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終章
6
しおりを挟む大雪が降った。積もり積もって一階の窓を覆うほどだったので、エマの部屋を二階に移した。
一階から運んできた寝具を整えているうちに、後ろから冷たい風が吹き抜けてくる。
エマが窓を開けて外を見ていた。
「冷えるだろ何やってる」
「雪が綺麗で。ほら、たくさん降ってます」
窓から雪が大量に舞い込んでくる。外は吹雪だ。ペレは窓を閉めてエマを抱き上げて寝台に乗せた。
「お前のせいで温めた部屋が一気に冷えた。温まるまでベッドの中に入ってろ」
エマは言うことを聞かず、ベッドの上に座った。見事な黒髪が膝まで流れている。
「こんなに降るのを見るのは久しぶりです。外を歩きたいです」
「雪が止んだらな」
「前もそう言ったのに、結局出してくれませんでした」
「病人だからだ」
すこし拗ねるようにエマは頬をふくらませる。
「ペレさんはずっと私の傍にいますけど、お仕事とかないんですか?」
「一生働かなくていい財産もらってんだ。遊んで生きるさ」
「なにして遊ぶんですか?」
「気に入った女を看病する遊び」
ますます膨れたと思ったらエマは肩を落とした。
「冗談に付き合えません。私も昔、母の看病を手伝いましたからとても笑えません」
「悪かったよ。もう寝ろ」
「直ぐに寝ろ寝ろばっかり。飽きました」
文句言えるくらいには回復している。かと言って無理はさせられない。外に出すなど論外だ。
「ペレさん」
エマは改まった様子で呼ぶ。微笑をたたえたその顔は、さみしげに見えた。
「聞くのが怖いな」
「私の手、触ってください」
言われた通り、両手を握る。いつもの冷たい手だ。
「冷たいでしょう?」
「ああ」
「自分の身体のことくらい分かります。どういう状態なのかも」
「すぐ死ぬほどじゃない」
繋いだ手をエマはじっと見ている。
「本当に死ぬのが近くなったら、したいことも出来なくなります。だから今のうちに、したかったこと叶えたいんです」
「なら寝ろ。もっと回復してから」
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「あの男を殺すよりも酷い目にあわせてやりたかった。名誉を失墜させて、王としての真価を問う。私が見込んだ通り、あの人はうろたえて無様でした。でもそれが叶ったとき、何故わたしはあんなにムキになって娼婦にまでなったんだろうって我に返りました。あんな人に固執してたなんて馬鹿みたい」
今まで何も言わなかったエマが、この話題を口にするのは初めてだった。
「本当に馬鹿みたい。虚しくて、悲しい。このまま死ぬかと思うと、後悔ばかりで、やりきれない気持ちになる」
復讐を果たした哀れな女の姿がそこにあった。外にも出られず隔絶された部屋で朽ちる運命にある女が、正直に胸の内を明かしてくれて良かったと思った。
話してくれないとこのままだった。エマを助けたあの瞬間から、母を死なせてしまった過去のやり直しをし続けている。
「よかったよ。話してくれて」
ペレは手を握り直した。冷たいが、まだ熱はある。冷たくなっていく母とは違う、生きている熱だ。
いつから恋に落ちていたのだろう。いつからでもどうでもよかった。夏の夕暮れ、古い本を開いた匂いは消えていない。
「私が全て叶える。後悔していること、全部付き合う」
瞬間、エマはやっと涙を流した。涙を見せたくないのか、エマはペレの肩に顔を埋めた。
「ほんとう?」
「本当だ」
「愛してくれますか?」
「愛してる」
「本当に?」
「一生かけて証明する」
震える声が嗚咽に変わる。やがて涙が止まる時がやってくる。これで最後だ。二度とエマが涙を流すことは無いだろう。ペレは二度と手を離さなかった。
翌日、ペレは一つの指輪をエマに見せた。金のレースのような細かい彫り込みの指輪に、エマは目を丸くした。
「見事ですね。こんなのは初めて見ました」
「アビアじゃ普通だ。私が作った」
「ペレさんが?凄い」
「装飾は基本だ。アビアではこれで家格を判断する」
ペレはエマの薬指に指輪をはめた。大き過ぎて、エマはくすりと笑った。
「駄目駄目ですね」
ペレは親指にはめ直した。金色が、陽の光に反射して眩しかった。
「元々、自分用で作った。まぁ仕方ないな。今度帰ったらエマ用に作り直す」
「ありがとうございます」
今日は晴天だったが、昨夜にかけて降り積もった雪が更にカサを増していた。屋根から落ちる雪の音がひっきりなしにしていた。
温かい部屋でも、隙間から冷気が入り込む。二人はベッドに座っていて、エマだけが毛布を頭から被っていた。
ペレは立ち上がると、床に片膝をついた。エマの両手をそっと包みこんだ。
「順番が逆になったが、愛している。私の妻になってほしい」
真剣に言ったのにエマはころころと笑った。
「まだ逆ですよ」
「あ?」
「本当の名前、教えてください」
すっかり忘れていた。エマの前ではペレだったので、他の名前で呼ばれるのには違和感が出てくるかもしれないと思ったが、アビアに戻ったら他の者たち何故ペレと呼ばれているのかあれこれ詮索されて面倒になるに違いない。確かに今が良いタイミングだった。
「エイドスだ。エイドス・デ・パドリー」
エイドスさん、とエマが呟く。なんだかくすぐったかった。
「私の本当の名前はエレオノールなんですけど、どっちでも構いません」
「へぇエレオノールか。どこぞかの王妃みたいな名前だな」
「貴方こそ、どこぞかの王子みたいな名前ですね」
笑ってみせるとエレオノールも笑った。エイドスはエレオノールの手に口づけした。
「散りゆく花になれ」
エイドスは言った。何も知らなければ、酷い言葉だ。
エレオノールはもちろんその意味を知っていた。母が遺した詩集。エレオノールが訳した言葉。
花が散るのは
芽を出し蕾となり花となったからこそ、散りゆけるのだ
散りゆく花になれ
生きてきたからこそ、散りゆけるのだ
生きてほしいと願いを込めてこの言葉を贈る。エレオノールは頷いた。
「これからそう生きて参ります。ですから、エイドスさまも散りゆく花になってくださいね」
エイドスも頷く。清々しい顔のエレオノールに微笑みながら、エイドスは夫婦となる言葉を交わした。
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