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 歓声が、咆哮のように身に響く。あんなに大笑いして、父と、兄の首が晒されているのに、どうしてあんなにたのしんでいるのだろう。
 金切り声のような、怒号のような、女も男も大きな声をだして、大きな口で、指をさす。次はお前だと、はやし立てる。
 私は耳を塞ぎたかった。両手を縛られていて出来なかった。この声が、怖い。聞きたくない。聞きたくない。

 体がびくりと跳ねて、目を覚ます。毎日見る夢だが現実に起こったことだ。重い体を起こして、夢の残滓ざんしを払う。
 唯一の光の鉄格子から外を覗く。遠くは山々を見渡せるが、近くは塔内の敷地で、いくつかの建物の入口には、門番の姿が見える。芝生にはカラスが何羽もたむろしていて、不吉な気分にさせる。もう不吉なことは過ぎ去ったのだが。
 牢獄には最初、何もなかった。それから簡易なベットと、テーブルが用意されたが、それ以上のものは何もなかった。それで十分。このまま、朽ち果てるのを陛下はお望みなのだ。
 廃された王妃には、相応しい末路だと言える。とっくに処刑で覚悟は出来ていた。少し延びたところで変わらない。アンは受け入れていた。

 扉を開ける音。アンは今日も来たと膝をついた。
 その人が入るなり平手打ちされる。倒れ込んだ状態で、肩や背中を鞭で打たれる。馬上鞭であるから拷問用の鞭とは違って、それほど痛みはないはずだが、それでも肌にはミミズ腫れのような跡が残り、焼けるような痛みが走った。
 鞭打つ人はサリタだった。王の愛妾だったが、今はアンが身につけていた勲章を付けている。おそらく王妃になったのだろう。
 サリタは満足すると帰っていく。それから律儀に医師が呼ばれて、手当てされる。死なないようにとの配慮らしい。
 治療を終えたあとは、ベットで一日中眠る。体は全く動かない。背中は痛むから、うつ伏せで眠った。
 痛みに耐えている内に一日が終わる。そんな毎日だった。

 父と兄に祈りを捧げる。するとあのときの歓声が蘇ってくる。まるで目の前で起こっているかのようにあの光景が現れて、マリアは目を逸らせずに耳をふさいだ。


「アン・キーリングの様子は?」
「看守によると、まいにち王妃様がなじりに来ているとか」
 報告を聞いたテオは舌打ちした。
「放っておけばいいものを」
「それだけアン様に対する恨みが強いものかと」
 勝手に恨んでいるだけだろうに。アンが皇太子妃であったころから、サリタから嫌がらせを受けていた。王が黙認したからだ。アンはそれを無視し続けていた。その反応が気に食わなかったらしい。
「医師はなんと」
「傷は浅いですが、痛みが引きにくいため、食事も取れず、このままでは命も危ういと」
「なぜ早く報告しない」
 強めに言うと、従者はうろたえた。
「申し訳ありません。閣下はお忙しい方。報告を止めておりました」
「今後は最優先で伝えろ」
 は、と従者は頭を下げた。
「サリタにはこう伝えろ。アン元王妃は病を患い重病だと。病が移らぬよう、しばらくお渡りは控えるようにとな」
「は、──閣下、あの、サリタ様は今や王妃、殿下とお呼びしませんと」
 諫言かんげんしてくる従者は貴重だ。自らの行いを正す機会を与えてくれる。だが今回は、どうしてもそんな気分にはなれなかった。
 テオは不敵な笑みを向ける。従者は不気味な、不穏なものを感じたのか怯えた表情になった。


 数日後、キストン塔へ。部屋に入ると、廃妃は最初に会ったときと同様に、壁に膝をついて祈りを捧げていた。
「膝を悪くするぞ」
 アンに反応は無い。
 テオは椅子が無いため、ベッドに腰掛けた。
「私と手を組まないか?私はテオ・バルトー。陛下の腹違いの弟だ。陛下を退位させ、サリタを追いやり、私が次の王となる。貴女は王妃に返り咲く。どうだ。悪い話では無いだろう?」
 アンは祈りを止めない。テオは説得を試みた。どんな手段を講じるのか、ごく一部の者しか知らない話を、余すところなく聞かせた。アンは王妃として申し分なかった。普段は王を立ててはいたが、ここぞという時には進言した。それが臣民が言いたくても言えないことだったので、随分感謝されていたらしい。王の不興を買ったのは言うまでもないが。

 王の暗殺計画など、ただのでっち上げだ。アンを疎ましいと思った王が、寵臣たちと結託して事に及んだ。目の上のたんこぶがいなくなれば、思い通りに政務ができ、醜女サリタを王妃に据えられる。強行採決され、即日処刑が決まった。
 それに待ったをかけたのがテオだった。アンだけでも恩赦を与えて生かし、彼女に自分たちの栄華を見せつけてはと提案した。処刑の直前で中止するというのは、サリタが提案したものだった。性根の悪いことを考える。
 果たして刑は中止となり、アンは塔に監禁された。アンには復讐する動機が十分にあった。この誘いに乗ってくると思った。

 一通りの話を済ませた頃には、アンの祈りは終わっていた。十字を切り振り返る。テオを見て立ち止まった。沈黙が続いて、アンは静かに裾を広げ礼を取った。
「どうだ?話に乗るか?」
 アンはテオを見据えたまま無言だった。テオはその無言を、最初は拒絶だと思った。そのうちに違和感に気づく。立ち上がり、腕を取る。青い瞳を見つめながら、一つの事実に行き着く。
「お前…耳が聞こえないのか」
 唇の動きからか、状況からなのか、向こうも察したらしい。アンはこくりと頷いた。

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