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お忍び4
しおりを挟むその音は、エリザベスが想像したものとは全く違っていた。目を疑う。確かにアーサーが弾いている。
──なんて美しい音色なの。
思わず聴き惚れてしまう。奏者からは想像出来ない繊細で、優しい、穏やかな音色だった。
男たち三人も聴き入っている。誰かが感嘆の声を漏らす。誰もがアーサーを宮廷楽士だと疑わない。完璧だった。
弦から指が離れる。アーサーは大きく溜め息を吐いた。
「──酷すぎる音だな。普段からちゃんと弾かせておかないと、使い物にならなくなるぞ」
「に、兄ちゃん凄いな」
「ああさすが宮廷の楽士さんだな」
「これくらい普通だ。…見ろ。あんまり酷すぎて妻も呆れてる」
話を振られてエリザベスは慌ててブンブンと首を横に振った。
「あ、あまりにも凄い演奏で、驚いてしまって…」
「な?酷い音だったろ?」
誤解しているアーサーに弁解しようとして口を閉じる。そうだ。宮廷楽士の妻として、アーサーの嘘に便乗しなければならない。
「え、ええ…そうですわねホホホ…」
わざと過ぎる演技に自分でも下手くそと罵りたくなる。アーサーもちょっと吹き出していた。
「これで占い師に会えるな?」
「ああ勿論」
「時間を取らせたな」
「婆さんの家は突き当たりだ。香の匂いがキツイから、気持ち悪くなる前に鼻覆っといたほうがいいぜ」
口々に言った三人が道を開ける。アーサーはリュートを男に押し付けて、奥へ入っていく。エリザベスも続いた。何はともあれようやく占い師に会える。何だか今日は一日が物凄く濃い。どんな話が聞けるのだろう。緊張を抱いて突き当たりまで進んだ。
突き当たりには扉はなく、代わりに布きれが吊り下げられていた。先に入ったアーサーが捲ったまま待ってくれているので、エリザベスは礼を言って中に入った。
入ると、真っ暗闇に包まれる。全く何も見えない。するとアーサーが呼んで手を握った。
「こっちだリズ」
「見えるのですか?」
「夜目に慣れる訓練を受けている。燭台に火が灯っているのが見えるな?あそこに占い師がいる」
確かに、奥に一つ、燭台が灯っている。アーサーの手に引かれ、歩みを進める。僅かな灯りの端に、何かがうごめくのが見えた。あれがどうやら占い師らしい。
「お前が占い師だな?」
影がうごめく。エリザベスは目を凝らす。だんだん慣れてきて、その影が老婆の姿になっていくように見えた。
老婆は何度か咳をすると、獣のようなうなり声を上げた。
「──見ない顔だね。よそ者かい?」
低く嗄れた声だった。老婆らしい、ゆっくりとした聞き取りにくい声だった。
「隣国のラジュリーから来た。お前も、時を遡った者か?」
アーサーが率直に聞く。変に誤魔化して話す意味も無かった。エリザベスも返事を待った。
「さかのぼった?」
「時を遡ったから、ダッカンの王制が五年後に崩壊するのを知っていた。そうだろう」
「挨拶もなしに来たかと思えば、なんだいあんたら。三流国のラジュリーの人間もずいぶん偉くなったもんだ」
アーサーは金貨を置いた。さっと老婆がかすめ取る。まるで盗っ人のような素早さだった。
「金貨とは。それだけこの婆の予言、知りたいんだねぇ」
「耄碌してんのか。俺は時を遡ったのかを聞いてんだ」
「わしは占星術師じゃ。それ以上でもそれ以下でもない」
燭台の火が揺らぐ。老婆の不気味な笑みが浮かびがる。
「全てはあまねく天からの思し召し。天命には逆らえぬ。運命からは、我々は逃れられぬのじゃ」
「ならなぜ予言する。五年後の王制崩壊をどうやって見抜いた」
「予言とは、今、この時に定まっている運命を指す。逃れられる予言もあれば、逆もしかり。何が天命となるかは、その者が死を迎えた時点で分かり得るのだ」
「つまり、お前はただの占い師で、別に時を遡ったとかそういうわけじゃないんだな」
「はて…?そんなことを言ったことがあるような無いような。最近物忘れが激しくての」
とぼけ始めた老婆に、アーサーが短気を起こさないかと気を揉む。幸い、溜め息一つで済んだようだ。
「そうか。邪魔したな」
「まぁ待ちなさい。金貨分の仕事はしてやる。何か聞きたいことはあるかの?」
「俺は占いの類いは信じない。リズ、聞きたいことあるか?」
「私も特には」
「なんだい若いくせに。二人の相性でも見てやろうかね」
頼んでもいないのに、勝手に老婆が占いを始め出した。手元から大きな虫眼鏡を取り出した。老婆の拡大した眼が映し出されて不気味さが増す。アーサーとエリザベスを交互に一瞥しただけで、直ぐに虫眼鏡を下ろした。
「──ふむ…、そうじゃな。年下の妻には年上のように扱うと良いぞ。逆もしかりじゃ」
「リズ、帰るぞ」
「は、はい」
老婆のアドバイスは結婚式での常套句だった。入ったときと同様に、アーサーが扉代わりの布を払うように除けてくれている間に、エリザベスは礼を言って外に出た。
──エリザベスが外に出たのを見送って、アーサーも外に出ようとする。
「待て!待て、お主…!」
ただならぬ呼び止めに無視できずに振り返る。老婆は虫眼鏡でこちらを睨みつけるように見ていた。
アーサーはまた予言とも言えないどうでもいいアドバイスでもしてくるのだと思った。
「これでも忙しい身なんだ。明日には帰国しなきゃならんからな」
「お主…!お主、」
「──お主…殺されるぞ。幼子と共に」
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