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すべての舞台は整った
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揺り起こされて目が覚めた。視界はぼんやりとしている。慌てて脇に置いた眼鏡を掛ける。
十時過ぎ。予定より長く私は寝てしまっていたらしい。
「目が覚めたか?」
気持ちいつもの赤ら顔が青ざめて見えるのは気のせいか。先生がドアを指さして言った。
「君に来客のようだが」
言われてみて気が付いた。ピンポンと玄関チャイムの音がする。
しまった、と思った。寝過ごして職場に欠席の連絡をするのを忘れてしまった。
だが、安藤に今日はインフルにかかったから休むことにしている、と伝えてある。
あるいは、昨日の今日で、結局心配になって安藤が来たか。だとしたら、余計なことをしてくれたものだ。
思わず舌打ちしそうになるのをこらえて、私は玄関へと向かう。自然態度も無造作になる。よく確認もせずに引き戸を開ければ、
「お前、昨日の薬剤師だな!」端正な顔をゆがめ、怒鳴る男の姿があった。
「さ、佐伯修二?」
跡を尾けられていたのか!
にしてはずいぶんと遅い到着な気もしたが、今はそれどころではない。必死に三和土から上に上がらせないよう押し返したものの、昨日のお返しとばかりに力で押されて私はあっさりと敗北してしまった。
さすがに一対一ではこちらの分が悪かった。
「やっぱりお前もいたな!おい加賀見、いったいこれはどう言う事なんだ!」
土足でズカズカと畳に上がられて当然いい気分はしなかったが、彼への仕打ちを思い出して私は口をつぐんだ。
それより、一体我々はどうなってしまのだろう。不法侵入に窃盗、監禁。佐伯医師のさじ加減ひとつで運命は決まってしまう。
iPadだけが唯一の切り札であったが、ゲーム内のログだけではいまいち弱い。せいぜいフル・ハウスくらいの強さで、相手を揺さぶるくらいにしかならないだろう。
「これはこれは佐伯先生。思ったより遅かったですね」
けれど先生は動じることなく、笑顔で怒る佐伯医師に笑みを向けた。「まさか、有栖医師のiPadが紛失していることに気付いていなかっただとか?」
まさか、寝てないせいで頭がおかしくなってしまったのだろうか。そう思うほどに先生の態度は緩慢で、よく言えば落ち着いていて、悪く言えば愚鈍だった。
「気づいてはいたさ。だが、行方知れずの聖書が、その手がかりになっているだなんて思いもしなかった。ビックリしたよ、行方不明のiPadの電源が入っているようだ、と事務に言われて」
そうか、彼がここにたどり着いたのは、あのiPadのせいか。
そう思いついて、我ながらうかつだったと今更に恥じた。病院の端末機器だ、通常なら、外部に流出しては困る情報がみっちりと詰まっている。仮に外に持ち出したとしてもどこにあるのか監視するGPSが付いていたっておかしくはない。早々に機能を停止しておくべきだった。
思わず頭を抱える私だったが、一方先生は落ち着いたもので、「そうでしょうね」と鷹揚にうなずいた。
「これだけギリシャの神々がいると、さすがにイエス・キリストも居場所がない」
彼はようやくiPadをいじくる手を止めると、まるで佐伯医師を迎え入れるかのように立ち上がった。一体、どういうつもりなのだろう。
「けれど、彼女は恐らくあなたに見つけてもらいたくて、このiPadの手がかりを聖書に挟んだはずだ。なにせあなたは自称、敬虔なクリスチャンだ」
自称、と言うところが気に食わなかったのか、佐伯医師が声を上げた。
「毎週礼拝に行ってるんだ、充分敬虔だろう」
「あなたが礼拝に行くのは、罪の意識からですか?」
「罪だと?一体僕が何をしたっていうんだ」
「例えば――」
恋人である有栖医師に、非人道的な実験を行わせたこと。そう、先生は続けるのだろうか。思わず私が手を握りしめた時だった。再び、玄関チャイムの間の抜けた音が部屋に響いた。
「今度は誰だ?」
迎えに行くでもなく、複数人の足音が板張りの廊下を小走りで駆けてくるのがわかった。ずいぶんぎしぎしと音がする。先客と違って幸い靴を脱いでくれたようだ。だが安心している場合ではない。
「先輩、すみません」
この声は、数時間前に聞いたばかりだ。「安藤?」
まず謝ってきたのは安藤だった。その後ろには、まさかの黒川刑事と小野嬢。
「どうしても行くって聞かなくて」
「なんであなた達がここに?」
「なんで、じゃあないだろう。お前こそ嘘ついて仕事サボって何してるんだ」
厳つい黒川に睨まれて、ただでさえ背の低い私はさらに身を縮こまらせた。
「おい、安藤、なんだって」
慌てて彼女に問いかけるも、応えようとする安藤を制して小野さんが口を開いた。
「なにしろスパロウホーク先輩は、有栖千暁とコンタクトをとってる人間の一人なんです。ぜひ話を伺いたいと」
「だからって、何も病人の家に押しかけることはないでしょう」
今更ながらに慌ただしく咳をしてみるものの、小野嬢の私を見る目付きは冷たい。
「嘘ばっかり」
「でも、他にも有力な情報が出てきたんです。それを先輩に伝えたくて」
私に詰め寄る二人をかき分けて、安藤が一枚の紙を私に渡した。
「木村馨と結城誠一、そして有栖千暁の三人に、共通することがあったんです」
「共通点?」
「ええ。みんな、同じ物を持ってたんです。多分、これのおかげで、みんな樹海に引き寄せられたんだと。それに」
安藤が言い終わる前に、渡された紙を見て先生が叫んだ。
「エウレーカ!」
「うわ、なんだこいつ」
隣で佐伯医師が驚いているが、私はそれどころではなかった。
彼は気づいたのだ。少なくとも有栖医師を殺したのは、彼女がエーオースと知る人物だ。でなければ遺体の脇に、わざわざ聖鳥である鶏の肉を置いたりなどしない。
「なにか、わかったんですか?」
「ああ、残念ながらな」
そう答える先生の顔は、少しつまらなさそうだった。夢中になっていた玩具に、急に飽きた子供のような。
ざわめくギャラリーを一瞥し、静かに先生は続けた。
「さて、これですべての舞台は整った」
全員が、彼の所作を不思議そうに見ている。
それもそうだろう、赤ら顔のもしゃもしゃ頭が、急に探偵のようなことを言い出したのだ。
だが、彼は本当に探偵だ。それは私が一番よく知っている。
「謎解きにはあまり相応しくない場所ではあるが――、まあいい。今回の事件のあらましを、順を追って話そう」
十時過ぎ。予定より長く私は寝てしまっていたらしい。
「目が覚めたか?」
気持ちいつもの赤ら顔が青ざめて見えるのは気のせいか。先生がドアを指さして言った。
「君に来客のようだが」
言われてみて気が付いた。ピンポンと玄関チャイムの音がする。
しまった、と思った。寝過ごして職場に欠席の連絡をするのを忘れてしまった。
だが、安藤に今日はインフルにかかったから休むことにしている、と伝えてある。
あるいは、昨日の今日で、結局心配になって安藤が来たか。だとしたら、余計なことをしてくれたものだ。
思わず舌打ちしそうになるのをこらえて、私は玄関へと向かう。自然態度も無造作になる。よく確認もせずに引き戸を開ければ、
「お前、昨日の薬剤師だな!」端正な顔をゆがめ、怒鳴る男の姿があった。
「さ、佐伯修二?」
跡を尾けられていたのか!
にしてはずいぶんと遅い到着な気もしたが、今はそれどころではない。必死に三和土から上に上がらせないよう押し返したものの、昨日のお返しとばかりに力で押されて私はあっさりと敗北してしまった。
さすがに一対一ではこちらの分が悪かった。
「やっぱりお前もいたな!おい加賀見、いったいこれはどう言う事なんだ!」
土足でズカズカと畳に上がられて当然いい気分はしなかったが、彼への仕打ちを思い出して私は口をつぐんだ。
それより、一体我々はどうなってしまのだろう。不法侵入に窃盗、監禁。佐伯医師のさじ加減ひとつで運命は決まってしまう。
iPadだけが唯一の切り札であったが、ゲーム内のログだけではいまいち弱い。せいぜいフル・ハウスくらいの強さで、相手を揺さぶるくらいにしかならないだろう。
「これはこれは佐伯先生。思ったより遅かったですね」
けれど先生は動じることなく、笑顔で怒る佐伯医師に笑みを向けた。「まさか、有栖医師のiPadが紛失していることに気付いていなかっただとか?」
まさか、寝てないせいで頭がおかしくなってしまったのだろうか。そう思うほどに先生の態度は緩慢で、よく言えば落ち着いていて、悪く言えば愚鈍だった。
「気づいてはいたさ。だが、行方知れずの聖書が、その手がかりになっているだなんて思いもしなかった。ビックリしたよ、行方不明のiPadの電源が入っているようだ、と事務に言われて」
そうか、彼がここにたどり着いたのは、あのiPadのせいか。
そう思いついて、我ながらうかつだったと今更に恥じた。病院の端末機器だ、通常なら、外部に流出しては困る情報がみっちりと詰まっている。仮に外に持ち出したとしてもどこにあるのか監視するGPSが付いていたっておかしくはない。早々に機能を停止しておくべきだった。
思わず頭を抱える私だったが、一方先生は落ち着いたもので、「そうでしょうね」と鷹揚にうなずいた。
「これだけギリシャの神々がいると、さすがにイエス・キリストも居場所がない」
彼はようやくiPadをいじくる手を止めると、まるで佐伯医師を迎え入れるかのように立ち上がった。一体、どういうつもりなのだろう。
「けれど、彼女は恐らくあなたに見つけてもらいたくて、このiPadの手がかりを聖書に挟んだはずだ。なにせあなたは自称、敬虔なクリスチャンだ」
自称、と言うところが気に食わなかったのか、佐伯医師が声を上げた。
「毎週礼拝に行ってるんだ、充分敬虔だろう」
「あなたが礼拝に行くのは、罪の意識からですか?」
「罪だと?一体僕が何をしたっていうんだ」
「例えば――」
恋人である有栖医師に、非人道的な実験を行わせたこと。そう、先生は続けるのだろうか。思わず私が手を握りしめた時だった。再び、玄関チャイムの間の抜けた音が部屋に響いた。
「今度は誰だ?」
迎えに行くでもなく、複数人の足音が板張りの廊下を小走りで駆けてくるのがわかった。ずいぶんぎしぎしと音がする。先客と違って幸い靴を脱いでくれたようだ。だが安心している場合ではない。
「先輩、すみません」
この声は、数時間前に聞いたばかりだ。「安藤?」
まず謝ってきたのは安藤だった。その後ろには、まさかの黒川刑事と小野嬢。
「どうしても行くって聞かなくて」
「なんであなた達がここに?」
「なんで、じゃあないだろう。お前こそ嘘ついて仕事サボって何してるんだ」
厳つい黒川に睨まれて、ただでさえ背の低い私はさらに身を縮こまらせた。
「おい、安藤、なんだって」
慌てて彼女に問いかけるも、応えようとする安藤を制して小野さんが口を開いた。
「なにしろスパロウホーク先輩は、有栖千暁とコンタクトをとってる人間の一人なんです。ぜひ話を伺いたいと」
「だからって、何も病人の家に押しかけることはないでしょう」
今更ながらに慌ただしく咳をしてみるものの、小野嬢の私を見る目付きは冷たい。
「嘘ばっかり」
「でも、他にも有力な情報が出てきたんです。それを先輩に伝えたくて」
私に詰め寄る二人をかき分けて、安藤が一枚の紙を私に渡した。
「木村馨と結城誠一、そして有栖千暁の三人に、共通することがあったんです」
「共通点?」
「ええ。みんな、同じ物を持ってたんです。多分、これのおかげで、みんな樹海に引き寄せられたんだと。それに」
安藤が言い終わる前に、渡された紙を見て先生が叫んだ。
「エウレーカ!」
「うわ、なんだこいつ」
隣で佐伯医師が驚いているが、私はそれどころではなかった。
彼は気づいたのだ。少なくとも有栖医師を殺したのは、彼女がエーオースと知る人物だ。でなければ遺体の脇に、わざわざ聖鳥である鶏の肉を置いたりなどしない。
「なにか、わかったんですか?」
「ああ、残念ながらな」
そう答える先生の顔は、少しつまらなさそうだった。夢中になっていた玩具に、急に飽きた子供のような。
ざわめくギャラリーを一瞥し、静かに先生は続けた。
「さて、これですべての舞台は整った」
全員が、彼の所作を不思議そうに見ている。
それもそうだろう、赤ら顔のもしゃもしゃ頭が、急に探偵のようなことを言い出したのだ。
だが、彼は本当に探偵だ。それは私が一番よく知っている。
「謎解きにはあまり相応しくない場所ではあるが――、まあいい。今回の事件のあらましを、順を追って話そう」
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