1964年の魔法使い

鷲野ユキ

文字の大きさ
上 下
101 / 101

1964.10.10 地上 2

しおりを挟む
 そこへ、警察車両より先に、ものすごいスピードでタクシーが向かってきた。タクシーは急ブレーキで英紀たちのもとで止まり、はじけたように扉が開く。出てきたのは順次郎だった。
「おお、真理亜!無事だったのか!」
 弾丸のように飛び出してきた順次郎が真理亜に抱きついた。まるで主の帰りを待ちわびていた犬の様だ。よろけながらも真理亜は父の背に手を伸ばし、抱擁する。
「お父様!」
「なんだかいろいろとあったようだが、とにかく無事でよかった」
 そう言って、感極まった順次郎に力の限り抱きしめられて、真理亜は息が出来なくなってしまった。
「ちょ、ちょっとお父様。苦しいわ!」
「おお、すまんすまん」
 慌てて父の抱擁から真理亜が抜け出すと、今度はその標的は菅野に向かったらしい。
「菅野君!すまなかった、犯人を捕まえてくれたそうじゃないか!疑ったりして申し訳ない!」
 と叫びながら、ひょろりとした菅野に抱きついた。やはりバランスを崩して、菅野がよろける。
「話は赤崎と青野から聞いたよ。青野の奴めが孤児院を守ろうとする君たちを利用して、金をせしめようとしていたことをな!うちの社員が犯人だっただなんて、はらわたが煮えくり返りそうだ!」
 怒りも露わに順次郎が足を踏み鳴らす。
「しかし未来ある子供たちを守る施設が無くなってしまっただなんて、初めからそう言ってくれれば良かったのに!」
「すみません……」
 恐縮して菅野が謝る。「そうだ、君みたいな若者が、悪事を働くはずがないんだ!」
 その言葉に恐縮しているのは矢野だ。なるべく順次郎と目線を合わせないよう、隅の方で大人しくしている。先までこの男に命を狙われていたというのに、その様子を見て真理亜は矢野を憎めない気持ちになってしまった。
「約束通り金は菅野君にやろう。その金で孤児院でもなんでも作るといい」
「ありがとうございます」
「そうだな、せっかくなら礼拝堂のある孤児院なんてどうだ?」
「お父様?」
 娘が無事だったことに気分を良くしたのか、今日の父はいつも以上にペラペラとよく喋る。
「我が家の礼拝堂も壊されてしまって、これじゃあ亡くなった母さんがかわいそうだ。せっかく、神様と母さんが真理亜を守ってくれたというのにな」
「神様、ですか」
 はあ、と言った様子で菅野が相づちを打った。
「そうだ、神は我々を常に見守ってて下さるんだ。その感謝の念を表すにも、やはり礼拝堂は必要だろう。善は急げだ、その孤児院の経営者の方にお会いしなければ」
「もうお父様ったら、気が早いんだから」
 手のひらを返したように上機嫌な父親に、真理亜は呆れた声を掛ける。
「そんな急に押しかけたら迷惑だわ」
 でも、彼女には借りた服を返してお礼を言いに行きたかった。この朗報を早く伝えたかったのは真理亜も同じだった。
「だがその方だけでは経営も大変だろう、なにせ礼拝堂の管理もしてもらいたいからな」
「そうですね、大して使ってもいないのに、掃除するだけでも大変でしたもの」
 そう苦言を呈したのはメグだった。
「使わない、じゃなくて、使えないほど忙しいんだ、私は。ふむ、そうしたら真理亜、孤児院経営を手伝ってやりなさい」
 急に矛先を向けられて、真理亜は戸惑ってしまう。
「私が?」
「いえ、そこは僕が……」
 驚く真理亜に代わって菅野が答える。だが順次郎は聞かない。
「ならんならん、菅野君はわが社で目いっぱい働いてもらわないと」
「じゃあ、大月さんや矢野さんだって」
 いきなり私が孤児院の経営だなんて。真理亜は自信がなかった。菅野さんの力になりたいのは確かだけれど、そんな急に、自分の将来を決められなかった。
「そうだな、いずれは手伝わせてもらうよ。だがその前に、俺たちは先にやらなけりゃらないことがあるんでね」
 悩む真理亜に大月が声を掛けた。
「てめえのケツは自分で拭かないとな」
ふう、と大月が煙を吐いたところで、サイレンの音が聞こえた。ようやく警察がやってきたのだ。
「それって……」
 不安そうな表情でメグが問う。「自首するってことですか?」
「ああ。いくら大事に至らなかったとはいえ、コイツのやったことは重大犯罪だ」
「でも、なんで大月さんまで」
 悲しい声でメグが言った。いくら友のためとはいえ、自分まで犠牲にすることはないでしょう、と懇願すれば、
「これでも人にはいえないことをたくさんやってきてね」
 と返されてしまい、メグはがっくりと肩を落とした。「どうして、私が好きになる人ってこうなのかしら」
「ちょうどいい、年貢の納め時だ。牢獄に友達がいたほうが楽しいだろう。罪を償ってやり直すさ」
「大月。ならそれなら僕だって」
 メグ以上に悲しい顔で菅野が言った。「僕だって、子供の頃に人から金を盗んで生きてきたんだ。僕も同罪だ」
「そんな昔のことなんて、警察は取り合わないさ。それにお前は俺たちを助けてくれた。それで帳消しでいいだろう」
 菅野が伸ばした手に大月がそっと触れた。そして、その手をゆっくりと降ろす。
「頼む、やり直させてくれ」
やがてサイレンの音が大きくなり、黒と白の車体であたりが埋め尽くされた。
大月が一本矢野に煙草を差し出して、火を点けてやる。そして自分も煙草をくわえると、大きく煙を吸った。しばらく二人は煙を燻らせて、吸い殻を大月の携帯灰皿に押し込んだ。
「さあ、行こうぜ」
「ああ」
 矢野も観念したらしい。すっかり憑き物の取れたような清々しい顔でうなずいた。
「やっぱり俺は、お前たちがいないとダメみたいだ。また、やり直してくれるか?」
「もちろんだ」
 差し出された手を、菅野が力強く握った。その手にさらに手を重ね、大月が噛みしめるように言った。
「小百合母さんによろしくな。ちゃんと罪を償ったら、また会いに行くと伝えてくれ」
 パトカーの方へ歩いていく二人を、菅野と真理亜は見送るしかできなかった。
 どこからか君が代の歌が聞こえる。駆けつけたパトカーからだ。誰かがこっそり、開会式の様子をラジオで聞いていたのだろう。ゆっくりと歌が終わって、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
 こうして、オリンピックの幕は無事に開かれたのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】前世の不幸は神様のミスでした?異世界転生、条件通りなうえチート能力で幸せです

yun.
ファンタジー
~タイトル変更しました~ 旧タイトルに、もどしました。 日本に生まれ、直後に捨てられた。養護施設に暮らし、中学卒業後働く。 まともな職もなく、日雇いでしのぐ毎日。 劣悪な環境。上司にののしられ、仲のいい友人はいない。 日々の衣食住にも困る。 幸せ?生まれてこのかた一度もない。 ついに、死んだ。現場で鉄パイプの下敷きに・・・ 目覚めると、真っ白な世界。 目の前には神々しい人。 地球の神がサボった?だから幸せが1度もなかったと・・・ 短編→長編に変更しました。 R4.6.20 完結しました。 長らくお読みいただき、ありがとうございました。

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー
公爵令嬢であるオレリア・アールグレーンは魔力が多く魔法が得意な者が多い公爵家に産まれたが、魔法が一切使えなかった。 そんな中婚約者である第二王子に婚約破棄をされた衝撃で、前世で公爵家を興した伝説の魔法使いだったということを思い出す。 冤罪で国外追放になったけど、もしかしてこれだけ魔法が使えれば楽勝じゃない?

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

モブ令嬢ですが、悪役令嬢の妹です。

霜月零
恋愛
 私は、ある日思い出した。  ヒロインに、悪役令嬢たるお姉様が言った一言で。 「どうして、このお茶会に平民がまぎれているのかしら」  その瞬間、私はこの世界が、前世やってた乙女ゲームに酷似した世界だと気が付いた。  思い出した私がとった行動は、ヒロインをこの場から逃がさない事。  だってここで走り出されたら、婚約者のいる攻略対象とヒロインのフラグが立っちゃうんだもの!!!  略奪愛ダメ絶対。  そんなことをしたら国が滅ぶのよ。  バッドエンド回避の為に、クリスティーナ=ローエンガルデ。  悪役令嬢の妹だけど、前世の知識総動員で、破滅の運命回避して見せます。 ※他サイト様にも掲載中です。

お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜
キャラ文芸
✨ 第6回comicoお題チャレンジ『空』受賞作 阿須加家のお嬢様である結月は、親に虐げられていた。裕福でありながら自由はなく、まるで人形のように生きる日々… だが、そんな結月の元に、新しく執事がやってくる。背が高く整った顔立ちをした彼は、まさに非の打ち所のない完璧な執事。 だが、その執事の正体は、なんと結月の『恋人』だった。レオが執事になって戻ってきたのは、結月を救うため。だけど、そんなレオの記憶を、結月は全て失っていた。 これは、記憶をなくしたお嬢様と、恋人に忘れられてしまった執事が、二度目の恋を始める話。 「お嬢様、私を愛してください」 「……え?」 好きだとバレたら即刻解雇の屋敷の中、レオの愛は、再び、結月に届くのか? 一度結ばれたはずの二人が、今度は立場を変えて恋をする。溺愛執事×箱入りお嬢様の甘く切ない純愛ストーリー。 ✣✣✣ カクヨムにて完結済みです。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※第6回comicoお題チャレンジ『空』の受賞作ですが、著作などの権利は全て戻ってきております。

あの海が見える街の丘で

平木明日香
恋愛
 世界に存在していない街、——神戸。  1995年に起こった阪神淡路大震災からおよそ100年。  「ジャイアント・インパクト」と呼ばれた災厄から、世界は滅びの一途に向かっていた。  全ての始まりは、ある科学者がもたらした1つの機械装置の稼働からだった。  遥か未来から来た少年、木崎亮平は、「世界が終わる日」を知っていた。  世界を救う唯一の方法は、明日を捨てること。  人類が生み出した機械装置を使い、過去に戻ること。  ——つまり、“世界の記憶を変え続ける”ということだった。

処理中です...