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二章
12
しおりを挟む「傷を付ければいいのですか」
「ああ、だが武器では保護魔法がかかる。素手で削るしかない」
試しにレイフはブレスレットに爪を立てた。
「…無理そうです。翡翠は傷が付きやすいと聞いたことがありますが、爪では歯が立ちません」
「いいや、そなた程の剣士なら、爪でも傷を付けられるはずだ」
「爪で戦う訓練は受けておりません」
レイフは試そうともせず、あっさり諦めた。簡単に止めてもらっては困る。なんと言ってもこちらの強みは、今のところレイフの異常な強さと魔力を打ち消す力だけだ。その両方を封じられて、どうやってオスカーと対抗しろと言うのか。
アーネストはレイフの背中をバンバン叩いた。
「もっと奮闘せよ!だらしないぞ」
「善処します」
「事の重大さが分かっとらんだろ!」
ほらもう一度!とレイフに傷をつけるよう促す。言われるがままやってみせるが、いまいち覇気がない。
申し訳程度に爪でギコギコやっていたレイフは、ふと顔を上げた。
「もしこれで術式を解いたとしても、また陛下は次を用意なさるでしょう。無意味では?」
「そなたが不用意にブレスレットをはめるからだ。体さえ自由ならブレスレットを再度はめるなんて真似はせんだろう」
と言いつつ、自由な身の時に自らブレスレットをつけたなこいつ、とアーネストは思った。
ほどなくして、王宮からアネモネ・ローズが別邸へとやって来た。アーネストがその者との婚姻を拒否しているため、無理やりに顔合わせを強行してきたのだ。
オスカーの手先だ。何としても追い返さねばならない。
出迎えにわざわざアーネストが立ち会ったのも、初見で追い返してやろうという腹づもりであったからだ。適当に難癖をつけて帰らせて、その後はもうやけくそだ。亡命でもしてやる。
もう直ぐ到着するとのことでエントランスには、アーネストをはじめ、イエローと使用人たちも待ち受けていた。
レイフも同席していたが、もう自分はお役御免と思っているようで、使用人の服を着て使用人に紛れている。部屋も勝手に使用人部屋へと移動して、アーネストは怒りをまき散らしたが、レイフは全く堪えていなかった。怒り続けても、ああも気にも留めない態度を取られると、こちらも怒り甲斐がなくなる。むなしい。
レイフのブレスレットの術式も削れないままだ。爪で削れと命令したが、実行されていないように感じる。
「アーネスト様、馬車が」
イエローの言葉の後に、馬車が屋敷の門をくぐった。エントランスに止まり、扉が開く。
降り立った人物は、白皙と呼ぶにふさわしい美少年だった。
「──男だったのか」
アネモネだのローズだのとあるから、てっきり女だと思っていた。
金髪碧眼の、細身の少年だ。年はレイフと同じか下か。レイフも幼顔だが、この少年はもっと幼顔だ。儚げで、女のような美しい顔をしている。
アーネストと目が合う。濡れた青の瞳が遠慮がちに伏せられた。
「アネモネ・ローズだな。ようこそ。我が屋敷へ」
アネモネは顔を伏せたまま、ありがとうございます、とだけ言った。
「陛下より親書を預かっております」
直接ではなく、イエローを介して親書を受け取る。
──開けるまでも無かった。この特殊な封筒の中身を、アーネストは知っている。
「婚姻証明書か」
少し茶色がかった紙質は、教会が独自に発行する公式な書類にのみ使用される。アネモネの目的がはっきりしている以上、婚姻証明書しかない。
婚姻証明書は、本人が署名してこそ証明される。それにさっさとサインしろということなのだろう。
アーネストはそれをあっさりと破り捨てた。
慌てるイエローに、驚いた顔のアネモネ。紙くずと化かした結婚証明書。
「悪いが、私はそなたを伴侶とするつもりはない。陛下へは私より弁明するゆえ、このまま帰ってはくれぬか」
動揺するアネモネに、優しく話しかける。お前に非はない。という意志を示すためだ。
しかしアネモネは、暗い顔をした。
「か、帰れません。陛下の命令には逆らえません」
「私が王宮へ出向こう。陛下に直接申し上げる」
「へ、陛下はいま王宮におられません。交渉は出来ません」
「なに?」
王たる者が王宮を開けるとなると、内外に知れ渡る。イエローの顔を見るが、慌てた様子からして彼も知らないようだ。
「陛下は今、内密に隣国へ向かっておられます」
アネモネは声を潜めて言った。
「ライトゴーンです」
アーネストの母の実家だ。こちらも声を潜める。
「内密の中身はなんだ」
「アーネスト様の進言を務めようとなさっておいでです」
進言。となると一つしかない。平和に、という言葉を守ろうとしてくれているのだろうか。
順当にアーネストが処刑されていれば、今頃はライトゴーン公国との戦争だ。
今回は処刑を免れた。とはいえ長子のアーネストではなく継母の産んだ次男、オスカーが即位した。戦争とはいかずとも、緊張状態となっているはず。それを緩和するために、隣国へ赴いてくれたと思いたいが。
──だとしたらちょっと話が変わってくるぞ。
アーネストが望んだように世界が好転しているのであれば、今ここでアネモネとの婚姻を断ったならば、事態がまた変わってくるのではないか。
レイフと無理やりに婚姻にこぎ着けた場合、新たな火種を生むのでは。
考えたくはないが可能性はある。オスカーの周到さに悪態をつきつつ、再びアネモネに耳打ちする。
「そなたは何者だ。身分は」
「私は陛下の従僕でした。商人の次男です」
商人、であれば貴族で無い以上、アーネストは身分を失う。一応はレイフと結婚した場合と同じ結果となる。
「父の名は?」
「ジャルカ・ローです。東の国の者ですので、馴染みはないかと」
音の感じからして確かに東の国らしさはあるが、知らない名だ。外国の者との婚姻となると、アーネストも少し身構える。
信仰が異なる場合が多い。しかしアネモネも、どうやら女神ディアナを信仰しているらしい。
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