悪い冗談

鷲野ユキ

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相談室の来客

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 カチリ。灰色の部屋に、マウスのクリック音だけが響く。
『kinokoyori‐inoti.pdf』のファイルをホームページにアップロードする。きちんとインターネット上に表示されることを確認し、私は眼鏡を外して目薬をさす。

 キノコより命が大事。

 そんな書き出しで始まるPDFファイルは、生活安全課からの要請があって急いで作らされたものだ。

 山を有する県警のホームページに、キノコ狩りに関する注意事項がないのはいかほどか、と、山岳警備に熱心な長野だかどこだかの隊長殿からお叱りを受けたらしい。

 なぜ、そのしわ寄せが私に来るのかは不明だが。

 いつもそんな役回りばかりだ。私はこんなことがしたくて、この職を選んだのだろうか。眉間を思わず押さえたところで、ドアをノックする音が相談室に響いた。

「どうぞ」
「身元不明者のホームページを見ていらしたそうなんですが」

 そう言ってドアを開けたのは安藤だった。「話が話ですし、受付で対応するよりこちらで直接お話しされた方がいいかと」

 山梨県警のホームページ作成や、備品や落とし物の管理など雑務一般を請け負っているこの部に、なぜ「相談室」などという名が付いているのか。

 それは、この部のメイン業務が『身元不明者に関する情報を収集する事』だからだ。

 青木ヶ原樹海を擁する山梨県警において、本来その役割を担うはずの生活安全課が警察行政職員である我々、いわゆる事務方に丸投げした結果こうなってしまった。

「小野さんは?」

 聞き返す私に、露骨に嫌そうな顔をして安藤が答える。

「ちょうど今、防犯教室で小学校に行ってて」
「わかった」

 ならば仕方あるまい。話を聞くだけなら事務方の私でも充分だろう。むしろ私の方が、身元不明者に関しては詳しいかもしれない。

 青木ヶ原樹海で見つかった、身元の特定出来なかった遺体の特徴をホームページに上げるのが私のもっぱらの仕事だ。というか、他にやる人間もおらず、渋々私が引き受けている。

 裏方の地味な仕事ばかりで飽き飽きしていたのもある。つい先日、怪しげな遺体の情報をアップしたばかりなのもあって、私は内心、不謹慎ながらも突然の訪問者に興味を覚えていた。今まで座っていたデスクの上を片し、慌てて椅子を用意する。

「では、こちらに」

 安藤の後ろに付いてきたのは、三十代くらいの女性だった。部屋の暗さのせいもあるのかもしれない。きちんと手入れをすれば美人だろう、という面影ではあったが、化粧気もなく艶のない顔色で、目の下のほくろばかりが目立っている。

「じゃあ、お願いしますね」

 パタリ、と安藤がドアを閉める。狭い相談室には私と女性が残された。

「今日は、どうされましたか?」

 いつもは課長専用のポットから茶を注ぎ、彼女の前に置く。課長は署内のトイレが詰まっただか何だかで、そちらの整備に回されている。
 もともと機械関連の技術職で入ってきた人らしいのだが、そう広くない署内でそんなに頻繁に点検をするようなこともなく、仕事にあぶれて相談室の課長という椅子に収まっている。

 まあ、いてもいなくても一緒だが。

「ホームページを見たんです」
「ああ、山梨県警の?」
「警視庁のホームページのリンクから」

 彼女の対面に座り、そう言えばと胸元から名刺入れを取り出して彼女の前に置く。滅多に使わないが、警察手帳のない我々の、唯一身分を示すものが名刺だ。

ちらり、とそれに視線を向けると、彼女はぽつりと呟いた。

「なんで、『スパロウホーク』なんですか?」
「は?」
「受付のおばさんが、さっきの女の人に『スパロウホークのとこに連れてけ』って言ってたから」
「ああ……」

 どうやら安藤は主事に指示されて、私のところに彼女を連れてきたらしい。
 畜生、あのババアまで私のことをあだ名で呼び始めやって。内心毒づく。

「その、いろいろあって」

 くだらないあだ名の由来についていちいち説明する気も起きず、私はあいまいに唇の端を上げた。

「でも、なんだかカッコいいですね。頼りになる刑事さん、って感じ」

 艶のなかった顔に、わずかに笑顔が浮かぶ。せっかく明るさを取り戻したところに申し訳ないが、私は彼女が思うような人間ではない。

「いえ。私は、刑事ではないんです」
「違うんですか?」

 警察署にいるんだから刑事。まあ、そう思うのも無理はない。現に私だって、そう見えたらいいと思って、現職に就いている節もある。

「私は事務の人間なんです。総務とか、広報とか。そういう雑務を受けている、ただの公務員なんです」
「それって、何かで見たことある。刑事さんの人事権とか持ってて、結構偉い人なんでしょう?」

 それは警務部のことだろう。入るまで私も混同していた。同じく業務は総務や人事だが、彼らはあくまで警察官だ。

 その点私は違う。警察行政職員。県庁や市役所で働いている公務員の勤め先が、警察署なだけだ。だが、この違いを説明するのは難しい。というより面倒だ。私はあっさりとそれを諦めると、

「それより、ホームページを見られたということは、身元不明者の方に心当たりが?」

 と話を強引に進める。すると彼女は顔に浮かべた光を失い、

「この、一番最近に見つかった人なんですが」

 とスマホの画面を私に見せ、途端に沈んだ表情を浮かべた。

「この人。私の、恋人かもしれないんです」

 見せられたのは、つい先日私がアップした情報だった。所持品は、ガムテープ、紺色のリュックサック、白のスニーカー、ポロシャツ、白の帽子にこげ茶のスラックス。

 それと、瓶詰の蜂蜜。

 他殺と思しき自殺遺体。一瞬にして体温が上がったのがわかった。

「恋人?その、行方が分からないんですか?」
「はい」

 恋人で行方不明。だが、良くあるパターンだ。沸き立つ血流をなだめてやる。

 所詮は恋人。そして大体が、単に別れるのも面倒になって音信不通になった相手を、行方不明だ、失踪だ、殺されたんだだのと騒ぐだけのことが多い。消えた恋人も、この女に嫌気が差して逃げ出したのかもしれない。

 なに、ちょっと探せば見つかるだろう。きっとそうに違いない。急速に身体の中の溶岩が冷え固まっていくのを感じる。とりあえず、その恋人とやらの名前を聞いておく。あとは本職の警察官に回しておけばいいだろう。本気で探してくれるとも思えなかったが。

「で、その方のお名前は?」
「わからないんです」
「わからない?」

 そう聞き返す私の顔は、さぞかし間の抜けた顔をしていたに違いない。

「名前も分からないのに、恋人?」
「オンラインゲームで出会った人なんです。デートもゲーム内でしてましたから。本名は知りません。アバタ―の名前は、アリスタイオス」
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