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潜入捜査
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「無事休めたようだな」
「ええ。まさかこの年でずる休みするだなんて思っても見ませんでした」
朝、職場へ電話する。たったこれだけのことでひどく疲れてしまった。数回コール音が鳴ったのち、妙に甲高い声の女が出た。
主事だ。
私は心の中で舌打ちする。笹塚課長がこんな早い時間から職場にいるはずはないとは思っていたが、よりによって私にスパロウホークなどというあだ名を付けた張本人が出るだなんて。ツイてない。
『おはようございます』
『あら、その声はスパロウホーク?』
『……ええ』
『いつも早く来てるあなたが来てないから心配だったのよ』
けれど意外にも心配そうな声で返され、私は面喰ってしまった。
『すみません。どうにも食あたりでも起こしたのか、腹の具合がわるくて……、ええ、熱もあるようで、病院に行こうかと』
『そう、それは大変ね。お大事に』
いじわるな主事に労りの声を掛けられて、朝から驚いてしまった。後ろめたい気持ちもあったが、病院に行くと言うのはあながち嘘ではない。
「普段真面目なふりをしていると、こういう時便利だな。誰も疑わない」
佐伯総合病院の最寄駅で加賀見先生と落ち合う。時刻は昼過ぎだが、空からは鈍い陽の光しか差しておらず肌寒い。
さすがに仕事に向かう時は白のスーツではないようで、先生がごく普通の紺のスーツ姿だったことに私は安心した。
「知っているか?DVの加害者も、普段は真面目で優しそうな人間が多いそうだ」
「それってどういう意味ですか」
むっとして私は言い返した。そもそも私には妻はおろか恋人もいないというのに。
「冗談だ。だが、悪の親玉ほど善良そうな仮面を被っているものだ。それを我々は今から暴きに行くわけだが」
急に翌日仕事を休めだなんて先生が言ってきたのは、曰く『佐伯院長の陰謀を暴くため』とのことらしい。
「まずは本当に有栖医師が不老不死の研究に関わっていたのか、そして結城誠一が実験体にされていたのかを明らかにしなければならない」
「それって、本来なら先生が一人でこなしてるはずの仕事ですよね?」
じろりと先生を睨む。すると慌てたように、「リンドウ君から依頼された件で忙しかったんだ」と返された。
「でも、調べろったって。どこをどうしろって言うんです」
病院への道すがら、とぼとぼと歩きながら先生に聞いた。寒い冬の日だ。病院まではバスが出ているのだからそれに乗って行きたかったが、バスの利用者は当然病院関係者や患者だ。どこで誰が聞いているかわからないから歩くぞ、と言われてしまったら、それに従うしかない。
「私がこれまでに行っていたのは、末期患者を対応する医師の捜査と、実験が行われているかの捜査だ。有栖医師に関しては、患者だった結城誠一とは妙に親しいという噂は確かにあった。だがそうなると、結城誠一は実験体になることを了承していたように思えてならない」
「結城誠一は不老不死になりたかったんですか?」
「どうだかな。そのことには触れずに、絶対に病気を治してやると約束していたのかもしれない」
自分を助けてくれる美人の医師。それだけならば、親しくなりたいと思うものだろうか。
「そもそも、有栖医師は何科の医者なんです?外科?だとしても、なんだってiPSだのに詳しいんでしょう。研究員じゃあるまいし」
「どうやら彼女は、元CiRAの研究員だったらしい」
「サイラ?」
「iPS細胞に関して研究している、国内最大級の研究所だ」
iPS細胞についての研究がもてはやされ始めた頃、テレビのニュースで聞いたことがあるような気がする。科学者や生物学者、医者など、世界中の賢い人間が多角的にiPS細胞について研究する機関だ。
「なるほど、それなら不老不死の研究に携わっていてもおかしくはないと」
「ああ」
いつも赤い頬を、先生は寒さでさらに真っ赤に染めている。暖めるかのように頬に手を添えながら先生が続けた。
「残念ながら、実際の実験現場は押さえられていない。だが、ひとつ気になる噂があってな」
「噂は噂でしょう、そんなの」
「しかし、火のないところに煙は立たない」
煙の代わりに白い息を吐きながら、先生は得意げに言った。
「佐伯総合病院は一年ほど前まで拡張工事を行っていてな」
そうして、凍える指を空に向かって指した。その方角に目を向ければ、途中から壁の色が違う大きな建物が目に入った。
「ちょうど色の違う部分から上が、拡張された部分だ」
「階数を増やしたんですか?」
「ああ。別棟を建てるには、敷地が少し狭い。仕方なしに増築した。最新医療を上階では受けられると、まあVIP向けの診察室や病室が作られたわけなんだが」
医療行為と言うのは、万人が平等に受けられるものなのではないのか。
「増やしたのは二階分。うち最上階のワンフロアがまだ解放されていない」
「もう出来上がっているのに?」
「ああ。名目上は無菌病棟となっていてな、最終調整を行ってるだかなんだかの理由を付けて、まだ使用できないことになっている」
「じゃあそこで、夜な夜な実験が行われているとでも?」
「ああ。夜勤のナースが聞いたらしい。七階のVIP病棟を巡回していたら、誰もいないはずの最上階から足音がすると」
「まさか」
思わず怪談の類を思い出して、私は身を強張らせた。いや、きっとこれは寒いせいだ。言い聞かせてコートの襟もとを手繰り寄せた。
「でも、立ち入り禁止になっているんでしょう?どうやってそこに入るって言うんです」
「それなんだがな」
そこで先生が、妙に馴れ馴れしい笑顔で私の方を見た。
「ちょっと院長室に入って、鍵を盗んできてくれないか?」
「ええ。まさかこの年でずる休みするだなんて思っても見ませんでした」
朝、職場へ電話する。たったこれだけのことでひどく疲れてしまった。数回コール音が鳴ったのち、妙に甲高い声の女が出た。
主事だ。
私は心の中で舌打ちする。笹塚課長がこんな早い時間から職場にいるはずはないとは思っていたが、よりによって私にスパロウホークなどというあだ名を付けた張本人が出るだなんて。ツイてない。
『おはようございます』
『あら、その声はスパロウホーク?』
『……ええ』
『いつも早く来てるあなたが来てないから心配だったのよ』
けれど意外にも心配そうな声で返され、私は面喰ってしまった。
『すみません。どうにも食あたりでも起こしたのか、腹の具合がわるくて……、ええ、熱もあるようで、病院に行こうかと』
『そう、それは大変ね。お大事に』
いじわるな主事に労りの声を掛けられて、朝から驚いてしまった。後ろめたい気持ちもあったが、病院に行くと言うのはあながち嘘ではない。
「普段真面目なふりをしていると、こういう時便利だな。誰も疑わない」
佐伯総合病院の最寄駅で加賀見先生と落ち合う。時刻は昼過ぎだが、空からは鈍い陽の光しか差しておらず肌寒い。
さすがに仕事に向かう時は白のスーツではないようで、先生がごく普通の紺のスーツ姿だったことに私は安心した。
「知っているか?DVの加害者も、普段は真面目で優しそうな人間が多いそうだ」
「それってどういう意味ですか」
むっとして私は言い返した。そもそも私には妻はおろか恋人もいないというのに。
「冗談だ。だが、悪の親玉ほど善良そうな仮面を被っているものだ。それを我々は今から暴きに行くわけだが」
急に翌日仕事を休めだなんて先生が言ってきたのは、曰く『佐伯院長の陰謀を暴くため』とのことらしい。
「まずは本当に有栖医師が不老不死の研究に関わっていたのか、そして結城誠一が実験体にされていたのかを明らかにしなければならない」
「それって、本来なら先生が一人でこなしてるはずの仕事ですよね?」
じろりと先生を睨む。すると慌てたように、「リンドウ君から依頼された件で忙しかったんだ」と返された。
「でも、調べろったって。どこをどうしろって言うんです」
病院への道すがら、とぼとぼと歩きながら先生に聞いた。寒い冬の日だ。病院まではバスが出ているのだからそれに乗って行きたかったが、バスの利用者は当然病院関係者や患者だ。どこで誰が聞いているかわからないから歩くぞ、と言われてしまったら、それに従うしかない。
「私がこれまでに行っていたのは、末期患者を対応する医師の捜査と、実験が行われているかの捜査だ。有栖医師に関しては、患者だった結城誠一とは妙に親しいという噂は確かにあった。だがそうなると、結城誠一は実験体になることを了承していたように思えてならない」
「結城誠一は不老不死になりたかったんですか?」
「どうだかな。そのことには触れずに、絶対に病気を治してやると約束していたのかもしれない」
自分を助けてくれる美人の医師。それだけならば、親しくなりたいと思うものだろうか。
「そもそも、有栖医師は何科の医者なんです?外科?だとしても、なんだってiPSだのに詳しいんでしょう。研究員じゃあるまいし」
「どうやら彼女は、元CiRAの研究員だったらしい」
「サイラ?」
「iPS細胞に関して研究している、国内最大級の研究所だ」
iPS細胞についての研究がもてはやされ始めた頃、テレビのニュースで聞いたことがあるような気がする。科学者や生物学者、医者など、世界中の賢い人間が多角的にiPS細胞について研究する機関だ。
「なるほど、それなら不老不死の研究に携わっていてもおかしくはないと」
「ああ」
いつも赤い頬を、先生は寒さでさらに真っ赤に染めている。暖めるかのように頬に手を添えながら先生が続けた。
「残念ながら、実際の実験現場は押さえられていない。だが、ひとつ気になる噂があってな」
「噂は噂でしょう、そんなの」
「しかし、火のないところに煙は立たない」
煙の代わりに白い息を吐きながら、先生は得意げに言った。
「佐伯総合病院は一年ほど前まで拡張工事を行っていてな」
そうして、凍える指を空に向かって指した。その方角に目を向ければ、途中から壁の色が違う大きな建物が目に入った。
「ちょうど色の違う部分から上が、拡張された部分だ」
「階数を増やしたんですか?」
「ああ。別棟を建てるには、敷地が少し狭い。仕方なしに増築した。最新医療を上階では受けられると、まあVIP向けの診察室や病室が作られたわけなんだが」
医療行為と言うのは、万人が平等に受けられるものなのではないのか。
「増やしたのは二階分。うち最上階のワンフロアがまだ解放されていない」
「もう出来上がっているのに?」
「ああ。名目上は無菌病棟となっていてな、最終調整を行ってるだかなんだかの理由を付けて、まだ使用できないことになっている」
「じゃあそこで、夜な夜な実験が行われているとでも?」
「ああ。夜勤のナースが聞いたらしい。七階のVIP病棟を巡回していたら、誰もいないはずの最上階から足音がすると」
「まさか」
思わず怪談の類を思い出して、私は身を強張らせた。いや、きっとこれは寒いせいだ。言い聞かせてコートの襟もとを手繰り寄せた。
「でも、立ち入り禁止になっているんでしょう?どうやってそこに入るって言うんです」
「それなんだがな」
そこで先生が、妙に馴れ馴れしい笑顔で私の方を見た。
「ちょっと院長室に入って、鍵を盗んできてくれないか?」
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