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二章
13
しおりを挟む「アーネスト様、こちらをご覧ください」
アネモネはそう言うと、己の袖をまくって手首を見せた。
そこにも、翡翠のブレスレットが。
「そなたも…?」
アネモネは袖で隠すと、苦しげに訴えた。
「お助けくださいアーネスト様。この婚姻が成立しなければ、このブレスレットが私を殺すだろうと脅されています」
「そんなことをオスカーが言ったのか」
嗚咽する。アネモネの目は涙で濡れていた。
酷い真似をする。こんな弱き者を利用して。こうなっては何の対策も立てられない。アーネストは奥歯を噛み締めた。
「分かった」
「…アーネスト様、では」
「ああ、そなたと結婚しよう」
アネモネは安堵したのか、せきを切ったように大粒の涙を流した。アーネストは落ち着かせようと背中をさする。
「あ、ありがとうございます!」
「だが、一つ条件がある」
「え?」
「婚姻証明書だ。私が破いてしまった。もう一つ用意していただきたい」
「それはもちろん直ぐにでも」
「その証人欄は陛下にお願いしたい」
アネモネの顔が硬直する。アーネストは、すかさず続けた。
「私は陛下に命を狙われた。いつまた殺されるか分かったものではない。だが、陛下がサインしてくだされば、教会だけでなく陛下が正式に婚姻を認めた証になる。女神ディアナを前にして、おいそれとそれを反故にするような真似はなさらないだろう」
陛下が認めて結婚した者が、陛下に断罪されたとなれば、面子が潰れる。信用問題となる。
「どうだ?お伺いを立てられそうか?」
「…分かりません」
「必要ならライトゴーンに早馬を出す」
「アーネスト様の手を、わずらわすまでもありません。私から手紙を出してみます」
「では客室へ案内する。着いたばかりで悪いがそこで手紙を書いてくれ」
はい、とアネモネは意気込む。こちらへと背に手を添えると、彼は恥ずかしげに顔を真っ赤にした。
ハサミで薔薇の手入れをしているレイフに会いに行くと、開口一番にこんな事を言った。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます?」
「アネモネ様とのご結婚、おめでとうございます」
「私がこんなにもご機嫌斜めなのが見て分からんのか」
レイフからハサミを取り上げて剪定する。あ、とレイフが言う。何かマズい所を切ってしまったらしいが、無視する。今はそれどころではない。
「全くふざけた話だ。完全に後手に回っている」
「アネモネ様は良いお方ではありませんか。お似合いです」
「男でアネモネという名前だぞ。絶対に偽名だ」
ばちん、と薔薇の花を落とす。地面に落ちる前にレイフが拾い上げた。
「父の名がジャルカ・ローだぞ。姓が違う。あからさま過ぎる」
「陛下の指示でしょう」
「偽名で婚姻証明書にサインしたとなれば、婚姻は無効になる。しかもあの者がディアナ神を信仰している証拠もない。もし異教徒であると婚姻の後に発覚したなら無効どころではない。私は破門だ」
破門で済めばまだマシなのかもしれない。最悪また処刑にもっていかれるかもしれない。
「あり得んいちゃもんをつけて私を処刑に追い込んだ男だ。あの時は私の渾身の謝罪で何とか免れたが、ここに来てまた仕掛けてきたな」
「今度も同じ手は使えないでしょうね」
「アネモネも被害者ぶっていて怪しい。ブレスレットで脅されている風を装って、私を油断させる算段だ」
「そうは見えませんでしたが」
「顔の造形が私好み過ぎる」
はぁ、とレイフは気のない相槌を打った。
「整った顔でしたね。愛らしい女性のような」
「だろう!?非常にそそられる。あれは罠だ」
大きな瞳が、恥ずかしげに揺れる。ああいうのは天性の魔性だ。危険過ぎる。
「そなたは勝手に部屋を移動させおって。このような使用人の仕事などしなくていい」
「私は、本来なら貴方様の御前に立つことも許されぬ身です。使用人ですら恐れ多い」
「の割に随分と直球で私を振りおったな」
「振り…?ああ、そうでしたね」
忘れていたのか。それだけ印象が薄かったのか。アーネストは傷ついた。
「大まかな年表は完成させましたが、このような状況では、私の仕事も出来ません。どこに目があるか分かりませんから、下手なことは出来ません」
「それはそうだが」
これからの未来の出来事を詳細に記すよう、レイフには命令している。国の年表はこの間もらったが、レイフ個人の出来事もまだ書き上げていなかった。
屋敷の内部にオスカーの息のかかった者がいることは既に把握している。イエローは助言はしてくれるが、胸の魔法陣のせいで、オスカーに逆らえない。
純粋な味方はレイフしかいない。頼りにしたいが、ブレスレットのせいで、レイフは本来の力を封じられている。なんで自らつけたんだ馬鹿者。
「ともかく、時間は稼いだ。そなたは早くそのブレスレットの術式を削り取れ」
「削ってどうするのですか」
「逃亡だ」
思えば婚姻の為にこの国に留まっていたのだから、婚姻の邪魔をされた以上、ここに留まる理由は無い。さっさと逃げてさっさとレイフと結婚してしまえばいい。
「オスカーが不在の今、ライトゴーンへ逃げる」
「その陛下が今、ライトゴーンにいらっしゃいます。危険では?」
「むしろ危険なのはオスカーの方だ。私の母の実家に乗り込んでいるのだぞ。この機会にライトゴーンへ私も乗り込んで共にオスカーを打ち倒して王座を奪ってもいいくらいだ」
このくらい強気にでも出ていないと、こちらが殺される。戦争回避が一番の得策だが、こうまで追い込まれるとそうもいかない。
「戦争になっても構わないと」
「そなたはどう思う」
「戦争はもう嫌です」
「まぁ、そうだな」
「アネモネ様が偽名なのか、ディアナ神を信仰していないのか、確認してはいかがですか。教会に問い合わせれば、名と洗礼したかが判明します。その上でもし偽装だと発覚したならば、アーネスト様も騙されていた被害者となります。破門には至らないかと」
「そなたは私を人身御供したいのだな」
「好みの顔なのでしょう?」
「それはそうだが。それで相手を決めるのはいささか短慮だと思わんか」
「王族の結婚に自由意志など無いのですから、良い所が一つでもあってよかったではありませんか」
「…そなた!ヅケヅケと遠慮なく言いおって!嫌なものは嫌なのだ!」
そこら中にある薔薇という薔薇を刈り取っていく。ばちんばちんと、どんどん切り落としていっても、当の本人が何とも思っていないのだから余計アーネストはイライラした。
落ちた薔薇をレイフは拾わなかった。最初の一つだけすくい上げたきり、全く冷めた目で、花弁に触れている。
「そう首を落とすものではありませんよ」
「そなたのせいだ!」
「気が晴れましたか」
晴れるわけがない。アーネストはハサミを押し付けるように返し、大股でその場を去った。
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