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お忍び
しおりを挟む街で祝祭が開かれるという。掘っ立て小屋からでもお祭り騒ぎが聞こえた。
「街の人達が仮装して、街を練り歩くそうですよ」
「そう…そういえば、踊り子の衣装あったわね」
「まさか…参加するつもりですか」
「少しだけ見てみたいの。どんなものなのか」
「エリシア様…おやめください。危ないですよ」
「ここでは庶民よりも劣る生活をしています。どうせ誰からも顧みられないのだから、何をしたって構わないでしょう」
結局ハンナが折れて、あの踊り子の衣装を纏い街へ向かった。街を見るのも歩くのも初めてだった。夜なのにたくさんの火で焚かれて、昼間のようだった。石造りの街々は雑然と屋台が並び、大きな声が飛び交っている。気後れしたエリシアはハンナの腕を思わず掴んだ。
「戻りますか?」
「…いいえ、あっち、行ってみましょう」
奥へ進むと街の中心部らしい。大きな広間に出た。中心には銅像が立ち、それを囲んで幾重かの輪になって街の人たちが踊っている。楽しそうに笑って、つられてエリシアも胸が高鳴ってくる。ハンナと顔を見合わせる。ハンナは遠慮がちに笑った。自分も同じ顔をしているに違いない。長らく消えていた楽しいという感情が湧き上がってくる。二人はぎこちなくその輪に入った。
誰でも踊れるように同じフレーズの繰り返しと振り付け。前の人の真似をしていればすぐ覚えた。初め恥ずかしがっていたエリシアは、次第に慣れてきて、周りの熱に浮かされて思いっきり祭りを楽しんだ。と同時に幼い頃、母と、音楽を流しながら手を取って踊り続けた日々を思い出していた。あのとき味わった高揚感を今も感じていた。楽しい、と純粋に思った。エリシアは夢中になって踊り続けた。
周囲と同じ振り付けでも、母に仕込まれた踊り子としての技術は他を抜いていたらしい。周りの人がこの人の上手さに気づきざわめき始める。ハンナが声をかける。呼びかけられて遅れて周りの視線に気づいたエリシアは、踊るのを止めハンナの腕を掴んだ。異様な空気が漂う。もしかして自分が伯爵夫人だとバレたのだろうか。それともこの黒髪のせい?エリシアは怯えて握っていた手に力を込めた。しかし予想に反して、周囲からは、どっと歓声が上がった。
「お嬢ちゃん上手いね!」
「飛んでるみたいに軽やかだ!」
「本職かい?」
「え?…い、いえ…」
「冗談!ねぇちゃん、見ない顔だけど何処から来たんだ?」
「あ、えっと…」
ハンナが割り込んで代わりに答える。
「旅の者ですの。お嬢さま、明日も早いですしそろそろ戻りましょう」
ごめんくださいまし、とエリシアを引っ張って強引に周囲から抜け出す。引き止める声や残念がる声に後ろ髪引かれつつも、エリシアの心臓はバクバク音を立てていた。胸を押さえた。
人気の少ない所まで行き、二人は揃って息をついた。
「まさかあんな事になるとは…お嬢さま、大丈夫ですか?」
「大丈夫…楽しかったわ」
「それはようございました」
「ハンナ、ありがとうね。連れてきてくれて」
「もうこれっきりにしましょう。エリシア様、今回は何とかなりましたが、もし何か事件にでも巻き込まれたらたまりません」
「あそこにいたっていずれ…」
「私がお守りします」
「ありがとう…帰りましょうか」
ハンナの手を握る。帰る方向を探していると、不意に声をかけられた。
「もし」
それはフードを被った男だった。二人は一気に緊張した。
「ああ失礼」
と言ってフードを取った。中年の、人の良さそうな顔をしていた。その人もエリシアの舞いを見ていたという。
「いやぁ惚れたよ。そこら辺の娘よりも上手い。髪の色から察するに東方の人だろ」
「…………」
「あ、いや、警戒しなくていい。俺はオットー。酒屋の店主をしてる」
「酒屋、ですか」
と、ハンナ。オットーは大げさに頷いて見せた。すぐ近くにある酒屋だという。店名は「アルヴァ」夕方から深夜までの営業時間。歌姫や楽師が集まって毎日ショーをしているという。二人は何故こんな話をしてくるのか分からなかった。
一通りの店の紹介を終えた店主は、最後にこう言った。
「うちで働かないか?ダンサーとして」
「お疲れでしょう。お休み下さい」
ハンナが着替えを手伝い、髪を解く。櫛で梳かしつけて、ベットに腰掛けると、どっと疲れが増したように思えた。さっきまで着ていた青い衣装はハンナの腕に掛けられている。
「楽しゅうございましたね」
「ええ」
「久しぶりにお嬢さまの笑った顔を見ました」
エリシアは口元だけで笑ってみせた。それからベットに入って横になる。目を閉じた。何も知らないハンナが灯りを落とす。エリシアは眠らずに考え続けていた。
店主、オットーの誘いに、ハンナは旅の者だからと断りを入れた。だがオットーは頑なだった。
「一回うちに来てくれよ。金はいらないからさ」
「すみませんけど、明日には発ちますから」
「旅人なんだろ?だったら何の予定もないだろ?俺はお嬢ちゃんの踊りに感動したんだ」
「本職じゃありませんの。お嬢さまは他の踊りを知りません」
「うちにいるのに教えてもらえばいい。すぐに覚える」
ハンナはなおも断ろうとした。エリシアは思い切って割り込んだ。
「あの、…オットーさん、そちらは毎日、働いていらっしゃるんですか?」
「?ああ、そうだぜ」
「お仕事ご苦労さまです」
オットーはポカンとした後、豪快に笑いだした。
「毎日働いてはいるがその分、飲むからな。半分は遊んでるようなもんさ。酒呑んで皆ではしゃいで、ショーを見てまた騒いで、それが明日の活力になる。お嬢ちゃん、いや、お嬢さん、折角の芸だ。誰かに見せたことはあるか?」
「…母だけです」
「そりゃもったいない。色々言ったって拉致が明かねぇ。一度出てみればいい。それから決めたっていいんじゃないか?」
「…ありがとうございます。でも、直ぐには伺えないと思います」
「お嬢さま…」
「都合のいいときに来てくれ。歓迎する。何も急に踊れってわけじゃないからさ」
オットーは店の場所を教えて、フードを被って去っていった。
床につくのが遅かったのもあり、起きたのは昼頃だった。二人で昨日の話をしながら食事の支度をしていると、屋敷から使いが来た。すぐに来るようにとの事だった。ハンナの同行は許されず、一人で向かった。もしかして昨夜の事を気づかれたのかと、内心怯えながら入り、部屋の隅で声がかかるのを待った。
執務室のマティアスは、いつものようにペンをカッと打ち付けてから、話を切り出した。
「王都への招聘を受けた。お前も同行する」
「はい…」
「夜会も開かれる。俺はお前と踊らなきゃならん」
マティアスは立ち上がると、エリシアの前に立って見下ろした。鋭い目つきに、エリシアは怯えた。
「何が踊れる」
「え?」
「何が踊れる、と聞いた」
「…なんでも、一通りは」
マティアスは鼻で笑ったかのような笑みを見せると、おもむろにエリシアの手を取って、ステップを踏み始める。エリシアも戸惑いながら動きに合わせた。マティアスは途中から違うステップに変えるから、その度にエリシアはもつれそうになりながら付いていった。粗相をしたら何をされるか。必死だった。
不意に、手が離れる。エリシアはよろけて、立っていられず座り込んだ。マティアスは助けもせず、まるで何事も無かったかのように椅子に座り机の上に溜まった書類に目を通し始めた。
家令が呼ばれる。更に召使いが呼ばれ、エリシアを支えて退出した。
掘っ立て小屋へ戻される。心配していたハンナに事情を話した。取り敢えず昨日の事はバレていないらしいと。ハンナはしかし、その夜会を懸念した。
「そこでもしお嬢さまを辱めるような真似でもされたら…」
「いくらマティアス様でも陛下の前でそんなことなさらないでしょう」
と言いつつもエリシアも不安だった。マティアスは厄介払いしたい筈。久しぶりに会っても変わらない冷たい、刺すような瞳。エリシアは無意識で服を握りしめていた。汗が滲んでいた。
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