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三章
6
しおりを挟む「兄上!死んでください!」
目にも止まらぬ高速の斬撃が飛んでくる。一撃、二撃を切り捨てたものの、三撃目をレイフは受け止められなかった。
かろうじて剣で防いだものの、胸から大量の血が滴り落ちる。
アーネストは上着を脱いで止血しようとするが、次が来てそれどころではない。レイフの後ろに隠れていなければ、あっという間にアーネストの体は引き裂かれる。
「このままではジリ貧だ。なんとか森に逃げられないか!」
「この攻撃だけでしたら逃げられますが、さっきのような飽和攻撃だと難しいです」
「あれは魔力消費が大きい。私を綺麗に殺すと豪語しておるなら、もうあんなことはしない。今のうちに逃げるぞ」
「ならいま直ぐ森へ走ってください。守ります」
森へと走る。狭い庭だが、こんな状況では広く感じる。
後ろからの追撃をレイフが弾くたびに、背中に衝撃波が伝わる。既にレイフは胸に大傷を負っている。早く出血を止めたい。振り返らず一目散に走る。
森になんとかたどり着く。ホッとしていられない。もっと深くへ逃げなければ。
「レイフ、無事か」
振り向いた瞬間、抱えられる。肩に担がれたアーネストは、前のめりになって、蛙が潰れたような声を出した。
「静かに。私なら足音を殺して走れます。黙っていてください」
アーネストを担ぎ、片手に剣を持って走っていても、全く息が上がっていない。どこをどう踏み分けているのか、確かに足音が全くしない。化け物か。しかもものすごく早い。どんどん森の奥へと進んでいく。
「兄上!逃げても無駄だ!」
そう叫ぶオスカーの声が遠い。これなら逃げられるかもしれない。
それは淡い期待だった。走るレイフの足から、血が飛び散っている。
レイフの足跡に、血がついている。
胸の傷は相当だった。まだ止血出来ていない。
「おい!一旦降ろせ!手当てする」
「静かに。場所が知られます」
「そんなに血を出していたら死ぬぞ!」
「うるさいですってば」
無視されるのかと思ったが、止まってくれた。レイフの傷の手当てをしようと向き直った瞬間、首に手刀を受けて気絶した。
夢を見た。断頭台に頭を置いて、処刑人が斧を振り落とす。一瞬、視界が反転したかと思えば、切り落とされた首が地面を転がる。
その首を見下ろしているのはレイフだ。冷たい瞳で見下ろしている。
暗くなっていく視界。
直ぐに小さな点になって真暗になる。
嫌だ。死にたくない。冷たい。
「──アーネスト様」
名を呼ばれ、目を開ける。まだ夢の中にいるアーネストは、冷ややかなレイフの顔を見て、唇を震わせた。
それは一瞬だけで、直ぐに現実へと意識が浮上する。アーネストは勢いよく起き上がった。
「そなた!さっきはよくも私を気絶させたな!」
「うるさかったもので。申し訳ございません」
「むかつく物言いしおって。もう少し申し訳ない素振りをしてみろ」
と言いつつレイフの姿を注視する。深手を負った傷は手当してあった。巻かれた布からは血が滲んでいる。治癒魔法が使えたら、こんなもの直ぐに治せるのに。
周囲を見渡す。崖の下だった。いつの間にか雨が降っていたが、張り出した岩が軒の代わりをしてくれていて、雨水は降り込んでこなかった。
「雨が降って幸いでした。これで痕跡が消せます」
「逃げられそうか」
「向こうは森に慣れていませんから、まだ猶予はあります。陛下の魔力でしたらこの森を焼き払うなど造作も無さそうですが、アーネスト様がいらっしゃるので、地道に索敵を行っていると思われます」
こうやって振り切れて休めているのも奇跡に近いというわけか。レイフの超人的な身体能力のおかげで、ここまで逃げおおせられた。
アーネストが目覚めたのを見届けて、レイフは壁にもたれた。ふーと長く息を吐く。
「疲れたか」
「まだ走れます」
顔が青白いのは、天気が悪いせいでそう見えるわけではないようだ。血が足りないのだ。貧血を起こしているかもしれない。
「そなた、本気でアネモネと結婚しろと言っておったのか?」
伴侶となるのは荷が重いと言っていた。同衾したくないだの、嫌いだのとレイフからはきっぱりと振られてしまっていた。
「心臓の音が聞こえない男と結婚しろと言っておったのか」
「あの人もブレスレットをしていましたから、陛下の何か術に対する作用なのかと思っていました。まさか死人だとは思いません」
最もらしいことを言ってくれる。
「私はそなたと結婚したい」
大真面目で言ったのに、何故かレイフには笑われてしまった。
くつくつと笑い出したレイフの頬を引っ張る。
「こら、からかうな」
「すみません。この期に及んでまだそんなことを言うのかと思って」
「こうやって話が出来るのも最後かもしれん。言いたいことを言ったまでだ」
ふぅ、と息をつく。レイフの額に汗が浮いていた。平気そうな顔をしておきながら、本当はもう限界が近いのだ。
「アーネスト様は結婚しようと言うばかりで、その前がありません」
「その前とはなんだ」
「好きだ、愛してる」
レイフは淡々と言った。
「せめてそれくらいはおっしゃった方がよろしいかと」
言われてみれば言ったことが無いような気がする。アーネストは短く過去を振り返ったが、確かに言っていなかった。
好意を持ってはいるものの、蝶や花よと愛でるのとは、レイフは違った。
「そなたとはいつも漫才をしておる」
「これだけ身分が違うのですから、価値観も違ってくるかと」
「そなたはジジイだしな」
「貴方は若造です」
ふ、と笑い合う。
緊張状態で、気の抜ける会話が出来るというのは貴重だ。これまでも緊迫の連続だったが、なんとか気を保っていられるのは、レイフのおかげだった。
「…笑えん話だと思わんか」
だからこそ、レイフには申し訳ないと思う。
事の発端は、アーネストに婚約者がいたことによる嫉妬だ。
熱狂的な信者が引き起こしたどうしようもない過ちだ。アーネストは次期王位継承者で、王妃を娶るのは幼少の頃より決まっていたことだ。実にくだらない。それでアーネストは二度も処刑を味わい、レイフは二度にわたり過酷な人生を歩まされた。
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「原因はそこかもしれませんが、なぜ繰り返すのかの謎が解けていません」
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「貴方ではないのですか?」
「わたし?」
「アーネスト様は陛下よりも魔力量が多かったと聞いたことがあります。そういう過去を遡る秘術を持っているのではないですか?」
そんな力は無い、と言おうとして、何かがかすめる。
記憶の狭間に、何かの映像が浮かぶ。
それは最期の記憶だ。首を落とされ、冷ややかなレイフの顔。
あの顔を見ていた。
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レイフの声。違う。その顔だ。
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思い出した。
何度も走馬灯のように繰り返し見てきた夢。最期の瞬間。あれだ。あれだった。
「気分が悪いのですか?」
様子がおかしいアーネストを心配して、レイフが顔を覗き込む。
アーネストはレイフを引き寄せ、顔を近づけた。
真っ黒なレイフの瞳。その瞳が、答えだった。
「レイフ、頼みがある」
瞳がまたたく。
「私の首を跳ねてくれ」
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