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二章(ジョン視点)
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しおりを挟むエレオノールは、あの日と同じ真っ赤な衣装を身にまとっていた。客の男たちに囲まれて、共に食事をしている。空の酒瓶がテーブルに並び、グラスの酒も減っていて、それなりに食事が進んでいることが伺える。男たちは口々にエレオノールへと何かを話しているが、彼女はほとんど反応せず、目の前の食事に集中している。
元貴族らしく背筋を伸ばし、ナイフとフォークで切り取った肉を口に運ぶ。洗練された淀みない所作で、それは妻であった頃と変わらない。
だが、まとう雰囲気は全く違っていた。酷く人を引き付ける魔力を持ちながら、まるで一人だけ別世界にいるような、孤高の存在。女神のような、神に近い存在。
ジョンは縫い留められたようにその場から動けなかった。会うのが目的だった。会って、話を──
「なぁエマ!そろそろ俺にもチャンスをくれよ!」
ドン、とジョンを押しのけエマの隣に男が座る。よろけたジョンを侍従が支える。無礼な行いだが、今は変装している身。腹は立つがむやみにトラブルを起こすのは得策ではない。侍従もよく分かっていて、男を咎めない。
エマは無礼な男も無視して食事をしている。
「エマ!お前のために新しい屋敷を買ったんだ。そこで俺と暮らそう」
男の発言に他の男が反応する。
「おい!エマは俺と交渉してんだ。邪魔すんな」
「何言ってやがる。相手にされてねぇじゃねぇか。潔く諦めて帰りな」
喧嘩腰の態度に、他の男が仲裁に入る。
「まぁまぁ落ち着いて。エマさんは食事中ですよ。食事を終えてから改めて話を聞きましょう」
「仕切ってんじゃねぇぞボンクラがぁ!」
「わ、私もエマさんの為に宝石を用意してきたんです。他の方たちも同じです。順番は守ってください」
そうだそうだと声が上がる。他の娼婦たちと話をしていた男たちも、みなエレオノールに注目して、抗議の声を上げていた。
まるで皆がエレオノール目当てのように、割り込んできた一人の男に非難が集中する。
ヤジを飛ばされた男は初めは、うるさい!と大声で抵抗していたが、やがて他の男たちに羽交い締めにされ、店の外へと連れ出されていった。
一騒動が終わると、何事もなかったかのようにまた酒場はもとに戻る。男たちの一致団結に呆気にとられたが、最初から最後まで顔色一つ変えずに、ひたすら食事を続けているエレオノールにも驚く。
佇まいは女神の神聖さがあるのに、まるで女王のような振る舞いだ。しかも何もしていない。
「恐ろしい方ですね」
従者の耳打ちに、ジョンはかろうじて頷かなかった。頷いたら、この雰囲気に気圧されていると認めることになる。それは王としての矜持が許さなかった。
「この様子なら、なんの心配もいらなさそうだな」
この目で見てもまだ信じられないが、認めるしかない。エマは間違いなくエレオノールだった。そして娼婦だというのに男を手玉に取っている。王妃だった頃の面影は全く無く、あの頃よりも何倍も魅力的な女へと成長していた。
ジョンが手を差し伸べる程の悲惨な目には遭っていない。むしろ娼婦であることが天職であるかのような、そんな気さえもした。
であればもうここに用はない。このまま帰ろう。そう思ったときだった。
「はぁ、やっぱり笑ってくれねぇな」
客の一人がそう呟く。相手をしていた娼婦が、酒を注ぎながらそりゃそうよ、と答える。
「それがエマの常套句だもの」
「笑わせたら相手してくれんだろ」
「デマよデマ。四六時中一緒に暮らしてるアタシだって、笑ったトコ見たことないもの」
笑わない?ジョンは引っかかって、思わずその男に声をかけた。
「エマという女は、笑わないのか」
「あ?あんちゃん知らないのか?」
「有名だよ。笑わないエマ。聞いたことない?」
「初めて来たものでな」
すると男と娼婦はからかうようにケラケラと笑った。
「お坊ちゃん。初めてでエマに会えるとはラッキーだな」
「そうよ。最近じゃ本当に人気で、滅多に一階に降りてこなかったんだから」
「なぜ笑わない。娼婦は愛嬌で客を取るのだろう」
「さあ?でもエマは笑わなくたって、誘惑は上手だからね。男たちが自分になら笑ってくれるかもって期待させて、そうやって客を取ってきたんだ。上手だよね」
娼婦はエレオノールの評判を下げたいらしい。隣の男はそんなにいじけるなよ、と言って娼婦の頬にキスした。
汚い場面を目にして、ジョンは顔を背けた。もういい。一先ずは帰ろうと踵を返しかけた時に、一つの視線を捉えた。
注目されることに慣れているジョンは、誰かが自分を見ているのに直ぐに気づいた。
視線を探す。赤いものが目につく。
ジョンは目を見張る。
エレオノールが、こちらを見ていた。
食事を終えたばかりのエレオノールは、椅子に座ったまま、ジョンへと顔を向けていた。
気のせいではなかった。ジョンは今、エレオノールがこちらを見ているとはっきり自覚できた。
青い大きな瞳。
ジョンも見つめる。エレオノールの無表情からは、真意が分からない。
エレオノールが立ち上がる。周囲の男たちの呼びかけにも答えず、エレオノールはジョンの前で止まった。
数秒の間。沈黙が流れる。
ふ、とエレオノールが微笑む。ジョンは目を見開いた。
「あ…、エ──」
「どうぞお二階へ。よいワインを用意しておりますの」
見間違いじゃない。いま、確かに笑った…?
幻のような一瞬の出来事に、これは現実なのかと疑いたくなる。
このまま帰ろうとしていたジョンの手に、エレオノールが触れる。柔らかく、少し冷たい手だった。
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