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さようなら

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 モラン侯爵夫人アンナの茶会に招かれる。
 すっかりアーサーのいない日常が当たり前になっていて、エリザベスは自覚する度に胸が張り裂けそうになる思いがした。痛みよりも、なんにも感じなくなっていく方がきっと辛い。エリザベスはこの痛みを受け止めた。

 
 王宮を出て、馬車に乗りこむ。久しぶりの外出だった。アーサーとセシルを見送って以来、エリザベスが外に出るのは庭に出るときか、隣接する教会に祈りに行くときくらいだった。

 侯爵夫人の邸宅までわざわざ足を運ぶのは、ローズマリーの勧めだった。彼女がいなかったら庭すら出ていない。
 
 そのローズマリーも同じ馬車に乗り込んでいる。向かいに座った彼女は、真っ先に窓のカーテンを閉めた。今日もどこからどう見てもアーサーの姿をしている。

 馬車が走り出す。するとローズマリーは直ぐに口を開いた。
 
「リズ」

 呼ばれた途端、ぞわりとした。彼女がそう呼ぶのを何度も聞いてきたのに、なんだかいつもよりも一層、違和感が走る。

「…なにか」
「レオンと密通していたとはな」
「…なにを言い出すんですか」

 ローズマリーは足を組む。指を組んで膝の上に乗せた。

「私という者がありながら、レオンと心を通わせるなど、息子もいるのに」
「なに馬鹿なことを言ってるの」
「リズ」

 またぞわりとする。それよりも、何故、急にこんな会話になっているのか。話が全く飲み込めない。

 と、なにか、一つの映像が浮かび上がった。

 この光景を、自分は一度見たことがある。

 頭の奥がちりちりと何かをかすめる。エリザベスは痛みに顔をゆがめる。

 確か、このあと彼はこう言った。

「不義密通は処刑の対象となる。王妃であれば免れる刑罰だが、お前は伯爵の娘だからな、死んでもらおう」

 あの時と全く同じ言葉。揺れる馬車の中、あの時のエリザベスはただ怯えていた。
 今も恐怖が先に立つ。何年経っても、処刑されたあの瞬間は今もありありと思い出せる。

「……向かっているのは、ロッジ塔ですね?」
 
 声を振り絞って何とか口にする。

「…斬首のつもりで、処刑台もあって、見物人もいる」
「よく分かってるじゃないか。誰から情報が入ったのか」

 ふと、視界が歪む。頬に涙が伝い落ちる。ぽたぽたと手の甲に涙が落ちた。

 思いがけず窮地に立たされているのに、エリザベスは、場違いに安堵していた。

 アーサーでは無かったのだ。今ならよく分かる。
 あの時、自分を処刑したのはアーサーでは無かった。リズと呼ぶ声。何度も思い出してきた。なぜ気づかなかったのだろう。処刑の前に自分を呼んだあの声は、アーサーではなく、ローズマリーだったのだ。

 前の時も、こうして変装したローズマリーによって、エリザベスは処刑されていたのだ。

「わたし…貴女に殺されていたのね…」

 誰に言うでもなくひとりごちる。出来ることなら、アーサーに言いたかった。

「殺されたんじゃなくこれから殺すんだ」
  
 見当違いなローズマリーの答え。でも今なら彼女は耳を傾けてくれる。今しかないとエリザベスは問う。

「私を処刑する理由を、教えてください」
「姦通罪だと言ったろう」
「教えて。私が王妃だから殺すのでしょう?貴女は王妃になりたかったの?」
「王妃?」笑い出す。「馬鹿を言うな。私は王だ」
「女は王にはなれない」
「気でも狂ったか。私がいつ、女だと言った」

 ローズマリーは、ボタンをいくつか外し胸を晒した。それはどう見ても男性の胸だった。

「………そういうことだったのね」
「私の変装は完璧だっただろう?女になるのは苦労した」
「あなたは…アーサーに成り代わり王になる。それが目的だったのね」
「まぁそうなるな。事情を知る者は少ないほうがいい。殺せる奴は殺すのが手っ取り早い」
「レオン…それに宰相殿は…どうするおつもりですか」
「レオンは投獄済みだ。そのうち獄中で死ぬだろうな。あの宰相は利で動く。買収済みだ」

 エリザベスは扉に目を向けた。

「逃げられないぞ」

 ローズマリーが言う。

「逃げるつもりはありません」

 裾を整えて、エリザベスは座り直した。

「アーサーとセシルを殺したのもあなたね」
「さあな」
「冥土の土産に教えてやろうと思わないの?」
「教えてやってもいいが」

 馬車が止まる。

「時間切れだ」

 カーテンが閉められているから外の様子は分からない。だが、既に馬車の外では何かの歓声が上がっていた。

「君が処刑されるのを待っている奴らの声だ。晴れ舞台だぞ」

 ローズマリーは扉の取っ手に手をかける。あれが開いたら、エリザベスは処刑される。

「待って!」
「処刑は覆らない。諦めるんだな」
「死ぬのは構わない。教えて。アーサーとセシルを殺したのはあなたなのね?」

 エリザベスは強い眼差しを向ける。これを知らなくして、死にきれない。
 そんな最後の主張を、ローズマリーは一度だけまばたきをしてから応えた。

「──そうだ。私が、陛下と皇子を殺した」

 真実を、知るのは遅すぎたかもしれない。だが不思議と心は安らかだった。

「最後に、お願いがあります。レオンは殺さないで」
「無理な相談だな」
「夫も息子も殺された哀れな女に、最後くらいは希望を持たせてくださいませ」
「確約は出来ないが善処はしよう」

 それが精一杯の譲歩なのだろう。エリザベスは頷いた。腰を上げる。

「どいて。自分で開けます」

 ローズマリーに代わり、エリザベスが取っ手を回す。ガチャン、と音がして扉が開いた。

「さようならエリザベス」

 ローズマリーの声で、ローズマリーが言う。エリザベスは前だけを見続けた。



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