1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 開会式 選手入場 6

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「せっかくの開会式だってのに、まったく」
 青野が逃げないよう、縛った紐の端を握りしめながら赤崎がぼやいた。
「まだ開会式は終わってないんだ。選手らだってまだ半分くらいしか来てないだろう。俺が、いやお前たちだって、生きているうちにはもう二度と見れない光景かもしれない」
 と、なにやら感慨深そうに赤崎は口を開く。それは英紀も同感だった。どうにか、青野の凶行を防ぐことが出来て本当に良かった。
「本当にたいしたもんだよ、この国は。戦争で負けて、よくココまでやれたもんだ。いや、負けたからこそ、執念で這い上がってきたんだろうが」
「ふん、負け犬がキャンキャンうるさいねぇ」
 メグに蹴られた痛みから回復したのか、青野が皮肉を垂れた。すかさずメグが青野の足を思い切り踏むと、ぐう、と呻いて青野が眼鏡の底から睨んでくる。
「ああ、どうやったって負け犬さ。お前たちも、所詮は負け犬の子孫だ。過去はなかったことには出来ないからな、いくらこうやって、華々しく着飾っても、過去を上書きすることは出来ない」
 睨みつける青野にそう言うと、赤崎は大仰にため息をついて続けた。
「しかしそんな出来の悪い駄犬のせいで台無しだ。社内の備品を盗んで、爆弾なんて作ってただなんてとんだ不祥事だ。俺はコイツを、警察の前に順次郎のところに連れて行かなきゃならん」
「すみません、主任」
 そこまで赤崎主任がオリンピックを楽しみにしているとは知らなかった英紀は、ただ詫びるしかできなかった。本当はこの手で社長の元まで連れて行くのが一番だが、社内での不祥事が絡んでいるというなら話は別だ。それに赤崎主任なら、真実をありのままに話してくれるだろう。青野を追いつめたのは菅野だったと伝えてくれるはずだ。
「せめて聖火点灯まで見たかったんだが、なに、それはテレビで散々放送するだろうよ」
 がっくりと肩を落とすと、菅野らに背を向け、青野を引きずりながら赤崎は去って行ってしまった。
「危ないところを、ありがとうございました」
 ふう、と息をついたところを、メグに礼を言われる。その言葉に英紀ははっとして、自分より頭二つ分は小さい彼女に視線を戻した。
「いえ、その。危ないと思って、つい」
 真理亜だけに飽き足らず、他の人の前で力を使ってしまったことに英紀はしまったと頭を抱えたが、助けた女性は驚いているそぶりもない。それどころか、辺りを憚るように声を潜めて、
「すみません、すべて私が悪いんです。真理亜お嬢様から菅野さんの力のことを聞いて、そのことを私、アイツに話してしまった」
 などと言うではないか。
「アイツって、青野のことですか?」
 英紀は突然の告白に思わずたじろいでしまった。それが一番わからなかったのだ。なぜ青野が、自分のことを知っていたのか。
「ええ。あれでも私の彼氏だったの。本当に、私ったらダメだわ。男を見る目がぜんぜんないみたい」
 真理亜が約束を破っていたことに英紀はショックを覚えたが、メグも自分の力のことは受け入れてくれているようだ。そのことに安堵しつつも、英紀はその当事者をつい探そうとして、やめた。真理亜お嬢様は会場には来ていない。そう彼女が言っていたではないか。
だが、そんな菅野の恨めしい目線に気が付いたのだろう、メグが声を上げた。
「真理亜お嬢様も、菅野さんのことを心配していらしてるんです」
「えっ?」
 かすかな笑みを浮かべてメグは続けた。「大丈夫です、真理亜お嬢様は、最後まで菅野さんのことを信じてらっしゃいました。私とは大違いだわ、私はジュン君のことは信じられなかった。でもそれで正解だわ。あんなやつ、信じる方が馬鹿だもの」
 そう言う顔は少し悲しそうだった。それもそうだろう、元彼に殺されかけたのだ。ショックを受けないわけがない。
どう返したらいいのかわからず英紀がオロオロしていると、メグが視線をあげて、客席の下段の方を探し始めた。
「あれ、おかしいわ。B列の席で待っているようお願いしたのに。お金の入ったバッグもないじゃない」
 不思議そうにメグが呟いて、それを聞いた英紀は胸騒ぎを覚えた。
「お嬢様のことだもの。待っててとは言ったけれど、菅野さんが現れた段階で飛び出してきたっておかしくないのに。それに、あのリュック。相当重いはず。あれをお嬢様が一人で持ってどこかに行くだなんて考えられないわ」
 言いながら、メグの顔も曇ってきた。「もしかして、アイツが言っていた新たな草加次郎ってやつが、お嬢様を……」
 メグが言い終わらないうちに、英紀の身体が動いた。エネルギーはすっからかんだが、それでもどうにかしなければならない。
「僕、他の場所も探してきます!」
 英紀は重い身体を引きずって駆けだした。
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