悪い冗談

鷲野ユキ

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あなたを信じたかった

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「そもそも、佐伯院長と言うのは何者なんですか?」

 総合病院の医院長。肩書だけ見れば立派な人物だ。

「なんだって、不老不死なんて」
「嘘か本当かはわからないが、彼にはスポンサーがいるらしい」
「スポンサー?」
「老後の不安などみじんもない、永遠に生きながらえることを望む人々が」

 いつの世にも、不毛なこと望む人間はいるものだ。

「能力のない人間を新たに生み出すよりは、優れた人々を永遠に残すべきだと」
「まるで、神様みたいですね」

 私の頭に、決して死ぬことのないオリンポスの神々の姿が浮かんだ。

「あるいは、やつらは神になりたかったのかもしれん」

 そんなものになってどうするんです、と言いかけた私の口が止まった。代わりに一口、ワインを流し込む。

 そんなものになりたい人間はごまんといるじゃないか。例えば、神々の武器を手に入れて、あの世界に君臨したいと考えるEoBのプレイヤーたちのように。

「彼らからの要望で、佐伯医師は不老不死の研究を行っているのではないか。それを調べるように」
「誰がそんなこと調べろって言ったんですか?」
「佐伯総合病院が、そういう事をしているんじゃないかと疑いを持った人物」

 答えになっていない。

「そりゃ、そうでしょうね」

 はぐらかされた気がして面白くなかった。

「そもそも、本当にそんなことがあったのか、わかったんですか?それを調べるために先生は佐伯総合病院に潜入したんでしょう」

 グラスの残りを喉に流し込む。途端になんだか空腹を覚えて、私は店員に軽食とワインのお代わりを要求した。
 ほどなくして、明らかに作り置きされていたポテトが運ばれてくる。

「ああ、すまない。君は仕事上がりでこちらに来てくれたんだったね」
「先生は今日は何をされていたんですか?」
「今日か?今日はだな、その。ちょっとな」
「仕事だったんじゃないんですか?その、潜入の為にしてる技師の仕事」
「いや、そちらは今日は休みだ」

 まったく羨ましいご身分だ。尖る気持ちにアルコールを浴びせてやる。そんな呑気な働き方で、彼は頼まれた仕事とやらを終える気があるのだろうか。

「そんなんで調べられるんですか?なに小野さんと合コンだの、有栖医師に一目ぼれだのしてるんです。ちゃんと仕事してくださいよ」
「君にあまり言われたくないが……」
「私の依頼だって受けてる場合じゃなかったでしょうに」
「君の突拍子もない依頼を受けたのは、単に暇だったからだ」

 先生が遠い目をして言った。「私だってバカバカしいと思っていたのだ。今更不老不死など求めてどうする。しかも大病院の医院長がだ。まともな経営者なら、そんな夢物語になど無駄な投資はしない。研究費だって馬鹿にならない。それにそもそも、人間がみんな不老不死になどになってしまったら、病院は閑古鳥が鳴いてしまう。自分で自分の首を絞める馬鹿がいるか、と」

 依頼は受けたものの、どうやら先生は乗り気ではなかったらしい。

「そんな変な依頼、断ればいいじゃないですか」
「そうはいかなくてね」

 深いため息をついた。その息がすでに酒臭い。

「だから、君の相談に乗ったのは暇つぶしのつもりだった。樹海で見つかった遺体を他殺だと騒ぐやつがいる。ずいぶんおかしなやつがいると思ったんだ」
「悪かったですね、おかしなやつで」

 おかしいって言うなら、初めて加賀見先生を見たとき、そっちの方がずいぶんおかしいと思ったけれど。

「だが、調べるうちに違和感が増すのは感じていた。おかしい、こんな偶然あるものかと」

 冷めきったポテトにフォークを刺しながら先生が呟く。

「病院から消えた患者。彼は末期の患者だった。もはや緩和ケアしか出来ないその患者が姿を消した。そして再び見つかったのは……樹海だ」
「もしかして、最初から蜂蜜男の正体に気付いていたんですか?」
「初めから、ではない。さすがにいきなりその二つが結びつくとは考えていなかった」
「なら、なぜ」
「Era of  Bronz」

 妙にいい発音で、先生が呟いた。

「奇しくも、同じものを失踪した患者の担当医がやっていた。最初は偶然だと考えた。けれど、君の話を聞けば聞くほど……」
「じゃあ、私が蜂蜜男の身元を先生に知らせる前に、すでに先生はご存じだったんですね」

 ならなぜそう教えてくれなかったのだろう!

「確信が持てなかったんだ。DNAは一致している、疑いようはない。それでもなぜ、という私の中の疑問の方が大きかった。あるいは私の間違いかもしれない。むしろ、そうであって欲しかった」

 先生は一度言葉を区切り、残りのワインを飲み干した。少し落ち着いたのか、酒で湿った唇を再び開いた。

「だが、事態が展開していけばいくほど、限りなく怪しくなってくるのだ。有栖医師が、患者である結城誠一を殺したのではないか、と」

 だが、その説明はおかしい。疑問に思って私は口を挟む。

「なぜ?成功したのに殺したら、実験結果がわからないじゃないですか」
「成功はした。恐らく、癌細胞によって傷ついた器官をすべて入れ替えることに成功した。だが、そのせいで結城誠一は異形となってしまう。果たしてこれは本当に成功と呼べるか?」
「それは……」

 不老不死を寄越せと言って、代わりに頭が黄熊になりますと言われたら。佐伯院長のスポンサーとやらは恐らく怒り出すだろう。

「でも不老不死を与えられたなら、首を絞められたって、刃物で刺されたって、顔を獣にかじられたって、死なないはずじゃないですか」
「まさか。その状態で生きているとしたら、それはもはやゾンビだな」

 ヒトは結局神にはなれないのだ、そう先生が漏らした。

「あくまでも不具合の出た部分を取り換える。それが人類の望む不老不死の関の山だ。どちらかと言うと、ロボットの方が近い。あるいは本当にそんな奇跡の力を手に入れたとしても、なれるのは神ではなく、化け物だ」

 そう言いながら無意識にだろうか、先生は胸元の青い花を弄っている。儚い恋、あなたを信じる。恐らくあのアネモネは、有栖千暁への献花なのだろう。

「言うなれば、結城誠一は失敗作だ。しかも何を思ってか、彼は病院を逃げ出した。記録上は自主退院となっているが、はたして本当だろうか」
「まさか、病院ぐるみで自殺に見せかけて、結城誠一を殺したって言うんですか?」
「さあな。いずれにせよ有栖医師は結城誠一を処分するしかなかった。二人が本当に恋愛関係にあったのかは知らないが、ゲーム内で親しかったのは事実だろう。その罪の意識から、私は彼女が姿をくらましたのではないかと考えていた。彼女のマンションも確認したが、帰ってきている気配もなかった。まさか自死を選んでなければいいが、とは思っていたが、こんな結果になっていたとは」

 先生は有栖医師を信じたかったに違いない。けれど、彼女の周りのすべてが、彼女を信じさせてはくれなかった。

「私が彼女に恋をしていた、と言うのは半分本当で、半分嘘だ」

 先生がため息まじりに呟いた。

「ヒトは気になる相手のことはつぶさに見ていたくなる。私はその気持ちを捜査に利用することにしていてな。まあ相手のことを好きだと思い込むようにしているんだ」

 先生が下手な鉄砲をやたらと撃つのは戦略だったらしい。だがこの場合、ターゲットが男の場合どうするのだろう。

「まったく興味のない人間の観察など苦痛でしかない。それに、相手に好意を持てば持つほど、意外と相手の粗を探したくなる」
「そんなもんですか?」

 恋は盲目だと、果敢に小野嬢にアタックする先生を見て私は思ったが。

「結婚してから相手の嫌なところばかり目に付くしかり、好きな人に相手にされない恨みから、必死に相手の嫌なところを見つけて嫌いになろうとしてみるのもしかり。まあそんなところだ」

 先生の場合は後者なのだろうな。そう思うと、先生に狙われた相手はいい迷惑だ。一方的に好かれて、そしてケチを付けられる。

「じゃあ、小野さんのことも何か調べてたんですか」

 気になって私は聞いた。遺骨を調べる代わりに彼女に会わせろだなんて、よほど何か彼女は事件の鍵でも握っていたのだろうか。

「いや、彼女に関しては単に私の個人的な趣味だ」

 趣味でわざわざ相手にされない女と会うだなんて、先生は変態なのだろうか。私は彼が心配になった。

「美しいものを見たい、という気持ちを偽ることは出来ない性分でな」

 と彼はアネモネの花を嗅ぐしぐさをしたが、これはどこまで本当か。

「とまあ、そうして彼女のことを調べれば調べるうち、気持ちに反してどんどん怪しいところばかりが見つかる」

 空のグラスを見つめて先生は続けた。

「元恋人は実験体にされていた。その事実を知ってしまった、木村馨も手に掛けたのかもしれない。彼女のスマホには監視アプリが入っていた。その点だけ見れば、彼女がストーカーの被害者に思える。だが恐らく事態は逆だ。木村馨は、何者かに監視されていた」

「有栖医師が、木村馨を監視していた?」

「そうだ。結城誠一の見舞いに来た木村馨。彼女が、彼が実験体にされてしまったと考えたのではないか。有栖医師は不安になる。その確証を得るために、彼女は木村馨のスマホに細工をした。木村馨がその事実に気付いてしまったかどうかをチェックするために」

「では、一連の事件は有栖医師の仕業だと」

「そう考えれば辻褄が合う。異形の姿で消えた結城誠一。それを追う木村馨。さらに、監視アプリを使って、有栖医師は二人を追いかけた」
「じゃあ、現場から消えたというトヨタのヴィッツは、有栖医師の?」
「そうだ」

 悲しそうな顔で先生がうなずいた。恐らく、有栖医師がヴィッツに乗っていたことも確認済みなのだろう。

「それに有栖医師が一連の犯人なのならば、結城誠一と木村馨の遺体の脇に、アンブロシアを意味するものが置かれていた理由も説明が付く」
「でも、殺した相手に不老不死だなんて、今さら」
「謝罪の気持だろう」

 かすれた声で先生が言った。「自分の追い求めたものが、結果死を生み出した。そのことに対する謝罪と、戒めだ」

 恐らくそうであって欲しい、と先生は思っているようだった。

「そして、君の所に現れた理由もだ」
「自殺遺体を、自分のゲーム内の恋人かも、なんてわけのわからない相談に来た理由ですか?」

 それが一番意味が分からなかった。むしろ、捜査をかく乱させるために現れたのではないかと私は考えていた。

「彼女は、自分の罪を明らかにしてほしかったのではないか?」
「だからわざわざ、被害者の名を騙って、さらにはゲーム内とはいえ人を殺したとまで行ったんですか?」
「さらには、自分にそうさせた、佐伯総合病院の闇も暴いて欲しかったのかもしれない」
「でもそれなら、最初からそう言ってくれれば」
「誰が信じるというんだ。自分は不老不死の研究をしていて、実験体である結城誠一を樹海で殺したんですなどと言われて」

 大方、妄言か、所詮は色恋沙汰のトラブルでの殺人としか警察は判断しなかっただろう。

「たぶん、信じないでしょう」
「あれは彼女の罪の意識が起こしたアクションだったんだ」

 しかし、我々は間に合わなかった。

「そこまでは説明が付く。だが、一番わからないのは有栖医師の死だ。なぜ自殺でないのだ?」

 不意に、それまでどこか遠い目をしていた先生の瞳に、強い光が戻ってきた。いつもの自信満々な先生の目だ。私はそれに安堵して、残りの乾いたポテトを腹に詰め込んだ。

「そうなると、彼女の研究を知る人間、つまりは佐伯院長が彼女を手に掛けたと考えるのが自然だ」
「そう考えるのが妥当ではありますが」

 けれど、失敗したとはいえ、不老不死に近づいた医師を殺すメリットなどあるのだろうか。そう口を開きかけたが、なにやら意味深な目をした先生に見つめられ、私は口を閉ざした。

「そうだ君、明日は食あたりでもしたと言って仕事を休んでくれないか?なに、こんな作り置きのポテトじゃ、腹を壊したっておかしくはない」
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