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しおりを挟む保養地から、陛下と共に王宮へ。父とは保養地で別れた。しばらくは会えない。父の言葉が心強かった。
夏の盛りを過ぎた王宮は、朝晩は肌寒いくらいになるという。古い記憶を呼び戻そうとしても、昔から季節の移り変わりを気にせずに暮らしてきたマリアはどんなものか思い出せなかった。
馬車が到着する。陛下はマリアの手を取った。マリアはにっこり微笑む。彼はふい、と顔を背けた。耳が赤かった。
多くの臣下や使用人が出迎える中、馬車を降りる。彼らは見送りのときにはいなかった、親密そうな女の姿に驚きを隠せないようだった。マリアは笑顔を保ったまま、左右に陳列する貴族たちを盗み見する。顔を覚えておかないと、これからは彼らと対立したり協力したりしなければならない。
ご令嬢も何人か姿があった。彼女らはマリアを見て扇子越しにひそひそ囁いている。未婚の新王の隣に、こんな年増がいたらさぞかし気分を害するだろう。
陛下は臣下たちに脇目も振らず、さっさと中に入っていく。マリアの認識では、こういうときは彼らに出迎えご苦労とか、労りの言葉をかけるものだが、まるで居ないもののように無視して行ってしまった。
陛下が声をかけないなら、臣下も話せない。これは異常なことだった。
陛下の自室に入る。白の壁に金で縁取りされた広い部屋だった。窓枠も金。カーテンも金。目が痛くなりそうだ。
着替えの為にやって来た使用人たちを一旦下がらせて、マリアは声をかけた。
「臣下たちに挨拶しなくてよろしかったのですか」
「必要ない」
「彼らはわざわざ陛下のお帰りを待っていたのですよ。言葉をかけるべきでは?」
「必要ない」
二度同じ返答で、マリアは不審に思った。陛下は理由を話す気は無いらしい。上着を脱ごうとするので、マリアは手伝おうとする。
「貴女はそんなことしなくていい」
「召使いは下げてしまいましたから」
と言っても、彼は身を引いた。拒絶と受け取って、手を下げた。
「ご無礼致しました」
いや、と言ったきり彼は黙った。マリアは一つの取り決めを思い出して、声をかけた。
「ノア様」
「………」
「お休みされますか?」
「宰相に仕事を任せてきた。これから引き継ぎをする。貴女だけ休め」
船と馬車の移動を経て、まだ政務をするという。若いとはいえ疲れはあるだろうに。
「ご無理なさらず」
ノアは口元だけで笑うと、マリアの頬に手の甲を滑らせた。
「うるさい装飾の部屋だろ?」
「眩しいです」
「もともと父の居室だった。内装もそのまま。貴女の好きに変えるといい」
「そんなおこがましい真似、出来ません」
「私が許す」
手が離れる。額に口づけが落とされて、マリアは目を細めた。
一人残されて部屋で待っていると、なんと王太后からお呼びがかかった。マリアは直ぐに向かうと、彼女は寝起きらしく、夜着のままだった。胸元が開いていて、マリアは目のやり場に困った。
「驚いたわ」
王太后は窓を一瞥してから、女官たちに着替えの支度をさせた。夜着が脱がされて新たな服をまとう。マリアは少し離れてその様子を見ていた。
「羽根を伸ばしてこいとは言ったけれど、貴女をつかまえ戻ってくるとはね」
「…王太后さまにおかれましては」
「挨拶は結構よ。私と貴女の仲じゃない。水くさいわ」
マリアが女官として仕えていた頃と全く変わらない笑み。ノアの微笑みとは違って、妖艶さも感じられる自信に満ち溢れた豊かな笑みだった。
「あの子は貴女にぞっこん。この前の指南役も本当は別の女官だったのに、陛下は貴女がいいと言ったの。私を困らせたのは後にも先にもあの一回きり」
「どうして私のような者を…もったいないことでございます」
「本人に聞いて頂戴。…もういいわ。下がって」
王太后は女官たちに言った。頭を下げたまま彼女らは部屋を下がっていく。最後の一人が扉を閉めると、王太后は鏡台の前に腰を下ろした。
「結ってくれる?昔みたいに」
よく上手だと褒めてもらったのを思い出す。マリアは背中に立った。香油を手に取り髪になじませる。たっぷりとした金の髪に輝きが増す。それから櫛で丁寧に梳いていく。
「陛下は貴女を妃にと望んでいたわ」
「私は年が年ですし、子が成せません」
「アルバートが継ぐわ」
ノアと同じことを言われる。ノアの子に継がせたくないのだろうか。不思議だった。
ノアの弟、アルバート。遅くに生まれた子で、まだ若干八歳だという。マリアが女官を辞めてからの子だから、面識は無かった。
でも、と王太后は鏡を見つめた。
「これからの事を考えると、貴女は愛人の方がいいかもしれないわね」
「これから…ですか」
「聞いてない?我が国はこれから、セラフ教を国教にするの」
王太后はさらりと言った。それがどれだけ重大なことか、マリアは直ぐには理解が追いつかなかった。
今の国教はミルトン教。ほとんどの貴族がミルトン教を信仰している。マリアも勿論そうだ。
セラフ教は王太后の実家が信仰している。王太后もかつては信者だったが、先王と婚姻するにあたりミルトン教に改宗していた。
「まだ触れ出していないけれど、薄々貴族たちは感づいてきている。勿論、反発は必至でしょうね」
「それは…とても危険なことでは?」
「仕方ないわ。教会が力を持ち始めている。王権を脅かしかねない勢いだもの。代替わりした今、一気に改革を進めるチャンスなの」
国教を変えることで、それまで庇護されて助長してきた教会の権威を失墜させようという算段らしい。
マリアは自分の立場が分かってきた。王太后が愛人の方がいいと言った理由も。
王の采配に貴族や教会は不満を持つ。その矢面に立てと言っているのだ。
「公妾として、陛下をお守りせよとのことなのですね」
王太后は白い歯を見せた。
「──ふふ。その通りよ」
公妾は政治に口出しできる。
自分がセラフ教を国教にするようにそそのかしたと思わせれば、王への不満をかわせる。
王妃でなく公妾なのは、いざというとき切り捨てられるからだ。
「貴女を公式寵妃として扱うから、そのつもりでね」
「寵妃などと…あまり見目も良くないのに」
「本気で言ってるの?」
「え?」
王太后は、はぁ、とわざとらしく大きなため息をついた。
ちょうど髪が結い終わる。三つ編みを頭に巻き付けて、パールの髪留めでまとめ上げた。マリアが鏡で後ろ姿を見せると、とても喜ばれた。
「貴女が去ってから、色んな女官に髪を結わせたけれど、やっぱり貴女が一番上手だわ」
少女のような笑顔。マリアもつられて笑う。
化粧箱を開けようと触れたところで止められる。
「駄目。貴女は昔から化粧下手なんだから。自分でやったほうがましよ」
「これでもあの頃より上手になったのですが」
「てんで駄目ね。腕のいい女官を貸すから、王宮にいる間は決して自分でやらないでね」
容赦なく言われてマリアは落ち込む。そんなに酷いだろうか。自分の顔を鏡でそっと覗き込む。よく分からなかった。
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