悪い冗談

鷲野ユキ

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ランチタイム

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 彼女の熱意に押されたわけではない。蜂蜜だけじゃ、手がかりにしては弱すぎる。

 だがよりによってあの遺体を『殺した』女が、その身元を知りたがっているのだ。なんと不可解なことだろう。殺したのはゲーム内での話だというが、どこまでが本当か。

 あの女は、自分で殺しておきながら、さも彼が自殺した、と思わせるために私の前に現れたのではないか。

「そんなことするメリット、あると思います?」

 私の向かいには、呆れた表情を浮かべる安藤。その手にはカロリーメイト。

「心配だったんじゃないのか?」

 私は、ズルズルとカップ麺をすすりながら答えた。

「自分が殺した人間がどう処理されるか。気にならない殺人犯はいないだろ」
「犯人は現場に戻ってくる、とかいうアレですか?」
「そうだ」
「先輩、ドラマの見すぎじゃないんですか?」
「悪いか。俺はドラマが好きで、こんなとこに勤める羽目になったんだ」

 スープまで飲み干して、私はカップをテーブルに置く。こつん、と軽い音を立てるのを見て、「塩分摂りすぎ」とたしなめられる。

「明日が健康診断なの、忘れてません?」
「今さら何も変わらないだろ」
「変わりますよぉ。ほら今年って、一日多いじゃないですか」

 確かに今年の二月は、例年より一日多く働かされた。

「その分食べちゃってるから、体重が増えてないかどうか心配で心配で」
「一日くらい。今更大して変わらないだろ」

 ふてくされて、安藤がカロリーメイトの残りを口の中に放りこんだ。

「けれどまあ、自分が殺した相手の身元を調べてくれ、というのも妙な話だ」

 薄汚れた照明を見つめて、私は考える。

「むしろ彼女は、あの遺体が何者かによって殺されたことを知っていて、それを明るみに出したくて来たのかもしれないぞ」
「殺されたことを知っている?自分も殺人に加担した、ってことですか?」
「あるいは、彼女は実は犯人を知っている。けれど自分が告発すれば、自分だって疑われかねない」
「だからこうして、行方不明の恋人を探すふりをして、ここを訪れた。……ミステリドラマだったら、発想が飛躍しすぎてて続きを見たいとは思いませんね」

 すでに私との会話に飽きたのか、安藤はiPhoneを弄りながら上の空で答えた。

「どうせ俺には、脚本家みたいな才能はないんだろうな」
 力任せに割り箸を折って、空の容器に投げ込む。ついでに鼻をかんだティッシュも詰め込んで、きちんと蓋をする。

「やはり、あれが他殺だっていうのを証明したいんだよな」
「そもそもそれ、本当に他殺なんですか?」

 目線はしっかり小さな端末に落としたまま、安藤が疑いの声をあげた。一応、聞いていてはくれたらしい。

「いつもの、やたらと事件にしたがる癖じゃなくて?」
「失礼だな」

 私が本当は刑事になりたかったことを、なぜだか知らないが署内のほとんどの人間が知っている。私はそのことを漏らしたつもりはない。あるいは一介の事務員がやたらと事件だと騒ぐので、そんな噂が立ってしまったのかもしれない。腹立たしい限りだ。

「他殺だって先輩が騒いでるのは、手足をガムテープで縛られてたからって理由だけでしょう」
「充分じゃないか」
「苦しくなって助かろうとしないために、自分で縛った可能性だってあるでしょう?ガムテープでなら、自分で自分の腕を縛るのもできると思いますけど。口とか使って」

 安藤も、笹塚課長みたいなことを言いやがって。

「そうかもしれんが…」けれど反論する私の声は小さくなる。「でも、そいつを殺したって言ってる人間が現れたんだぞ。こんな偶然あるか?」

 そうだ。彼女さえ現れなければ。私だって、長いものに巻かれていただろう。そのほうが私も楽だ、自分の属する組織に不審を抱きながらも、言われた通りに処理して終わりだったはずだ。

「とにかく、自殺か他殺かだけでも明らかにできれば」

 我らが警察は、あの遺体を司法解剖に回さなかった。ここが都内だったならば。私はすぐ、ifの世界を妄想してしまう。

 少しでも不審点があれば、監察医に診てもらえたのかもしれないというのに。

 昔ある殺人者が言っていた。樹海は殺した相手を捨てるのにちょうどいい、と。ちょっと細工してやれば、自殺と思って処理してくれる。
 ずいぶんと甘く見られたものだと思ったが、実際そうなのだから仕方がない。

「監察医じゃないけど、そういうのに詳しい人、私知ってますよ」

 安藤が、小さな画面から顔を上げた。

「合コンで知り合ったんです。なんか、いろいろ検査する人」
「検査?検査くらいなら笹塚課長だって出来るだろ。トイレやエレベーターの検査」
「それは検査じゃなくて点検。病院で働いてるらしいんですけど」
「医者なのか?」
「うーん、どうなんだろ。遺体の検査もするって言ってたから、そうなんじゃないですか」

 もしかしたら、事件性のある遺体を解剖する、どこぞの大学病院の先生なのだろうか。

「お医者さんとの合コンだって言われたし」
「ふーん。お前、一丁前に医者との合コンなんか行ったのか?」
「別に、好き好んで行ったわけじゃないですよ。小野さんに誘われて、渋々」
「渋々だなんて。誘ってもらっただけありがたいじゃないか」

 私なんて、誘ってくれる人さえいない。

「しかしなんでまた、小野さんがお前なんて呼んだんだ?」
「引き立て役に呼んだんですよ」
「引き立て役?小野さんが?」
「そうですよ」
「別に引き立てたりなんかしなくても、彼女は充分かわいいじゃないか」

 現に、かわいくてちょっと抜けてる彼女は、県警内のアイドルだ。こわもての刑事たちも、彼女の前では腑抜けになる。

「先輩は騙されてるんですよ、あの人に。自分が一番チヤホヤしてもらうために、手段を選ばないんですから」
「全部、安藤の被害妄想なんじゃないのか」

 小野さんの人間性を説けるほど、私は彼女と親しくはない。だがどちらかと言うと、そんなことしてほしくない、という私の理想の方が勝った。

 デスクに常設してあるウェットティッシュを取り出し、安藤の言う「小野像」を消すかのように机上を拭いた。

「お前に、いい出会いを授けるために呼んでくれたんじゃないか」

 言うならば小野さんは、安藤の愛のキューピットだ。

「いい出会い?」
「その、付き合うことになったんだろ?」
「まさか。加賀見さんとは、残り物同士でちょっと仲良くなっただけです」

テーブルを執拗に拭く私の手が止まった。「なんだ、彼氏じゃないのか」
「冗談。あんなの、こっちから願い下げですよ」

 どの顔で偉そうに、と言いかけたが、彼女の告訴リストの影に怯えて私は口を閉じた。

「しかし、医者なのに売れ残るなんてこともあるんだな」

 その肩書さえあれば、どんな醜男だってモテるものだと思っていた。私だって本物の刑事だったら、少しは違かったかもしれない。

「ほら、遺体の検査ってのがアレじゃないですか。気持ち悪いって言うか。でも、今回の件にうってつけじゃないですか」
「そうだな」
「先輩が刑事ごっこしたいなら、私は止めません。私だって本当は、こんなことがしたくて、ここに入ったわけじゃないし」

 カフェラテを飲みながら、安藤が漏らす。

「でも、本職の人に怒られても知りませんから」
「大丈夫、少なくとも小野さんは怒らないさ」
「だから、見た目に騙されちゃダメですよ、先輩」
「単にお前がひがんでるだけだろ」
「とりあえず、加賀見さんは変な人ですけど悪い人じゃないと思います。良かったら連絡してみてください。多分、気が合うと思うから」

 渡されたのは、くまのプーさんのメモ帳。『熊ってのはみんな蜂蜜が好きなのか?』そう人々に思わせる原因のキャラクターが描かれている。
 そこに、意外と言ってはなんだが、安藤の書いたきれいな文字が整列している。

「だが、もう骨しか残ってないんだぞ」

 とぼけた表情の黄熊を睨んで、私は漏らした。

「今更何かわかるのか?」
「さあ。でも、まだ骨があるだけいいじゃないですか。急がないと、市役所に持ってかれて合同葬されちゃいますよ」

 引き上げられた遺留品と遺骨のデータ化はすでに終えている。発見した警察側としては、身元不明の遺骨にもう興味はない。さっさと市でも県にでも押し付けて処理してもらいたいところだが、その手続きを遅らせているのが私だ。

 だが、あまり長く置いておくと、物が物ゆえに怒られる可能性がある。

「骨を持ち出して、その人に見せてみろって言うのか」
「やだ、そんなことしたら怒られますよ」

 安藤のやつは、澄ました顔をしている。「私が唆したみたいな言い方、やめてもらえません?」

 実際唆しておいて何を言う。

「私はあくまでも、詳しそうな人を紹介しただけですから。それとも先輩、他に調べてくれそうな人に心当たりあるんですか?」
「いや、ない」

 課長にあの女のことを相談したところで、聞き流されて終わりだ。正規の手段で遺骨を検分してもらえるとも思えない。ここで私が諦めたら、あの遺体の事実は永遠にわからない。

 正義の為なら、多少の不正は仕方あるまい。私の中の天秤が大きく傾く。

 なに、物は試しだ。私はスマホを取り出すと、そのアドレス宛てにメールを送った。
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