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鍋パ
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よくもまあ、何事もなかったかのようにしていられるものだ。隣で鍋をつつく安藤の横顔を見て、私は内心ため息をついた。
その後、まるで示し合わせていたかのように、安藤がスーパーの袋を両手に現れた。ちゃっかり、タクシー代と食費まで請求してきやがった。
で、そこまでして先生が何を作ってくれたのかと言うと、なんてことはない、ただの鍋だ。材料を切り分けて、突っ込むだけの簡単な料理。
「簡単だなんて言うなよ、ちゃんと昆布でダシを取っている。別に他にもレパートリーはあるんだがな、この寒い時期にフレンチだのイタリアンだのより鍋の方が有難かろう」
確かに肌寒い季節だ、薄暗くなってしまった外では北風がびゅうびゅうと吹いている。時折引き戸がカタカタと音を立てており、いっそう物悲しい雰囲気だ。
いつもならその中で一人わびしくコンビニ飯をかき込んでいるところだが、今日は違う。温かい鍋を人とつつくだなんて、いつぶりだろうか。
「どうだ、うまいだろう」
「……ええ」
先ほどまで、血なまぐさい事件の話をしていたとは思えない。
「本当はワインによく合うアヒージョでも振る舞おうかと思っていたんだが、いささか不謹慎かと思ってね、安藤君に用意してもらったエビやキノコは鍋の具材にさせてもらったよ」
アヒージョ、と言う言葉を聞いて、私は焼死体のことを思い出す。自然と箸を口に運ぶスピードは遅くなる。
「ちょっと加賀見さん、ご飯食べてるのに事件のこととかやめてくださいよ」
「だが、先にアヒージョと形容したのは小野嬢だ」
「ほんと、悪趣味」
「それは確かだな」
いつの間にか反・小野運動に加担することになったらしい加賀見氏が笑った。どうやら完全に彼女のことは吹っ切れたらしい。
「じゃあ先生、もしかしてクリスマスはデートですか?」
茶化して私は言った。その為に、わざわざ遊園地でジェットコースターにまで乗らされたのだ。そのくらいの権利は私にだってあるだろう。
「デート?え、小野さんとですか?」
すっかり驚く安藤に、私は教えてやった。
「まさか。もうすでに先生は、いい相手を見つけたらしいぞ」
「それは、そうだな、どうだろうな」
だが、先生にしてはひどく歯切れが悪い。
「加賀見さん、もういい人見つけたんですか?」
「らしいんだ。デートの練習にって、俺は富士急まで付き合ったんだ」
今でもあの浮遊感を思い出すと気持ちが悪くなる。
「ずるい、二人でデート行ったんですか?」
「デートじゃない、練習だ」
デートであってたまるか。私は安藤を睨むと、鍋の中の豆腐に箸を立てる。その様子に、安藤がほっとした表情を浮かべるのが見えた。
なんだ、いちいち男相手にまでやきもち焼いているのか?
向けられる慣れない感情に困惑していると、先生が落ち込んだ様子で口を開いた。
「仕事柄、やはり彼女は忙しいらしくてな。どうにも捕まらなくて……」
そういえば、今度のお相手は女医だったか。ならば確かに、クリスマスも正月もないだろう。
「それじゃあ、仕方がないですね。無理に二十四日に行かなくても、都合が合えば」
「だといいんだがな。……それより君たちはどうするんだ」
「どうするって?」
きょとんと聞き返す私の向かいで、あからさまに安藤が肩を落とすのが見えた。そこで、さすがに愚鈍な私も気が付いた。あれ以来、私は彼女にあの時の答えを返していない。
「いや、平日でしょう、社会人にクリスマスも何もないですし」
慌てる私と落ち込む安藤を交互に見やって、先生は合点がいったらしい。白々しく空咳して黙ってしまったものだから、鍋のぐつぐつと煮える音ばかりが部屋に響いた。
「そういえば昨日、小野さんにカメラの映像を確認させられたんです」
気まずさからか、沈黙を破ったのは安藤だった。
「カメラ?」
「署内の防犯カメラです。ほら、相談室に来た『木村馨』が写ってたんです」
ということは、とりあえずあれは焼死体の幽霊ではなかったわけだ。
「でもあまり鮮明じゃなくて、彼女を相談室に案内した私に、被害者と同じかどうか見てくれって」
なぜ小野さんは私じゃなくて安藤に聞いたのだろう。納得がいかないながらも、私は安藤に聞いた。
「それで、どうだったんだ?」
幽霊じゃないのなら、同じ顔のはずがない。黒川は署内の人間のイタズラかも、と言っていたが、もともと女性職員は少ないし、さすがに同じ職場の人間の変装くらいならすぐにばれそうな気がする。
「被害者と雰囲気は何となく似てましたけど、別人でした」
「それは、そうだろうな」
先生がシイタケをハフハフと熱そうに食べながら言った。「時間系列的に同一と言うのはあり得ない。しかしなぜそやつは被害者の名をわざわざ名乗ったのだろうな」
「イタズラじゃないかって黒川さんは言ってましたけど」
「イタズラねぇ」
これが被害者の身元をマスコミに開示した後ならまだわかる。けれど警察関係者しか知り得ぬことで悪戯をするだなんて、ただリスクが高いだけでなんのメリットもないように思えた。
「やはり、その偽物の木村馨は、焼死体の木村馨と何か関係があるのだろうな。そう考えるほうが自然だ。そうだな、例えば姉妹だとか、友人だとか」
「でも、警察は被害者の近辺を洗っているはずです。姉妹だとか友人くらい、特定できているはず」
「それもそうだな」
「じゃあ、犯人?」
「その可能性は高い」
「犯人は、メリッサなんじゃないかって思うんです」
私は箸を置いて持論を振りかざす。するとぽかんと口をあけ、安藤がその名をオウムのように繰り返した。
「メリッサ?」
「偽物の木村馨が、わざわざ俺をゲーム世界にまで引き込んで合わせた人物だ。この偽物は、あくまでも犯人を告発するために現れたんじゃないのか」
私が熱く持論を述べるものの、安藤は至って冷たい反応だ。
「わざわざそんなことしますかね。てか先輩、どんだけその偽物に入れ込んでるんですか」
「別に、そんなんじゃ」
「思い込みは良くないぞ、リンドウ君」
慌てる様子の私をたしなめて、先生が問うた。
「偽物の木村馨はどんな女性だったんだ?」
そう聞かれて、私は必死に記憶をさかのぼる。最初の頃こそ鮮明に残っていた彼女の儚げな顔が、すでにぼんやりとしている。浮かび上がるのは、ゲーム内のエーオースのボーイッシュな顔立ちばかりだ。
「確か目元にほくろがあったと思います」
先日、防犯カメラの映像を見たばかりの安藤が口を開いた。
「被害者はきれいな人だったけど、これといった特徴がなくて……。でも、相談署に来た人は、目元に大きなほくろがあったと思います」
確かに、それは目立っていた。ほくろが色気を引き立てる場合もあるが、妙に立体的に育ってしまったそれは、違和感しか私に与えなかった。
「ああ、そういえば。せっかく美人なんだから、取ればいいのにって思ったくらい」
「ふむ、ほくろか……」先生の箸が止まった。
「なにか、心当たりが?」
「いや。あまり大きなほくろだと、メラノーマの可能性がある。心配だな」
「メラノーマ?」聞きなれない単語だ。
「悪性黒色腫、まあ皮膚がんの一種だな。ほら、美人薄命という言葉もあるだろう、偽物の木村馨が美人だというなら尚更心配だ」
「また、そうやって美人の味方ばかりする」
いくら美人たって、被害者の名を騙る怪しい女ですよ、と安藤が騒ぎ出したので、
「そうだ安藤、被害者と偽物の似顔絵とか書けないか?」
と軽い気持ちで私は聞いた。偽物は一度私も会っているが記憶が定かでないし、被害者の方に至っては、その顔すら知らない。字のきれいな安藤だ、器用になんでもこなすのではないか。
「似顔絵?あまり、自信はないんですけど……」
紙と鉛筆あります?と聞かれて、私は書斎のプリンターからコピー用紙を取り出す。鉛筆はなかったので、万年筆を渡してやる。
「やだ、これじゃ失敗しても直せないじゃないですか」
文句を言いつつ安藤が書き上げたのは、期待していたのとは程遠い仕上がりの似顔絵。
「……おまえ、これ……っ」
「だあっはっはっはっは」
ゲラゲラと笑っているのは先生だ。彼は案外笑い上戸のようだ。いや、そうでなくても、人の笑いを誘うような出来栄えではあった。つまり、下手くそなのだ。
「言ったじゃないですか、自信はないって」
安藤が怒って頬を膨らませる。それでも、なんとなくの髪形や、被害者のほうがたれ目で、偽物の方がつり目がち、くらいの違いは把握できた。
「笑ってすまない、ありがとう」
「もう、二度とやりませんからね」
怒った安藤が、鍋の中の魚介をかっさらう。
「だがまあ、多少は前進したではないか」
その残りを慌ててかき集めながら先生が言った。
「今のところ、木村馨、および蜂蜜男の殺害に関して一番疑わしいのは、そのほくろのある偽物の木村馨だ」
入手したカニの爪をチュパチュパとしゃぶる先生に異を唱えようとしたところ、その爪で制される。
「君の持論が間違っているとは言わないが、こういうのは私情を挟むのが一番よくない」
「別に、私情なんか」
「だが、そもそも蜂蜜男の身元が未だにわかっていない。他殺か自殺もはっきりしないが、肋骨に傷をつけたと思われる凶器が現場にない以上、第三者が持ち去ったと考えられる」
言っていることは尤もなのに、口からカニ足がはみ出ていて様にならない。
「またその第三者は、遺体のあった場所にブタクサの種を連れ込んだ人間と同一である可能性が高い。そうなると、やはり疑わしいのは、その彼を自分の恋人かもしれない、などと言って現れた偽物だ」
「でも、まだ怪しい人物がいます。木村馨のストーカーです」
「ストーカー?」
「はい。木村馨は一度、ストーカー被害で相談に来ているそうなのです。事実、彼女のスマホからは彼女の現在位置を第三者に通知させるアプリが入っていた」
「やだ、偽物なんかより、そいつの方が怪しいじゃないですか」
安藤が叫んだ。「嫉妬に狂ったストーカーが、恋慕した人間とその恋人を殺したんですよ」
「だが、元・恋人だぞ?なぜそいつまで殺す必要があるんだ」
一方先生の方はカニに苦戦しつつも乗り気ではないようだ。その姿に私はさらに追い打ちを掛ける。
「それに、なんで偽物の木村馨はわざわざ自分の存在を知らしめるようなことをしたんでしょう」
警察署になんて、来る理由はないはずだ。そんなの、来ないほうが絶対いいに決まってる。
「それは、そうだが」
そこで先生が黙ってしまった。どうやら、カニの身をほじくることに専念したらしい。
もうスープだけになってしまった鍋に、冷凍庫で眠っていた冷凍うどんをチンして入れてやる。カニの殻にはもう飽きたのかさっそくそれに箸を伸ばしつつ、先生は唸っている。
「それに関しては、まだ考えるだけの材料がない。それ以前に、蜂蜜男が木村馨の恋人と同一であるかも調べなければならない。さらに、焼死体と木村馨の関係も」
「とにかく、偽物の木村馨について調べなきゃお話しにならない、ってことですね」
さらに残りのうどんをかっさらって、安藤が付け足した。鍋の中はきれいに空になっている。
「……俺の分は?」
ぽつりとつぶやくものの、私の声は誰にも届かない。
「さて、これだけの壁が我々の前には立ちはだかっているわけだが」
ひとしきり食べ、腹いっぱいになったのだろう。先生がげっぷを挟んで続ける。
「それでも君は、この事件に関わろうっていうのか?」
箸を置き、私は答える。
「……ええ」
「おとなしく本職に任せればいいじゃないか。焼死体と同時期に見つかった、自殺と思われる遺体が怪しいと言えば済む話だろうに」
だが、それでは私が勝手に遺骨を持ち出したことがばれてしまう。あの骨は、合同葬儀に出してしまったのだ。
「でも、これは私の事件です」
「……ふむ、さすがはリンドウ刑事、と言ってやりたいところだが、なんとも前途多難だな」
先生にしては珍しくため息なんぞをついて、彼は箸を置いた。そしてそそくさと帰り支度を始めると、「では今日はこの辺でお暇させてもらうよ」と、呼び出したタクシーに乗って安藤とともに帰って行ってしまった。
結局進展はナシ、だ。
急激に温度の下がったような気のするこの家で、私は宴の残りを片している。普段の何十倍も多い皿の量に、うんざりしてしまう。
安藤が片すと言ってくれたが、なぜだかそれさえ躊躇われた。断られた時、彼女はどんな顔をしていただろう。別に彼女づらするんじゃないとか、そういう意味で言ったわけではないのだけれど。
それにしても。手を切らないよう洗いながら考える。包丁を持つのは、いつぶりだろうか。確かに刃先が欠けている。どうやって処分すればいいのだろう。
洗った刃物の水滴をきれいにふき取り、私はそれを包丁差しの奥へと差し込んだ。
その後、まるで示し合わせていたかのように、安藤がスーパーの袋を両手に現れた。ちゃっかり、タクシー代と食費まで請求してきやがった。
で、そこまでして先生が何を作ってくれたのかと言うと、なんてことはない、ただの鍋だ。材料を切り分けて、突っ込むだけの簡単な料理。
「簡単だなんて言うなよ、ちゃんと昆布でダシを取っている。別に他にもレパートリーはあるんだがな、この寒い時期にフレンチだのイタリアンだのより鍋の方が有難かろう」
確かに肌寒い季節だ、薄暗くなってしまった外では北風がびゅうびゅうと吹いている。時折引き戸がカタカタと音を立てており、いっそう物悲しい雰囲気だ。
いつもならその中で一人わびしくコンビニ飯をかき込んでいるところだが、今日は違う。温かい鍋を人とつつくだなんて、いつぶりだろうか。
「どうだ、うまいだろう」
「……ええ」
先ほどまで、血なまぐさい事件の話をしていたとは思えない。
「本当はワインによく合うアヒージョでも振る舞おうかと思っていたんだが、いささか不謹慎かと思ってね、安藤君に用意してもらったエビやキノコは鍋の具材にさせてもらったよ」
アヒージョ、と言う言葉を聞いて、私は焼死体のことを思い出す。自然と箸を口に運ぶスピードは遅くなる。
「ちょっと加賀見さん、ご飯食べてるのに事件のこととかやめてくださいよ」
「だが、先にアヒージョと形容したのは小野嬢だ」
「ほんと、悪趣味」
「それは確かだな」
いつの間にか反・小野運動に加担することになったらしい加賀見氏が笑った。どうやら完全に彼女のことは吹っ切れたらしい。
「じゃあ先生、もしかしてクリスマスはデートですか?」
茶化して私は言った。その為に、わざわざ遊園地でジェットコースターにまで乗らされたのだ。そのくらいの権利は私にだってあるだろう。
「デート?え、小野さんとですか?」
すっかり驚く安藤に、私は教えてやった。
「まさか。もうすでに先生は、いい相手を見つけたらしいぞ」
「それは、そうだな、どうだろうな」
だが、先生にしてはひどく歯切れが悪い。
「加賀見さん、もういい人見つけたんですか?」
「らしいんだ。デートの練習にって、俺は富士急まで付き合ったんだ」
今でもあの浮遊感を思い出すと気持ちが悪くなる。
「ずるい、二人でデート行ったんですか?」
「デートじゃない、練習だ」
デートであってたまるか。私は安藤を睨むと、鍋の中の豆腐に箸を立てる。その様子に、安藤がほっとした表情を浮かべるのが見えた。
なんだ、いちいち男相手にまでやきもち焼いているのか?
向けられる慣れない感情に困惑していると、先生が落ち込んだ様子で口を開いた。
「仕事柄、やはり彼女は忙しいらしくてな。どうにも捕まらなくて……」
そういえば、今度のお相手は女医だったか。ならば確かに、クリスマスも正月もないだろう。
「それじゃあ、仕方がないですね。無理に二十四日に行かなくても、都合が合えば」
「だといいんだがな。……それより君たちはどうするんだ」
「どうするって?」
きょとんと聞き返す私の向かいで、あからさまに安藤が肩を落とすのが見えた。そこで、さすがに愚鈍な私も気が付いた。あれ以来、私は彼女にあの時の答えを返していない。
「いや、平日でしょう、社会人にクリスマスも何もないですし」
慌てる私と落ち込む安藤を交互に見やって、先生は合点がいったらしい。白々しく空咳して黙ってしまったものだから、鍋のぐつぐつと煮える音ばかりが部屋に響いた。
「そういえば昨日、小野さんにカメラの映像を確認させられたんです」
気まずさからか、沈黙を破ったのは安藤だった。
「カメラ?」
「署内の防犯カメラです。ほら、相談室に来た『木村馨』が写ってたんです」
ということは、とりあえずあれは焼死体の幽霊ではなかったわけだ。
「でもあまり鮮明じゃなくて、彼女を相談室に案内した私に、被害者と同じかどうか見てくれって」
なぜ小野さんは私じゃなくて安藤に聞いたのだろう。納得がいかないながらも、私は安藤に聞いた。
「それで、どうだったんだ?」
幽霊じゃないのなら、同じ顔のはずがない。黒川は署内の人間のイタズラかも、と言っていたが、もともと女性職員は少ないし、さすがに同じ職場の人間の変装くらいならすぐにばれそうな気がする。
「被害者と雰囲気は何となく似てましたけど、別人でした」
「それは、そうだろうな」
先生がシイタケをハフハフと熱そうに食べながら言った。「時間系列的に同一と言うのはあり得ない。しかしなぜそやつは被害者の名をわざわざ名乗ったのだろうな」
「イタズラじゃないかって黒川さんは言ってましたけど」
「イタズラねぇ」
これが被害者の身元をマスコミに開示した後ならまだわかる。けれど警察関係者しか知り得ぬことで悪戯をするだなんて、ただリスクが高いだけでなんのメリットもないように思えた。
「やはり、その偽物の木村馨は、焼死体の木村馨と何か関係があるのだろうな。そう考えるほうが自然だ。そうだな、例えば姉妹だとか、友人だとか」
「でも、警察は被害者の近辺を洗っているはずです。姉妹だとか友人くらい、特定できているはず」
「それもそうだな」
「じゃあ、犯人?」
「その可能性は高い」
「犯人は、メリッサなんじゃないかって思うんです」
私は箸を置いて持論を振りかざす。するとぽかんと口をあけ、安藤がその名をオウムのように繰り返した。
「メリッサ?」
「偽物の木村馨が、わざわざ俺をゲーム世界にまで引き込んで合わせた人物だ。この偽物は、あくまでも犯人を告発するために現れたんじゃないのか」
私が熱く持論を述べるものの、安藤は至って冷たい反応だ。
「わざわざそんなことしますかね。てか先輩、どんだけその偽物に入れ込んでるんですか」
「別に、そんなんじゃ」
「思い込みは良くないぞ、リンドウ君」
慌てる様子の私をたしなめて、先生が問うた。
「偽物の木村馨はどんな女性だったんだ?」
そう聞かれて、私は必死に記憶をさかのぼる。最初の頃こそ鮮明に残っていた彼女の儚げな顔が、すでにぼんやりとしている。浮かび上がるのは、ゲーム内のエーオースのボーイッシュな顔立ちばかりだ。
「確か目元にほくろがあったと思います」
先日、防犯カメラの映像を見たばかりの安藤が口を開いた。
「被害者はきれいな人だったけど、これといった特徴がなくて……。でも、相談署に来た人は、目元に大きなほくろがあったと思います」
確かに、それは目立っていた。ほくろが色気を引き立てる場合もあるが、妙に立体的に育ってしまったそれは、違和感しか私に与えなかった。
「ああ、そういえば。せっかく美人なんだから、取ればいいのにって思ったくらい」
「ふむ、ほくろか……」先生の箸が止まった。
「なにか、心当たりが?」
「いや。あまり大きなほくろだと、メラノーマの可能性がある。心配だな」
「メラノーマ?」聞きなれない単語だ。
「悪性黒色腫、まあ皮膚がんの一種だな。ほら、美人薄命という言葉もあるだろう、偽物の木村馨が美人だというなら尚更心配だ」
「また、そうやって美人の味方ばかりする」
いくら美人たって、被害者の名を騙る怪しい女ですよ、と安藤が騒ぎ出したので、
「そうだ安藤、被害者と偽物の似顔絵とか書けないか?」
と軽い気持ちで私は聞いた。偽物は一度私も会っているが記憶が定かでないし、被害者の方に至っては、その顔すら知らない。字のきれいな安藤だ、器用になんでもこなすのではないか。
「似顔絵?あまり、自信はないんですけど……」
紙と鉛筆あります?と聞かれて、私は書斎のプリンターからコピー用紙を取り出す。鉛筆はなかったので、万年筆を渡してやる。
「やだ、これじゃ失敗しても直せないじゃないですか」
文句を言いつつ安藤が書き上げたのは、期待していたのとは程遠い仕上がりの似顔絵。
「……おまえ、これ……っ」
「だあっはっはっはっは」
ゲラゲラと笑っているのは先生だ。彼は案外笑い上戸のようだ。いや、そうでなくても、人の笑いを誘うような出来栄えではあった。つまり、下手くそなのだ。
「言ったじゃないですか、自信はないって」
安藤が怒って頬を膨らませる。それでも、なんとなくの髪形や、被害者のほうがたれ目で、偽物の方がつり目がち、くらいの違いは把握できた。
「笑ってすまない、ありがとう」
「もう、二度とやりませんからね」
怒った安藤が、鍋の中の魚介をかっさらう。
「だがまあ、多少は前進したではないか」
その残りを慌ててかき集めながら先生が言った。
「今のところ、木村馨、および蜂蜜男の殺害に関して一番疑わしいのは、そのほくろのある偽物の木村馨だ」
入手したカニの爪をチュパチュパとしゃぶる先生に異を唱えようとしたところ、その爪で制される。
「君の持論が間違っているとは言わないが、こういうのは私情を挟むのが一番よくない」
「別に、私情なんか」
「だが、そもそも蜂蜜男の身元が未だにわかっていない。他殺か自殺もはっきりしないが、肋骨に傷をつけたと思われる凶器が現場にない以上、第三者が持ち去ったと考えられる」
言っていることは尤もなのに、口からカニ足がはみ出ていて様にならない。
「またその第三者は、遺体のあった場所にブタクサの種を連れ込んだ人間と同一である可能性が高い。そうなると、やはり疑わしいのは、その彼を自分の恋人かもしれない、などと言って現れた偽物だ」
「でも、まだ怪しい人物がいます。木村馨のストーカーです」
「ストーカー?」
「はい。木村馨は一度、ストーカー被害で相談に来ているそうなのです。事実、彼女のスマホからは彼女の現在位置を第三者に通知させるアプリが入っていた」
「やだ、偽物なんかより、そいつの方が怪しいじゃないですか」
安藤が叫んだ。「嫉妬に狂ったストーカーが、恋慕した人間とその恋人を殺したんですよ」
「だが、元・恋人だぞ?なぜそいつまで殺す必要があるんだ」
一方先生の方はカニに苦戦しつつも乗り気ではないようだ。その姿に私はさらに追い打ちを掛ける。
「それに、なんで偽物の木村馨はわざわざ自分の存在を知らしめるようなことをしたんでしょう」
警察署になんて、来る理由はないはずだ。そんなの、来ないほうが絶対いいに決まってる。
「それは、そうだが」
そこで先生が黙ってしまった。どうやら、カニの身をほじくることに専念したらしい。
もうスープだけになってしまった鍋に、冷凍庫で眠っていた冷凍うどんをチンして入れてやる。カニの殻にはもう飽きたのかさっそくそれに箸を伸ばしつつ、先生は唸っている。
「それに関しては、まだ考えるだけの材料がない。それ以前に、蜂蜜男が木村馨の恋人と同一であるかも調べなければならない。さらに、焼死体と木村馨の関係も」
「とにかく、偽物の木村馨について調べなきゃお話しにならない、ってことですね」
さらに残りのうどんをかっさらって、安藤が付け足した。鍋の中はきれいに空になっている。
「……俺の分は?」
ぽつりとつぶやくものの、私の声は誰にも届かない。
「さて、これだけの壁が我々の前には立ちはだかっているわけだが」
ひとしきり食べ、腹いっぱいになったのだろう。先生がげっぷを挟んで続ける。
「それでも君は、この事件に関わろうっていうのか?」
箸を置き、私は答える。
「……ええ」
「おとなしく本職に任せればいいじゃないか。焼死体と同時期に見つかった、自殺と思われる遺体が怪しいと言えば済む話だろうに」
だが、それでは私が勝手に遺骨を持ち出したことがばれてしまう。あの骨は、合同葬儀に出してしまったのだ。
「でも、これは私の事件です」
「……ふむ、さすがはリンドウ刑事、と言ってやりたいところだが、なんとも前途多難だな」
先生にしては珍しくため息なんぞをついて、彼は箸を置いた。そしてそそくさと帰り支度を始めると、「では今日はこの辺でお暇させてもらうよ」と、呼び出したタクシーに乗って安藤とともに帰って行ってしまった。
結局進展はナシ、だ。
急激に温度の下がったような気のするこの家で、私は宴の残りを片している。普段の何十倍も多い皿の量に、うんざりしてしまう。
安藤が片すと言ってくれたが、なぜだかそれさえ躊躇われた。断られた時、彼女はどんな顔をしていただろう。別に彼女づらするんじゃないとか、そういう意味で言ったわけではないのだけれど。
それにしても。手を切らないよう洗いながら考える。包丁を持つのは、いつぶりだろうか。確かに刃先が欠けている。どうやって処分すればいいのだろう。
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