3 / 49
相談室の来客
しおりを挟む
カチリ。灰色の部屋に、マウスのクリック音だけが響く。
『kinokoyori‐inoti.pdf』のファイルをホームページにアップロードする。きちんとインターネット上に表示されることを確認し、私は眼鏡を外して目薬をさす。
キノコより命が大事。
そんな書き出しで始まるPDFファイルは、生活安全課からの要請があって急いで作らされたものだ。
山を有する県警のホームページに、キノコ狩りに関する注意事項がないのはいかほどか、と、山岳警備に熱心な長野だかどこだかの隊長殿からお叱りを受けたらしい。
なぜ、そのしわ寄せが私に来るのかは不明だが。
いつもそんな役回りばかりだ。私はこんなことがしたくて、この職を選んだのだろうか。眉間を思わず押さえたところで、ドアをノックする音が相談室に響いた。
「どうぞ」
「身元不明者のホームページを見ていらしたそうなんですが」
そう言ってドアを開けたのは安藤だった。「話が話ですし、受付で対応するよりこちらで直接お話しされた方がいいかと」
山梨県警のホームページ作成や、備品や落とし物の管理など雑務一般を請け負っているこの部に、なぜ「相談室」などという名が付いているのか。
それは、この部のメイン業務が『身元不明者に関する情報を収集する事』だからだ。
青木ヶ原樹海を擁する山梨県警において、本来その役割を担うはずの生活安全課が警察行政職員である我々、いわゆる事務方に丸投げした結果こうなってしまった。
「小野さんは?」
聞き返す私に、露骨に嫌そうな顔をして安藤が答える。
「ちょうど今、防犯教室で小学校に行ってて」
「わかった」
ならば仕方あるまい。話を聞くだけなら事務方の私でも充分だろう。むしろ私の方が、身元不明者に関しては詳しいかもしれない。
青木ヶ原樹海で見つかった、身元の特定出来なかった遺体の特徴をホームページに上げるのが私のもっぱらの仕事だ。というか、他にやる人間もおらず、渋々私が引き受けている。
裏方の地味な仕事ばかりで飽き飽きしていたのもある。つい先日、怪しげな遺体の情報をアップしたばかりなのもあって、私は内心、不謹慎ながらも突然の訪問者に興味を覚えていた。今まで座っていたデスクの上を片し、慌てて椅子を用意する。
「では、こちらに」
安藤の後ろに付いてきたのは、三十代くらいの女性だった。部屋の暗さのせいもあるのかもしれない。きちんと手入れをすれば美人だろう、という面影ではあったが、化粧気もなく艶のない顔色で、目の下のほくろばかりが目立っている。
「じゃあ、お願いしますね」
パタリ、と安藤がドアを閉める。狭い相談室には私と女性が残された。
「今日は、どうされましたか?」
いつもは課長専用のポットから茶を注ぎ、彼女の前に置く。課長は署内のトイレが詰まっただか何だかで、そちらの整備に回されている。
もともと機械関連の技術職で入ってきた人らしいのだが、そう広くない署内でそんなに頻繁に点検をするようなこともなく、仕事にあぶれて相談室の課長という椅子に収まっている。
まあ、いてもいなくても一緒だが。
「ホームページを見たんです」
「ああ、山梨県警の?」
「警視庁のホームページのリンクから」
彼女の対面に座り、そう言えばと胸元から名刺入れを取り出して彼女の前に置く。滅多に使わないが、警察手帳のない我々の、唯一身分を示すものが名刺だ。
ちらり、とそれに視線を向けると、彼女はぽつりと呟いた。
「なんで、『スパロウホーク』なんですか?」
「は?」
「受付のおばさんが、さっきの女の人に『スパロウホークのとこに連れてけ』って言ってたから」
「ああ……」
どうやら安藤は主事に指示されて、私のところに彼女を連れてきたらしい。
畜生、あのババアまで私のことをあだ名で呼び始めやって。内心毒づく。
「その、いろいろあって」
くだらないあだ名の由来についていちいち説明する気も起きず、私はあいまいに唇の端を上げた。
「でも、なんだかカッコいいですね。頼りになる刑事さん、って感じ」
艶のなかった顔に、わずかに笑顔が浮かぶ。せっかく明るさを取り戻したところに申し訳ないが、私は彼女が思うような人間ではない。
「いえ。私は、刑事ではないんです」
「違うんですか?」
警察署にいるんだから刑事。まあ、そう思うのも無理はない。現に私だって、そう見えたらいいと思って、現職に就いている節もある。
「私は事務の人間なんです。総務とか、広報とか。そういう雑務を受けている、ただの公務員なんです」
「それって、何かで見たことある。刑事さんの人事権とか持ってて、結構偉い人なんでしょう?」
それは警務部のことだろう。入るまで私も混同していた。同じく業務は総務や人事だが、彼らはあくまで警察官だ。
その点私は違う。警察行政職員。県庁や市役所で働いている公務員の勤め先が、警察署なだけだ。だが、この違いを説明するのは難しい。というより面倒だ。私はあっさりとそれを諦めると、
「それより、ホームページを見られたということは、身元不明者の方に心当たりが?」
と話を強引に進める。すると彼女は顔に浮かべた光を失い、
「この、一番最近に見つかった人なんですが」
とスマホの画面を私に見せ、途端に沈んだ表情を浮かべた。
「この人。私の、恋人かもしれないんです」
見せられたのは、つい先日私がアップした情報だった。所持品は、ガムテープ、紺色のリュックサック、白のスニーカー、ポロシャツ、白の帽子にこげ茶のスラックス。
それと、瓶詰の蜂蜜。
他殺と思しき自殺遺体。一瞬にして体温が上がったのがわかった。
「恋人?その、行方が分からないんですか?」
「はい」
恋人で行方不明。だが、良くあるパターンだ。沸き立つ血流をなだめてやる。
所詮は恋人。そして大体が、単に別れるのも面倒になって音信不通になった相手を、行方不明だ、失踪だ、殺されたんだだのと騒ぐだけのことが多い。消えた恋人も、この女に嫌気が差して逃げ出したのかもしれない。
なに、ちょっと探せば見つかるだろう。きっとそうに違いない。急速に身体の中の溶岩が冷え固まっていくのを感じる。とりあえず、その恋人とやらの名前を聞いておく。あとは本職の警察官に回しておけばいいだろう。本気で探してくれるとも思えなかったが。
「で、その方のお名前は?」
「わからないんです」
「わからない?」
そう聞き返す私の顔は、さぞかし間の抜けた顔をしていたに違いない。
「名前も分からないのに、恋人?」
「オンラインゲームで出会った人なんです。デートもゲーム内でしてましたから。本名は知りません。アバタ―の名前は、アリスタイオス」
『kinokoyori‐inoti.pdf』のファイルをホームページにアップロードする。きちんとインターネット上に表示されることを確認し、私は眼鏡を外して目薬をさす。
キノコより命が大事。
そんな書き出しで始まるPDFファイルは、生活安全課からの要請があって急いで作らされたものだ。
山を有する県警のホームページに、キノコ狩りに関する注意事項がないのはいかほどか、と、山岳警備に熱心な長野だかどこだかの隊長殿からお叱りを受けたらしい。
なぜ、そのしわ寄せが私に来るのかは不明だが。
いつもそんな役回りばかりだ。私はこんなことがしたくて、この職を選んだのだろうか。眉間を思わず押さえたところで、ドアをノックする音が相談室に響いた。
「どうぞ」
「身元不明者のホームページを見ていらしたそうなんですが」
そう言ってドアを開けたのは安藤だった。「話が話ですし、受付で対応するよりこちらで直接お話しされた方がいいかと」
山梨県警のホームページ作成や、備品や落とし物の管理など雑務一般を請け負っているこの部に、なぜ「相談室」などという名が付いているのか。
それは、この部のメイン業務が『身元不明者に関する情報を収集する事』だからだ。
青木ヶ原樹海を擁する山梨県警において、本来その役割を担うはずの生活安全課が警察行政職員である我々、いわゆる事務方に丸投げした結果こうなってしまった。
「小野さんは?」
聞き返す私に、露骨に嫌そうな顔をして安藤が答える。
「ちょうど今、防犯教室で小学校に行ってて」
「わかった」
ならば仕方あるまい。話を聞くだけなら事務方の私でも充分だろう。むしろ私の方が、身元不明者に関しては詳しいかもしれない。
青木ヶ原樹海で見つかった、身元の特定出来なかった遺体の特徴をホームページに上げるのが私のもっぱらの仕事だ。というか、他にやる人間もおらず、渋々私が引き受けている。
裏方の地味な仕事ばかりで飽き飽きしていたのもある。つい先日、怪しげな遺体の情報をアップしたばかりなのもあって、私は内心、不謹慎ながらも突然の訪問者に興味を覚えていた。今まで座っていたデスクの上を片し、慌てて椅子を用意する。
「では、こちらに」
安藤の後ろに付いてきたのは、三十代くらいの女性だった。部屋の暗さのせいもあるのかもしれない。きちんと手入れをすれば美人だろう、という面影ではあったが、化粧気もなく艶のない顔色で、目の下のほくろばかりが目立っている。
「じゃあ、お願いしますね」
パタリ、と安藤がドアを閉める。狭い相談室には私と女性が残された。
「今日は、どうされましたか?」
いつもは課長専用のポットから茶を注ぎ、彼女の前に置く。課長は署内のトイレが詰まっただか何だかで、そちらの整備に回されている。
もともと機械関連の技術職で入ってきた人らしいのだが、そう広くない署内でそんなに頻繁に点検をするようなこともなく、仕事にあぶれて相談室の課長という椅子に収まっている。
まあ、いてもいなくても一緒だが。
「ホームページを見たんです」
「ああ、山梨県警の?」
「警視庁のホームページのリンクから」
彼女の対面に座り、そう言えばと胸元から名刺入れを取り出して彼女の前に置く。滅多に使わないが、警察手帳のない我々の、唯一身分を示すものが名刺だ。
ちらり、とそれに視線を向けると、彼女はぽつりと呟いた。
「なんで、『スパロウホーク』なんですか?」
「は?」
「受付のおばさんが、さっきの女の人に『スパロウホークのとこに連れてけ』って言ってたから」
「ああ……」
どうやら安藤は主事に指示されて、私のところに彼女を連れてきたらしい。
畜生、あのババアまで私のことをあだ名で呼び始めやって。内心毒づく。
「その、いろいろあって」
くだらないあだ名の由来についていちいち説明する気も起きず、私はあいまいに唇の端を上げた。
「でも、なんだかカッコいいですね。頼りになる刑事さん、って感じ」
艶のなかった顔に、わずかに笑顔が浮かぶ。せっかく明るさを取り戻したところに申し訳ないが、私は彼女が思うような人間ではない。
「いえ。私は、刑事ではないんです」
「違うんですか?」
警察署にいるんだから刑事。まあ、そう思うのも無理はない。現に私だって、そう見えたらいいと思って、現職に就いている節もある。
「私は事務の人間なんです。総務とか、広報とか。そういう雑務を受けている、ただの公務員なんです」
「それって、何かで見たことある。刑事さんの人事権とか持ってて、結構偉い人なんでしょう?」
それは警務部のことだろう。入るまで私も混同していた。同じく業務は総務や人事だが、彼らはあくまで警察官だ。
その点私は違う。警察行政職員。県庁や市役所で働いている公務員の勤め先が、警察署なだけだ。だが、この違いを説明するのは難しい。というより面倒だ。私はあっさりとそれを諦めると、
「それより、ホームページを見られたということは、身元不明者の方に心当たりが?」
と話を強引に進める。すると彼女は顔に浮かべた光を失い、
「この、一番最近に見つかった人なんですが」
とスマホの画面を私に見せ、途端に沈んだ表情を浮かべた。
「この人。私の、恋人かもしれないんです」
見せられたのは、つい先日私がアップした情報だった。所持品は、ガムテープ、紺色のリュックサック、白のスニーカー、ポロシャツ、白の帽子にこげ茶のスラックス。
それと、瓶詰の蜂蜜。
他殺と思しき自殺遺体。一瞬にして体温が上がったのがわかった。
「恋人?その、行方が分からないんですか?」
「はい」
恋人で行方不明。だが、良くあるパターンだ。沸き立つ血流をなだめてやる。
所詮は恋人。そして大体が、単に別れるのも面倒になって音信不通になった相手を、行方不明だ、失踪だ、殺されたんだだのと騒ぐだけのことが多い。消えた恋人も、この女に嫌気が差して逃げ出したのかもしれない。
なに、ちょっと探せば見つかるだろう。きっとそうに違いない。急速に身体の中の溶岩が冷え固まっていくのを感じる。とりあえず、その恋人とやらの名前を聞いておく。あとは本職の警察官に回しておけばいいだろう。本気で探してくれるとも思えなかったが。
「で、その方のお名前は?」
「わからないんです」
「わからない?」
そう聞き返す私の顔は、さぞかし間の抜けた顔をしていたに違いない。
「名前も分からないのに、恋人?」
「オンラインゲームで出会った人なんです。デートもゲーム内でしてましたから。本名は知りません。アバタ―の名前は、アリスタイオス」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
マクデブルクの半球
ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。
高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。
電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。
彼女が愛した彼は
朝飛
ミステリー
美しく妖艶な妻の朱海(あけみ)と幸せな結婚生活を送るはずだった真也(しんや)だが、ある時を堺に朱海が精神を病んでしまい、苦痛に満ちた結婚生活へと変わってしまった。
朱海が病んでしまった理由は何なのか。真相に迫ろうとする度に謎が深まり、、、。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
秘められた遺志
しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?
ビジョンゲーム
戸笠耕一
ミステリー
高校2年生の香西沙良は両親を死に追いやった真犯人JBの正体を掴むため、立てこもり事件を引き起こす。沙良は半年前に父義行と母雪絵をデパートからの帰り道で突っ込んできたトラックに巻き込まれて失っていた。沙良も背中に大きな火傷を負い復讐を決意した。見えない敵JBの正体を掴むため大切な友人を巻き込みながら、犠牲や後悔を背負いながら少女は備わっていた先を見通す力「ビジョン」を武器にJBに迫る。記憶と現実が織り交ざる頭脳ミステリーの行方は! SSシリーズ第一弾!
舞姫【中編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
そこには、三人を繋ぐ思いもかけない縁(えにし)が隠れていた。
剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われた。ストリップダンサーとしてのデビューを控える。
桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
亀岡
みちるの両親が亡くなった事故の事を調べている刑事。
津田(郡司)武
星児と保が追う謎多き男。
切り札にするつもりで拾った少女は、彼らにとっての急所となる。
大人になった少女の背中には、羽根が生える。
与り知らないところで生まれた禍根の渦に三人は巻き込まれていく。
彼らの行く手に待つものは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる