悪い冗談

鷲野ユキ

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歳末特別警戒

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「よお、スパロウホーク。お前も今日が最後のクチか?」

 彼らが溜めに溜めた請求書の束を片し終え、歳末には特に増える落とし物の処理を終えて一息つきに休憩所に来たらこれだ。こいつは仕事じゅうずっとここにいるんだろうか。そう思うほどに、ここでの遭遇率が高い。

「そうですけど。おかげで今日中にやらなくちゃいけない仕事に追われてて、私は今忙しいんです」
「なんだよつれないなぁ、暇だからここに来たんじゃないのか」
「違います、私は一息つきに来ただけです」

 来るなりにやにやと私を迎え入れた黒川の視線から逃れるように缶コーヒーを買うと、私はそそくさと休憩所を出ようとした。

「ここにいると小野さんに会える率が高いんだ。だから俺は署に戻ると、とりあえずここにいるようにしてる」

 出ようとする私に、黒川が話しかけてくる。まるで想い人を待つ中高生のようなセリフに、思わず足を止めてしまった。

「意外に純情なんですね、黒川さん」
「悪いか。男はなあ、いつまでたっても少年なんだよ」

 その顔で何を言う。私は思ったが、あながち間違いでもないと思い口をつぐむ。世間一般的にもよく言われるが、男と言うのは総じて幼い。その幼さゆえの甘えによって、私は安藤に多大なる迷惑をかけている自覚がある。

「クリスマスはどうだったんですか?」
「馬鹿言え、俺も彼女も、なんならお前も仕事だろ」
「そうでした」
「けどまあ、せめて今年最後くらいとは思ったんだが」

 黒川は今まで咥えていた煙草を灰皿に押し付けて、二本目に火を付けた。何とはなしに黒川との会話に巻き込まれた私は、しかたなしにコーヒーのプルタブを引いた。

「小野さんも今日が最後なんですか?」
「まあ、生活安全課はよほどのことがなけりゃ休みだろ。あーあ、俺もそっちに配属されたかったな」

 黒川がぼやくが、本心ではそうは思っていないだろうことは容易に予測がついた。内心彼はこう思っているに違いない。とはいえ一課は花形だからな、と。

「むしろ、小野さんがそっちに配属されてればよかったのに」

 性格は難アリだが、彼女はなかなかに有能そうだ。そう思い私が言うと、
「馬鹿言え、こんな劣悪な労働環境に小野さんを置けるか」と苦い顔で返される。
「それ、女性蔑視だって叩かれません?」
「違うな、適所適材ってやつだ」

 いやむしろ悪いのは環境だな、とひとりごちて黒川が煙を吐いた。

「凶悪な犯罪者なんてのが、この世にいるのが何よりいけないんだ」
「でも、みんながみんな、誰かに害をなしたいと思って罪に走ったわけじゃない」
「なんだ、犯罪者の肩を持つ気か?スパロウホーク」

 どんな理由があろうが罪は罪だ、そう断罪する黒川の横顔から私は目線を逸らした。

「黒川さんは正月も返上ですか?」
「いや、さすがに元旦だけは休みをもらったよ。本庁のやつらもさすがに正月まで働きたくないってな」

 ぼやく黒川の隣で、私はコーヒーを一口すする。

「旧年中に事件は解決しそうですか?」
「馬鹿言え。あと三日で簡単に終わるもんか。お前の仕事とはわけが違うんだ」

 自分の仕事を馬鹿にされ、むっとして私は言い返す。

「アヒージョ殺人事件も迷宮入りですか?」
「残念ながらな」

 イライラした様子で黒川が煙草の灰を落とす。

「被害者の身元も交友関係も当日の足取りも分かってるのに、犯人につながらん」
「当日、木村馨はなんであんなところにいたんでしょう」
「さあな。犯人に呼び出されたってのが濃厚だが」
「呼び出された?あの怪しい車に連れてこられたんじゃないんですか?」
「いや、どうにも夕方頃、バスで氷穴入口に向かってるようなんだ」
「観光しに?」
「馬鹿言え」
「夕方そこに着いて、それからどうしてたんです?まさか明るいうちに誰かが殺すなんてしないでしょう」
「そこが不明なんだが、氷穴近辺では目撃証言がないんだ。となると他に行きそうな場所は……」
「樹海?」

 ふらふらと樹海をさまよっているところを、何者かが首を絞めて殺した。そして氷穴入口まで運んで、火を放った――。

「じゃあ、木村馨は自殺しにあそこに来たってことですか?」
「その可能性もなくはない。気丈には振る舞っていたが、フラれたのが堪えてたのかもしれん」
「それで自殺しに樹海に入ったところを、誰かが殺した、なんて」
「まあ、都市伝説もいいとこだよな」

 なんでも、自殺しに来た人間を待ち構えて、殺す殺人鬼が樹海に存在する、などという根も葉もない噂が樹海にはあるらしい。

「じゃああのトヨタのヴィッツは、殺人鬼の車だっていうんですか」
「鬼が車なんて運転できるか。犯人は人間だ。いや、あるいはお前の言うとおり、犯人は樹海で死んでるのかもな」

 黒川刑事にしては珍しく、気弱なセリフを煙と共に吐いた。

「木村馨が被害に遭ってたっていうストーカーも、そんなのがそもそもいたのかの確認も取れていない」
「じゃあ、彼女の被害妄想だったかもしれない?」
「だが、実際殺されてるんだぞ。おかしな追跡アプリまで入ってる。だが彼女を付け回していた男の影なんてちっとも浮かんでこない。それに、怪しい元恋人も見つからん」

 地道に捜査してはいるんだが、と吐く息は苦い。

「元恋人の身元は分かってるんでしたっけ」

 だが、さすがに私には情報を開示してくれていない。

「結城誠一だ」

 ぞんざいな口調で黒川がその名を吐いた。ドクン、と心臓が反応する。結城誠一。私の口から、思わず驚きの声が漏れた。

「口外して大丈夫なんですか?」

 私は思わず辺りを見回した。

「ああ。佐伯総合病院を出た後、消息を絶っている」
「佐伯総合病院?」

 どこかで聞いた名だ。そう思ったものの、新たに提示された情報に私の耳は釘づけだった。

「癌だったんだと。だが医者の制止も聞かず、むりやり出て行っちまったらしい」
「なんでまた」
「ここにいても治るわけじゃない、ってな。実際治る見込みはなかったらしい。延命くらいしかできないと」
「ってことは、どこかで亡くなってる可能性もあるわけですよね」

 私は、蜂蜜男の遺骨を思い浮かべた。だから彼は、あんなところで死を選んだのか?

「恋人を振ったのも、それが原因?」
「かもな。死が間近な人間ってのは、信仰に走る傾向がある。だから宗教関連の施設も調べてるんだが、それらしいのが見つからん。今こいつの交友関係も洗ってる最中だが、なかなか思わしくない。なんならお前も探すのを手伝ってくれ。なにせ猫の手も借りたいのが歳末ってもんだろ」
「猫の手って」
「ああ、悪い。お前にあるのは手じゃなくて翼だったな、スパロウホーク」

 わざわざ言い直され、不快な表情も露わに私は聞き返した。

「でも、黒川さんと小野さんは私を疑ってるんでしょう。それをなぜ」
「本当に疑ってるはずないだろ。あれはただの嫌がらせだ」
「嫌がらせって」

 それはそれで不愉快だ。私が言い返そうとすると、
「小野さんはお前のことが嫌いなんだよ」
 とさらりとひどいことを言ってくれる。

「小野さんが?なんで」

 こないだ仕事だって手伝ってやったのに。私は憤慨する。けれど確かに、彼女から少なくとも好かれてはいないだろうという雰囲気はあった。

「知ってるか?小野さんとブス姫は同期なんだよ」
「はあ。でも同期ったって警察官と事務員でしょう。それに、二人は仲が悪いんじゃないんですか」

 二人とも相手のことを嫌っているとしか思えない。

「今は、な」

 意味ありげに黒川がこちらを見てくるのが気になり、私は聞き返した。

「どういうことです?」
「ブス姫の男の趣味が、小野さんには理解できないそうだ」
「それって」

 安藤の趣味が悪いことは、私が一番よく知っている。だが、だからと言って、なぜ私が小野さんからまで嫌がらせを受けなければならないのか。思わず困惑の表情を浮かべると、ジリリリリ、とベルの音が休憩所に響いた。

「悪い、どうやら犯罪者には盆も暮れもないらしい」

 鳴り響いたのは、黒川刑事の携帯電話の呼び出し音だった。慌てて煙草を灰皿に押し付けて電話に出る。「はい、わかりました、ええ。え?今度は竜宮洞穴?」

 黒川刑事は眉をひそめながら電話を切った。そして、忌々しそうに舌打ちをする。

「なにかあったんですか?」

 ちらり、と黒川は私を見て、一瞬目を逸らした。けれど何を思い直したのか、渋々と言ったようにかさついた唇を開いた。

「今度は竜宮洞穴で女の遺体が見つかった。目元にほくろのある女だ」
「え、それって」
「ああ、お前の見た幽霊が、本物の幽霊になっちまったみたいだな」

 くそ、またややこしいことしやがって。悪態をつきながら、黒川刑事は去って行ってしまった。さすがは花形なだけあって、休む間もない。

 残された私は、すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干しながら、先ほどの黒川のセリフを反芻する。目元にほくろのある女が、竜宮洞穴で遺体で発見された。
 あの偽物の木村馨が、私をゲームに誘ったエーオース。そうに違いない、だろう。

 詳しく話を聞こうにも、黒川刑事はもういない。さらに間の悪いことに、私には明日から年末年始の休暇が与えられている。一体何が起こったのか。
 もやもやとした気持ちを抱えたまま、私は休憩室を後にした。
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