【完】皇太子殿下の夜の指南役になったら、見初められました。

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 昼を過ぎて、ノアは一旦、皆を下がらせた。マリアだけが残されて、本をテーブルに置いた。
「退屈だろう」
 ノアは隣に座った。
「お気になさらず、と言いました。ただ居るだけですから、気楽なものです」
「私の傍にいなくていい。少し、会えるだけで」
 なんて純朴な。マリアは思わずときめいてしまいそうになる。でも、分かってもらわねば。
「お給料をもらっていますから、それなりの働きはしますよ」
「…………」
「ノア様、お食事の準備が整っております。今日は良いお天気ですから、バルコニーで食べましょうか」
 無表情ではあるが、マリアもだんだん分かってきた。あからさまに気落ちしている。
 マリアからは触れられない。せめて微笑んだ。

 バルコニーからは庭が望めた。あの花園は奥深く隠されているが、庭を見れば必ず思い出した。
 丸テーブルに置かれた温かなスープを口に運ぶ。なめらかな口当たりで飲みやすかった。
 対面で座るノアもスプーンを口に運ぶ。所作が洗練されていて美しい。
「セラフ教の司祭には話を通してあります。日取りが決まり次第、すぐにでも、改宗するつもりです」
「誰から聞いた」
「昨日、王太后さまに謁見致しました。私の母も元々セラフ教でしたので、抵抗はありません」
「貴女には政務にも来てほしくないし、関わってほしくない」
「ノア様はそのつもりでも、周りはそうはいきません。貴方様の成されることに、関わらないという選択肢は無いのです。貴方様の公妾となるということは、そういうことです。愛人にとの手紙を受け取った時から、私は分かっておりましたよ」
 彼にとっては借金返済の助けになればとの提案だったのだろう。マリアも第一はそうだった。
 だが昨日の王太后の話で、状況は一変した。躊躇っている暇はない。契約を今さら破棄出来ない。マリアは腹をくくっていた。
 彼はすっかり食事の手を止めてしまった。
 マリアは別の話題を持ち出す。
「これからは、いつでも一緒にお庭を散策出来ますね」
 庭に目をやる。指南役の時は、隣を歩くなどとても出来なかった。この立場になったからには、出来るだけノアと仲睦まじい所を見せなければならない。どんどん庭にも繰り出さねば。
「私の機嫌を取ろうとしている」
 いじけている。こういうときは子供だ。
「一日中政務ばかりでしたら息も詰まりましょう。私も気晴らしになります」
「…今からでも、行きたい」
 遠慮がちな望みに、マリアは笑む。
「構いませんよ。ただ、これを済ませてからにしましょう」
 ナイフとフォークを見せる。彼は大真面目に頷いて、スプーンを手に取った。


 それからマリアは毎日、王の執務室で過ごした。外国の大使などの謁見にも同席し、国内外に公妾としての存在を認識させた。
 王や王太后に先立ち、マリアはセラフ教に改宗した。教会へ行き洗礼を受けた。セラフ教の象徴である青いドレスを毎日着て、王宮で過ごした。
 セラフ教を国教とする噂は徐々に浸透しつつあった。それに当然反発する動きも。
 マリアは日が経つにつれて、冷たい視線を向けられるのをひしひしと感じ始めていた。あからさまな非難が無いのは、マリアが一日中ノアの元にいるからだろう。

 試しにマリアは一人で行動してみた。王宮内を女官一人伴って歩いていると、貴族たちはマリアの姿を見つけるなり何処かへ行ってしまった。
 それを見てマリアはホッとした。思惑通りに自分に憤怒が向いている。公式寵妃と認識されていることに安心した。毎日、女官が涙ぐましい努力をして、マリアの体の手入れをしてくれているのだ。彼女には感謝しかない。

 庭に出てみる。ノアがいたら近寄ってくる貴族たちも、マリア一人だと知らん顔だ。よしよしと良い反応に手応えを感じていると、小さな影が、マリアの目の前を横切った。
 マリアは笑みを深めてそれを見送る。
「アルバート殿下」
 一旦、走り去った影が戻ってくる。マリアのスカートに引っ付くように抱きついてきた。顔がこちらに向けられて、非常に愛くるしい。幼い頃のノアにそっくりの、大きな丸い目をしていた。
「ごきげんよう、殿下」
「ごきげんようであります!」
 マリアは扇子で口元を隠しながら笑った。
「『であります?』」
「あのね、軍曹がそう言ってたの。面白いでしょ」
「ええとても。お一人ですか?従僕はどこに?」
「しらなーい」
 アルバートは口を尖らせる。やんちゃ盛りのノアの弟は、しばしばお目付けを振り払って困らせる悪癖を持っていた。
 マリアは後ろの女官に目配せした。優秀な女官は頭を下げて従僕を探しに行った。
 衣装が汚れるのも構わずに膝をつく。アルバートを抱きしめると、彼からも喜んで腕を回される。抱き合う格好になって、小さな背中を撫でた。
 マリア、マリアと呼ばれる。離れるとアルバートは口にキスをしてきた。突然のことで、マリアは思わず扇子を落としそうになる。
「まぁ殿下、いけませんよ私などに」
「どうして?」
「殿下のお好きな方にしてあげてください」
「大好きだよ」
 満面の笑みを向けられる。この子と会うとずっと笑いっぱなしになる。陰謀渦巻く王宮の中で、気を抜いていられる数少ない一時ひとときだった。
 もし産めていたら、こんな子に育ったのかもしれない。そんなことも考えた。
「母さま、お勉強しろっていう。兄さまも。会えばいつも言われるから嫌い」
「殿下の将来を考えてのことですよ」
「もう嫌いになっちゃったもん」
「殿下に嫌いだと言われたら、悲しくなります」
「マリアは大好き」
「王太后さまと陛下のお気持ちを代弁したのですよ。殿下も私から嫌いだと言われたら悲しくなりますでしょ?」
 アルバートはマリアの服を強く掴んだ。
「やだ」
「でしたら、軽々しくお二人にそのようこと言ってはなりませんよ」
「…言わない」
 マリアはもう一度抱きしめた。
 でも、とアルバートは呟く。
「でも、嫌いになる時もある」
「その時は、私にお話ください。お聞きしますから」
 素直な子供は、あのね、と話し出す。マリアは耳を傾けた。

  
「随分仲が良いんだな」
「え?」
 ベットで隣同士で横になると、ノアは唐突に言った。マリアはなんのことが分からなかった。
「仲が良いとは?」
「…アルバート、抱き合ってるのを見た」
 見られていたらしい。そう言えばあの場所は、ちょうど執務室の窓から見える位置だったかもしれない。
「可愛らしいお方です。貴方の小さな頃にそっくり」
「アルバートが好きなのか?」
「子供は好きですよ。毎日面白い発見をしてくれるので、嬉しくなります」
 ノアは起き上がると、マリアを見下ろした。
「…嫌いだと言ってたじゃないか」
「…私ですか?」
「あの保養地で…子供が嫌いだから、私のことも嫌いだと」
 ああ、と思い出す。
「あの時は諦めてほしかったから、あんなことを言ったんです」
「私のことをどう思ってる」
「好きか嫌いかでしたら好きです」
「どういう答えだそれ」
「…?」
「貴女から見たら、私はまだ子どもか」
 不満をもらされる。マリアはくすりと笑った。
「そのいじけ方、アルバート殿下にそっくり」
「………」
「そうですね…私からしたら、貴方様はいつまでも子供のように見えてしまうのかもしれません」
 天井を見る。天蓋の細かな刺繍が目につく。銀糸が蝋燭の火に照らされて反射していた。
 衣擦れの音。なんだろうと思っていると、彼の手がマリアの腹を撫でた。腰に巻いていた紐に手をかけられ、マリアは慌ててその手を掴んだ。
「陛下、私はもう」
「毎日、何の形跡も無しに寝起きしていたら怪しまれる」
 紐が外され服を広げられる。ひんやりとした空気が肌に触れる。
「陛下、やめて下さい」
「名前で呼べと何度言ったら分かる」
「出来るだけ呼んでます」
「意識せず言えるようになれ。契約したんだから出来るだろう」
 どんな屁理屈だ。マリアはとりあえず名を呼んだ。するともう一度言えという。もう一度言った。
「どうして、許してくれないんだ」
「…ノア様の問題でなく、私の問題です」
 彼が知る必要は無い。一生、話すつもりもない。自分の罪なのだから。
 ノアは唇を合わせた。首筋、鎖骨へとなぞって時々強く吸われた。少しの痛み。声を殺して耐えていると、唇が離れる。
 彼はベットの端に背を向けて横になった。勢いよく横になるものだからベットが大きく揺れた。ぎしりと音を立てる。
 マリアは音を立てないように服の合わせを閉じた。腰紐を結ぶ。彼が触れた箇所が痛かった。朝、明るいところで見たら痕跡が残っているに違いない。マリアは首元を隠す服を着ようと思った。

 翌朝鏡で見ると、思った通り首や鎖骨に跡が残っていた。女官に化粧で隠してもらって、首まである服にしようと思っていたら、ノアに先回りされていた。
 女官は隠してくれないし、服は胸の大きく空いたドレス。ノアご指名だという。マリアは苦肉の策で扇子で胸元を隠した。

 遅れて執務室へ。
 マリアの姿を見たノアは、顔色一つ変えずに、女官に扇子を取り上げさせた。露わになる胸元の痕に、周りの補佐官が相次いで咳払いする。マリアは恥ずかしくて、彼らから背を向けて座った。本を広げて隠そうとすると、今日は女官に朗読してもらえという。どうやってもこの痕跡を周囲に示したいらしい。マリアは諦めて本を渡した。



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