悪い冗談

鷲野ユキ

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ランチタイム2

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「珍しいな、スパロウホーク。ブス姫のお守りはもうやめたのか?」

 トレイの上には、こんもりと盛られたご飯に、これまた大盛りのキャベツ。そこに申し訳程度の生姜焼きと味噌汁を乗せて、私の向かいに座ったのは黒川だった。

「いい年して、高校生みたいなお昼ですね」

 黒川の問いには答えず、私はスパゲッティーをフォークにからませる。珍しく食堂に来てみたらこれだ。だから嫌なんだ。私の居場所は、あの狭い相談室にしかないのだろうか。

「お前みたいな引きこもりと違って、俺たちは体力を使うんだ。なにしろ事件は待っててくれないからな」

 ペロリと肉を平らげ、にやりと黒川が笑った。なるほどその姿はなかなかにワイルドで、いかにも粗野な刑事と言った感じだ。
 だがメインのおかずを失って、彼が残りのご飯をどう処理するかのほうが私は気になってしまった。

「それよりどうなんだ、木村馨の幽霊の正体はわかったか?」

 わざわざ黒川が私の元に来たのは、それが目的だったらしい。

「それが、まだ……」

 あれ以来、エーオースとは連絡が付いていない。ログインしたところで、どこで私を見つけてくるのか、あのPK女にやたら絡まれるばかりで困っていたところだった。

「まあ、所詮はチビの事務員に、事件捜査は無理だよな」

 マナーと言う言葉を知らないのか、箸を私に向けブンブン振り回して黒川が言う。

「その点俺たちは優秀だからな。本物の木村馨の身辺が大分クリアになってきたぜ」
「じゃあ、もうすぐ事件解決ですか?」
「そうだろうな。まあ、お前が見たのは、いたずら目的の頭のおかしい女なんだろ」
「でも、被害者の名前が公開されたのは、その後ですよね」
「まあそうだが、遺体は夏ごろ発見されてるんだ。俺たちだって無能じゃない、身元自体は早くに判明していた。大方、口の軽い捜査員の誰かが漏らしたのを聞いて、いたずら目的で来たんだろ」

 仮にそうだとしても、それは問題なような気がしたが、黒川は気にするそぶりもない。現にこうして非警察官の私に事件の詳細を軽々しく話すほどだ。先生とは違って、私はうかつに彼らを信じる気がしなかった。

「それで、本物の木村馨はどんな人だったんですか?」
「聞きたいか?」
「ええ、まあ」

 そこで黒川は箸を置くと、爪楊枝で歯の間をほじくりながら、もったいぶった態度で口を開いた。

「木村馨、三十五歳。福島生まれ、現在の住民票はここ山梨。一人暮らしで、地元の零細企業で、事務員として働いていた」
「なんというか、地味な感じですね」

 本物の木村馨の顔は知らないが、どこにでもいそうな女だ、という印象を受けた。

「だがまあ、割と美人だったぞ。俺が見た写真だと、ちょっと疲れた感じの表情だったが」

 その言葉に、私の見た木村馨の面影を思い出す。私が見たのも、疲れた表情をした地味な女だった。

「私が見たのも、そんな人でした」
「ガイシャの容姿を知ってたんだろうな。しかし手の込んだイタズラしやがって。バラシた犯人見つけたらただじゃおかねえ」

 黒川が爪楊枝を小鉢に押しつける。パキリ、という音を立てて華奢な木の棒は折れてしまった。情報漏えいはそれなりにまずいことだという認識はあったらしい。

「で、それだけだと至って何のトラブルにも巻き込まれそうな女なんだがな、どうにも彼女には恋人がいたらしくてな」
「恋人?」
「ああ、だが、どうやらその恋人に、別れを切り出されていたらしい。しかし木村馨はそれに納得していなかった」
「それじゃあ、それを苦にして自殺……」
「自殺なわけないだろ。誰が油をかけて火ぃつけたって言うんだ。しかもご丁寧にキノコまで付けて」
「それは、確かに」

 フォークを置き、汚れた口元を紙ナプキンで拭う。自分でも馬鹿な受け答えをしたという恥ずかしさもあった。

「ガイシャの喉には、煙を吸った形跡は見られなかった」

 いわゆる生活痕というやつだ。私の動揺などものともせず、黒川は茶を飲み干して言った。

「火を付けられたのは、殺された後。死因は窒息死。喉ン中の骨が折れていた」
「首を絞められて殺された、ってことですか?」
「恐らくな。それに残念ながら、凶器も見つかっていない」
「凶器って、例えばロープとか?」

 当たり前だろう、とぞんざいに黒川が返した。「絞殺なんだから、そうだろうよ」
「それもそうですね」
「そこで問題だ、怪しいのは誰だ?」
「彼女を捨てた、元恋人?」
「その通り」

 少し小ばかにしたように、黒川が再び箸を振り回した。

「で、今その恋人を探してるんだが……」

 そこまで軽快だった黒川の口が、急に重くなった。

「もしかして、行方不明、とか」
「そう言う事だ」
「それじゃあ、ますます怪しいじゃないですか。そんなに見つからないなら、指名手配すれば」
「だが、オフダが取れないんだ」
「ああ、逮捕状ですか?」

 こうやって時折、刑事用語を挟んでくるところが私をイラつかせる。黒川はそんな私には気づかず、残ったキャベツを汚らしく箸先でかき混ぜている。

「そいつが犯人だという、明確な証拠がない」
「こんなに一番怪しいのに?」
「考えられるのは、別れを切り出され怒り狂った木村馨が恋人に迫った。たとえばそう、アンタを殺して私も死ぬ!」

 黒川が気持ち悪い裏声で叫ぶ。

「それで、身を守るために恋人はうっかり木村馨を殺してしまった」

 つまらないドラマのような展開だ。黒川の熱演に対し、そのくらいの感想しか私にはなかった。

「木村馨は、相手にまとわりついていたんですか?」
「いや。ガイシャの携帯にはすっかり恋人の番号は消えていて、着信もメールも履歴は残っていなかった」
「つまり、きれいに吹っ切れたと?」
「少なくとも、直接二人の間にやり取りがあった形跡はなかった。まあ共通の知人なんかがいて、相手のことを知る可能性もあったかもしれないが、それはまだ捜査中だ」

 何かをしていないと落ち着かない性分なのか、黒川はぐちゃぐちゃになったキャベツをつまんでは落としを繰り返している。

「木村馨だがな、職場でもそりゃあフラれた直後は相当落ち込んでたようだ。絶対に許さない、と」

 女の執念は怖いな。私は肝を冷やした。

「が、その後は笑い話にしてたらしい。職場の同僚の証言だ」
「立ち直りの早い人なんですね」

 私だったら、五年ぐらいは思い返して落ち込んでいそうだ。

「そんな人間が自殺をするはずない。ましてや、自分で振っておいて、離れた女を殺す恋人というのも考えにくい」
「じゃあ、元恋人はどうして消えたんでしょう」
「あるいは、その男も何か事件に巻き込まれたか、だ」

 キャベツをいじくる手を止めて、黒川が考えるように呟く。

「木村馨は何者かにストーカーされていた、かもしれない。少なくとも一度被害相談に来ているし、実は彼女のスマホから、監視アプリが見つかっている」
「監視アプリですって?」

 思わず大きな声を出してしまった私をぎろりと睨み、黒川が小声で続けた。

「まったく、恐ろしい世の中だぜ。このアプリを相手のスマホにインストールさせれば、どういう仕組みだか、それを入れたスマホの持ち主の場所を逐一特定することが出来るらしい」
「それって、本当にストーカー被害に遭ってたってことじゃないですか」

 ならばそのストーカーを探すべきでしょう、と私は言ったが、

「まだ解析中だ。どこのどいつがそんなものを仕込んだのか、今調べてもらってる」

 とそっけなく返された。

「少なくとも被害者と接触のあった人間なんだろうが。じゃなきゃそんな芸当できん」
「と言うことは、木村馨が元恋人より前に付き合っていた誰かが犯人?」
「かもしれんな。そして、元恋人もそのストーカーに何かされたのかもしれん」
「それなら尚更、その恋人を捜索しないと。捜索願も出てるんじゃないんですか?」
「それが親族はなんだかややこしい事情があるみたいで、もう行方なんて知ったこったないとよ」

 あんまり親が堅物なのも大変だな、そう呟いて黒川はようやく箸を置いた。

「その、恋人の名前は」

 この話を聞いて、私の頭にまず浮かんだのは蜂蜜男のことだった。よりによって、木村馨の名を語る何者かが、恋人かもしれないと問い合わせに来たのだ。とても、ただのイタズラとは思えなかった。

「それは、教えられない」
「なんで」
「木村馨の件もある。公表前の被害者の名前が世に出ちまった。ゆゆしき事態だ。恋人が容疑者と決まったわけでもない。まだ正体の分からないストーカーのことも、あまり情報を拡散させたくはない。言いふらされると困るんだ」

 せめてそいつが犯人だと特定出来れば話は別だが。ため息まじりに黒川が言う。

「そんなことしませんよ」
「被害者の身元の情報をこっそり盗んで、死んだはずの被害者が現れた、って騒いでいるようなやつがこの署内にはいるんだからな」

 そう言って、意味ありげに黒川が私の方を見た。まさか、私を疑っているのか?

 怒りも露わに、私は飲みかけのコップをテーブルに乱暴に置いた。

「全部、私の一人芝居だって言いたいんですか?」
「冗談だ」

 すると黒川が突然声を潜めた。

「個人情報の扱いはセンシティヴだからな。警務部にでも見つかったらシャレにならん。ああ、警務部って言っても、お前んとこじゃないからな」

 嫌味を言って、黒川がトレイを持って去っていく。その背中を私は睨んだ。

 私が見たのは、本当に誰かのイタズラの、なりすましの木村馨だったのだろうか。
 それならば、ゲーム内でも接触を図ってきた意味が分からない。ゲーム内では、エーオースと名乗っていた。恋人を蝉に変えた女神の名。

 彼女は、誰に永遠を与えようとしていたのだろう。
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