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二章(ジョン視点)

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「クルチザンヌ」は夕方に開店する。侍従の報告を聞いたのは昼過ぎだったが、あれこれと支度をしていたら、到着したのは夕方くらいになってしまった。
 いきなり王の姿で訪れたら、騒ぎが起こる。今回も黒のかつらで変装して乗り込んだ。

 早い時間だというのに、一階にはそれなりの人間が杯を交わしていた。そこにエレオノールの姿は無かった。

 給仕をしている少年に声をかける。

「エマを呼んでこい」
「エマさんならまだ寝てるよ。それにお客さんから個人的にエマさんは呼べないんだ」
「起きるまで待つ。目覚めたら前の夫に似た男が来たと言え」

 侍従が少年に金貨を渡す。大金の心付けにすっかり気を良くした少年は、大喜びで階段を上がっていった。

 しばらくして少年が降りてくる。上がって、という少年にジョンはもう一枚、金貨を渡した。

 侍従は外で待機させて、一人で部屋に入る。そこには最後に会った時と変わらないエレオノールの姿があった。
 眠っていたという言葉通り、エレオノールは夜着一枚をまとっていた。空いた胸元や袖口から見える指先が艶めかしく、黒髪が誘うように乱れている。
 
「まぁいけませんよ。このような所に通うようになっては。貴方様は前途あるお方。病気を移されてしまいますよ」
「病気なのか?」
「今のところはまだ。でも明日からは分かりません」

 にこりと笑う。笑わないと聞いていたエレオノールは、その評判と裏腹にジョンにだけは笑顔を振りまく。微笑みを向けられると、息が止まりそうなほど胸が高鳴る。ジョンは顔がニヤけるのを必死でこらえた。

「会いたかった」
「私もです。またお会い出来たらなぁと思っておりました」
「それは俺が、前の夫に似ているからなんだな?」
「それもありますけど、あまり気になさないでくださいまし。ちゃんと私は貴方様の人となりも気に入っておりますのよ」

 小気味良い調子に乗せられてついその気にさせられそうになる。これがエレオノールの本心なのか、ただの常套句なのか、ジョンには見分けがつかない。

「前の夫は」

 と言いかけた所で、唇に人差し指を当てられる。

「忘れてくださいまし。前の夫の話をすべきではありませんでしたね」
「話したくないのは、未練があるからか」
「止めてください。これ以上お聞きにならないで。もうお会いしませんよ」

 困ったようにエレオノールが笑う。眉毛を寄せて苦痛をごまかそうとしている。悲しみに満ちた過去を思い出しているのは明白だった。
 もう無理だ。これ以上は待てない。

「…エレオノール」

 つい名を口にしてしまう。いや、最初から偽らずに会うべきだった。

「え?」

 聞き返すエレオノールの前で、かつらを取る。金髪を見せたジョンに、エレオノールは大きく目を見開く。

「……うそ」
「エレオノール、すまなかった。全て分かった。何があって何をされたのか。全部分かった」

 硬直して動かないエレオノールの手を取る。この柔らかな感触。この質感だ。ジョンは手を重ねた。

「すまなかった。エレオノール。もう何の苦しみを与えない。お前を脅かす者はいない」
「…………」
「ここを出よう。またやり直そう。王宮に戻って、俺の王妃になってくれ」
「…………」
「エレオノール…?」

 返事がないエレオノールの顔を見ると、真っ青だった。震える体を抱きしめようとすると、ふらりと後ろに倒れ込む。

「エレオノール!」

 抱き留める。見ればエレオノールは意識を失っていた。


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