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それから
しおりを挟むそれから二年の月日が流れた。セシルはもうすぐ四才になる。エリザベスが部屋ヘ行くと既にアーサーが来ていた。
「リズ、来たか」
「陛下、また抜け出してきたのですか」
「子の成長は今しか見れないからな」
セシルに兵隊の人形を持たせ、遊ぼうとする。だがセシルはエリザベスの顔を見た途端に人形を放り投げてこちらに走ってきた。満面の笑顔にエリザベスも顔がほころぶ。
「セシル」
「かあさま」
膝をついて走り寄るセシルを抱きしめる。大きくなるにつれ、ますますアーサーに似てきて、だんだん心優しい、物静かな性格になっていった。エリザベスにべったりで、離れるとしくしく静かに泣くものだから、なかなか部屋から出られなかった。
セシルを抱き上げる。ほっぽり出されたアーサーは捨てられた兵隊の人形を相手に手持ち無沙汰にしていた。絨毯の上に転がるオモチャを拾いながら、アーサーの隣に座る。
「セシルは人形遊びより、ご本の方がいいみたいですよ」
「父親より母親が好きだからな」
「いじけてる」
「君が本が好きだからセシルも本が好きなんだ」
「そうなの?」
セシルに聞く。気まぐれセシルは答えない。エリザベスは背中を優しく撫でた。
「陛下、そろそろ政務へ。宰相が気を揉んでいることでしょう」
「今やっと抜け出してきたんだ。もう少しだけいさせろ」
「貴方の従者に泣きつかれたんです。抜け出すくらいなら、いっそ宰相に全て任せてはいかがですか。政務を滞らせてはなりませんよ」
「口うるさくなって。俺を過労死させるつもりか」
と言いつつ大義そうに立ち上がる。エリザベスも見送りの為に立ち上がる。
「来月、セシルが四才になるのに合わせてアンドルーズへ巡礼に行こうと思っている」
「アンドルーズ…ああ、キング家の開祖ゆかりの地ですね」
アーサーの先祖は、戦乱続くこの地を治め、ラジュリー王国を建国した。命運をかけた戦の前に、アンドルーズのセント教会に立ち寄り、祈りを捧げだところ、大勝利したという。それ以来、キング家の当主は代々、アンドルーズに巡礼し、祈りを捧げる慣習があった。
「セシルも連れて行くのですね」
「そういう習わしだからな。リズは留守番な」
「泣いちゃいますよ?」
「君が?」
「セシルがですよ。セシル、聞きました?お父さんと二人でお出かけするんですって」
するとセシルはアーサーを一度見て、またエリザベスに抱きついた。エリザベスは苦笑する。
「お父さんとは嫌ですって」
「セシル、父さんと行ったらセシルの冒険に出てくる女神像が見られるぞ」
「や!」
抱きついて顔を伏せたまま声を上げるものだから、エリザベスは耳がキーンとなった。頑固なのはどちらに似たのか。セシル、セシル、とエリザベスもアーサーも二人して呼びかける。ぎゅ、とエリザベスの服を掴む手が緩むことはなかった。
セシルが四才になって、アーサーと共にアンドルーズへ向かう日がやって来た。祈りを捧げて直ぐとんぼ返り。二泊三日の旅程だった。
愚図るかと思われたセシルは、当日になると何故か率先して自分から馬車に乗り込んだ。馬車の窓からセシルが元気よく手を振っている。
「どうやって説き伏せたんです?」
「アンドルーズにはリズの好きな珍しい薔薇があるから、それを取りに行こうと言った」
「薔薇が好きなのは母ですけど」
「嘘も方便」
アーサーはエリザベスにキスをして、馬車に乗り込もうとする。足をかけた所で止まって、アーサーは何故か戻ってきた。
目の前まで戻ってきて、こちらの顔を覗き込んでくる。
「陛下…?」
「名前で呼んでくれ」
アーサー、と呼ぶ。すると彼は、そっとエリザベスを抱きしめた。
「…どうしたの…?」
何かただならぬ気配を感じて、問いかける。彼の両腕が、しっかりとエリザベスを抱きしめる。
「アーサー…」
「留守はレオンが代理だ。何か問題があればアイツに指示を仰げ」
そんなことは知っているのに。
「何故わざわざそんなこと言うの…?」
「離れがたくて」アーサーはきっぱり言う。「こんなに離れるのは久しぶりだから」
「三日後には帰ってきますでしょ?」
「ああ、…セシルみたいに、俺も駄々をこねたい所だが、そうもいかない」
アーサーはやっと離れ、背を向けた。瞬間の、彼の双眸が揺れるのをはっきり見た。
「──アーサー」
思わず声をかける。アーサーは片手を上げて振り返らず馬車に乗り込んだ。窓のカーテンが下ろされ中を見ることが出来ないまま、馬車は走り出す。
気のせいだったのだろうか。どう言えばいいか分からない。数えきれないくらいの抱擁を交わしてきた。政務をしたくないと駄々をこねる姿も何度も見てきた。なのに、あの揺れる双眸だけは、一度も見たことが無かった。
気のせいだと思いたい。私たちはもう死を乗り越えたはず。何も起こらない。起こるわけがない。
──その夜、アーサーとセシルが行方不明になったという知らせが届いた。
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