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しおりを挟む「──で、そんな感じだったのよ」
ルイーズが話し終えると、隣に座っていたレイラは口をあんぐり開けたまま、絶句していた。
午前の祈りを終えてお茶をするのが二人の毎日の日課だった。長椅子に一緒に腰かけて修道女たちが作った菓子をいただく。菓子は独占せず民たちに優先的に売るようにさせて、自分たちがありつくのは売れ残りや不格好な失敗作だった。
「そ、それで?」
と、レイラが聞く。
「それでって?」
「それで、結婚しちゃったの?」
「まぁ、父さま助ける為だったし、仕方ないわよね」
テーブルに置かれたティーカップを口に運ぶ。ダージリンの香りを楽しむと、目の端でレイラが慌てたように手をせわしなく擦り合わせていた。
「落ち着きのない子ね。紅茶でも飲んだら?」
「落ち着けるわけないでしょ!なんでそんな話してくれなかったの!?」
「え?だって聞かれなかったし…」
「我が家に関する一大事件よ!母さましっかりしてよ!」
そんなに怒鳴らなくても。ルイーズは菓子を摘もうとして、娘にはたき落とされる。
「何するの。これは修道女たちが一生懸命作った…」
「こんなことしてる場合じゃないでしょ!母さま!立って!」
娘の勢いに押され、ルイーズは素直に立ち上がる。腕を掴まれる。
「行くわよ母さま」
「どこに?」
「決まってるでしょ。父さまの所よ」
「今は政務中だから、邪魔しちゃ駄目よ」
と言ってもどこ吹く風。レイラに引っ張られて廊下に出たところで、控えていた女官たちが何事かと近づいてくる。
「王妃様、姫様、どちらへ」
「父さまの所よ。どいて」
「ですが、もうじきバートン様がお越しになります。部屋でお待ち下さい」
バートンとは、ノックス編集長のことだ。彼の元で働いたのは本当に短い時間だったが、あの時以来、四季折々の便りを交わしている。月に一度はこうして会っては、とある進捗のやり取りをする。
「だそうよ。編集長に会ってから、陛下を訪ねましょう」
「いいわ。望むところよ」
どうしてこんなに気の強い娘に成長したのか。レインからはよく若い頃のルイーズに似ているなどと言われるが、こんなに向こう見ずで怖いもの知らずだっただろうか。恐ろしくなる。
部屋に戻ってお菓子にありついていると、編集長がやって来る。ルイーズが差し出す手に恭しく口づけを落としたノックス編集長は、王妃となった今でも気兼ねなく話してくれる数少ない人物だった。
「今日はじゃじゃ馬娘も一緒ですか」
ノックス編集長は、わざとらしくやれやれと肩を落としている。こうやってレイラをからかって、遊んでいるのだ。
対するレイラは腕を組んでふんぞり返っている。向こうも一歩も引かない。
「エセ記者さんに嘘書かれないように、私が監視する必要があるんです」
「へえへえそうですか」
「馬鹿にして!王室関係の記事を持ってきたんでしょ。見せなさい」
編集長は懐からくたびれた紙を見せる。レイラは、ぶんどって目を通して、それからわなわなと震えだした。
「な、何よこの記事!私のこと書いてあるじゃない!」
何が書かれているのだろうかと、ルイーズも横から覗く。それは先日催された晩餐会での出来事だった。
『遠方からやって来たパーヴェル王子が、手を洗うフィンガーボウルの使い方を知らずに、中の水を飲んでしまった。それを見たレイラ王女は、王子に恥をかかせまいと自らもフィンガーボウルの水を飲んだ。王女の咄嗟の気遣いには、その場にいた者たち全員が感嘆したという』
「レイラこんなことしてたの?凄いじゃない」
ルイーズと陛下は別のテーブルについていた。この素晴らしい話を全く知らなかった。
「こんなの新聞に載ってパーヴェル王子が見でもしたら、とんだ赤っ恥よ!せっかく穏便に済ませたのに、こんなのは却下よ却下!」
「そうねぇ、レイラの言うことは一理あるかも。編集長、すみませんけど別の記事にできませんか?」
「言うと思ってな、別のも持ってきた」
もう一枚の紙も二人で目を通す。こちらはとある伯爵令嬢が急死したと思ったら息を吹き返した話で、少しホラーじみていた。
「本当なのこの話?」
レイラも信じていなかった。なにせその令嬢は食べ物を喉につまらせて窒息したと書かれてある。
「本当だ。埋葬される寸前に生き返ったもんだから、棺桶からドンドン叩く音が…」
「いや!聞きたくないわ!その記事も却下よ!」
「そんなら王女様の話を記事にするしかありませんぜ?」
「絶対に駄目!もっとまともなの無いの?」
「ありませんなぁ。うちは少数精鋭なんで、選りすぐった記事しか載せませんで」
ルイーズが去ってから、グリーン新聞社の顔ぶれは全く変わっていない。家族が増えたくらいだ。双子や編集長の子供たちの遊び場となって随分賑やかだそうだ。
「後は編集長に任せましょう。お忙しい方なのだから、引き留めては駄目よ」
「もう母さまはいつものんびりしてるんだから」
せめて寛容と言ってほしい。いつも娘には怒られてばかりだ。
ルイーズは用意していた小箱をノックス編集長に渡した。
「今月の分です。順序は編集長にお任せします」
「先月も好評でしたよ。特に若い娘からの評判が良い」
「光栄だわ」
小箱を開けた編集長は一つ一つ丁寧に手に取っていく。そこには花の絵と花言葉とちょっとしたコメントが書かれていた。
ゴシップや殺伐とした記事ばかりでは気が滅入ると、もう何年も前からこうして花にまつわる記事を載せてもらっている。絵とコメントはルイーズが書いたものだ。ちゃんと掲載料も支払っている。
見終えた編集長は確かに、と小箱を閉じる。
「俺の娘も気に入ってるんだ。他の記事は読まないのにこれだけは毎日読むから、少し複雑だがな」
「まだ小さいから、いつか読んでくれるようになりますよ」
編集長は微笑む。遅くに生まれた末娘を、編集長は溺愛していた。
「そうだ」とレイラが手を叩く。「編集長は、母さまと父さまが結婚した経緯を知ってるの?」
「こらレイラ、そんなこと聞かないで」
「お祖父様をお救いするために、父さまと結婚したって本当?」
「ああ、本当だよ。王妃様のお陰で侯爵の命は助かり、その日の記事は侯爵の処刑記事でなく両陛下のご成婚になったんだ。街中がお祝いムードだったぜ」
良い話なのだが、レイラにはそうは思えないようだ。嫌そうに顔を歪めている。
「母さまは好きでもない人と結婚させられたのよ。しかも、む、無理やりだなんて…」
「安心して。無理やりの所は何もなかったから。ただ口裏合わせをしただけよ」
「でも母さまが物みたいじゃない。私もっと」
「結婚は家が決めるものよ。何も知らないまま嫁ぐなんて貴族じゃ当たり前」
「私は…嫌。ちゃんと恋愛して、相手のことよく知ってから一緒になりたい」
「レイラが望むようにしたらいいわ」
慰めるように肩を撫でる。レイラも手を重ねた。
見ていた編集長は、くつくつと笑い出した。
「?何か面白かったですか?」
「いや?よくそんなことが言えるなぁって感心していた」
「レイラにはレイラの結婚観がありますから、それを尊重したいんです」
「そうじゃない」
編集長は記事をまとめておいて、鞄に放り込んだ。
「普段の親の姿を見て、よくそんなことが言えるなぁって思ったんだ」
「え?」
「ま、俺が口出すことじゃなかったな。…ご無礼致しました。これで失礼します」
「もう?」
「何か用事あったんだろ?会おうと思えばいつでも会える。また来月な。今度は娘も連れてくるよ」
「ええ、店長さんにもよろしく」
立ち上がって見送る。互いに手を振って別れた。
「ねぇ母さま」
「ん?」
「あんまり気にしてなかったけど、母さまは王妃さまなのに、なんで編集長は敬語使わないの?不敬じゃない?」
「編集長には一生返せない恩があるの。それに私からお願いしたの。あんまりとやかく言わないでね」
編集長が送り出してくれなかったら、父の処刑を止めようとも思わなかった。ただ嘆いて終わっていたかもしれない。
不満そうなレイラは、じゃあ、と再びルイーズの腕を掴んできた。
「いいわ、とにかくお父さまの所、行きましょ」
「えぇ行くの?」
「もちろん!さ、早く」
ずるずると引っ張られる。これはもう逃げられそうにない。ルイーズは密かにため息をついた。
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