりを挟む

 ある日、馬車を見かけた。領主の紋章が入っていたからマティアスが乗っているのだろう。エリシアは何気なしに見送った。
 それが王都へと向かう馬車であったと知るのは数日後の事だった。エリシアは置いてかれたのだ。
 ハンナはホッとしていたが、エリシアは違った。
「陛下に追及されないかしら」
「エリシア様…お優しいんだから。言い訳などいくらでも出来ますよ」
「そうだといいんだけれど…」
「マティアス様は先の戦争の功労者なんですから、舌先三寸くらいの術は朝飯前でしょうよ」
 ハンナは洗い上げたシーツを乱暴に広げて竿に干した。怒りが収まらないのか、手でパンパンとシワを伸ばした。
「さ、エリシア様、お医者様も体調が良いと仰ってましたが、そろそろお庭の散策をしませんと」
 ここに追いやられてから、週に一度、医者がエリシアの診察に訪れるようになっていた。薬を長らく服用していたが、春めいたお陰かここのところはずっと調子がよく、診察もいらない程だった。今回も脈を取っただけで、直ぐに診察を終えた。マティアスが王都へ出立済みだと教えてくれたのも医師だった。
 ハンナが散策の仕度で風除けのマントを被せる。エリシアは自分で首元の紐を結んだ。
 
 ハンナの腕に捕まって庭を散策する。新緑の季節らしく薔薇が咲き誇っていた。少し奥まった生垣の切れ間、そこからこの前、抜け出して街へ向かった。その場に差し掛かって、少し小声で話しかけた。
「よくここから外に行けるって知ってたわね」
「元々もしもの時、お嬢さまを逃がそうと見つけた抜け道だったんです。獣道だったんですけと、少し広げたら人一人は通れるくらいにはなりましたので。まさか、この間のようになるとは思いませんでしたが」
「ええ。良い経験になったわ。ここの街の人たちは皆優しくて、お祭りも楽しかったし、街もよく整備されていて…マティアス様がよく統治されているのね」
「よく見ていらっしゃいますね」
「大して見てないわ。ハンナ見て。綺麗なお花」
 五つの青い花びらを指差す。ハンナはブルースターと言った。

 散策を終えて、戸を締めてからエリシアは手を差し伸べた。
「ねぇハンナ、踊りましょう?」
「私は踊れません」
「簡単よ。こうやって」
「無理です。こないだの祝祭の見ましたでしょう?酷いものです」
「上手い下手じゃなくて、楽しくなるから踊るの」
 ハンナの両手を取って、少し強引に右に左に引っ張ってみると、観念したように笑った。初めはゆっくり、だんだん慣れてきてリズムを取ってクルクル踊った。ハンナは自由な踊りの楽しさに目覚めて、めちゃくちゃに踊りだした。小さな家、狭い部屋。少し足を持ち上げただけで机に椅子に当たって、物に当たって、散乱する。外はいつの間にか雨が降っていた。私たちの笑い声の方が大きくて気づかなかった。
 
 踊り疲れて、二人でベットに寝転ぶ。荒い呼吸のまま、エリシアは言った。
「ハンナ…反対すると思うけど、」
「例の酒場の件ですね」
「ええ。誘われているし…一度だけ、見に行きたいの」
 するとハンナはニッコリ笑って、起き上がってどこからか服を引っ張り出してきた。
「前のはマティアス様から頂いた物でしたから、万が一屋敷の者が見たらエリシア様だと気づかれるかもしれません」
「まさか…仕立ててくれたの?」
「裁縫はアンナが得意だったんですが、妹に負けない位に丁寧に作ったつもりです」
 それは白い衣装だった。手首、足首を隠す一見して普通のドレスのようだが、動きやすいように上下はセパレートされていた。装飾の無さを補うように襟元、袖と裾にはレースを縫い付けてあった。
 エリシアは感動して衣装ごとハンナを抱きしめた。ハンナは照れたように笑った。何度も礼を言った。

オットーの酒場へ。入り口が重く二人で押して開けた。戸口の狭さに反して中は広々としていた。丸テーブルが並び、奥はカウンター席、その向かいにオットーがグラスを注いで客とやり取りしていた。
 雑多、喧騒、祝祭でも気後れしていた二人だが、ここではもっと気後れした。何せ客が男しかいない。ちょっと帰りたい気持ちも芽生えた矢先、オットーが気づいて二人を呼んだ。数人の客が何だ何だと視線を向ける。エリシアは恐ろしい気持ちが立ってハンナの手を取った。オットーが再び声をかける。エリシアは呼ばれるままおずおずと向かった。
「よぉ、待ってたぜ。よく来てくれたな」
「オットーさん、お久しぶりです」
「ちょうど今からショーが始まるんだ。どんなのか見てってくれ」
 席を案内され、ぎこちなく座る。飲み物を出され口をつけるとそれは酒だった。先に気づいたハンナが慌てて止める。何も知らないオットーがお代はいらないよと見当違いな事を言った。
「お嬢さまはまだ十七歳なんです」
「おっと失礼。勿論酒以外もあるぜ。桃ジュース飲むかい?」
「桃?季節外れでは?」
「早生の品種のがあるんだ。うちの娘も気に入ってる」
 店主は奥へ引っ込むと、直ぐにグラスを持ってきた。エリシアは礼を言って一口飲むと、顔を綻ばせた。勧められてハンナも一口拝借する。確かに。濃厚なのに爽やかな酸味もあってくどくない。二人はすっかり気に入って直ぐに飲み終えてしまった。
 やがてショーが始まる。音楽が鳴りステージに数人の踊り子が整然と並び立つ。一糸乱れぬ動き。観客は歓声を上げた。
 一曲、ニ曲、進むごとにエリシアはリズムを取り始め、終わるごとに拍手を送った。
「ハンナ、面白いわ」
「ええ」
「こちらの踊りはよく飛び跳ねるのね」
「そのようですね」
 三曲目が終わる。これでショーは終わりらしい。踊り子たちは袖に消えていった。次は弦楽器を持った男が一人現れた。次の演目らしい。ステージの真ん中に椅子を置き静かに奏で始めた。
「こんな感じで、色んな演目を色々回してくんだ」
 いつの間にかエリシアの背後に立っていたオットーが言った。エリシアは振り返って、オットーにショーが面白かったことと、桃ジュースが美味しかったことを告げた。
「毎日ショーはあるんですか?」
「大体はやってるぜ。今リュートを弾いてる男はここの従業員だから毎日出てるが、さっきの踊り子は週三回だ。だからもう一組、踊れる子が欲しかったんだよ」
「まぁ…でも私、」
「週一回でも来てくれないか。他の子は客の接待もしたりするが、君は十七だから踊るだけでいい。振り付けの指導もする。給料は一回五マルク」
「そんな…お金、入りません」
「入らない?冗談だろ」
「お、お嬢さま…貰っておいたほうがいいですよ。この先何があるか分からないんですから」
「最初に会ったときから思ってたが、お嬢さん、良いとこの出だよな」
 エリシアはドキッとした。ハンナが口を開く前に、オットーは手を振った。
「いや、深ーい事情があるんだろ?聞かないでおくよ」
「そう言っていただけると助かります…」
「お嬢さん、あの踊り子たちは一人一回一マルクだ。お嬢さんは一人で5人分のステージを持たせられる実力がある。だから5マルク」
「買いかぶり過ぎです」
「ショーをして見れば分かる。お嬢さん、どうする?出てみないか?」
 エリシアは胸を押さえた。
「…出ます」
「よく言ってくれた」
 オットーは手を出す。エリシアは遅れて気づいて慌てて手を握った。
「それでだお嬢さん」
 オットーは茶目っ気たっぷりの顔をにじませた。
「まずは名前を教えてくれ」
 
 
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜

清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。 クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。 (過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…) そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。 移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。 また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。 「俺は君を愛する資格を得たい」 (皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?) これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。

海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。 アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。 しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。 「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」 聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。 ※本編は全7話で完結します。 ※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?

恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ! ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。 エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。 ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。 しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。 「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」 するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

処理中です...