10 / 49
監査結果
しおりを挟む
甲府駅から電車で三十分、さらに駅から車で十五分。田舎、と言って差し支えのない場所に私の家はある。
なにも好き好んでこんな場所に家を建てたわけではない。親が買った土地を引き継ぐものがおらず、私も売り払うのを億劫がって、惰性で住んでいるだけだ。ここにいる限り家賃はかからないし、わざわざ狭い賃貸に引っ越したいとも思わなかった。
メーターの回りきったポンコツを、駐車場と呼ぶにはおこがましい、ただの荒地に停める。ドアを開けるとブーン、と虫の羽音が聞こえたので、慌ててドアを閉めてそれをやり過ごす。
田舎とはいえ買い物は仕事帰りにすれば済むし、車があればどうとでもなる。難点は仕事上がりに酒を飲めないことと、虫が多いことくらいか。
ようやくたどり着いた我が家でまず行ったのは、スマホの充電だった。メリッサが逃げるように消えてから、その後どうなったのかが気になった。それに、エーオースからメールが来ているかもしれない。
充電器に繋いでしばらくの後、思い出したかのようにピコン、とランプが点滅した。飢餓状態から回復し、ようやく通常状態に戻ったスマホを開けば、メールが来ていた。
『骨の監査結果が出た。サンプルの返却と報告をしたいのだが、いつなら空いているか?』
木村馨からの連絡を期待していた私は、がっくりと肩を落としてしまった。いや、加賀見先生からの連絡を待ち望んではいたのだが、あの赤ら顔を思い出すと同時に、彼に指定されたこの仕事に対する報酬を思い出してしまった。
ああ、どうやって小野さんとの合コンだなんてセッティングすればいいのだろう。
よほど、かの遺骨の身元や死因を特定するより難しいことのように思えた。
『では、明日はいかがですか』
小野さんとの約束などちっとも取り付けていないけれど、早いところ遺骨を回収しておきたかったのもある。この週末、予定らしい予定もない私は、気を急いてそう返す。
『申し訳ないが、土曜は予定がある。それに、小野嬢との約束は取り付けていただけたか?』
まるで見透かされているようだった。思わず舌打ちが出た。というか、あの男。あのなりで休日になんの予定があるっていうんだ。どうせ家でDVDでも見てるだけだろ?
どう返そうか悩み、そのまま光る画面をそっと畳の上に戻す。ネクタイをほどき、ジャケットをハンガーに掛ける。箪笥から取り出したスエットに着替えて再びスマホを手に取れば、待ち人からの連絡が来ていた。
『今日は、お仕事中に申し訳ありませんでした。結局、メリッサから何も聞き出すこともできなかったし……。ですがこのまま、もう少しEoBの中でアリスタイオスの手がかりを探してみようと思います』
殊勝な言葉が画面には連なっている。消えた恋人を探す彼女。その想い人は、もう死んでいるかもしれないというのに。
一体、彼女はどんな気持ちで私の元を訪れたのだろう。普通なら、蜂蜜と共に見つかった遺体が恋人だなんて、思いたくなどないはずだ。いくら探しても見つからなくて、いよいよどうしようもなくて来るところなんじゃないだろうか、身元不明遺体の相談所だなんて。
ふと、安藤相手に語った自分の言葉を思い出す。やはり、蜂蜜男を殺したのは、彼女なのではないか。彼が死んでいると知っているから彼女は現れた。なにせ殺したのは自分だ――。
でも、そんなことする意味あります?
私の中で、安藤が頬を膨らませて言っている。意味?意味はあるはずだ。例えば、自分を容疑から外すためだとか。
冷蔵庫から発泡酒を取り出し、甲府駅で買った弁当をアテに一本開ける。一息ついたところで、程よく酔いが回ってきた。私の頭の中で、なぜか小野さんが私を責める。なぜあなたは、必死な彼女を犯人に仕立てようとするの?
それは、だって――。
脳内で言い訳をしようとしたところで、ブゥゥゥン、と振動音が耳に入った。思わず手を振り払ったが、室内に入り込んだ虫ではなくスマホのバイブ音だったことに気が付き、一人私は笑ってしまった。どうやら、思った以上に酔いが回っているらしい。
私を驚かせた犯人は、せっかちな加賀見先生だった。返事の遅い私にしびれを切らしたのだろう、そこにはありがたい内容が書かれていた。
『骨に付着した肉片から、グラヤノトキシンが見つかった。あと、肋骨に傷がある』
グラヤノトキシン、と言われても私にはさっぱりわからない。が、先生が言うからには、なにか事件の糸口となるものなのだろう。それよりも気になったのは、骨に傷がある、ということだ。慌ててメールを返す。
『それは、どう言う事ですか?』
『小野嬢との約束をこじつけるまでに、自分の頭で考えてみたまえ、リンドウ刑事』
キザったらしいしぐさで、加賀見氏が言うのが画面越しに見えた。やはり、見透かされている。恐らくこの様子では、小野さんと引き合わせるまで遺骨は返してもらえそうにない。というか、あんなもの。持っていて気分のいい物でもあるまいし。
明日、安藤に相談してみよう。それぐらいしか解決策は思いつかなかった。そして、私はこの新たな事実をどう受け止とめたものかと思案する。先生が見つけた骨の傷。
私が名刑事でなくてもわかる簡単なことだ。小野さんと先生の会合を待つまでもない。
蜂蜜男は、何者かに刺されたのだ。心臓を狙う鋭い刃から守ろうと、その切っ先を真向に受けた肋骨。だがそのディフェンスは不十分で、死の使者は彼の命を奪って行ってしまった。
刺殺。新たな可能性に、私の胸が騒いだ。鋭い刃を心臓に突き立てたものがいる。そのことが明らかになってしまった。
犯人は、そいつに他ならない。
窓を開けて、荒れ果てた庭を見る。月光の元ではかなげに咲く花々に水をやりながら、私は化粧気のない木村馨の横顔を思い出していた。
なにも好き好んでこんな場所に家を建てたわけではない。親が買った土地を引き継ぐものがおらず、私も売り払うのを億劫がって、惰性で住んでいるだけだ。ここにいる限り家賃はかからないし、わざわざ狭い賃貸に引っ越したいとも思わなかった。
メーターの回りきったポンコツを、駐車場と呼ぶにはおこがましい、ただの荒地に停める。ドアを開けるとブーン、と虫の羽音が聞こえたので、慌ててドアを閉めてそれをやり過ごす。
田舎とはいえ買い物は仕事帰りにすれば済むし、車があればどうとでもなる。難点は仕事上がりに酒を飲めないことと、虫が多いことくらいか。
ようやくたどり着いた我が家でまず行ったのは、スマホの充電だった。メリッサが逃げるように消えてから、その後どうなったのかが気になった。それに、エーオースからメールが来ているかもしれない。
充電器に繋いでしばらくの後、思い出したかのようにピコン、とランプが点滅した。飢餓状態から回復し、ようやく通常状態に戻ったスマホを開けば、メールが来ていた。
『骨の監査結果が出た。サンプルの返却と報告をしたいのだが、いつなら空いているか?』
木村馨からの連絡を期待していた私は、がっくりと肩を落としてしまった。いや、加賀見先生からの連絡を待ち望んではいたのだが、あの赤ら顔を思い出すと同時に、彼に指定されたこの仕事に対する報酬を思い出してしまった。
ああ、どうやって小野さんとの合コンだなんてセッティングすればいいのだろう。
よほど、かの遺骨の身元や死因を特定するより難しいことのように思えた。
『では、明日はいかがですか』
小野さんとの約束などちっとも取り付けていないけれど、早いところ遺骨を回収しておきたかったのもある。この週末、予定らしい予定もない私は、気を急いてそう返す。
『申し訳ないが、土曜は予定がある。それに、小野嬢との約束は取り付けていただけたか?』
まるで見透かされているようだった。思わず舌打ちが出た。というか、あの男。あのなりで休日になんの予定があるっていうんだ。どうせ家でDVDでも見てるだけだろ?
どう返そうか悩み、そのまま光る画面をそっと畳の上に戻す。ネクタイをほどき、ジャケットをハンガーに掛ける。箪笥から取り出したスエットに着替えて再びスマホを手に取れば、待ち人からの連絡が来ていた。
『今日は、お仕事中に申し訳ありませんでした。結局、メリッサから何も聞き出すこともできなかったし……。ですがこのまま、もう少しEoBの中でアリスタイオスの手がかりを探してみようと思います』
殊勝な言葉が画面には連なっている。消えた恋人を探す彼女。その想い人は、もう死んでいるかもしれないというのに。
一体、彼女はどんな気持ちで私の元を訪れたのだろう。普通なら、蜂蜜と共に見つかった遺体が恋人だなんて、思いたくなどないはずだ。いくら探しても見つからなくて、いよいよどうしようもなくて来るところなんじゃないだろうか、身元不明遺体の相談所だなんて。
ふと、安藤相手に語った自分の言葉を思い出す。やはり、蜂蜜男を殺したのは、彼女なのではないか。彼が死んでいると知っているから彼女は現れた。なにせ殺したのは自分だ――。
でも、そんなことする意味あります?
私の中で、安藤が頬を膨らませて言っている。意味?意味はあるはずだ。例えば、自分を容疑から外すためだとか。
冷蔵庫から発泡酒を取り出し、甲府駅で買った弁当をアテに一本開ける。一息ついたところで、程よく酔いが回ってきた。私の頭の中で、なぜか小野さんが私を責める。なぜあなたは、必死な彼女を犯人に仕立てようとするの?
それは、だって――。
脳内で言い訳をしようとしたところで、ブゥゥゥン、と振動音が耳に入った。思わず手を振り払ったが、室内に入り込んだ虫ではなくスマホのバイブ音だったことに気が付き、一人私は笑ってしまった。どうやら、思った以上に酔いが回っているらしい。
私を驚かせた犯人は、せっかちな加賀見先生だった。返事の遅い私にしびれを切らしたのだろう、そこにはありがたい内容が書かれていた。
『骨に付着した肉片から、グラヤノトキシンが見つかった。あと、肋骨に傷がある』
グラヤノトキシン、と言われても私にはさっぱりわからない。が、先生が言うからには、なにか事件の糸口となるものなのだろう。それよりも気になったのは、骨に傷がある、ということだ。慌ててメールを返す。
『それは、どう言う事ですか?』
『小野嬢との約束をこじつけるまでに、自分の頭で考えてみたまえ、リンドウ刑事』
キザったらしいしぐさで、加賀見氏が言うのが画面越しに見えた。やはり、見透かされている。恐らくこの様子では、小野さんと引き合わせるまで遺骨は返してもらえそうにない。というか、あんなもの。持っていて気分のいい物でもあるまいし。
明日、安藤に相談してみよう。それぐらいしか解決策は思いつかなかった。そして、私はこの新たな事実をどう受け止とめたものかと思案する。先生が見つけた骨の傷。
私が名刑事でなくてもわかる簡単なことだ。小野さんと先生の会合を待つまでもない。
蜂蜜男は、何者かに刺されたのだ。心臓を狙う鋭い刃から守ろうと、その切っ先を真向に受けた肋骨。だがそのディフェンスは不十分で、死の使者は彼の命を奪って行ってしまった。
刺殺。新たな可能性に、私の胸が騒いだ。鋭い刃を心臓に突き立てたものがいる。そのことが明らかになってしまった。
犯人は、そいつに他ならない。
窓を開けて、荒れ果てた庭を見る。月光の元ではかなげに咲く花々に水をやりながら、私は化粧気のない木村馨の横顔を思い出していた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
The story is set in this country
Auguste
ミステリー
連続猟奇的殺人事件、通称Splatter Museum。
世間を震撼させたこの事件から、12年の時が過ぎた。
今日本では、この事件に魅了された犯罪者達が、猟奇的事件を起こしている。
ある日、家のテレビや大型ビジョンが電波ジャックされた。
画面に映る謎の人物が、日本国民に告げた。
「皆様、はじめまして」
「私の名前はアラン・スミシー」
「映画監督です」
「私は映画を撮りたい」
「より過激で、リアリティのある、素晴らしい映画を……」
「舞台はこの日本。キャストはもちろん………」
「あなた達です」
白い布で顔を覆い、?マークが塗られた黒のレザーマスクを口元に付けた謎の人物、アラン・スミシー。
彼の考えたシナリオが、日本国民を狂気に陥れる。
マリーゴールド続編
日本全体を舞台にした、新たなサイコサスペンス。
ここに開幕!
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
アクトコーナー
乱 江梨
ミステリー
神坂透巳、一五歳。成績優秀、スポーツ万能。高いスペックを持っているが、世間一般からすれば普通の男子高校生。
――誰もが最初はそう思っていた。でも一人、一人と。少しずつ、何かがおかしいことに気づき始める。まるで全てが彼の掌の上で転がされている様な。彼は一体何者なのか?何が目的なのか?
これは、彼が一体どんな人間を演じ続けているのか。見届ける物語だ。
~第一章のあらすじ~
青ノ宮学園。神坂透巳が特待生として入学したこの学園は控えめに言っておかしかった。苛めが頻発し、教師はそれを見て見ぬふり。だがそんな学園にも、この状況を変えようと奮起する生徒たちがいた。その生徒たちは〝F組〟というチームを作り、学園が狂い始めた原因を探っていた。
F組のリーダー、暁明日歌に出会った神坂透巳は学園の秘密に迫ることになり――。
~最新最終章のあらすじ~
木藤友里の居所、何故彼女は今まで見つからなかったのか。そして透巳の思惑とは?全ての謎が明らかになる最終章がスタート!
明日歌たちが卒業し、透巳たちが進路について考えなければならない時期がやってきた。そんな中、透巳はとある連続殺人事件に関わることになるが、その事件の容疑者として浮上したのは、指名手配中の木藤友里であった。
気に入って下さった方は是非お気に入り登録、感想等お願いいたします。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
前世は婚約者に浮気された挙げ句、殺された子爵令嬢です。ところでお父様、私の顔に見覚えはございませんか?
柚木崎 史乃
ファンタジー
子爵令嬢マージョリー・フローレスは、婚約者である公爵令息ギュスターヴ・クロフォードに婚約破棄を告げられた。
理由は、彼がマージョリーよりも愛する相手を見つけたからだという。
「ならば、仕方がない」と諦めて身を引こうとした矢先。マージョリーは突然、何者かの手によって階段から突き落とされ死んでしまう。
だが、マージョリーは今際の際に見てしまった。
ニヤリとほくそ笑むギュスターヴが、自分に『真実』を告げてその場から立ち去るところを。
マージョリーは、心に誓った。「必ず、生まれ変わってこの無念を晴らしてやる」と。
そして、気づけばマージョリーはクロフォード公爵家の長女アメリアとして転生していたのだった。
「今世は復讐のためだけに生きよう」と決心していたアメリアだったが、ひょんなことから居場所を見つけてしまう。
──もう二度と、自分に幸せなんて訪れないと思っていたのに。
その一方で、アメリアは成長するにつれて自分の顔が段々と前世の自分に近づいてきていることに気づかされる。
けれど、それには思いも寄らない理由があって……?
信頼していた相手に裏切られ殺された令嬢は今世で人の温かさや愛情を知り、過去と決別するために奔走する──。
※本作品は商業化され、小説配信アプリ「Read2N」にて連載配信されております。そのため、配信されているものとは内容が異なるのでご了承下さい。
仮面夫婦の愛息子
daru
ミステリー
ウェップ家の侯爵夫妻は誰もが羨むおしどり夫婦。しかし実態は、互いに暗殺を試みる仮面夫婦だった。
ある日、侯爵夫人の生誕パーティーで、夫、侯爵のエドウィン・ウェップが毒を飲んで倒れてしまった。
犯人は誰か。目的は何なのか。
それぞれの思いを各視点で語る中編小説。
※ミステリーカテにしておりますが、そこまでミステリー感はありません。ヒューマンドラマかな?書いてる私もカテゴリ迷子です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる