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遊園地デート
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「氷穴入口も調べますか?」
私たちは現代の技術をもってして、無事樹海を抜けることが出来た。幸い野生動物にも、自殺遺体にも出くわさず、氷穴入口にたどり着いたのは昼過ぎだった。車に乗りかけて、そう言えばと私は先生に聞いた。
「蜂蜜男と同じ頃に殺された、木村馨の遺体発見現場です」
「ああ、キノコとオリーブオイルの焼死体か」
助手席のドアを開けようとした手を止めて、先生が人々で賑わう観光地に目をやった。
「ええ。その被害者の名を語った人間が私の元に現れた。これは、なにか関係があるのではないかと思うのですが……」
「ふむ、関係はあるのかもしれないが、しかし今さら現場を調べてどうするんだ」
「何か発見があるかもしれませんし」
そうは言いつつも、私の目は不安げだ。なにしろその見つめる先には、この寒さだというのに、同じバッジを付けた団体客や家族連れがぞろぞろとたむろっている。
「樹海内の遺体とはわけが違うんだ。警察がちゃんと調べてくれただろう。君はもっと自分の所属するところを信用したほうがいい。何かを見落とすほど日本の警察は馬鹿ではないぞ」
そう言い残してドアを開けると、先生が器用に長い手足を折り助手席に収まってしまったので、私も運転席へと腰を下ろす。
「それにあの人ごみの中で、何か出来るとは思えない」
「それもそうですね」
同感だった。その場所で誰かが死んだことなんて、微塵も感じられない雰囲気だった。あるいはニュースになっているから、発見現場の上を歩く観光客らは知っているのかもしれない。けれどそんなこと彼らには関係ない。
彼らは氷穴の美しさを体感しに来ただけなのだから。そんななかに突っ込むほど、私も無粋ではなかった。
「それでは、甲府駅までお送りします」
「しかし、せっかくここまで来たのに、解散というのもなんだな」
エンジンを掛ける私に、先生ががっかりしたように声を掛けた。
「それともなんだ、この後予定でもあるのか?」
「いえ、特にはないですけど」
「ならば行ってみたい場所があるのだが」
なんだ、結局観光が目的なんじゃないか。私は内心苦笑する。まあ、普通は観光でもなければこんなところは来ないか。
「車を降りて氷穴に行きます?それとも、五合目まで上がります?」
先日の、報酬としての合コンが散々だった手前もあり、私は先生のガイドを務めることにした。それに、木村馨とアリスタイオスについても意見を聞いておきたかった。
まずはどこかで昼飯だ、その時にそれらを話すとして、どこか一か所観光名所を案内すれば満足するだろう。そう算段をしたものの、返ってきたのは
「富士急ハイランドに行きたいのだ」
というとんでもない言葉だった。
「遊園地?」
「そうだ」
赤い顔をさらに上気させて、心なしか弾む声で先生が言う。
「ジェットコースターに乗りたい」
「でも、男二人で遊園地なんて行って、何が楽しいんですか」
「別に誰と行こうが、遊園地は楽しいだろう」
なら一人で行ってくださいよ、そう返す声を私は押しとどめる。諦めがよく、いつもと変わらないように見えるが、これで案外小野さんの件で傷ついているのかもしれない。
「……わかりましたよ」
そこからの遊園地までのドライブは、ひどく機嫌のいい先生がまあペラペラと喋るものだから騒がしいものとなった。
青空の元、高々とそびえるもみの木。
入口を入ってすぐに飾られたそれを見て、私は季節を思い出す。
まだひと月も先だというのに、富士急ハイランドはクリスマス一色だ。周りには、手をつなぐカップルたち。その中に、背の高い赤ら顔の男と、骨の入ったリュックを大事に抱えるチビの私。
「オリーブオイルとキノコの焼死体ですが」
いたたまれなくなり、私は出来る限りの神妙な顔をして隣の先生に話しかける。
「なんだ、せっかく遊園地に来たのに、焼死体の話だなんて」
「失礼、では……そうですね、氷穴入口で見つかったアヒージョですが」
「アヒージョ。なるほど、言い得て妙だな」
よほど上機嫌なのか、先生がケラケラと笑う。その声で回りのカップルが一斉にこちらを見る。そして、まるで変なものに出くわしたみたいな顔で、ひそひそとささやきあう。
「小野さんがそう言ってました。被害者はストーカー被害に遭っていたようで、一度小野さんと会ったことがあるそうなんです」
彼女は生活安全課の係員ですから。そう補足して隣を見ると、見る見るうちに先生が静かになった。傷をえぐるようなことはしたくなかったが、先生を黙らせるのにはこれが一番効果的だ。
「ふむ、そうか。小野さんと」
「はい。被害者の名前は木村馨。奇しくも同じ名前の女性が私の元を訪ねてきました。オンラインゲーム上で知り合った恋人が、樹海で見つかった例の遺体と同じかを知りたいと」
「ゲーム内の恋人?いったいそんなものと、現実の人間が一緒かだなんて、どうやって調べろって言うんだ。なにか手がかりをその女は持っているのかね」
「いえ、まったく。木村馨を名乗る女性は、現実ではゲームの中の恋人と会ったことがないと言っていました」
「本当か?しかし、ずいぶん変わった形の恋愛だな」
あまり興味がなさそうに、先生がぽつりと返した。
「私に恋人の捜索を依頼した木村馨は、ゲーム内で『エーオース』と名乗っています」
「ああ、君をゲームに誘った張本人だったな。確かギリシャ神話の登場人物の名だ」
「ご存知でしたか」
さすがは先生と言ったところか。見てくれはへんちくりんだが、博識なのは確からしい。
「エーオースは人間の男に恋をして、そいつを不死にしてやった。だが不老にするのを忘れたため、哀れな恋人は年老いても死ぬことが出来ない。それを不憫に思って、彼女は恋人を蝉にしたらしい」
「はあ、蝉に」
それはあんまりじゃなかろうか。私はその男が不憫でならなかった。
「あまり名を拝借したいとは思わないな」
「確かに。それと、エーオースには、ゲーム内にメリッサと言う友人がいます」
「ああ、〈愛しのマイハニー〉のギリシャ版」
先生がちらと周りを見渡した。「あそこのバカップルなぞ、平気でハニーだのダーリンだのと言っていそうだな」
人目もはばからず抱き合いキスをする恋人たち。男の手が女の尻に手を伸ばし、執拗に撫で回し始めたところで、私は慌てて目を離す。
「ベタベタしやがって」
蜂蜜だけにな、と先生はニヤニヤと笑っている。
「それにメリッサと、蜂蜜男の死体は関連があると思います。蜂蜜男の身元は、ゲーム内で姿を消した、エーオースの恋人のアリスタイオスと同一なのでは」
「ああ、アリスタイオスが養蜂の神だからって言うんだろう?」
「その通りです」
「はたしてそれはうまく行きすぎなんじゃないかね。いや、それともアリスタイオス氏はエーオースに蝉に姿を変えられてしまったのかもしれんぞ」
冗談を交える先生を無視して、私は話を続ける。
「そう考えると、オリーブオイルを掛けられた焼死体の木村馨も、この事件に関係があるのではないかと思うのです」
「そう言えば、アリスタイオスはオリーブオイルも司っていたね」
「はい。しかし、消えた恋人を探すエーオースが、なぜ木村馨の名を名乗って私の元に現れたのかがわからない。もしかしたら、自分の知人が犯人であることを伝えに来たのかも知れない。例えば。メリッサが犯人だとか」
そこまで話したところで、先生の足が止まった。
「だが、すべては憶測だ。なんの証拠もない」
「けれど、これが一番可能性が高いと思うのですが」
「自分の見えているものは、つまりは自分が見たいと思って見ているものだ。それらがすべて現実とは限らない」
「では、先生はどうお考えですか?」
「木村馨の件に関しては、情報が少なすぎる。彼女の死因が何なのかも私は知らないし、なぜよりによってオリーブオイルを掛けられたのか、なぜキノコが一緒に置かれていたのかもわからない。それに、アリスタイオスやらメリッサなんて言うゲーム内の登場人物のことなどさっぱりだ」
暗にすべてお前の妄想だろう、とでも言われた気がして、私は唇を尖らせた。
「少なくとも木村馨は焼死でしょう?」
「火を点けられたことは間違いないだろうが、火を放たれて火傷を負って死んだのか、それとも死んだ後に火を点けられたのかでは大いに異なる。まあ、これは殺人事件として警察が捜査しているようなら、君や私の出る幕はないと思うが」
「けれど、蜂蜜男の方はただの自殺だと処理されてしまっているんです。この二つの死に関連があるってことを証明しないと」
「リンドウ君」
先生がゆっくりと、たしなめるように言う。
「気が急くのはわかるが、落ち着きたまえ。私たちは今、どこにいる?」
「どこって、遊園地ですが」
「ふむ、わかっているならTPOをわきまえたまえ。ここは遊園地だ、血なまぐさい話をする場所じゃあない、遊ぶ場所だ」
そして、目の前にそびえる白い山――と言っても本当の山ではないが、山のように大きくカーブを描くレールに目を向ける。
「まずはあれに乗ろうじゃないか。それから、ランチと行こう。君と話していたらピッツアが食べたくなってね」
ピザ、と言う言葉に私の腹が反応した。昼はとっくに過ぎて、もうすぐ三時だ。
「なら、先に昼食をとりましょう、そこで事件について――」
「食べる前に乗ったほうがいいだろう」
先生が指さす先には、天高くそびえるジェットコースター。あり得ない角度で、人々を乗せた乗り物が落ちていく。
「食後の運動は控えたほうがいい」
「先生一人で乗るんですよね?」
「馬鹿言え。連れを置いて乗るやつがどこにいる。それともなんだ、怖いのか?」
「いえ、乗ったことがないものですから」
あえて乗りたいと思ったことはない。自らスリルを求めに行く感覚が私にはわからない。
「ならば練習のつもりで乗りたまえ。君も男だ、遊園地の乗り物ぐらいで怖がってちゃ、彼女に見せる顔がないだろう」
「彼女となんて遊園地に来る予定はありませんよ」
「つまらん男だな。君はそうかもしれないが、私にはある」
「彼女と?」
「ああ。今度彼女を連れて来ようと思うのだ」
この間冷たくあしらわれたばかりだというのに。あの諦めの良さは何だったんだ。
「小野さんと?」
「まさか。彼女はもう会ってはくれまい」
「じゃあ、本当に彼女がいるんですか?」
「いや、まだ、だが」
もうすぐクリスマスだろう、その時までにはそうなっている予定なんだが、と先生が照れたように言う。
「そんな、いい人が他にいただなんて」
ならなんで小野嬢との合コンなんて望んだのだろう。唖然とする私の腕を引き、先生が列の最後尾についた。
「私の職場にいる女性でね。前々から気にはなっていたんだ」
なんとも気の多い男だ。先日の潔い先生の姿を思い返して、私は失望してしまった。
「先生がそんな浮気性だとは思いませんでした」
「浮気性で結構。精度を上げるには、確率を上げるしかないのだ」
なるほど、下手な鉄砲を先生はたくさん打つつもりらしい。
「何も女性は彼女だけではない。パッと見は地味だが、きちんと手入れすればさぞ美人だろうという女医が職場にいるのだよ」
「女医さんですか」
警察官の次は女医ときた。
「しばらく彼女の顔を見ていなかったから、小野さんになどうつつを抜かしてしまったのだ」
「なんだ、じゃあ本命はそっちの女医さんだったって言うんですか?」
「もちろんだ。冷静に考えて、彼女の方が小野嬢よりよほど美しい」
「はあ」
私は呆れて声も出ない。
「それより君の方こそ、その後どうだったのか?」
列が進む。そわそわと、先生が私に聞いた。
「私が?」
「その、安藤君といい雰囲気だったじゃないか。どうだ、今度安藤君と君と、私と彼女とのダブルデートをしてみないか?」
いい年してダブルデートも何も。というより、私と安藤は、今どういう関係なのだろう。
「彼女はただの後輩ですよ」
そう返すものの、ただの先輩後輩という関係だとも言いきれなかった。
「でも彼女は君に本気なようだけどな」
「まさか」
からかって遊んでいるだけだ。私は自分に言い聞かせる。現にあの夜のことなどなかったかのように、安藤は今まで通りだった。あの晩の出来事は、欲求不満な私が生み出した妄想だったのではないか、と思うほどに。
けれど、あの時の震える姿が瞼を離れない。あれが演技ならば、彼女は小野嬢など軽く凌駕する、恐ろしい悪女だ。
こんな私のどこがいいんだ。私の心は、彼女にはないのに。
いよいよ私たちの番となった。コースターに案内され、安全バーが下される。遺骨の入ったリュックは仕方なしに足元へと置いた。まさか蜂蜜男だって死んで骨になってから、この正気の沙汰とは思えないような乗り物に乗せられるとは思っても見なかっただろう。
逃げ場をすべてふさがれて、車両は山の頂へと登っていく。白雪を被った富士山が見える。その下に広がる緑。美しい、そう思った。だがあの中には、忌まわしい死体がゴロゴロと転がっているのだ。
隣りでは先生がゲラゲラと笑っている。何が楽しいのだろう、身体を縛りつけられて、こんな高いところから落とされるだなんて。
なんの刑罰だ。私の、何の罪に対しての罰だというのか。
「ギャアアアアアアアアアアっ!」
そして私は奈落の底へと突き落とされた。
私たちは現代の技術をもってして、無事樹海を抜けることが出来た。幸い野生動物にも、自殺遺体にも出くわさず、氷穴入口にたどり着いたのは昼過ぎだった。車に乗りかけて、そう言えばと私は先生に聞いた。
「蜂蜜男と同じ頃に殺された、木村馨の遺体発見現場です」
「ああ、キノコとオリーブオイルの焼死体か」
助手席のドアを開けようとした手を止めて、先生が人々で賑わう観光地に目をやった。
「ええ。その被害者の名を語った人間が私の元に現れた。これは、なにか関係があるのではないかと思うのですが……」
「ふむ、関係はあるのかもしれないが、しかし今さら現場を調べてどうするんだ」
「何か発見があるかもしれませんし」
そうは言いつつも、私の目は不安げだ。なにしろその見つめる先には、この寒さだというのに、同じバッジを付けた団体客や家族連れがぞろぞろとたむろっている。
「樹海内の遺体とはわけが違うんだ。警察がちゃんと調べてくれただろう。君はもっと自分の所属するところを信用したほうがいい。何かを見落とすほど日本の警察は馬鹿ではないぞ」
そう言い残してドアを開けると、先生が器用に長い手足を折り助手席に収まってしまったので、私も運転席へと腰を下ろす。
「それにあの人ごみの中で、何か出来るとは思えない」
「それもそうですね」
同感だった。その場所で誰かが死んだことなんて、微塵も感じられない雰囲気だった。あるいはニュースになっているから、発見現場の上を歩く観光客らは知っているのかもしれない。けれどそんなこと彼らには関係ない。
彼らは氷穴の美しさを体感しに来ただけなのだから。そんななかに突っ込むほど、私も無粋ではなかった。
「それでは、甲府駅までお送りします」
「しかし、せっかくここまで来たのに、解散というのもなんだな」
エンジンを掛ける私に、先生ががっかりしたように声を掛けた。
「それともなんだ、この後予定でもあるのか?」
「いえ、特にはないですけど」
「ならば行ってみたい場所があるのだが」
なんだ、結局観光が目的なんじゃないか。私は内心苦笑する。まあ、普通は観光でもなければこんなところは来ないか。
「車を降りて氷穴に行きます?それとも、五合目まで上がります?」
先日の、報酬としての合コンが散々だった手前もあり、私は先生のガイドを務めることにした。それに、木村馨とアリスタイオスについても意見を聞いておきたかった。
まずはどこかで昼飯だ、その時にそれらを話すとして、どこか一か所観光名所を案内すれば満足するだろう。そう算段をしたものの、返ってきたのは
「富士急ハイランドに行きたいのだ」
というとんでもない言葉だった。
「遊園地?」
「そうだ」
赤い顔をさらに上気させて、心なしか弾む声で先生が言う。
「ジェットコースターに乗りたい」
「でも、男二人で遊園地なんて行って、何が楽しいんですか」
「別に誰と行こうが、遊園地は楽しいだろう」
なら一人で行ってくださいよ、そう返す声を私は押しとどめる。諦めがよく、いつもと変わらないように見えるが、これで案外小野さんの件で傷ついているのかもしれない。
「……わかりましたよ」
そこからの遊園地までのドライブは、ひどく機嫌のいい先生がまあペラペラと喋るものだから騒がしいものとなった。
青空の元、高々とそびえるもみの木。
入口を入ってすぐに飾られたそれを見て、私は季節を思い出す。
まだひと月も先だというのに、富士急ハイランドはクリスマス一色だ。周りには、手をつなぐカップルたち。その中に、背の高い赤ら顔の男と、骨の入ったリュックを大事に抱えるチビの私。
「オリーブオイルとキノコの焼死体ですが」
いたたまれなくなり、私は出来る限りの神妙な顔をして隣の先生に話しかける。
「なんだ、せっかく遊園地に来たのに、焼死体の話だなんて」
「失礼、では……そうですね、氷穴入口で見つかったアヒージョですが」
「アヒージョ。なるほど、言い得て妙だな」
よほど上機嫌なのか、先生がケラケラと笑う。その声で回りのカップルが一斉にこちらを見る。そして、まるで変なものに出くわしたみたいな顔で、ひそひそとささやきあう。
「小野さんがそう言ってました。被害者はストーカー被害に遭っていたようで、一度小野さんと会ったことがあるそうなんです」
彼女は生活安全課の係員ですから。そう補足して隣を見ると、見る見るうちに先生が静かになった。傷をえぐるようなことはしたくなかったが、先生を黙らせるのにはこれが一番効果的だ。
「ふむ、そうか。小野さんと」
「はい。被害者の名前は木村馨。奇しくも同じ名前の女性が私の元を訪ねてきました。オンラインゲーム上で知り合った恋人が、樹海で見つかった例の遺体と同じかを知りたいと」
「ゲーム内の恋人?いったいそんなものと、現実の人間が一緒かだなんて、どうやって調べろって言うんだ。なにか手がかりをその女は持っているのかね」
「いえ、まったく。木村馨を名乗る女性は、現実ではゲームの中の恋人と会ったことがないと言っていました」
「本当か?しかし、ずいぶん変わった形の恋愛だな」
あまり興味がなさそうに、先生がぽつりと返した。
「私に恋人の捜索を依頼した木村馨は、ゲーム内で『エーオース』と名乗っています」
「ああ、君をゲームに誘った張本人だったな。確かギリシャ神話の登場人物の名だ」
「ご存知でしたか」
さすがは先生と言ったところか。見てくれはへんちくりんだが、博識なのは確からしい。
「エーオースは人間の男に恋をして、そいつを不死にしてやった。だが不老にするのを忘れたため、哀れな恋人は年老いても死ぬことが出来ない。それを不憫に思って、彼女は恋人を蝉にしたらしい」
「はあ、蝉に」
それはあんまりじゃなかろうか。私はその男が不憫でならなかった。
「あまり名を拝借したいとは思わないな」
「確かに。それと、エーオースには、ゲーム内にメリッサと言う友人がいます」
「ああ、〈愛しのマイハニー〉のギリシャ版」
先生がちらと周りを見渡した。「あそこのバカップルなぞ、平気でハニーだのダーリンだのと言っていそうだな」
人目もはばからず抱き合いキスをする恋人たち。男の手が女の尻に手を伸ばし、執拗に撫で回し始めたところで、私は慌てて目を離す。
「ベタベタしやがって」
蜂蜜だけにな、と先生はニヤニヤと笑っている。
「それにメリッサと、蜂蜜男の死体は関連があると思います。蜂蜜男の身元は、ゲーム内で姿を消した、エーオースの恋人のアリスタイオスと同一なのでは」
「ああ、アリスタイオスが養蜂の神だからって言うんだろう?」
「その通りです」
「はたしてそれはうまく行きすぎなんじゃないかね。いや、それともアリスタイオス氏はエーオースに蝉に姿を変えられてしまったのかもしれんぞ」
冗談を交える先生を無視して、私は話を続ける。
「そう考えると、オリーブオイルを掛けられた焼死体の木村馨も、この事件に関係があるのではないかと思うのです」
「そう言えば、アリスタイオスはオリーブオイルも司っていたね」
「はい。しかし、消えた恋人を探すエーオースが、なぜ木村馨の名を名乗って私の元に現れたのかがわからない。もしかしたら、自分の知人が犯人であることを伝えに来たのかも知れない。例えば。メリッサが犯人だとか」
そこまで話したところで、先生の足が止まった。
「だが、すべては憶測だ。なんの証拠もない」
「けれど、これが一番可能性が高いと思うのですが」
「自分の見えているものは、つまりは自分が見たいと思って見ているものだ。それらがすべて現実とは限らない」
「では、先生はどうお考えですか?」
「木村馨の件に関しては、情報が少なすぎる。彼女の死因が何なのかも私は知らないし、なぜよりによってオリーブオイルを掛けられたのか、なぜキノコが一緒に置かれていたのかもわからない。それに、アリスタイオスやらメリッサなんて言うゲーム内の登場人物のことなどさっぱりだ」
暗にすべてお前の妄想だろう、とでも言われた気がして、私は唇を尖らせた。
「少なくとも木村馨は焼死でしょう?」
「火を点けられたことは間違いないだろうが、火を放たれて火傷を負って死んだのか、それとも死んだ後に火を点けられたのかでは大いに異なる。まあ、これは殺人事件として警察が捜査しているようなら、君や私の出る幕はないと思うが」
「けれど、蜂蜜男の方はただの自殺だと処理されてしまっているんです。この二つの死に関連があるってことを証明しないと」
「リンドウ君」
先生がゆっくりと、たしなめるように言う。
「気が急くのはわかるが、落ち着きたまえ。私たちは今、どこにいる?」
「どこって、遊園地ですが」
「ふむ、わかっているならTPOをわきまえたまえ。ここは遊園地だ、血なまぐさい話をする場所じゃあない、遊ぶ場所だ」
そして、目の前にそびえる白い山――と言っても本当の山ではないが、山のように大きくカーブを描くレールに目を向ける。
「まずはあれに乗ろうじゃないか。それから、ランチと行こう。君と話していたらピッツアが食べたくなってね」
ピザ、と言う言葉に私の腹が反応した。昼はとっくに過ぎて、もうすぐ三時だ。
「なら、先に昼食をとりましょう、そこで事件について――」
「食べる前に乗ったほうがいいだろう」
先生が指さす先には、天高くそびえるジェットコースター。あり得ない角度で、人々を乗せた乗り物が落ちていく。
「食後の運動は控えたほうがいい」
「先生一人で乗るんですよね?」
「馬鹿言え。連れを置いて乗るやつがどこにいる。それともなんだ、怖いのか?」
「いえ、乗ったことがないものですから」
あえて乗りたいと思ったことはない。自らスリルを求めに行く感覚が私にはわからない。
「ならば練習のつもりで乗りたまえ。君も男だ、遊園地の乗り物ぐらいで怖がってちゃ、彼女に見せる顔がないだろう」
「彼女となんて遊園地に来る予定はありませんよ」
「つまらん男だな。君はそうかもしれないが、私にはある」
「彼女と?」
「ああ。今度彼女を連れて来ようと思うのだ」
この間冷たくあしらわれたばかりだというのに。あの諦めの良さは何だったんだ。
「小野さんと?」
「まさか。彼女はもう会ってはくれまい」
「じゃあ、本当に彼女がいるんですか?」
「いや、まだ、だが」
もうすぐクリスマスだろう、その時までにはそうなっている予定なんだが、と先生が照れたように言う。
「そんな、いい人が他にいただなんて」
ならなんで小野嬢との合コンなんて望んだのだろう。唖然とする私の腕を引き、先生が列の最後尾についた。
「私の職場にいる女性でね。前々から気にはなっていたんだ」
なんとも気の多い男だ。先日の潔い先生の姿を思い返して、私は失望してしまった。
「先生がそんな浮気性だとは思いませんでした」
「浮気性で結構。精度を上げるには、確率を上げるしかないのだ」
なるほど、下手な鉄砲を先生はたくさん打つつもりらしい。
「何も女性は彼女だけではない。パッと見は地味だが、きちんと手入れすればさぞ美人だろうという女医が職場にいるのだよ」
「女医さんですか」
警察官の次は女医ときた。
「しばらく彼女の顔を見ていなかったから、小野さんになどうつつを抜かしてしまったのだ」
「なんだ、じゃあ本命はそっちの女医さんだったって言うんですか?」
「もちろんだ。冷静に考えて、彼女の方が小野嬢よりよほど美しい」
「はあ」
私は呆れて声も出ない。
「それより君の方こそ、その後どうだったのか?」
列が進む。そわそわと、先生が私に聞いた。
「私が?」
「その、安藤君といい雰囲気だったじゃないか。どうだ、今度安藤君と君と、私と彼女とのダブルデートをしてみないか?」
いい年してダブルデートも何も。というより、私と安藤は、今どういう関係なのだろう。
「彼女はただの後輩ですよ」
そう返すものの、ただの先輩後輩という関係だとも言いきれなかった。
「でも彼女は君に本気なようだけどな」
「まさか」
からかって遊んでいるだけだ。私は自分に言い聞かせる。現にあの夜のことなどなかったかのように、安藤は今まで通りだった。あの晩の出来事は、欲求不満な私が生み出した妄想だったのではないか、と思うほどに。
けれど、あの時の震える姿が瞼を離れない。あれが演技ならば、彼女は小野嬢など軽く凌駕する、恐ろしい悪女だ。
こんな私のどこがいいんだ。私の心は、彼女にはないのに。
いよいよ私たちの番となった。コースターに案内され、安全バーが下される。遺骨の入ったリュックは仕方なしに足元へと置いた。まさか蜂蜜男だって死んで骨になってから、この正気の沙汰とは思えないような乗り物に乗せられるとは思っても見なかっただろう。
逃げ場をすべてふさがれて、車両は山の頂へと登っていく。白雪を被った富士山が見える。その下に広がる緑。美しい、そう思った。だがあの中には、忌まわしい死体がゴロゴロと転がっているのだ。
隣りでは先生がゲラゲラと笑っている。何が楽しいのだろう、身体を縛りつけられて、こんな高いところから落とされるだなんて。
なんの刑罰だ。私の、何の罪に対しての罰だというのか。
「ギャアアアアアアアアアアっ!」
そして私は奈落の底へと突き落とされた。
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